くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

いざ!石和(其の七-1:御大将の正体)

2005年03月25日 | 参陣記
石和南小に到着したのは、9時半近かったと思います。
着替え場所である体育館には、同じく上杉勢に合力する兵達が所狭しと準備をしていました。
そして、この場にて漸く今回我等が仰せつかる部隊名が判るのですが・・・?!
我等の御役が見当たらない・・・館内を流離い巡るも一向に見当たらず、
「もしやこのまま不参加?!」
と一瞬脳裏を横切りましたけど、それもなんのことはない、入口直のところにきちんと用意して有りました。
最初この前を通った折、未だに誰も居ないことが気にはなっていたんですけど^^;

これでまずは一安心・・・でも、誰もそれと気付かぬとは...(^^ゞ

そして、ここで明かされた今回我等の御役は
・・・「竹俣三河守廣綱」・・・
ですが、これは明らかに間違い!
正しくは三河守慶綱のこと。
ただ、これにはもう、なんともなんとも言えない興奮感動を覚えました!
それは、この御方が竹俣美作当綱(たけのまた みまさか まさつな:1719~1793)の祖であるからです。
して、この美作当綱とは何者かと申しますと...
私が敬慕して止まず、さらに私の行き来方に少なからず影響を受けた米沢藩9代藩主上杉弾正大弼治憲公(1751~1822 号:鷹山 法名:元徳院殿)の片腕として、また家老としてその誕生と藩政改革の一翼を担って辣腕を振るった(しかし、後年罪を得て失脚する)御方であり、元徳院殿様と米沢藩を語る上で欠くことの出来ない御方なのです。

しかし、残念ながらこの竹俣家と美作当綱、さらに今回の御大将であられる三河守慶綱については悲しいかな・・・知名度が余り高くないので、この機会に別項にて僭越ながらご紹介申し上げます。

ちなみに、私は信長の野望-蒼天録-の新武将で登録しています。
勿論、信頼できる武士(もののふ)として。

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