くない鑑

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いざ!石和≪其の壱:夜明け前≫

2005年11月01日 | 参陣記
山梨中部,東八代郡石和町に於いて、特産である桃花が見事に咲き誇る4月中旬,これを祝って行われる“桃の花まつり”の一環として、戦国の世,甲州太守であった武田信玄公の武徳と、その好敵手,上杉謙信公と雌雄を決すべく激突した川中島合戦を偲び、彼の地を流れる笛吹川河川敷にて盛大に挙行される“石和川中島戦国絵巻
この“合戦祭”は今春,実に30回目を迎え、更には昨年10月中旬,石和町は近隣の御坂,一宮,八代,境川,春日居の6町村が合併して“笛吹市”となった、その最初という記念すべき折、今年もまた私は不夜城衆として、紋次郎。殿が旗下に参じました。

思い越せば4年前...
この石和が、私の合戦祭の初陣でしたが、この時は、何のボタンの掛け違いか・・・松永弾正氏旗下にて参じました。
しかし、合戦前夕に本陣にて行われた“参陣全隊一同挨拶”の場に於いて、上総介おめぐ殿および今の御殿,紋次郎。殿に見出され、はや弾正氏と袂を分つ覚悟を決め、これより後、弾正氏一派に交わること殆ど無く、おめぐ隊(当時)の皆さんと帯同していました。

激闘の合戦から2ヵ月後、大原に於いて開かれたおめぐ隊(当時)慰労宴に“客将”として招かれたことにより、遂に弾正氏一派からおめぐ隊へ、完全移籍を果たせました。

しかし、その当初は“裏切り者”の誹りと疑念の目を向けられること多く、人知れず肩身の狭き思いもしたのですが、翌年の石和合戦に於いては、おめぐ殿の禅譲を受けて出陣した紋次郎。殿(不夜城衆)旗下から晴れて参陣し、一時の主,弾正氏旗下の一部を調略して我が隊に気脈を通じさ、また合戦場に於いては白刃を奮ってこれを(返り)討ちに取り、天下晴れて不夜城衆一員と認められ(たはず...)ました。

そして昨年前年に弾正氏一派から引き入れたのぶたつ殿を御大将に擁して臨んだ石和合戦に於いては、御大将の宿敵でもある弾正氏は言うに及ばず、おめぐ隊を継承した不夜城衆より脱退して“征夷大将軍”を僭称する相模守太郎氏をも、竹友・大魔王殿を教唆して、共々見事!討ち取って参り、殿より過分のお褒めのお言葉を賜りました。

そして今年。
我が殿,紋次郎。殿は、多年に渡る(隊としての)勝利を得たにも関わらず、寄る年並みには勝てず...残念ながら、此度この記念すべき節目の合戦を以って引退することを表明。
ゆえに、これに応じて参じた我等一同は、更なる気概を持って、“紋次郎。衆最後の戦い”を華々しく、また後の語り草となる武勲を示さん!と意気軒昂。
更には此度、上杉播磨守定景様飯綱武蔵守法達様そして若等の頼もしき兵共の合力を得、我の目的が果たせる!と。またもう一つの目的たる、宿敵の“三撃全殺”は確実!と、出陣前から不夜城衆の士気は天をも突かんばかりに昂らかでした。

紋次郎。殿、三顧の礼を尽くして上杉殿と同盟締結!


ここから合計16編,順々にお楽しみください。
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