くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

「京都」出張報告-おわりに:早めの行動

2010年08月28日 | 上洛記
出張2日目は、9時から業務に関する施設を見学することになっているんですが...
はい、それまでの時間は自由なので、行ってきました、パワースポットに(笑)

前日から(一応)入念に調べてタイムテーブルを組んでいたんですが、如何せん、朝起きれなくて(^^ゞ
予定より30分ほど遅い朝5時半頃に起き、最低限な身支度だけ整えて宿を出ました。
その向かった先=パワースポットとは...

西陣と一条戻り橋の晴明神社です。

この出張に先立って、京都市営地下鉄とバスが乗り放題になる“京都観光2日乗車券”を東京駅八重洲口に在る【京都館】で買っていたので、これをフル活用しなければ勿体無いですし(笑)
京都駅から地下鉄に乗って今出川で下車。

当初の予定だと、早朝の御所へ参るつもりだったんですが、如何せん、朝起きれなかったので、とりあえず外から(^^ゞ

昼間の喧騒とは打って変わって、朝靄が微かに掛かる早朝の静かな洛内は、実にいいです。。。

ここからバスで今出川通を西へ。

地図や路線図を見る限りだと、1区画でバス停だと2つ目(同志社前堀川今出川)なので近い・・・と思っていたら、意外と遠いのに驚きました(^^ゞ

最寄の堀川今出川でバスを降り、堀川通を南へ少し歩くと、この日第一の目的地である西陣址に着きます。

応仁の乱時、山名宗全方が本陣を構えたとされる場所で、そこに建つ西陣織会館の玄関前には立派な石碑があり、ここが戦国乱世の端緒となったことを教えてくれます。


そして、もう一つの目的地である一条戻橋の晴明神社は、ここから直ぐのところに在ります。

ここには随分昔に訪れたことがあるんですが、その時、とても衝撃的な絵馬の願掛けがあったので、ひょっとして・・・という期待を込め来て見ました(笑)
けど、今回は残念ながら度肝を抜くようなモノはありませんでした。
しかし、境内は(以前に比べて)綺麗に整備されていて、陰陽師ブームの恩恵を垣間見た気がします(苦笑)

また、パワースポットとしても人気のようなので、それにあやかって、ありったけのパワーを受けて!!

宿へと戻りました。
一条戻橋は、晴明社の境内に「復元」されています。

ちなみに、ここにはかつて千利休が屋敷を構えていたそうで、それを教えてくれる石柱が建っていました。



この時、時刻は6時40分過ぎ。
折りよく京都駅行きのバスがあったので、これに乗って宿へと向かいました。

朝早い時間にも関わらず、結構バスは混んでましたが、何とか一番後ろの席の端に座って、移り行く京都の町を眺めていました。

宿には7時過ぎに帰り着き、部屋へ朝食券を取りに戻ってからレストランへ。
バイキング形式なのでありったけ食べて、ちょっと腹ごしらえに・・・と、宿から直ぐ近くにあるリーガロイヤルホテル京都へ向かいました。

ここには、幕末に会津中将御預の新撰組が拠点を設けていたところで、それを記す石碑が、生垣と竹に囲まれて設けられていました。

なお、この前に拠点としていた西本願寺(龍谷山本願寺)はすぐ北に在り、屋根や築地がよく見えるんですが、微妙な距離と時間だったので、今回は断念して宿に戻りました。

ちなみに、築地の本願寺には行ったことはあるんですが、洛中の本願寺には一度も。
東西の本願寺と京都駅が近い・・・とは、地図などから読み解いていたんですが、そんなに、正直興味が沸きませんでした。
けど、晴明神社(一条戻橋)から堀川通を行く京都駅行きのバスに乗って、初めて西本願寺を見ましたが、規模の大きさや堂宇や門の立派で威厳ある造りを見て、今まで見に来なかったことをちょい後悔しました。

バスが西本願寺前を通過したのは7時頃ですが、既に門が開いており、後で調べたら5時半には開門し、6時から山内阿弥陀堂で行われるお勤めを見学することが出来るようです。

また、京都駅や大谷本廟とを結ぶ無料バスがあるとか。
侮り難し本願寺・・・今度上洛した折に行ってみます。

さて、京都での“自由行動”はこれまでで...。
9時からは本業に。
研修会の2日目(最終日)は、バスで、私的に上洛したら絶対立寄らないであろう施設を何箇所かを見学。
京都大学総合博物館は、さすが・・・様々な収蔵品が展示されています。人文のみならず理系も、いろいろと仕掛けが施されていて、面白かったです。

ミュージアムショップには、ポルトガルから戦国時代の日本に伝来した当時の金平糖が“復刻!信長の金平糖”として売られていました。

けど、ちょい高かったので買いませんでした(^^ゞ
金平糖はポルトガル語で「コンフェイトス」といい、当時のはイガイガがなく、丸く球形に近いものだったそうです。


鹿ケ谷下の泉屋博古館住友家が集めた、特に古代の青銅器等を多く展示しています。名前の由来は、住友家の屋号「泉屋」と、北宋の8代皇帝・徽宗が編纂を命じた青銅器図録「博古図録」からきています。

館内は静かで落ち着きがあり、お庭もまた見事です。



お昼は平安神宮北(京都市武道センター北)の【アミタ】でとりましたが、美味しかったです。

特に湯豆腐!お出汁だけで、ご飯3杯はいけます!!
食事をしながら、景色も楽しめてよかったです。画像中にある鳥居は、平安神宮の鳥居です。


緻密に練られたタイムテーブルに従って順調に周り、ほぼ定刻通り、15時過ぎに京都駅へ到着。
16時過ぎの新幹線で、東京へと戻りました。

まだ日の出ている内に京都を離れるのはとても勿体無かったですが、如何せん、京都には仕事で来ていたので。
後ろ髪を強く引かれる思いで、おとなしく帰りました。。。

・・・今回の研修会の手土産の一つに、「京都国際マンガミュージアム」の招待券が入ってましたけど・・・ここ、有料だったんですね(^^ゞ
運営母体が大学だから・・・と勘違いしてました。けど、行く機会、あるかな・・・。
宝の持ち腐れになりそう...。

5頁目」<<<◆>>>「最初―1頁目」から

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「京都」出張報告-5頁目:業界の回顧と展望

2010年08月27日 | 上洛記
午前中、京都の外側をぐるっと移動して、「本来の目的地」である今出川に着いたのは12時半前。
専門職の方との待ち合わせ時間までに、構内の食堂で昼食。

これ、280円なんですが、ええ、足りません。全く足りません。
きっと、探せばもっと量の多いのがあったとは思いますが、時間が無い上システムがちょっとよく解らなかったので...
それと、ここを利用するお客さんの9割強は女性ですから、まぁ、仕方ありません。
さらっといただいて、研修会場へと向かいました。

今出川通り沿い、京都御苑の北隣にあるここは、かつて五摂家の1つ、二條家の邸宅が在った場所だそうで、発掘された家紋の入った瓦や土師器がなどが展示されています。

ちなみに、西隣には薩摩島津家京都屋敷が在りましたが・・・発掘品などは、見掛けませんでした。

研修会は13時から16時過ぎまでの二部構成。
その合間に休憩があったので、ちょっと構内を散策。

ほら、男性は用が無い限り入れませんから(^^ゞ

建物の屋上はテラスになっていて、ちょっと深呼吸と息抜きに・・・と、出てみました。
洛中を周っている時にざんざん降っていた雨も、この時には(一旦)止んでいました。
そのお蔭でか、少し蒸す感じはありましたが、空気がひんやりとしてしていて、雨が空気中のゴミを洗い流してくれたからか、とても気持ちよかったです。

(右下に見える)御苑の杜の木々と建物との高さが同じくらいだったので、南側の眺めは(私的には)あまりよくなかったですが、東や西は、遮る建物も少なく、よく見渡せました。

一息ついてから...研修会再開。
この中盤以降、昼食の量が少なかったお蔭か、やっぱり小腹が空いてきたので、「幹事」さんが用意された“御鎌餅”なるお菓子をいただいてました。

何でも、京都では有名なお菓子らしいんですが・・・とっても上品なお味が美味しかったです。

なお、研修会は初手から押し気味で、最後は何とか無理矢理閉会に持ち込んだ感がありましたが(^^ゞ
大阪城天守閣の専門職の方、随分と話す内容用意してきたみたいですが、時間が押してたので悉く自分でカット。きっと、用意した半分程度ことしか話せなかったかと(苦笑)
今回初めて参加して、内容等がとても面白く、大変勉強になりました。

研修会後は、滅多に入れない構内を散策。

構内の資料館を見、レトロな雰囲気を堪能。

合わせて、ここと隣接し、同じく重文級の建物が幾つかある(旧薩摩島藩邸址に建つ)構内より烏丸通に出て、旅装を解くべく今回の宿に一旦向かいました。
部屋に研修会で仕入れた数多の資料を置いて、すぐさま懇親会に出席すべくその会場へ。
そこは...
ホテルグランヴィア京都
一度は泊まってみたい!と思う高級ホテルで懇親会とは...さすがです。

京都駅の南北自由通路から中に入ると、とても駅構内の一部とは思えない静けさと気品有る雰囲気。

用が無ければとても入れそうに無いですが...
この日は立派なお客さん。しかもスーツだったので堂々と歩けました(笑)
迷路の様になっている中を進んでやっとこさ会場に。

今回は初参加であり、かつ、上司より「名刺を30枚配ること!」と言われていたので挨拶回りに終始(^^ゞ
お蔭でノルマは軽々達成させましたが、反面、料理にはほとんど手を付けることができませんでしたが...
ただ、ケーキ類だけは、勿論!しっかり頂いてきました(笑)

18時半から始まった懇親会は、予定通り20時半過ぎに終了。
ただ、戻って休むにはちょっと早すぎなので、少し格好をラフにして、再び京都駅へ向かいました。
すると、「幕末を生きた人物伝」なる企画展が開かれている案内を見つけたので、そこへ。
・・・行く途中、東側のビル内に、手塚治虫の記念館らしきところがありました。

アトムやブラックジャックにリボンの騎士らが、出迎えてくれます。

けど、その横で宴会上がりの会社員衆が大盛り上がりしてました(苦笑)

さて・・・場所は、駅ビル10Fの空中径路

そこには、煩悩の数・・・もとい、108名の人物のパネル紹介が成されていました。

見晴らしのよいお場所柄、しかも金曜日の夜だったからか、カップルが多かったのは痛恨事でしたが(苦笑)...
中々面白く拝見しました。

京都市街の夜景、初めて見下ろしました。雨がまた、よかったです。

見終わって西側のビルに入ったらラーメン街で、空腹がちょっと応えましたがここはぐっと我慢をして...。
コンビニでおにぎりを買って、予約録画したつもりが出来ていなかったorz...鬼平見ながらこれを食らい、少し腹を満たしてから休みました。

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「京都」出張報告-4頁目:銀閣寺道

2010年08月26日 | 上洛記
午後からの研修会の前に、駆け足で巡る洛内。
花園の妙心寺東林院、紫野の大徳寺高桐院と、いずれも臨済宗の異なる宗派の塔頭を訪れた後、次に向かったのが・・・またまた臨済宗の、今度は相国寺派に属する東山慈照寺
はい、即ち「銀閣寺」です。

当初の予定では、第三の目的地として一乗寺方面の詩仙堂(丈山寺)などへ行こうと思っていたんですが、そこから、本来の目的地である今出川(寺町)までは距離と時間が掛かりすぎるので、ここへ比較的出易い東山方面に行先を変更しました。

慈照寺も、上洛した折には訪れる好きな場所なんですが、久しく訪れていなかったので行ってみたんですが...

さすがは世界遺産!
さすがは定番の修学旅行コースorz...

雨だっていうのに、入山するのに長蛇の行列が出来ていました。
先の二院とは大違いです(^^ゞ

この時、時刻は11時半過ぎ。

この後の予定を考えると、とても堪能できないので...
とりあえず門前まで進んで慈照寺の雰囲気を感じてから、反転して外へ。

ただ、これで本来の目的地へ行くのは早すぎるし、第一如何にも勿体無い!ので、どうしようか・・・と思案していたら、(慈照寺の参道を出て)右手の見えた杜の中に鳥居が在ったので行ってみました。

そこは「八神社」という御社で、鳥居前にあった社縁には、確か、坂上田村麻呂が云々・・・とあったと気がしますが、それくらい古い縁のある御社のようなんです。

鳥居を潜り杜の中へ踏み入ると、真直ぐ上に伸びる石段が。

そこを登って行くと、小ぢんまりとした本殿がありました。
山の杜の中にある感じの神社で、鳥居を潜ると異界にでも入ったかのような、何とも言えない静けさと、木々の迫力を感じますが、本殿はそれにも増して、木々に取り囲まれてました。
正に、杜の鎮守様です。

その迫力に幾分圧倒されながらも参拝してここを下りましたが、滑りやすい石段に足を取られて転んでしまいました(^^ゞ
革靴だったので余計にでしたが、何とも表現出来ない雰囲気・・・というか、感覚にありました。

この後でもう一箇所。
引っ切り無しに人が出入りする慈照寺参道の直ぐ左隣に「浄土院」なるお寺を発見。

ちょっと、中に入って見ました。
門前に寺縁の立て札がありましたが、随分と古く歴史があるお寺さんのようで、京の五山の送り火「大文字」を管理しているので「大文字寺」とも呼ばれているようです。
それだけのお寺さんにしては・・・人の家に入り込んだような感じがします(笑)

慈照寺には残念ながら入れませんでしたが、その分、見過ごしていた寺社を巡れました。

時刻はこの時正午を過ぎていたので、本来の目的地である今出川へと向かいました。

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「京都」出張報告―3頁目:楓の庭

2010年08月25日 | 上洛記
仕事が始まるまでの間、洛内を散策。
まず最初に向かったのは臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺の塔頭・東林院。

沙羅双樹の寺として知る人ぞ知るこのお寺さんで、名物をしっかりと拝見して次へ。

江戸時代にでもタイムスリップしたかのような山内の路を進み、北総門へ。



ここからバスで、御室仁和寺を経由して向かいました。
その第二の目的地とは、紫野に在る臨済宗の、今度は大徳寺派大本山である龍寶山大徳寺の塔頭・高桐院です。

ここも、東林院と同じ時に訪れたのですが、その時受けた感激度が至極強くて忘れ難かったので、再びそれを受けたくて訪れました。

バス停から歩いて5分ほど。
交通量の多い北大路通から路地を入って北へ少し進んだところに在るんですが、とても閑か。

石畳と竹で設えた柵に沿って進んでいくと、すぐに、深い竹林と柔らかな苔の緑に迎えられます。

時刻は午前10時半頃。

陽射しが雲に遮られていることもありましたが、深い竹林が光を吸い込んで薄暗くする反面、苔は光を柔らかく返し、石畳の路を仄かに明るくしてくれます。

そして、このコントラストが、中へと、心と共に引き込まれて行きます。

ここ高桐院は、知勇兼備の将として名を馳せた細川三斎公が開基した塔頭。
利休七哲の1人として、侘び寂びの風雅にも造詣が深かった三斎公らしく、門から本堂から、実に質素な造りとなっています。

玄関で受付を済ませて本堂内へ入ると、現代的な照明設備があまりなく、また、あったとしても点けておらず、明かりは自然光を頼りとしているので、光の明暗や濃淡で楽しむことができます。

自然の光が、心許無い本堂の廊下をやさしく照らしてくれます。

床の間を照らす蛍光灯の明かりが、より室内の明暗を引き立てているようです。

本堂奥にある茶室「松向軒」は、三斎公の法名「松向寺殿」に由来し、羽柴秀吉が主催した北野大茶会の折に(秀吉が)造らせた茶室を移築したものだそうです。

書院の「意北軒」は、三斎公の茶の湯の師、千利休の邸宅(一部)を移築したもの。橙の明かりが、よき雰囲気を醸し出しています。

それを最も楽しめるのが、開基の三斎公がおわします本堂仏間よりの眺めです。

自然光を直に受けて明るいお庭を、逆に光が入らず暗がりな仏間より見ると、苔や竹などの樹木の緑がより映えて、心惹きつけられます。

通称「楓の庭」とも呼ばれるこのお庭は、秋、紅葉の季節に多くの人を惹きつけるそうですが、私的には、緑漲る皐月から水無月の頃。
雨を受けて、緑が瑞々しく映える時が一番いい!と思います。
しかも、紅葉の時季は混み合うようですが、この時季はとても空いてます。
更に、この日が平日で、(私的には)幸いにして雨が降っていましたから余計に。
他の拝観者は無く、高桐院を独占状態。

三斎公へご挨拶を済ませてから、本堂内より、または毛氈の敷かれた廊下から、淡い緑の光を返すお庭を、心閑に楽しみました。

耳に入っているのは、雨音や、風によって揺れて擦れ合う竹や木々の音、鳥のさえずりなど。
短くはありましたが、都会の雑多な喧騒やつまらないしがらみやらストレスから開放され、十二分に心癒される時を過ごす事が出来ました。

本来の業務までの時間が差し迫る中、第三の目的地へと向かいました。。。


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「京都」出張報告-2頁目:沙羅双樹の花

2010年08月24日 | 上洛記
職場の金で、行ってきました!京都に(マテ)
名目は、同業者で同じ業務を担当する者が一同に会する全国的な「研修会」に出席する為です。
けど、研修会は午後からだったので、それまでの間、時間の許す限りに・・・と、目当ての場所を2,3箇所に絞って巡りました。

まず、第一の目的地へ向かうべく、新幹線から(初めての)嵯峨野線に乗り換え、京都駅から10分ほどの花園駅で下車。
手持ちのガイドブックの地図によると、目的地までは歩いて10分ほど。
駅前に在った地図でも経路を確認して、(一本道ではなく)路地に入って進んで行くと・・・その途中に今宮神社が在ったので、立寄って参拝。

閑静な住宅街の中に、何の違和感も無く、自然と鎮座まします御社に「京都らしさ」を感じて先へ。

その第一の目的地とは、臨済宗妙心寺派の大本山である正法山妙心寺の塔頭・東林院です。

今宮神社を出て、住宅街の路地を少し歩き、下立売通に抜け出ると、さかながら城の様な築地と堀に囲まれた妙心寺に辿り着きます。

下立売通と境内を結ぶ石橋を渡り、とても立派な構えをしている南総門より入ると、視界には、整然と組まれた石畳と荘重な堂于が入ってきます。

時は平日の朝、通勤や通学のピークも過ぎた頃。
境内に人影は少なく、今宮神社の参拝中に降り出した雨の音だけが、他の音を打ち流すかの様に聞こえてきます。


その境内を東林院へ向かって少し早足で進み、重要な諸式の時にのみ開く勅使門と繋がっている朱塗りの三門

ここに差し掛かったとき、この2階へ、自由に上がれる案内を見、せっかくの機会なので立寄ってみました。

門内は土足厳禁なので、入口でビニール袋=靴入れを受取り、急峻な梯を上がって行くと・・・そこでは、朝のお勤めが行われていました。
これを、廊下で正座して拝聴される方が居られましたが、私はこれを流し見て(笑)
居並ぶ御仏様や三門からの眺めを楽しみました。

この後、反対側の、同じく急峻な梯を降りて、静かな境内を、再び東林院へ向けて進んでいきました。

山内の東端に在るこの塔頭は、平家物語の始まりに出てくる「沙羅双樹の花」が咲くことで有名で、拝観も、この見頃の一時期か正月開けの行事の時にしか出来ません。
但し、宿坊なので泊まることは可能なようです。
実は今から3年前の同じ頃。
どこで聞き付けたかは覚えていませんが、訪れたことがありました。
それも、この日と同じ雨の時だったんですが、その時の感激が忘れられず、今回も、折りよく特別拝観時期と出張が合ったので訪れてみました。

三門からは5分ほど。
整然と組まれた石畳の上を、建ち並ぶ塔頭や生垣の間を通って行くんですが、人影も無く静かで、加えて看板があちらこちらには無いので、さながら迷路の様。。。

地図と案内と自分の記憶を頼りに進むも中々辿り着かず、少し不安になりましたが・・・漸く辿り着いたここの門前で拝観の受付を済ませて、中へ。

今が見頃の紫陽花が出迎えてくれました(笑)

ここは、お庭を眺めながらお抹茶とお菓子、もしくは精進料理が頂ける趣向となっています。
ただ、時間的制約上前者(1,500円)にしましたが、同じ時に後者(5,000円)を頼んでいる方も居られて、ちょい羨ましく思いました。
残念ながら、どのようなものなのかはよーく確認しませんでしたが(^^ゞ...

門前で受付を済ませ、中へ。

門と堂于の玄関までの僅か空間も見事ですが、中はそれ以上に見事です。
お庭は決して広くはありませんが、狭さは感じません。

お抹茶とお菓子をいただきながら、静かにお庭を眺めていると、心がとても落ち着きます。。。
メインの沙羅双樹の花は、もう、幾輪かしか残っていませんでしたが、木の根元には、(木から)離れた花がそのまま落ちていました。

しかし、それもまた一興で、、、
平家物語の一文と重ね合わせると、どことなく儚い感じがします。。。

短い時間ではありましたが、落ち着いた時を過ごし、それを堪能して、次へ。
第二の目的地へと向かいました。

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「京都」出張報告-はじめに

2010年08月23日 | 上洛記
はや2ヶ月も前の話なので、職場への正式な「報告」は済ませてありますが、一応コチラでも。
上洛をしたので(笑)

時は水無月の中旬。
季節は梅雨の始め頃。
あまり思わしくない天気予報の中、1泊2日で京都へ出張してきました。
名目は、担当業務間の研修会のためです。
ただ...
実のところ、この業務の担当に就いたのは出張の2ヶ月前。
それも、当初は(大規模な組織改変と人事異動後に)副担当だったんですが、主担当者が青天の霹靂的な人事異動となって急遽、私が主担当に成った次第で。
さすがに当初は結構戸惑いましたが、「京都へ出張で行ける!」ことに気が着いてからは、俄然ヤル気が出てきました(マテ)
何せ、ほぼ毎年上洛してますから(笑)
最近も、昨秋と今春の弥生の頃。
即ち、出張の3ヶ月前にも上洛したばかりですから。
よもや職場の金で上洛出来る!とは思いもよらず、職場ではこの喜びをグッと堪えて、出張の日を、密かに指折り数えてました(爆)

この出張には、事務方の私と専門職の方2人で行くことになっていましたが、専門職の方は、同時期に奈良で行われていた会議に出席すべく前日に発っていたので、往きは私だけ。
・・・ということで、予め手配した新幹線の時間を3時間も早めて、東京を6時30分に出る[のぞみ5号]でいざ!京都へ向かいました。

前任者の上司であった人事課長にも、「会議の前に観光してくれば。」って、お墨付きもいただいたので(^^ゞ

この日は曇り空だったので、富士山をはっきりと拝することは、残念ながら出来ませんでした、この時、東静岡駅近くで着々と建造中だった「ガンダム」は、事前にお教えいただいたお蔭でしっかりと視認しました(/^^)。
また、関ヶ原も今回初めて確認した・・・気がします。
(実は昨秋、名古屋へ行ったときに足を延ばしてみたんですが、着いた時には、もう、陽がとっぷりと落ちていて、何がなにやらサッパリ判りませんでした。。。)

これらの合間に、研修会中寝ないように・・・と睡眠もとって(笑)
京都に着いたのは8時50分過ぎ。
「本来の目的」は午後からだったので、それまでは観光・・・いや、視察を!と(爆)
手持ちの切符が京都市内(のJR駅)有効だったので、第一の目的地近くまで、嵯峨野線に乗り換えて向かいました。

報告書◆>>>「2頁目

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水無月の上洛記,まとめました。

2007年07月21日 | 上洛記
苦節一月半,漸く纏まりました、水無月の上洛が。

先月水無月の中旬,一年半ぶりに上洛をしました,そのつれづれを載せるべく、忙しなくなった日々の合間に記していたのですが...
雨中の京都が余りにも素晴らしかったので、ついつい,いつものことではありますが、長々として纏まらなくなってしまって...
上洛から一月以上経って、漸く仕上がりました。

最後の方は、今回の旅同様に駈足に綴ったので、特に誤字脱字に意味不明な文章となっているかもしれませんが...
そこのところは何卒ご勘弁いただき,上洛のつれづれをお楽しみいただければ幸いにございます。
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水無月の上洛口

2007年07月13日 | 上洛記
千載一遇の後逸から始まった有り余る余暇にも、漸く終わりが見えた6月中旬,久方振りに上洛をしました。
入梅から暫し続いた干天も、この日に限っては本降りの雨。
しかし、それがより京都の良さを存分に高めて、大変満足のいくものでした。

今回は、日帰りだったゆえに駈足で,大変慌しく、更には雨でちょい難儀な旅ではありましたが、それ以上に,雨中、水無月の京都は素晴らしかったです。
此度はそのつれづれを,僅か壱日の駈足の旅ながら、とても素晴らしくて観応えがあったので、ついつい,11編にもなってしまいました...
その入口をここに設けました。
もしよろしければ...

▽其の一:「一年半振りの上洛」

▽其の二:「朝駆け」

▽其の三:「午前上」

▽其の四:「午前下」

▽其の五:「昼餉」

▽其の六:「午後上」

▽其の七:「午後中」

▽其の八:「午後下」

▽其の九:「詩仙堂」

▽其の十:「閑寂の夕」

▽其の十一:悠久の雅

▽其の十二:「帰東」


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水無月の上洛「帰東」

2007年07月12日 | 上洛記
駈足で巡ってきた今回,気が付けば日没の頃。
京都駅に着いたのは19時頃。
土産物屋や伊勢丹へ行き、京都駅構内で1,000円の近江牛弁当を買ってホームへ,新幹線の到着10分前に準備が完了しました。

帰りは京都を駅を19時46分に出発する[ のぞみ ]なのですが、博多発ということもあってか車内は満員。
ただ、私は予約時に“窓際”をお願いしたので幾分快適に,値段の割には正直大したことの無い弁当を食べた後は、1日の疲れがどっと出たのか、ぐっすりと...
起きた時にはもう、神奈川に入っていました。
出る時には降っていなかった雨は、私とは入れ違いにか,結構降っている中で帰東となりました。

今回は突然の上洛,しかも、雨天の中を駈足で巡りましたが、満足した旅でした。
また、次回への下見ともなった旅・・・でもありました。

今度はいつ,上洛できるのかは判りませんが、今回,実質素通りをしてしまったところなどは今度、是非とも訪れてみたいですね...。

それにしても...
やっぱり京都はいいところです。
一度は住んで見たい...。
いま、もしいつかに戻れるとしたら浪人時代に。
京都の大学を狙って行きたいですね(笑)


京洛の悠久の雅<<<<<◇>>>>>上洛の入口

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水無月の上洛「悠久の雅」

2007年07月11日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
それもいよいよ最後...
杜と一体とかした八神社を後にして、軒並みシャッターの閉まった慈照寺の参道を下ってバス停へ。

次の目的地がある丸太町へ,今出川通の銀閣寺道バス停からバスに乗って御所の北辻,烏丸今出川まで出、ここから地下鉄(今出川駅)に乗って向かいました(南へ1駅)。


烏丸線丸太町駅の南端,少将井町の京都新聞本社に繋がる7番出口から出て向かったのは、眞如堂町の松栄堂という老舗の香堂です。

ここを初めて訪れたのは、いまから数年前。
前々からお香の好きで興味があったのですが、上洛する折,下調べて見ていたガイドブックに松栄堂のことが載っていたので、行程の最後,帰東直前に立ち寄って2点のお香を買って帰った・・・のが、切欠でした。
以後,初めて(一応本格的に)焚いて楽しんだお香は実に上品で香しく、集中したい時や落ち着きたい時には打って付け。
中でも気に入ったのが夜,独り真っ暗な部屋で佇みたい時や就寝前、雨降りの日にその雨音を聞きながら焚いたお香はとってもよく、(何と無く)風情も感じられて私は気に入っています。
それ以来、愛用している松栄堂のお香なのですが、生憎手持ちを切らしていたので折角の機会にと、洛中の本店でそれを買い求めたく、今回もまた行程の最後,帰東前に立ち寄りました。
この老舗香堂の本店は、今回巡った地域とはまるで様相の違うビル群の中に在るのですが、店舗のある1階部分は和風に,本社機能を備えた(恐らく)2階以上は近代要素満点のビル・・・という、一見珍妙な造りとなっています。
ここへは、最寄の烏丸線丸太町駅から南へ歩いて3分ほど,洛中にはありますが、都内で言う日本橋辺りの繁華街からは一歩外れており、一番大きいか,京都新聞本社のシャッターが降りていて、街中も先の東山の参道同様に閑散としており、その雰囲気に思わず呑まれて何と無く,松栄堂の敷居が高く感じました...。
それでも意を決して,店内に入るとそこには・・・私以外のお客さんは居らず(--ゞ
お香を買うことは決めてはいたのですが、妙に緊張してしまいました(苦笑)
それでも何とか(爆),お気に入りのお香などを買って帰りました。

帰東の新幹線は19時半過ぎですが、松栄堂を後にしたのはまだ18時過ぎ。
それまで時間があるので、ここから少し歩いたところに在る京都御苑に向かいました。

明治の東遷が行われるまで、現在の御苑一帯は公家屋敷が建ち並ぶ、いわゆる“公家町”が形成されていました。
そこへ、私は上洛した折に必ず訪れていて、特に前回と前々回は秋の御所一般公開に照準を合わせて上洛をして、予定通りに御所内を見,悠久の雅な雰囲気を存分堪能しました・・・が、この日は勿論,御所内へ入ることは出来ないので、その分,御苑内を散策。
かつて、閑院宮邸と九条邸があったところから入って西北の端にある石薬師御門まで,30分ほど掛けてゆっくりと,雨の降る夕暮れで人気が無い御所の、石砂利の敷き詰められた道を歩いていきました。

毎度,ここを訪れた時には御所沿いに、近衛邸と桂宮邸の間にある今出川御門へ抜けて行くのですが、この日は今まで行ったことの無い御所の東側,仙洞御所などがある道を通っていきました。
そこは、先に記したとおり今まで通ったことの無い道だったので、仙洞や大宮御所を見るだけで新鮮だったのですが、この他にも多く,厳島神社や学習院跡,京都迎賓館など見ることが出来て、発見の連続で大変面白い散策が出来ました。

それは石薬師御門を出てからも、何処と無く落ち着いた雰囲気の街並みがとってもよかったですが、流石に結構な距離を歩いたので、体力的にはちょい限界気味でした。
更に、新幹線の時間まで1時間弱だったので、御苑の東側を通る河原町通へ。
石薬師御門の最寄である河原町今出川から一気に,京都駅行きのバスに乗って京都駅まで向かいました。

洛東の閑寂の夕<<<<<◇>>>>>京洛より帰東
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水無月の上洛「閑寂の夕」

2007年07月10日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
それもいよいよ最後...
上洛の折,必ず訪れいる詩仙堂を後にして、次に向かったのは東山の慈照寺銀閣です。

ここへもまた、上洛をしたら必ず,特に雨の日などは行きたかったなのですが、洛中で多くの学生旅行群を見かけたので、「多分混んでいるんだろうな...」と思い、今回は詩仙堂へ行きました。
けど、やっぱり上洛したからには行っておかねば!と、向かったのです・・・が、詩仙堂を出たのは17時直前。
最寄の一乗寺下り松町からバスで1本10分以内,銀閣寺道からは歩いて10分くらいですが...
時計の針はもう、17時を回っており、参道の土産物屋は既に殆どの店が営業を終えてシャッターを下ろしており、なんともまた寂しい感じ。
その行き着く先,慈照寺もまた,当然ながら既に閉門していて、脇門からもそれ以前に入った人達が出てきていました。
門前には門番(警備員)がおり、周囲を厳しく警戒をしていましたが、私がデジカメを構えて慈照寺(門)を納めようとしたらこちらに気が付き、さり気無く,なるべく映らない場所へと移動してくださりました。
とってもいい人です♪(笑)
御役目上,持ち場を離れるわけには行かないでしょうから、限界もありますが、い~い風景,撮れましたよ。

慈照寺をデジカメに納め、踵を返して戻ろう・・・とした時,ふと視界に御社が見えたので立ち寄って見ました。
八神社というその御社は、慈照寺を正面に見ると左手,北側に在り、石造りの鳥居に阿吽の像を備えたごくごく一般的なものですなのですが、一驚だったのはその歴史。
この御社,今年で創建一千二百年!にもなるのだとか。
足利義政が慈照寺を造営するよりも八百年程前から鎮座していた・・・ということになります。
それほど長くこの地に鎮座します八神社へ、今回初めて足を踏み入れました、境内も本殿の至って小さくてちょい拍子抜けな感じ・・・でした。
ただ、杜がさながら洞穴のよう御社を覆い包み、その中にひっそりと佇んでいる雰囲気には、何と無く息を呑む感がありました。


洛東の詩仙堂<<<<<◇>>>>>京洛の悠久の雅
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水無月の上洛「詩仙堂」

2007年07月09日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
西から北,京都の外側を駈足で巡り、入洛してから7時間後の16時頃には朝とは正反対,東側の一乗寺町に居ました。
大徳寺から北大路を経由して目指したのは、未だ行ったことの無い曼珠院だったのですが、時間的な都合上で断念し、途中目に止まった看板に惹かれて瑞巌山圓光寺へ行きました。
ここも初めてでしたが、その見事なお庭に感嘆し、一時の休息を得てから次へ,この直ぐ近くに在る詩仙堂へ向かいました。
ここは江戸時代,徳川家の直参旗本で、後にゆえあって芸州浅野家に仕えていた石川嘉右衛門重之が寛永18年,浅野家を致仕した後に造営したもの。
ただ、実はいま,一般的に呼ばれている“詩仙堂”というのは通称で、狩野探幽の描いた中国の漢晋唐宋各時代に於ける詩家36人の肖像画を掲げたここの代表的な一室に由来しており、正式には,凸凹した地に建てた住居という意の“凹凸カ(穴かんむり果)”というそうです。
ちなみにもう一つ,ここは曹洞宗永平寺派の末寺でもあり、石川嘉右衛門重之の号,丈山に由来して“丈山寺”とも呼ばれています。
洛中から離れた地に在るゆえに天災地変の災厄に遭う事無く、地形を巧みに生かして造営されたこの詩仙堂は、300年以上も変らずに建ち続けている・・・そうです。



それほどの歴史があったとは露知らず,今から6年前に初めて独りで入洛した折に、ここを初めて訪れました。
そのきっかけが何であったのか,今となっては思い出せませんが...
それ以来,毎年の様に上洛していますが、その旅程の中には必ず慈照寺銀閣とここ詩仙堂を予定に組んで、(大体)その日の最後に訪れています。
それほどまでして行く理由とは...
居心地が良くと~ってもて落ち着くんです。

特に雨の日,喧騒などを洗い流すかの如くに降る雨音と、雨樋から瀧の様に落ちる水音,耳を澄ませば聞こえてくる鹿おどしの音などを、閑寂な中で聞き惚れながら...



何も考えずに無心で,室の奥から、はたまた縁側から深緑のお庭をボーっと見ていると、一切の雑念,煩悩が雲散霧消して心身の傷が次第に癒されていく・・・ような感じがするのです。


また、お庭を見るだけでなく散策することも勿論可能。

実は手狭なお庭も、それとは感じさせない設えにはますます感嘆します。





さっきまでいた堂宇を逆に,お庭から見るのもまた一興です。



なお、この詩仙堂は洛中で多く見かけた小中高生などの旅行群が見向きもいしない,言わば“大人の居場所”的なので訪れている(笑)・・・向きもあるのです。が!大人だって非常識者は数多いるもの。
こんなに静かで趣があって和む場所・・・に無粋な中年のオバサンが4人,大音量の笑い声を交えながら世間話に汚い花を咲かせていました。
挙句,ケータイに掛かってきた電話にまで出て喋りだす始末...。
その勢いに、独り旅風の二十歳くらいの女性も逃げていましたが、私は、余りにも無粋で興を殺ぐ非常識な連中へ、冷たい視線を向けていました。
そしたら、少しは気が付いたのか,多少ボリュームが落ちた気がしましたが、でもやっぱり,無粋であることこの上なく、私も我慢の限界!
お庭を見てから帰ることとしました。
すると、その連中も私が帰り際にお庭を,相変わらずぺちゃくちゃと喋りながら巡っていましたが、私を見つけるなり,何と無くまたばつの悪そうにしていました。
ただ私的には,興を殺がれて多少なりとも腹立ちはありますが、一方で,斯くも素晴らしきお庭などを前にしても世間話,井戸端会議しか出来ない連中を憐憫...に思いましたよ,全く(苦笑)

上洛の午後下<<<<<>>>>>京洛での閑寂の夕

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水無月の上洛「午後下」

2007年07月08日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
今回は西から北へ,京都の外を駈足で巡ってきました。
しかし、今回是非とも行きたかった!洛北紫野に在る大徳寺の塔頭である高桐院の素晴らしさに癒されて...1時間ほどの~んびりと居ました。
そして、その余韻に浸りながら,次に向かったのは洛東。
上洛をしたら、慈照寺銀閣や一乗寺の詩仙堂へ欠かさず,特に雨降りの日は情緒があって大好きなので向かいました。
ただ、今回はもう一箇所,京都市交通局発行の京都観光一日乗車券に付いてくる路線図にあるお得なクーポン対象にも惹かれて、詩仙堂の更に奥にある曼珠院へも今回目指して行きました。

ただ、そこへ行くまでに思わぬ時間を食ってしまうのです。。。

紫野の大徳寺高徳院から最も近いバス停,建勲神社前から[ 北8系統 ]のバスに乗れば、曼珠院や詩仙堂が在る一乗寺町へ直接行くことが出来るので、時刻表を見てみると、あと少し待てば着くようだったので、何本かバスを見送って待つこと暫し。。。
目当てのバスが漸く,10分位してか、やって着ました。
しかし...
てっきり一乗寺方面を経由してくれると思ったバスは、案に相違して,途中の北大路バスターミナル(地下鉄烏丸線北大路駅)が終点だったのです。
その、予期せぬ事態に慌てて[ 北8系統 ]のバス停を探し当て、時刻表を見てみると・・・!!!
一足違いでバスは発っていました,無念......。
更に続いた予期せぬ事態に、慌ててバス路線図を見て、少しでも近いところまで・・・と、[ 204系統:錦林車庫 ]行に乗って取り合えず,上終町京都造形芸大前へ行き、ここで岩倉方面へと行く[ 5系統 ]のバスへ乗り継いで行くつもりでした。
しかし...
この計画も敢無く,あと一歩!というところで岩倉行のバスが行ってしまって、儚く潰えました...。
ここからは他にも、2,3系統のバスが一乗寺町方面へと行くのですが、時刻表を見る限り暫くは来そうも無かったので仕方なく雨の中,歩いて向かいました。
尤も,そう遠い距離ではなかったのでよかったのです・・・が、何故かその途中,暫くは来るはずも無い
バス(2本くらい)に抜かれました(--ゞ...

こうして,建勲神社から北大路,上終町から一乗寺町までバスに見放されて続けて1時間程。
時刻は既に16時を回っており、漸く辿り着いた一乗寺下り松町から最初に目指した曼珠院まで,徒歩では20分...。
目指す各寺院の閉門時間が迫っており、ここで一歩間違えれば、曼珠院はおろか詩仙堂なども巡れなくなってしまう・・・と判断。
曼珠院へ行くことは今回,無念にも諦めて、詩仙堂へと進路を変更して向かいました。

一乗寺町下り松町バス停から坂道を上がること10分ほど。
途中,宮本武蔵の“古戦場”を横目に見、詩仙堂はもう目の前!というところで、“十午の庭 圓光寺”と書かれた一枚の古ぼけた看板に目が止まりました。
詩仙堂には上洛をする度に訪れているので、必然,案内板の前を幾度と無く通っているのですが...
正直,初めて気が付きました・・・が、折角のこと,何か惹かれるものも感じて矢印の指す方へ誘われる様、車一台がやっと通れるほどの路地を進んで行きました。
路地を入って20m先に在ると看板に記されていたのも、足が向いたポイントだったのですが、結果はそれ以上,1~2分程度は歩いたところにその御寺はありました。

路地口の看板に誘われ,何の予備知識も無く訪れてみたら拝観時間の終了間際で、住職らしき方が後片付けなのか,なにやら作業中。
その為、受付には誰も居らず...。
有料な境内に、無断で立ち入るわけにもいかず,少し中(境内)に入ってその方に「すいませ~ん」と声を掛けたらびっくりしてこっちを向いて,開口一番...
「ここは有料ですよ」って,ちょいと語気を強めて窘められる感じで返ってきました。
心中,「だから呼んだんだよ」と思いながら、受付小屋に戻ってきた寺僧に拝観料を支払って、境内へと入りました。
その際,先の寺僧から終了時間が迫っている旨を言われましたが、入る前にそれは確認済みだったので、「はい、大丈夫です」と返して、中へ中へと進んで行きました。

しかし、境内に入って私はとっても後悔しました。
それは何故かというと...
この御寺が、実に素晴らしい!ということを知ってしまったからです。


まず、受付を済ませてから最初に目を見張るのが、本堂玄関奥にある煌びやかな襖絵。

凡そ禅宗の御寺とは思えぬ鮮やかさに、思わず暫し見惚れてしまいましたが、更に奥,本堂内には今度、実に質素な屏風が一双飾られていました。
円山応挙の手による「雨竹風竹図屏風」の(どうやら)模写(レプリカ)の様ですが、鮮やかな玄関奥の屏風とは打って変わって、質素で端麗なその屏風は、この日の天気と圓光寺の雰囲気にとてもマッチしていました。

また、これが飾られている本堂の照明具合も程好くいい感じでした。
ここへ多分,上がることが出来たと思うのですが、如何せん,時間が無かったので...
その軒先にある縁側にて屏風を鑑賞しました。


そして、合わせてお庭も縁側から鑑賞をしましたが、いい!実にいいですよ!!お庭も。

視界に入る一切が鮮やかな緑で、ついつい見惚れてしまう,歩き疲れた身と、的が外れまくって凹んだ心を快復させるには、十分過ぎるほどにお見事。
暫し縁側にて鑑賞した後,お庭の散策に出ましたが、決して広いとは言えない敷地空間なのですが、それを感じさせないほどに奥深く、ちょっと不思議でもありました。
手ブレをしてしまったのですが、“庭の森”から見た本堂が、私的には一番好きで気に入りました(笑)

ちなみにこの御寺,神君家康公が“開祖”とあって、庭の外れにお墓も建立されていました。

省みてみれば、非常に勿体無かった!
圓光寺を駈足観て後,当初の目的地であった詩仙堂へと向かいました。



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水無月の上洛「午後中」

2007年07月07日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
上洛後,西から北へと周り、嵐山で食事を取った後は少し洛中へ。
その最初に訪れたのは、衣笠の妙心寺東林院
午前中に巡った各寺院は、駈足だったのでゆっくりと観る間も無く慌しかったのですが、ここは初めから目的としていたので、それまでとは違って比較的ゆっくりと,沙羅双樹に見立てた和菓子やお抹茶を頂き、寺僧の説法を聞きながら見事なお庭を堪能してきました。
流石に通常非公開な寺院だけあってか、とっても静かで何処と無く世俗からかけ離れた感がとってもよかったです。
なお、ここでは何かの節目なのか,写経を勧めていました。
ちょい興味があったのですが、如何せん,先を急いでいたもので、詳しく見る間も無くここを後にしました。
そして、次の目的地へ向かうべく北門前のバス停へと,来た順とは違う道を通って向かったのですが...
流石は臨済宗の名刹,境内には数多の伽藍が(一様に)高い白壁を備えていますが、その多くは非公開。
ゆえに人影は無く、とてもひっそりとしていました・・・が、初めて訪れた妙心寺。
不案内ゆえに、自分の向かっている先に目指すバス停があるのか一抹の不安がありました...

けど、何とか,歩くこと10分ほどで妙心寺北門前バス停に辿り着き、程なくしてやって着たバスに乗って次の目的地へと向かいました。
しかし...
妙心寺北門前から乗った洛中行きのバスでは、次の目的地へ直接行くことが出来ないので、途中の千本今出川金閣寺()や北大路バスターミナル方面へ行くバスに乗換えて向かいました。(バス停は北側の斜向)。
ちなみに、参考がてら...
妙心寺から西へ5分ほど,嵐電妙心寺駅を越したところに在る仁和寺前のバス停(御室仁和寺御室)からは、次の目的地へ直接行くことが出来るその場所とは、洛北紫野に在る大徳寺高桐院という塔頭です。
余り知られては無いだろうここへ行くことを決めたのは、いま私が登録しているSNS最大手のコミュニティー内にあった、この高桐院の画像がきっかけ。
その、あまりに見事で落ち着く緑の深さに惹き込まれて・・・行ってきました。

妙心寺北門前から千本今出川を経由して着いたのは、建勲神社前
このバス停から西へ,来た道を少し戻って、建勲神社の入口とは向かいの小道を右に入って行くと、高桐院は直ぐのところにあります。
ただ、高桐院という立て札を見つけなければ迷ってしまうほど、目立たず,ひっそりとしていました。

私は運良くにか見つけたその立て札に誘われ、築地に囲まれた石畳の参道を歩いて入っていきました。


L字の角を曲がり、「高桐院」と書かれた小さな表札の掛かった門を潜ったその先には、なんと見事な!一面鮮やかな緑の空間。
そこは、深呼吸をしたくなるほどの新鮮で、何処かトランスしてしまいそうな深い緑。

それはもう、なんとも言いようの無い感動と感激が込み上げてきます...。

その道を歩くこと暫くして、こじんまりとした高桐院に辿り着きます。
その、こじんまりとした玄関の中にある受付で拝観料(400円)を払って(更に)中へ入ると...
まず視界に飛び込んでくるのは、玄関の向こうにある中庭。
こじんまりとはしていますが、見事!と言うしかありません。。。
ここを正面に見て左へ進むと、今度そこには仏間と、広々としたお庭がありました。
その、一面柔らかな緑で、何処と無く気品と優雅さを感じるお庭を縁側にて、暫し無になって観賞していました。。。
たまたま横にいたタクシーの運転手さんが、お客さんにここの案内をしていたのを漏れ聞いたのですが...
以前にJR東海が“紅葉の見事なお寺”として取り上げられてから、その季節には随分と大勢の拝観客があるそうですが、それ以外はとっても静かな穴場で「オススメ」だと言っていました。
・・・なるほど,それは大いに納得できます・・・。
修学旅行生などは絶対に来ること無いであろう、静かで落ち着きと品の有る,正に“大人の空間”(笑)
尤も,寄らば無粋な成人・・・もいますが、それを大目に見れば、実に静かで,穏やかに過ごすことが出来ました。
朱絨毯の敷かれた縁側から鮮やかな深緑を見つめていると、ホントに何処かへトランスをしてしまいそう・・・な気がしてきます。
また一方で,縁側に出て間近にお庭を堪能するのも良いですが、一歩引いて,暗がりの仏間から眺めるのもまた、より緑の鮮やかさや明るさが判って一驚です。
私以外にも、中年くらいの男性が微動だにせず,縁側に座っていました・・・が、その気持ち,よ~く解ります。
なお、その奥には床の間もあるのですが、その間にある小さ窓から見るお庭もまたとてもよく、侘び寂の趣が凝らした空間・・・かと感じました。
それもそのはず...か,この高桐院は江戸初期、豊前小倉城主細川忠興が開基したもの。
墓所でもあるここに眠る越中守忠興は、知勇兼備の武将として,また文化人や教養人としても有名ですが、特に茶道の大家・千利休の高弟として世に“七哲”に数えられるほどの腕前。
その意趣は対の屋,玄関を基準にすると右手(奥)に凝らされています。
一番玄関の近いところから,16畳余の書院がまずあります。

ここの襖絵は狩野永徳が作で、高桐院の趣きにとても合っていて、実に質素で素晴らしいもの。
また、上座には囲炉裏らしきものがあったので、ひょっとしたら,ここでお茶の持て成しをしていたのかもしれません。
ただ、この奥には本格的・・・もしくは正真正銘の茶室があります。

造りは実に質素,尚且つちょい暗くひんやりとしていました。
ただ、窓からの光は程好く入るように工夫されている感があり、暗過ぎず明る過ぎず,良い塩梅でした。
流石,当代名を馳せた茶人なだけはあります。

その居心地の良さに1時間,鮮やかな深緑に雨音に癒されながら、時の経つのを暫し忘れての~んびりと過ごしていました。
本当は、時間の許す限りずっと居たい気持ちだったのですが...折角の上洛,まだまだ訪れたい!ところがあったので、ここを後にして次の御寺へと向かいました。


▽まだまだご紹介しきれない大徳寺高桐院の画像は>>>コチラ<<<に収めてありますので、是非とも,たっぷりとご堪能ください。

ちなみに...
市交通局京都一日観光乗車券に付いてくる路線図にはクーポン券もついていて、指定の寺院やお店でそれを呈示する種々特典が得られます。
この対象に、ここ高桐院があったことを帰り際に思い出し、受付にそれを差し出したらば50円返って来ました。
けど、アルバイトの大学生らしき女の子に「それは入る際に言って下さい」と言われてしまいました(^^ゞ
それに関してはちょい申し訳なかったですが、一方で,こうしたところでバイトが出来るのを“羨ましい”と思いつつ、ここを後にしました。
ただ、結構暇で手持ち無沙汰なのか,それとも高桐院への関心が無いのか、ずっとケータイいじってました。
私的には勿体無い!と、ただただ思うばかりです。。。

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水無月の上洛「午後上」

2007年07月06日 | 上洛記
最後に満喫出来る時間を有効に使うべく、一年半振りのやってきた京都。
朝駆け」で洛西を攻め、続いて洛北の嵯峨野を巡ってから、「昼餉」は嵐山の【嵐山辨慶】にて取りました。
湯宿でもあるここで頂いた昼餉御前は事の他豪華で美味しかった!です。
仲居さんも皆様おきれいで今度は「宿泊客として訪れたい」と思いつつここをあとにして、桂川沿いの道を歩いて次に向かったのは、京福電鉄嵐山線嵐山駅

ここから東へ,四条大宮北野白梅町へと行くことの出来る通称“嵐電”の始発駅。
私はここから、帷子ノ辻を経て妙心寺へと向かうべく乗り込んだのですが...ここに来たのにはもう一つ目的が。
それは、駅構内に在る足湯に浸かること!でした。

運賃(200円)もしくは150円(タオル付)を払えば浸かれるこの足湯で更に、

歩き疲れた身と足を癒して...運良くやってきたレトロな嵐電に乗って次の目的地へと向かいました。

ちょい温めで塩素臭がするのは気になりましたが...気軽に入れるところがいいですよ,一息つけてvv


嵐山駅より、レトロな嵐電に乗って20分ほど。
 
途中の帷子ノ辻駅で乗換えてやって来た妙心寺

その目的は、ここの別院・東林院の庭に咲く沙羅双樹の花。
平家物語の件で有名なこの花を、実際に観たことは無く,一体どういうものなかのが気になってきました。
広大な境内の妙心寺,白壁と立派な門構えの別院が整然と在って、少々迷子になりかけましたが・・・何とか案内(順路)を見つけて、その誘う方へと向かいました。
そして,漸く着いたそこではまず、見事に咲き誇っている紫陽花が出迎えてくれました。

この東林院を拝観するに際しては、お茶菓子代も含めて1,500円ほど掛かります。
他寺院に比べれば少々値が張りますが・・・頂いたお抹茶とお菓子,そして、見事なお庭と院内を拝見すれば吹き飛びます。

沙羅双樹をイメージして作られたお菓子は甘みが控えめでとっても美味しく、それに続いたお抹茶は程好く苦味があってお菓子と相性良く、最後,お口直しに頂いた落雁もまた美味しかった...です。

一方のお庭なのですが、然程広くなく小ぢんまりとしており、その中央にはちょい低い沙羅双樹の木があります。
しかし...
残念ながら、花は全て落ちていました。

けど、西側にあった細身の沙羅双樹には少しだけ花が咲いていました。
初めて観たそれは、椿の様な白い花でした。
それも、木の下に落ちていて、諸行無常の趣き・・・でした。
結構なお手前のお茶菓子を頂き、お見事なお庭をお坊さんの説法を聞きながら暫し落ち着いて堪能...。
そして次,一番今回行きたかったところへ向かいました。


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