くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

三十路の7歩目

2014年02月24日 | 竹園別鑑
2日遅れてすが、また1つ、歳を重ねました。
これで、21・・・ではありません、はい。
タイトルの通り、三十路7歩目に突入しました。
21ってのは・・・まぁ、[3×7]の発想で、振り返ると、去年と全く同じ事をしてました(^^ゞ

昨歳を振り返ると、、、
やはり、職場での異動が大きな出来事でした。
自分が入る初めとのフィールド。
当初は多少緊張しましたが、まぁ、なんとか。
人的ネットワークが大いに拡大して、とても楽しく、充実しています。
また、昨秋からは地元の弓道教室に通い始め、念願の弓道を極める道に入りました。
毎週土曜日の午前中ですが、これもまた充実してます!
誕生日の練習では、通算2回目の的当たりをしました!!
こいつは何だか幸先良し!の感じ(笑)
今春からは、連盟の一会員として段位取得を目指して精進していきます。

一方、旅行にはさほど。
祭友さんを頼って福島以北へ何度か行ったくらい。
ただ、思えば参陣数は多く、小幡、石和、米沢、白石、関ケ原の5陣。ですが、最後の関ケ原は半ば雨天中止だったのが残念です。
いままで、雨に降られることは多少ありましたが、中止になることはなかったので、ある意味、いい経験になりました、、、。
他、仕事での出張が多かったので、外出は多くしたと思います。

そして!今歳は、、、
昨歳と同様にプラスして、私的安定感も加えたいです。
その為にも、日々是精進!ですね(^^ゞ
努めますm(_ _)m

今歳一年、皆様からのご愛顧を(引き続き)宜しくお願い申し上げます。

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平成26年甲午の今年

2014年01月01日 | 竹園別鑑
皆様
新年あけましておめでとうございますm(_ _)m
旧年中は一方ならぬご高配を賜りましたことに、深く感謝申し上げます。
本年が、皆様にとって幸多く、嬉しきこと、喜ばしきことで充ち溢れる一年となりますよう、祈念し、応援申し上げます。
また引き続き、この「くない鑑」と記主の私、くないをご贔屓、ご愛顧賜わります様、何卒宜しくお願い申し上げますm(_ _)m
ところで、、、
ここ最近も、更新はすっかりと怠っておりまして(^^ゞ
つぶやくことすらしていない、怠っております、、、。
この点、今年は一気に!と言えないのがあれなんですが、少しでも更新を増やしていこうと思います。

さて、今年の年末年始も出歩かず。
家に籠って仕事をしたり、大掃除をしました。
職場では、電話やら来客やらと妨害工作がありますが、家だとそれは一切ないので集中して取り組めて、懸案の資料作り一件が片付きつつあります!
大掃除では、予てから取り組もうと思っていた本棚の整理整頓を断行!して不要な本を一掃、十数冊をブックオフに持って行って、僅かばかりの金額に替えてきました。
上がりは対して期待していなかったのでいいんですが、本棚の整理を断行したお蔭で、漸く、行き場が無くて困っていた図録などを置くスペースを確保できました。
これ、私的には画期的なんです(笑)
これで、玉突き的に机の上も整理整頓がなされて、部屋が随分とすっきりとした感じがあります。

そんなこんなで迎えた新年。
昨年は外房まで初日の出を拝みに参りましたが、今年は、、、その瞬間、自分の部屋で迎えました。
そのあとは、休日の朝とあまり変わらぬサイクルで(^^ゞ
9時過ぎに、新年初の(朝)食を頂き、身支度を整えて外出。
向かうは、例年と同じく、我が街の総鎮守様に、今年は体力強化の意味もあって自転車で向かいました。
一昨年も自転車で、その時はすっきりしない天気だったようですが、今年は、風は強かったんですが晴天で陽射しが暖かかったです。
5キロほどの道のりをのんびりと1時間弱くらい、10:30頃に着きました。
この時、既に道路にまで参詣の人の列が出来ていて、その最後尾に付いていくこと30分ほどで本殿前に到着。
旧年中賜わった御加護への御礼と本年の決意、祈願を申し上げて参りました。
境内の摂社へも参って出ることには、行列は更に長くなっていました。
「よかった」と思いながら、総鎮守様を後にしてゆっくりと帰路に着きました。
・・・が、その途中、家からすぐ近くに在る神社に人が頻繁に往来しているのを発見。
普段誰も居ないそこへ参っている人が居る光景を不思議に思いながら行ってみると、なんと!神職さんがいました。
それと、氏子さんなのか、数人の人が焚火で暖を取りながら「どうぞどうぞ」と案内をしていたので、それに誘われて神職さんの前に。
ここでお祓いを受けて本殿の前に進み、参拝しました。
しかも、いつの間にか“神社の歴史”の看板までありました。
小高い丘の杜の中に鎮座します神社は、普段ひっそりと目立たないので、びっくりしました。
いや、ただ、お祓いを受けて詣でることができたので、ちょっとはいいことあるかな♪という、期待を持ちました。

あとは毎度のこと。
午後は年賀状書きにφ(_ _;)
前年師走の下旬には注文していたそれを持ち帰っていたんですが、何やかやとせず、結果、元日に(--ゞ
届いたそれとを確認しつつ、近くのポストの再収集荷時間に一部を投函、間に合わなかった分は西隣の街の郵便局(本局)に車で持って行きました。
これ、昨年と全く同じです。

やれやれ(苦笑)

昨年中、公私ともに人との繋がりが増えたので、今年も引き続き、(人との繋がりを)増やしていきたい!と考えております。
そうすれば、いずれは・・・ね、いずれはですよ、はい(笑)

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癸巳の今年の「回顧」と「展望」

2013年12月31日 | 竹園別鑑
別段恒例にしていたワケではありませんが(^^ゞ
久しぶりの「回顧」と「展望」です。

新年の挨拶では伏せていましたが、3度目の年男を迎えた今年。
稔りある一年にしたい!と文字を大きくして主張していましたが、人的交流面では、大いに稔りあったと思います。
一度触れたことがあるかと思いますが、2月に人事異動の辞令が下って、今のところで勤め始めて4年所属していた部署から4月に異動しました。
そこは、いままでのキャリアとは全く違う分野。
ただ一つ、お客さんに接するという面だけは同じでしたが、内容も(お客さんに対する)スタンスも違うので、正直戸惑いが多かったです。
加えて、これは愚痴になりますが、前任(年下だけど同期)の仕事ぶりがいい加減で(^^ゞ
異動してこの方、地道に地道に、人知れず尻拭いと修正と改善を行ってます。
幸い、部課長始め、改革したい!というマインドを持った人が居たので、自分の主張をちょいちょい混ぜつつ、業務改善を積極的に展開中です。
これを快く思わない(というか、若干総合的に問題のある)主任と暗闘しつつ、いまの職場での職歴は5年目ですが、年齢では課長の次の4番目。
あとは後輩、しかも女性だけという環境なので、押すところを押す!退くところは退く・・・と、剛柔組み合わせてやってます。
目の上のタンコブである主任は本年度一杯で寿退社をしてお払い箱となるので、後任が若干気になるところではありますが、部課長や後輩から課せられた課題を懸命にこなして、お客さんのため、社会のため、職場のために尽くしたい・・・と考えています。

けど、その前にクリアしなければならないのが、Accessの習得。
これがまた、難しくて、、、
暫くは、これを攻略するのに必死かと思います。

稔り、新年元日に文字を大にしたのは間違いなく・・・あのことかとは思います。が、あいにく進展なし(笑)
ですが、異動した先で研修会やらに参加して、同業他社さんとのネットワークは広がりました。
先月から始まった「疾走の参ヶ月」もその一つ。
そこで得られたネットワークを足掛かりに飲み会も何度か、職場の他部署の子も連れてったりもしました。
来年は、これを更に更に拡大させて・・・ええ、狙って行きたいと思います(マテ)
いや、しかし、同業他社さんや職場に出入りしているネットワーク業者さんとの交流も、今年格段に増えました。
・・・が、そこで思うのが自分の能力の低さ。
まだまだ、まだまだ修行が足りない・・・と、つくづく実感します。

今秋から弓道を習い始めましたが、所作一つ一つ、丁寧に、意識をしてすることの大切さに気付かされています。
ここから見えてくる様々なことと、自分に日々の行動にフィールドバックして、活かしていきたい・・・と、真剣に考えています。

・・・と、ここまでは真面目に表の顔で書き記しましたが、今度は裏の顔((笑))
時代祭ですが、今年もご縁有って小幡、石和、米沢、白石、関ケ原に参陣させてもらいました。
特に、白石繋がりのネットワークも拡大して、その面では稔りある、ありがたい1年でした。
これを、是非是非来年以降、一生涯行ければ・・・と、少々大げさではありますが、考えています(^^ゞ

今年の元日。
高校来の友達と初日の出を観に行ったことが昨日の様に思い出されます。
時の過ぎるのが「あっ」いう間に感じるのは、ウソかホントか、ボケの一種・・・と聞いたことがあります。
これは誰しもある経年劣化の様なモノらしいですが、たまに、生き急いでないか?!と気掛かりになることも(笑)

まぁ、それはそれでいいかな?!とも、思いますが、、、。

どうか皆様、よき年をお迎えください。
ではでは。
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評価は誰が?!

2013年07月11日 | 竹園別鑑
うちの職場で働くことを目指していたお客さん、最終選考まで進んだんですが、敢え無く、残念な結果にorz
選考零次、履歴書等受付の時に外せない用事があって、友達に、私の職場がどういうところか、選考課題に何を書けばいいのか、、、などを聞きに来て、取り敢えず、一部又聞きなどを取り込んで提出したようです。
それも、ご家族が来たそうなんですが、、、。

お客さんとは、3月まで居た部署で接点があり、そこで、奇特にも、私の応対や仕事ぶりに意義を感じていただき申し込んだそうで(^^ゞ
選考通過後、その報告と、次に向けた傾向と対策を聞きに来てくれたんですが、私の立場では、言える範囲と知識量かありますので、慎重に言葉を選びながらも、是非、何とか、いや、何としても突破して、採用となるように!と思っていたんですが、、、。

最終選考の前日、そこに進んだことの報告と対策を話に来てくれたんですが、思いがけずも、選考(面接)で、私のことを話してもいいか?!と打診され、ちょっと迷いましたが、一応、悪いこと、そう、大切なことなのでもう一度、悪いことを言うわけではないので、了解しました。
しかし、まさか、、、まさかとは思いますが、それが悪影響を及ぼしていたとしたら、ただただ、申し訳ない限りで、少し、自責の念を感じています。
結果は、会議資料を見て知ったんですが、そんなのと残念無念が相俟って、心底、少々気落ちしています(^^ゞ

普段の私を知っている方は、単なるエロ、特異なヘンタイという、ある意味本心をご存知ですが、職場では、それを厳重に封印しています(爆)
けど、これでも一応(大きな分類的には)サービス業に従事していますので、(ご存知の方は・・・ええ、接客という面で(^^ゞ)下心を脱いだ、もとい、抜いて、親しみ易さをしっかりと意識して仕事をしています。
それゆえか、前の部署で接点のあったお客さんからは、異動を惜しむ、嬉しくて涙が出そうなお言葉をもらいます。

異動の内示を受けた時、(前の部署の)部長との面談は10秒足らずで終わりました。
そろそろかな・・・と、思っていたので。
ただ、やりかけの仕事や新規(改変)の仕事もあって、心残りだったんですが、、、
離れて少し経ってもお客さんから好意的なことを聞くと、やっぱり、意義に感じます!
そして、少なくとも、自分の対応が間違ってはいなかったことが判って、嬉しくて、やる気でます!!

これからも、勿論時折点検しつつではありますが、臨機応変に、いまの仕事のスタイルは、コアな部分でしっかりと堅持したいと思います。
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三十路の六歩目

2013年02月25日 | 竹園別鑑
3日前に迎えました。
18歳・・・の、ええ、2倍の36歳に、、、。
・・・いや、ふと「3×6(サブロク)18だ!」と思いまして(^^ゞ
まぁ、半分の歳の頃は高校を卒業し、受験の荒波に揉まれていた歳。
現役では大学に入れないことは織り込み済みだったので(爆)
最初の頃はそれほど落ち込んではいませんでしたが、実は知らぬ間に心理的な負担が結構あったようで、梅雨の頃に肋間神経痛に。
以後時折、特に季節の変わり目にきます・・・が、気が付けば18年も付き合っているようで(苦笑)
受験は、歳を越して何とか、何とか合格して、少し回り道をしましたが、最後は希望の学問分野から巣立ちました。
そして、紆余曲折を経て今日に、、、。

思えば、あっ!と言う間でした。

ついこの間まで、特にスポーツ選手は、同じ歳の頃の人たちが第一線で大活躍していたのに、いまでは引退の真っ盛りに。
人によっては、指導者にもなってます、、、。
社会一般だって、同年代はそろそろ役職に就き始める頃。
私は、今のところは中途なのでまだまだ下っ端ですが、役職に就く人たちもいます。
また、小学校から、中学校から、高校から、今日まで有り難くも付き合いのある友達とは、いままでの人生の半分以上の付き合いがあることになります。
そう考えると、随分と歩いてきたもんだ・・・と、思います。

その道は、決して平坦で、順風満帆ではありませんでした。

朝、通勤途中にリクルートスーツに身を包んだ学生さんと思しき人を見かけると、自分がそれを疎かにして苦労した分、心の中で大きく応援しています。
駅のホームのホームの地図で、行き先を真剣に探しているのを見かけると、ついつい助けてあげたくなります。

自分で言うのもなんですが、それなりに、苦労してきたつもりです。
それは、決して褒められたものでも、声高に言うものでもありません。
多くは自分の、言わば身から出た錆なので、、、。
けど、それは私にとっては貴重な糧。
辿って来た道を振り返り、わが身、我が心を見返して、糧をしっかり身に着けて、前へ!前へ!!と進みたいです。
そして、今歳一年を良きものとしたい!と、考えています。

皆様の御助力を、お願い申し上げます。

ちまみに、誕生日当日の昼食、今年は松屋で角切りステーキ(定食)をいただきました。
素敵(ステーキ)な一歳となりますように・・・と願いを込めて。
そして、今歳の初詣は住めば都の総鎮守様へ。
良き歳となりますように・・・と詣でました。
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平成25年癸巳の今年

2013年01月01日 | 竹園別鑑
皆様
新年あけましておめでとうございますm(_ _)m
旧年中は一方ならぬご高配を賜りましたことに、深く感謝申し上げます。
本年が、皆様にとって幸多く、嬉しきこと、喜ばしきことで充ち溢れる一年となりますよう、祈念し、応援申し上げます。
本年も引き続き、この「くない鑑」と記主の私、くないをご贔屓、ご愛顧賜わります様、何卒宜しくお願い申し上げますm(_ _)m
ただ、、、
最近は、更新をすっかりと怠っておりまして(^^ゞ、、、
実は、旧年中の9月に島根、11月に上洛して近畿2府2県を巡った折の道中記を作成している最中なんですが、すっかり滞っています。
書き始めはスムーズだったんですが、書き進んで行くと、あれやこれやと迷うこと等々がありまして、、、
ただ、このまま掲載しないのはけじめとしてまずいので、自らを律する意味も込めて、必ず書き上げて掲載します、、、。
目途としては・・・そう、今月中に!(と言うことにすれば、夏休みの宿題宜しく完成させると思うので(^^ゞ)

毎年、年末年始は出歩いているんですが、今年はいろいろとやることがあったので家に滞在。
・・・したにも関わらず、やることの一つである「掃除」は大晦日に漸く完了。
年賀状に至っては、既に12月中旬には仕上がっていたのに発送したのは元日、即ち今日の夕方。
これを書き始める少し前に仕上げて投函しました。
我ながら、まずい・・・と思ってます。

さて、話は今年の元日の前の日。
即ち前年前日の大晦日のこと。
週間天気予報などで元日の天気が「晴れ」で「初日の出が拝めそう」というのをふと思い出し、高校からの友達に連絡して勧誘し、何度か行ったことのある外房の海岸へ初日の出を拝みに行って来ました。
私が自宅を出たのは3時前。
そこから海岸まで概ね2時間ほどかけて行きましたが、、、
私の予想では人っ子一人居ない・・・と思っていたんですが、案に相違して結構居ました。
みんな考えることは同じだな・・・と思いつつ、夜明け前、月明かりが頼りの海岸を海を見て感傷に浸ったり(^^ゞ

暗くて手振れしてますが・・・見えます?!夜明け前の太平洋。
少し仮眠を取ったりして今年の夜明けを待っていて・・・(起きて)気が付いたら、結構な車と人出が。
しかも、海岸では焚火と祭壇を設けられていて、神職も加わって何やら準備をしていました。

寒空での焚火は暖が取れて有り難かったんですが、その勢いはちょい怖かったです(^^ゞ

これは、初日の出に合わせて地元の方々が執り行った諸祈願の為に設けられたもので、その時ついでに居合わせて、厳かな雰囲気にさせてもらいました。

初日の出も、夜明け前は雲が多くて拝むことができないのでは・・・と心配しましたが、いざその時になると雲も多少引き、その合間から、初日の出を拝することができました。

有り難いことです(-人-)

陽が上がると、祭壇もいつの間にか終われ、焚火の勢いも収まり、集まっていた人も三々五々散って行きました。
我々も、多少陽が上がるのを見届けてから、帰路に着きました。


家には9時過ぎに着き、ここで腹ごしらえをしてから、今度は我が街の総鎮守様へ初詣に行きました。
総鎮守様に着いたのは10時半過ぎでしたが、参拝するのに長蛇の列が出来ていました。
毎年、朝早く初詣に訪れるので人が疎らなんですが・・・この光景にはびっくりしました(^^ゞ
並び始めてから本殿で参拝を済ませるまで、ざっと30分くらいは掛かったと思います。
本殿に参拝した後に摂社にも詣で、初詣は終了。
少し遠回りして帰路に着き、午後は年賀状書きにφ(_ _;)
前年師走の中頃には注文していたそれを持ち帰っていたんですが、何やかやとせず、結果、元日に(--ゞ
届いたそれとを確認しつつ、近くのポストの再収集荷時間に間に合うように仕上げられました。

何やら新年早々慌ただしいですが、、、。
今年は■度目の年男を迎えます。
正に、節目の歳です。
今年こそ今年こそは稔りある一年にしたい!と、思いを強くしています。

具体的に?!それは・・・ほら、それです(笑)
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ステージ35

2012年02月22日 | 竹園別鑑
一年歩んで来た「三十路の四歩目」も21日まで。
今日、22日から新たな「ステージ」が一年始まります。

三十路の四歩目を振り返ると...
いまの日本の経済成長率に似て、概ね低調だったと思います。
良いことも、1年365日もありましたから、1つや2つ、多分あったと思いますが、、、
残念ながら、印象ありません(苦笑)
特に、未曾有の大震災がありましたから...。

そこで、新たな歳の幕開けを前に、土曜日は散髪をし、日曜日の午前中は部屋を掃除し、午後は温浴施設でデトックスに励んでしっかりと禊ぎを済ませ、この日を迎えました。
近々、今歳の初詣でに行って、追い風の様なパワーを得てきます(*^-')b

ちなみに。
今歳元日の今日は、概ね平々凡々に終わりそうです。
昼、毎年この日は「ステキな一歳」になるよう、ステーキを食べるようにしてます(笑)
そこで、職場から少し離れたところに在る美味い弁当屋さんで“ステーキ弁当だ!”と思って行ったら、“チキントマト煮弁当が日替わりで400円”になっていたいまし。

ええ、躊躇なく寝返りました()
後で意識した罪悪感には、“野菜を摂らなきゃイケないお歳頃なんだ”と言い聞かせながら、平らげました、大盛りを。

今晩は、今歳の景気付けと褒美も込めて、一杯やるつもりです。

さて...
毎年この日、目標めいた事を書いていますが(^^ゞ
今歳は、男女の別なく、多くの人と出会い、交流を深めていきたい!と思います。

いや、それは確かに女性と・・・というのはありますが(笑)
自分の足らざるところが有り過ぎる・・・と思う今日この頃。
せっかく取得した国家資格が、いまや埃をかぶって錆付いてますから(^^ゞ
自分の知見を肥やして、一回りも二回りも成長していきたいです。

皆様方には、今歳も、何卒宜しくお願い申し上げますm(_ _)m
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平成24年壬辰の今年

2012年01月01日 | 竹園別鑑
新しい年の幕が開けました!
どうも<m(_ _)m>
本来ならば、景気良くご挨拶すべきところではありますが、旧年中に不幸がありましたので、それはご遠慮させていただきまして。。。

皆様には、この元日をどの様に過ごされましたでしょうか。
私は、毎年行動パターンが決まってまして(^^ゞ
初日の出を拝みに家を出、そのまま初詣に行きます。
けど、今年は、何気なく朝5時に起きて外を見ると、空は厚い雲に覆われていて、これが、あと1時間半で解消されるとは到底思えなかったので、2度寝。
その後、初日の出を見るために設定した目覚ましアラームを無視して寝続け、朝7時過ぎに起床。
当初予定の時間に起きられなかったことを若干後悔しつつ、外を見て見たら、案の定、空の様子は変わらず。
それで一安心をして、朝食(お雑煮等)を取ってから、我が街の総鎮守様へ初詣に行きました。
本来ならば車で行くところなんですが、昨年末、家人が事故を起こして使用不能となったので、今年は自転車で行きました。
自宅から総鎮守様までは、およそ5キロ。40分ほど掛けて向かいました。
朝の内、少し雨がぱらついていましたが、出発した8時半頃にはすっかり上がり、薄日が射すほどに回復していました。
空気も、ぱらついた雨のお蔭でほんのりしっとりして、ピリピリとせず、柔らか味があった感じがし、運動がてら、快適なサイクリングが出来ました。

総鎮守様には9時頃着き、禊を済ませて本殿に参拝
その後、分祀されている神々にも詣で、今年1年の幸せと良縁を祈願して、帰路へと着きました。
けど、折角自転車で来たのに真っ直ぐ帰るのは勿体ないので、近くの御城址をぐるっと一回り。
御城址内博物館は開館していなかったので、静寂の中に聞こえる小鳥のさえずりと、我が街の歴史を感じながら、ゆっくりのんびりと、心穏やかに巡ること出来ました。

この後、ここからは家までは往路と道を変え、沼沿いの道を通って行きました。
ここは、台地の連続で起伏の激しい生活圏道と違って平坦な道が続いていて、ゆっくりと、あくせくせずに走れます。
途中、オリンピックメダリストを顕彰するランニングコースに成っているんですが・・・何処に繋ぐのか全く判らない、意味不明な橋脚工事で寸断されていました。
また、先の大震災で堤防が破損したり、道に亀裂が生じたりしていて(補修工事の為に)通行止めにもなっていて、被害の大きさ、自然の威力を改めて感じさせられました。。。

旧年中は、驚天動地の大震災がありました。
そして今日の昼過ぎ、比較的強い地震がありました。
震度こそ、最大で4でしたが、微震から強震へ、ゆっくりじわじわと、結構長い間揺れていて、情報を見たら、先の大震災並みの広範囲に渡って揺れていました。
しかも、震源(地)こそ小笠原の鳥島近辺の深さ370キロですが、マグニチュードは7.0。
大地震並です。
近々、東北地方太平洋沖地震の反動的大地震が来るのでは?!とされていますが、願わくば、今年こそは落ち着いた年になって欲しいです。
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「坂の上の雲」の先

2011年12月30日 | 竹園別鑑
司馬作品の、3年にも渡る壮大な(実写化)ドラマは、先日の「日本海海戦」を以って遂に完結しました。
あまり視聴率は振るわなかったと聞いていますが、、、
私の周りでは、見ていた人は結構います。
けど、家政婦のミタが高い視聴率で、最終回が40%に達した!って日テレが浮かれているみたいですが、これを周りで見ていたって人を、あまり聞きません。

まぁ、所詮はそんなものでしょう。
これで一喜一憂しているのは当事者くらい。
家政婦の実績に浮かれている日テレが過去に操作してますから(苦笑)
両手を上げて拝むほどの絶対的信頼度は感じられませんし、高視聴率=いい作品というワケではないでしょうから。

坂の上の雲」は、世評、映像化は難しいとされていたようですが、今回のこの実写化は、実に見応えがありました。
この前までにやっていた大河と比べたら、雲泥の差。
キャスティング、映像美、迫力(スケール)、それをとっても最高でした。
特に、今年の第3部の旅順攻略の2話は、圧巻でした。
帝政露軍と帝国陸軍との“旅順要塞”を巡る攻防は、戦争が、何と悲惨で悲劇的なのか・・・を、まざまざと見せつけられた気がします。

二○三高地攻略がなったその時、村上連隊と児玉満州軍総参謀長とのやりとり。
攻略した旅順要塞を巡察し、蒼天を見上げる乃木司令官の一コマ等々、、、
胸に迫るものがありました。

また、ドラマのクライマックスでもある日本海海戦でも、一つ一つの細かいディテールまでとても精巧に仕上がっていて、迫力ある海戦を目撃することが出来ました。
ただ、欲を言えば、日本が辛くも負けなかった要因や背景。
例えば、露国内で発生した血の日曜日事件や要人暗殺などの(数々の)テロ行為。
ポーツマスでの小村外相とウィッテ露蔵相との交渉場面と、これに起因する日比谷事件等々を、少しでも取り上げて欲しかったです。

しかし...
この日露戦争後。
例えば帝国陸軍は、満蒙地域の権益を次第に特殊化して拡大。
やがては中央(大本営、陸軍省(参謀本部))のコントロールも効かなくなり、ここが起爆剤となって、遂には泥沼の太平洋戦争へと突入してしまいます。
また、日本海海戦で劇的勝利を収めた司令官となった東郷は次第に海軍内で神格化され、昭和5年のロンドン海軍軍縮会議(条約)の条約締結には反対の立場を取る(海軍内の)軍備増強派(艦隊派)の“拠り所”として、推進派の浜口内閣を批判。
結果、条約批准には至らず。この後の軍国化に起因した事象でもあります。

江戸時代から明治時代へ。
武士を頂点とした支配体制から四民平等へ。
痛みを伴う劇的な変革を経て、進み始めた近代国家。
その過程で生じた日清、日露の両戦争を経て、まことに小さき国が開花期を迎えたことは、間違いないと思います。
けど、開花した花がどうであったか、、、
その時の、例え世界の潮流がそうであったとしても、、、
「坂の上の雲」を見終えて、思うところ、考えさせられるところが多くありました。。。
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感情の心源知

2009年12月09日 | 竹園別鑑
唐突ですが、私はせっかちです。
意外…と、あまり思われない?!かもしれませんが(笑)
それが最近、日頃のメンテナンスが行き届いていないのか、はたまた経年劣化か、それともお召しが近くて生き急いでいるのか...?!
以前に比べて抑えが効かない…と、感じる時があままあります。
例えば...
各駅停車には、あまり乗りたくありません。
電車の乗り降りをノタノタしてるヤツが前に居たら、後ろから蹴っ飛ばすか、タックルでもして薙ぎ倒したくなります。
あとは・・・こちらからの投げ掛けにレスポンスが遅い時などは、無用な負荷(ストレス)が掛かり、要らぬ想像をします,妄想族ですから
ないのは?!論外です。

などなど。

ちょっと前なら、ぐっと呑み込んで、喉元過ぎれば・・・だったんですがなら、最近は、過ぎても暫く余熱があります。

だから、しくじることもしばしばです(苦笑)
それに、石橋を叩いて壊す、ある意味これと反する性分も持ち合わせてるので、余計です(苦笑)

しかし一方で、それを冷めた目で、一歩引いて、または俯瞰して見ている自分もいるんです。

これが、所謂一つの「抑止(自制心)」ってヤツでしょうか?!
かつては見掛けなかったこれが、時折ハッキリと見えます,感じます。

不思議と言うか何と言う...。

私が変なのは言わずもがな・・・なんですが、それを引いても、これってやっぱり変・・・なのか?!
それともみんなそうなのか?!

一体全体、どうして、どうなってるのか?!が、いま、とっても知りたい!です。

やっぱり、これも脳科学の分野かな?!
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史家の感覚を絶やさず。

2009年10月01日 | 竹園別鑑
この間、ちょこっと耳にしたんですが、今日(10月1日)は「日本史の日」らしいです。
このネタ元はラジオなんですが、あまり意識せず、右から左へ聞き流していたので、肝心の起源や謂れは、ほっとんど憶えていないんですが(^^ゞ...
ただ、何か日本史に関する特筆すべき事柄があった・・・と、言っていた記憶が、微かに残っています。
その後、これが本当なのかを調べてみましたが、根拠が見付からず、今更ながら、「しっかり聞いていればよかった!」と、後悔しています(苦笑)

何せ、大学で日本史を研究していたので、もう、気になって気になって仕方がありません。

さて...
私が大学を卒業して、もう間も無く10年経ちます。
十年一昔とはよく言いますが、ふと振り返れば、あっ!と言う間に過ぎ去った感があります。
私が大学を卒業することは、今と似て、不況と就職氷河期の真っ只。
ゆえに、大学院への進学も視野には入れていたんですが、諸般の事情でそれを断念しました。
ただ、院への進学計画は、就職氷河期の解消を期待しただけではなく、真に自分の研究分野を突き詰めたい!と言う、自分なりの崇高な志を抱いていました。
まだ、学部だけの勉強では物足りなさも感じていました。
そんな気持ちを見透かされてか、一応兄弟子に当たる専任講師(当時)から...
「週に1回勉強会をやるからおいでよ」
...と、嬉しいお誘いを受けたこともあります。
(残念ながら、これも中々折り合いつかずに行けず終いに(--ゞ)
ただ、一度歴史にどっぷり浸かると、面白くて面白くて!
より深く、より貪欲に、知識補給をしたくなって、(最近は怠りがちですが(^^ゞ)
本=教養書や専門書の類を読み漁ったり、博物館なり資料館なりへ頻繁に足を運ぶようになりました。
また、史跡巡りなども、学生時分はした記憶があまりない・・・んですが、資金的に余裕があったりすると、出掛けたりするようになりました。
その一つが石和参陣でもありますが、お蔭でここから、飛躍的に人脈が拡がり、様々な知識や経験も入ってくるようになりました。
それこそ、学生時分は耳学問が専らでしたが、歴史好きな方々と、あーだこーだと話しが出来ます。
また、史学出ということで、様々な意見を求められることもあるので、それに応えられるべく、知識補給には余念なく、とても刺激になります。
それが...
いま、気が付けば歴史ブーム。
私の在学時には考えられなかった、「歴女」なる人(コトバ)も出てきましたが、その人たちの知識量には、舌を巻くこともしばしばです。
この辺のことは、後日改めて載せますが...
一応在野の史家として(笑)
この方たちに負けないよう、多角的な視点で歴史を見られるよう、知識補給を欠かさないようにしていきたいと、思います。
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先帝の叡慮

2006年07月20日 | 竹園別鑑
昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ

今朝の通勤時,サラリーマンの手に握られた日経新聞1面トップにこの記事が載っているのをみて、とても驚きました。
余程の事件が無い限り、どんな時でも経済ネタをトップに載せる日経にして、この対応に。

多分...
数ヵ月後に控える自民党総裁選に、この記事,この話題がなんらかの影響を及ぼすかもしれない、、、と日経は踏んで、載せたのかもしれませんね。
なにせ、微妙にタイミングがいいですから。
はたまた、ただたんに、余程いいネタを掴んだから「やったと!」と思ったのか。。。

ただ、何にせよ、今回のこのメモは、大変に興味深いです。
昭和天皇の、先の大戦に対する思いを垣間見た感じがします。
私が思い、また学び知る先帝(像)は、戦前より,いや、その前,御即位以来、一貫して“平和”を尊しとなさり、常にそれを思い、心砕いておられたので。
ゆえに、時の軍部の台頭を苦々しく思っておられたようですから。。。

私個人として(も)、先の大戦の指導者が靖国の杜に眠っているのには、些か違和感を持っています。
これに関して、兎角AだのBだのと言っては論争が過熱しますが、昭和16年12月,時の首相の下した判断が、その後数年に渡って、自国民に塗炭の苦しみを与えたの事は、紛れも無い事実。
その人物が、苦しめられた人々と一緒に、靖国の杜に祀られているのですから...。

また、自国民を途端の苦しみに貶めたその人物達は、本来ならば我々自国民の手で裁かれるべきだった・・・とも思っています。
その場面に於いて、如何なる判断が下されるかは、今となっては個人的意見(見解)ですが、その時の裁判が下した判決と、大差無いものがでたのでは・・・と、思います。
ただ、当時の日本に、それだけの力が無かったことが、悔やまれます。


もっとも、私はこれを抜きにしても、正直,靖国社には残念に思っています。
御社の建立された地には、以前,幕府陸軍(歩兵)三番町屯所があったのです。
・・・尊王佐幕な私にとって、これほど悲しいことはありません。
孝明天皇の、無謀な討幕への叡慮をあっさり破棄し、実力行使に出た反幕派。
それによる被害は、甚大なものです。
しかも、それは度重なる挑発を受けて、幕府(徳川宗家)が致し方無く抜いた刀。
なのに、それが一転,賊軍(朝敵)となって追討される立場に。
このお蔭で、徳川家はもとより、米沢上杉家までもが苦杯を舐めることに。。。
そして、これを“支えた人々”は、“勝てば官軍”的な趣旨で旧幕陸軍屯所跡に建立された靖国社には祀られていません。

かつて、石和合戦記中,武田神社のところ(甲府の淵源)で触れましたが、こうした、私的には露骨と思えるレジームチェンジには、はっきり,憤りすら覚えます。

決して、靖国社に祀られている方々だけが、維新の功労者ではないのですから。。。

不当,理不尽にも東征軍に斬首された小栗上野。
それに、先に載せた杉浦兵庫とて、幕臣(奉行)として箱館を離れるその時まで、この国の行く末を案じていたのですから。

兎角“昭和殉難者”が注目を浴びる靖国社。
けど、まだまだ多くの背景があります。
それをも置き去りにされた感のある世間にも、また、ちょっとなぁ...と思います。
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竹園の弥栄

2006年02月07日 | 竹園別鑑
秋篠宮紀子妃殿下,御懐妊の兆候があるとのこと、慶幸至極なことです。

しかし、よくよく聞くと、現時点は不確定な“兆候”であり、それも今だ日が浅いようで、この機に発表したのは宮内庁の拙速と、少々熱の入りすぎた報道振りに、以前東宮妃殿下の遭われた悲劇が再び起こらぬか・・・と、一抹の不安を覚えます。
今秋御生誕の御予定まで、妃殿下の御身が、まず以って一番大事かと。
それにはまず、マスコミの自重が一番かと思います。

それにしても...
もし、ここで若君御生誕とあらば俄かに一大事。
コイズミ首相様が意固地になって国会へ提出を目論んでいる皇室典範改正案にも、先行き微妙な影を落としているのでは。
『文芸春秋』2月号に掲載された、三笠宮寛仁親王殿下の御意見に傾聴し、賛同すべきところ多かったので、前々からそれには反対だったのですが、よりその意思を強くしました。

確かに、皇統継承を護る観点からは、特に足枷となっている現行の皇室典範の“修正”は急務ですが、拙速な議論のまま進行する愚には、何としても止めねばならぬかと。

皇室の仕組みを変えることは、この国のかたちをも変えることなので。

コメント (2)
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平成18年丙戌正月

2006年01月01日 | 竹園別鑑
皆様、新年明けました!おめでとうございます。
旧年中は、この「くない鑑」および記主くないをご贔屓,ご愛顧下さりまして、誠にありがとうございます。
本年もまた、旧年に引き続きご贔屓,ご愛顧を賜りますよう、お願い申し上げます<m(_ _)m>


最近は、なぜか食欲が旺盛!な半面、それに反比例するかのように体力減退が気に成り出しまして・・・職場でも、ジムに行っている人が、自分に鞭打ってまで体力増強に励んでいる話で持ちきりです。
尤も、私はそこまでするつもりは更々無いのですが、せめて遅刻しそうになった時,家から駅までの1.5キロをチャリと自力で全速力でも直ぐに回復する、いまの体力の現状維持だけは、今年の目標にでもしようかな・・・とは、思っています。
友達には、はや三十路になるヤツもいますから・・・。


そういえば...
ブログ以降後、初めての新年...
最近は忙しさにかまけて更新が停滞気味ですが、なるたけ頻繁に私に生きている証を立てて行くつもりなので、改めまして、皆様のご贔屓,ご愛顧の程を良しなにお願い申し上げまする。
また皆様にも、我が名の如く,“苦無い”一年で有りますよう、祈念いたします。
また、自分もそうあって欲しいです・・・~~\(-_- )Ξ( -_-)/~~ バサッ (-人-)


今晩から明朝に掛けて寝た折に見た夢こそ、本年の運命を占うもの。
この霊峰富士の印象を脳裏に焼き付けて、どうぞごゆっくりとおやすみなさい...。

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ミズーリへの入口

2005年09月05日 | 竹園別鑑
今から1世紀,100年前のこの日、米北東部,ニューハンプシャー州ポーツマスに於いて、米国(トルーマン大統領)の仲介により、日露講和条約が調印され、1年半にも渡る大戦が、漸く終結したのです。

これから更に遡る事10年前,日清戦争後、露・仏・独の三国干渉によって苦杯をなめ、更には北清事変後に露軍の満州地域を占有によって、南下政策を顕わにすると日露の対立は不可避となり、遂にはこの前年2月,ロシアとの国交を断絶し、会戦へと踏み切ります。

しかしその序盤は、世界一(当時)の陸軍国・帝政ロシアの前に帝国陸軍は歯が立たず、ただ徒に死傷者の山を築く凄惨な戦局。
特に旅順攻略の指揮を採った乃木希典大将には、2人の息子を失った同情が集まるも、戦局の打開に至らない司令部には、無能と無策との厳しい批判に晒される。
ただ、これには海軍との連携の拙さなども手伝ったのこと、ともされている。
してその海軍はというと、黄海海戦,蔚山沖海戦,それに日本海海戦に於いて露軍海軍を完膚なきまでに打ち破り、対露戦を有利に導く。

しかし、この時期にはもう、日本側に戦争を継続するだけの“力”は残っておらず、一方のロシアも国内に帝政への不満を内包し、それが一般市民に留まらず、軍隊に於いても爆発、それに相次ぐ(特に海軍の)敗報に士気は著しく低下。ロシアも現実的には戦争継続不可まで追い詰められていたが、露国全権大使ウィッテン蔵相の老練な交渉に日本国全権小村寿太郎外相は翻弄され、ついに清国内と朝鮮半島の権益などは得るものの、賠償金は一切なしという講和内容にて調印する。
しかし、この講和内容には、三国干渉以来「臥薪嘗胆」のスローガンの下、重税にも耐えた国民にとっては不満な内容であり、この日の昼過ぎには府内日比谷公園にて群衆の怒りが爆発して暴徒化し、内相官邸焼失などの多くの損害と犠牲を生み、この後、反対の機運は全国にも拡大します。

しかし、この戦争の結果が、この後のこの国の運命を左右しています。
その中の一つが、海軍の戦略。
日本海海戦に於ける勝利を後生大事に守り抜き、帝国海軍は大鑑巨砲主義による軍備増強を行い、「武蔵」「大和」など超弩級の戦艦を次々と建造するも、太平洋戦争に於いては“空母”が勝敗を左右するようになる。
これが海軍の失策の一つ、敗戦の起因となったのである。
しかも、日本海海戦に於ける総司令官,東郷平八郎はこの後、海軍の重鎮と崇敬を受け、また軍備増強派の重鎮として、世界の軍縮の流れに乗る日本国の政策に異を唱え、軍国化を推進した人物でもある。

こんなところからも、亡国の相が見られます。
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