武装を完全に解除した後は、朝来た道であり、行軍路であった道より本陣,富士野屋夕亭へ。
この途中,石和南小と甲州街道との間にある公園に、昨年(突如)設けられた足湯に殿や雪魔王殿は老いの疲れを癒すべく小休止しながら戻りました。
去年は合戦後、中央線北側の笛吹ライン沿いに在る石和健康ランドにて合戦にて疲弊し、殺生をして穢れた体を癒して行きましたが、今年は、殿が本陣と事前に交渉して下さったお蔭で、ここの素晴らしき湯に浸かり、食事をして帰る手筈となっていました。
本陣到着後、食事処への全員集合!と一同申し合わせ、男女に分かれて湯に浸かりに行きました。
ここでの話は、もっぱら合戦場での武勇譚。
今までの石和行の中で、一番面白く爽快痛快な湯でした。
エレベーター前に飾ってありました。4年間泊まり続けて初めて知りました。友達の義父のサインもあります。
もう、来ることが無い(かもしれない)富士野屋の湯を存分に堪能した後、食事処にてほうとうを食したかったのですが、(暑かったので)ざるそばを食しました。
そのお味は・・・何の変哲も無いものでした。
ほうとう組の面々は濃いなぁ...
その最中、沼田殿は東京発の夜行バスに乗車すべく、一足お先に本陣を出立し、石和温泉駅から特急列車にて都内へ向われました。
我らは、それから遅れる事30分ほど後,19時近くに2日間、いや4年連続でお世話になった富士野屋夕亭を出発しました。
甲府から夜行バスにて(畿内へ)帰国される大蛇丸殿とは、年末,忘年会にてお会いする約定を取り付けて、石和温泉駅にて暫しのお別れ(^^)/~
ここから先、松風と大魔王号は進路を東に,東京へと向かいました。
復路は、降車場所の都合上,私は松風に、格さん,飯綱殿,雪魔王殿達と共に乗り込みました。が!ここではもう、世にも恐ろしき、仰天同地の会話が交わされておりました。
しかも、その発信源が常に雪魔王殿だったことに空恐ろしさを覚え、一時睡魔に託けて現実逃避していました。。。その内容は、とてもここではご紹介できないので、差し控えさせていただきます(_ _;)
街頭の無い、暗黒の中央道では、多少流れが悪いところありましたが、大規模な渋滞も無く、往路と同じく談合坂S.A.にて小休止した後、ここで神奈川,多摩方面へ向う大魔王号と別離。
尚も続く、ここでは決して語ることの出来ない核爆級の会話に終始翻弄されながら、いつしか松風は中央道から首都高4号線へと入り、東京都心へ突入。
時計の針はこの時22時頃を指しており、自分の帰路も幾分心配ではありましたが、それよりももっと深刻だったのは飯綱殿。
東京駅発東北新幹線の最終へのタイムリミットが刻々と迫る中、東京駅へ向う予定を急遽変更し、混雑する4号線を外苑出口から脱出して、向ったのは中央線四ッ谷駅。
時刻は22時20分ごろ。
平日ならば、今だ賑わいのあるであろうこの街も、かなり閑散として寂しい中、中央快速線ホームへ全速力で駆け、幸いにも、乗換に十分余裕ある時間の東京行き電車に乗ること出来ました。
飯綱殿は途中御茶ノ水駅で別れ、向かいの総武緩行線にて船橋へ出、そこから京成に乗換えて、何とか強力な眠気に耐え、乗り過ごす事無く、無事帰宅しました。
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この途中,石和南小と甲州街道との間にある公園に、昨年(突如)設けられた足湯に殿や雪魔王殿は
去年は合戦後、中央線北側の笛吹ライン沿いに在る石和健康ランドにて合戦にて疲弊し、殺生をして穢れた体を癒して行きましたが、今年は、殿が本陣と事前に交渉して下さったお蔭で、ここの素晴らしき湯に浸かり、食事をして帰る手筈となっていました。
本陣到着後、食事処への全員集合!と一同申し合わせ、男女に分かれて湯に浸かりに行きました。
ここでの話は、もっぱら合戦場での武勇譚。
今までの石和行の中で、一番面白く爽快痛快な湯でした。
エレベーター前に飾ってありました。4年間泊まり続けて初めて知りました。友達の義父のサインもあります。
もう、来ることが無い(かもしれない)富士野屋の湯を存分に堪能した後、食事処にてほうとうを食したかったのですが、(暑かったので)ざるそばを食しました。
そのお味は・・・何の変哲も無いものでした。
ほうとう組の面々は濃いなぁ...
その最中、沼田殿は東京発の夜行バスに乗車すべく、一足お先に本陣を出立し、石和温泉駅から特急列車にて都内へ向われました。
我らは、それから遅れる事30分ほど後,19時近くに2日間、いや4年連続でお世話になった富士野屋夕亭を出発しました。
甲府から夜行バスにて(畿内へ)帰国される大蛇丸殿とは、年末,忘年会にてお会いする約定を取り付けて、石和温泉駅にて暫しのお別れ(^^)/~
ここから先、松風と大魔王号は進路を東に,東京へと向かいました。
復路は、降車場所の都合上,私は松風に、格さん,飯綱殿,雪魔王殿達と共に乗り込みました。が!ここではもう、世にも恐ろしき、仰天同地の会話が交わされておりました。
しかも、その発信源が常に雪魔王殿だったことに空恐ろしさを覚え、一時睡魔に託けて現実逃避していました。。。その内容は、とてもここではご紹介できないので、差し控えさせていただきます(_ _;)
街頭の無い、暗黒の中央道では、多少流れが悪いところありましたが、大規模な渋滞も無く、往路と同じく談合坂S.A.にて小休止した後、ここで神奈川,多摩方面へ向う大魔王号と別離。
尚も続く、ここでは決して語ることの出来ない核爆級の会話に終始翻弄されながら、いつしか松風は中央道から首都高4号線へと入り、東京都心へ突入。
時計の針はこの時22時頃を指しており、自分の帰路も幾分心配ではありましたが、それよりももっと深刻だったのは飯綱殿。
東京駅発東北新幹線の最終へのタイムリミットが刻々と迫る中、東京駅へ向う予定を急遽変更し、混雑する4号線を外苑出口から脱出して、向ったのは中央線四ッ谷駅。
時刻は22時20分ごろ。
平日ならば、今だ賑わいのあるであろうこの街も、かなり閑散として寂しい中、中央快速線ホームへ全速力で駆け、幸いにも、乗換に十分余裕ある時間の東京行き電車に乗ること出来ました。
飯綱殿は途中御茶ノ水駅で別れ、向かいの総武緩行線にて船橋へ出、そこから京成に乗換えて、何とか強力な眠気に耐え、乗り過ごす事無く、無事帰宅しました。
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楽しく拝読しました。
>仰天同地の会話
大人の会話をしていたのですよ!(笑)
あの時の車で過ごした時間は、
本当に楽しかったですね~。
四ツ谷駅からの帰路、大変お疲れ様でした。
くない殿と紋次郎。殿のお蔭で
楽しい思い出を今年作る事ができました。
(帰りは、ここに飯綱殿と格さんが加わります。/笑)
本当に有難うございます!!
格さんと自分、どちらが早く石和のレポを書き上げるかな?ブービーはどっちだ?!(爆)
行きたかったぜ、石和ぁっ!!
・・・以上、休みを取り上げられて石和参陣をドタキャンした碓氷六三郎でした(ToT)
雪殿>
あなたの“性格”はあの時、しかと海馬にインプットしておきました。
もう、私は敵いません。
碓氷殿>
しからば是非に、来春その無念を晴らしましょう!
私も参陣・・・することとなったので(--ゞ