くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

いざ!石和(其の八:意気軒昂)

2005年03月23日 | 参陣記
さて、話はまた我々の合戦について。
館内が閑散となるころ、後着の我等も身支度漸く整い、いよいよ合戦へ。
学校のグランドにて、まずは謙信公と安養院様を交えて全員集合!の記念撮影。
その後、さながら学校の全校集会か朝礼の様に、上杉勢が一同に会して合戦の申合せ。
これを聞くのも実に三度目です。
うむ、去年と変わり無しです。
ただ、一昨年はここで総掛かりの“訓練”をした(ここで時の大将脱落)のですが、去年も、また今年もやりませんでした。(精鋭揃いの証?!)
一通りの説明が終了、時刻は11時過ぎとなり一旦散会して昼餉。
この折に同勢の上杉播磨隊の皆様と歓談したりして、まどろみの時。
其の中で、今回上杉播磨殿旗下で参陣された飯綱武蔵守法進殿の甲冑には感嘆しました。
その重厚で、威厳と勇壮な装いには、敵が太刀合わせる前に逃げ出すであろうもの。立派でした。。。
また去年の大将から一兵卒に転落した碧雲斎殿(以後、若)と共に今後の相談。これはこの合戦終了間際に実を結びますが、それはその折。

昼のまどろみの時は凡そ2時間、その間歓談するもの、寝るもの・・・
各々過ごし、ついに其のとき、12時50分。
号令の合図の下、今回大将ののぶたつ殿以下、竹俣三河守慶綱隊打ち揃って、全軍勝鬨を上げて意気高らかに、いよいよ合戦場・笛吹川河川敷へ向けて進軍開始!

毎年この途中にある公園で、紋次郎。殿が配下に必ず討たれるのですが、今年は進軍が思った以上に滑らかに行き、無念・・・討つこと適わずに往還道へ。・・・と、ここでアクシデント。
石和北小を“陣所”とする武田勢が出でて来たではありませんか!
うむ、一触即発の危機?!などとしていると、意外なところから声が。
それは、隣に居られた大蛇丸殿。武田勢出陣に居ても経っても居られず・・・の風だったので、手持ちの槍を預かると、水を得た魚のように前方彼方へ。
以後、私がことあるごとに私が槍持。それでご満足いくもの得られれば私は本望です。けど、存在は忘れて欲しくなかった・・・というのは心奥の声です。ハイ・・・。

武田勢に先手を譲り、暫し往還道にて我等は待機。
その間、申合せの折より非常に邪魔だったオヤジの色々な言動になお閉口しつつ待つ中、目の前を松永弾正隊通過・・・これをしっかと目に焼きつけ、更に昂ぶる士気。

武田勢全軍が出終わって後、我等も漸く進撃を開始、住宅街を抜け、歩道橋を渡ってから、今年から桟敷の間を抜けて笛吹川を渡河、遂に本戦の地に到着したのは、14時近かったと思います。

ここで一つとりびあを。
山梨県警のシンボルマークは「武田菱」で、そのワッペンにはしっかりと付いていました。
皆さん、気付いたかな?!

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コメント
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