くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

いざ!石和≪其の拾:敵は川中島にあり!≫

2005年11月10日 | 参陣記
合戦場への進軍に際して、我ら不夜城衆真田源太左衛門尉信綱隊の陣容は...
紋次郎。殿=御大将:真田源太左衛門尉信綱
文亞殿=副将
マコ殿=六文銭旗持
・格さん=武田菱流幟
大蛇丸殿
・沼田面松斎殿
・teru殿
上杉播磨守貞景殿
(碧雲斎)
飯綱武蔵守法達殿
・たんぽぽ殿
・大魔王殿
如月雪改め雪魔王殿
そして、御大将(真田源太左衛門尉)旗持役たるこのくないの、総勢13名の兵が此度参集しました。

陣所(石和南小)を出陣した武田勢は、途中遮る者無く順調に、歩きなれた道を進んで合戦場へと到着しました。

笛吹川上、川岸(中洲)と合戦場を繋ぐ仮橋を渡ると、御大将旗持役の私は、殿と共に本隊を離れて信玄公の後ろに控え、越後勢と正面から対峙しました。

両勢布陣完了後、関係者の挨拶などがあり、引き続いて上杉方よりの献塩の儀,武田勢出陣に際しての三献の儀とを執り行い、一方上杉方も出陣に際しての武示帝式を、合間、古式武道奉納「太刀」や米沢稲富流砲術隊による「火縄銃」の演武を挟んで執り行われていました。

・・・が、その間私は...練兵と総軍演習の疲れが出たか、それとも昼食後の昼寝の時間に入ったのか、極度の睡魔に襲われて、恐れ多くも武将旗を杖に、舟を漕いでいました(- -ゞ...しかし、北東方向から時折風が強く吹いてきて、遮るものが無い河川敷でこれを正面からまともに食らい、不覚を取ることも・・・ままありました。時には隣の人にも起こされたりして...。

両陣営が合戦に備えるべく陣容を整えていると、合戦場には黒装束の忍者が多数現れ、両陣との中間に満遍なく煙幕を張り、キャンプファイヤーでも出来そうなくらい燃え盛る篝火を焚いて演出効果高めると、眠気も幾分覚めて次第に緊張感が。
その最中、戦奉行の指示の下、信玄公の背後に陣形が組まれると、対陣,上杉方より法螺貝や太鼓,ドラがけたたましく鳴らされ、一斉に時の声が上がり、遂に!上杉勢全軍,車懸りの陣形にて押し寄せてきました。
それに対して我が方(武田陣営)は、モーゼ十戒の如く、中央を分けて軍勢を通過させました。
去年までは、ここを全速力で駆け、時折武田方兵共と刃を交わしていたのですが今年は逆,しかし、そこより離れたところに陣形の一角を為していたので、暫し傍観。。。
だが、このとき確と、討つべき者のこの日の“備え”を記憶いたしました。


上杉勢の、武田本陣への車懸りの突撃にて乱れた陣形を立て直す号令が(戦奉行を通して)御屋形様から為され、それを援護すべく、我が陣と敵陣双方から鉄砲隊による応酬(撃合い)が行われる。

しかしこの間、“混乱”した武田本陣へ、上杉輝虎公御自ら陣中深く斬り込み、我が御屋形様を襲ったのです!
かの有名な伝説“三太刀七太刀”の再現は、昨年までの遠い上杉陣営からではち~さく見え、一体何が起こっているのか解らなかったですが、今回は、殿と共に信玄公の直ぐ後ろに控えていたのでありがたや!実に大迫力でこれを見ることできました。

けど、ちと居眠りしていたので周りの目が気になったのと、各大将に控える老副将共が微妙に邪魔をして、残念ながら一部始終を確と見、撮影することは無念にも叶いませんでしたが、その大迫力の戦いに、息を呑む思いでした。

単騎にて本陣深く攻め入った輝虎公が去った後、観客席に近い仮橋付近では殺陣部隊が、続いて両陣営半ばでは、両家の名高い騎馬武者共が、それぞれ激戦を繰り広げていました。
日々厳しく練兵された集団による殺陣(合戦)は見応え抜群で、観客席からは、特に川落ちの時に大きな歓声が上がっていました。
なお、この日は、昨年同様,陽が良く照り暑かったので、笛吹川は実に気持ちが良かったと!とことです。
これも、遠く上杉の陣営からは小さく見えるの、仮橋にも近い武田本陣からは、その模様がつぶさに検分できました!

これら前哨戦が終わった後、いよいよ我らが待ち望んでいた時が訪れるのです!!

ターゲット、ロックオン!

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