くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

再街普請

2014年02月26日 | くない卿見聞記
この間、職場で南三陸町へ行ってきました。
言うまでもなく、先の大震災の激甚災害を受けた、宮城県沿岸部最北の街です。
その中の、旧志津川町(南三陸町、平成の大合併でいまの行政区分)に一泊しました。
宮城には、震災後も何度となく訪れていますが、沿岸部に足を踏み入れたのは、今回が初めて。
荒涼とした平地に、骨組みだけ残った旧防災庁舎が、その被害の大きさを無言の内に語ってます。
ただ、裏を返せば、目覚ましい復旧復興が成ってない・・・という印象。
海岸から少し離れた所に商業施設は出来てはいますが、そこから先(海側)は何も無し。
あちらこちらで小規模な工事は行われていましたが、かつての市街地は手付かずままでした。
かつて、ここに多くの建物と生活(生業)があったかと思うと、苛立つのも解ります。。。

旧防災庁舎も、町長の判断で解体が決まったにも係わらず、復興庁が“震災遺構”に選定したのでそのままとか。
進まぬ原因の一端を見た気がします。。。

静かな市街地から少し山側に進むと、三陸縦貫道の工事が行われていました。
震災以前から粛々と進められていた工事に、震災復興道路の箔がついて進捗の力が増した感じがします。
けど、、、
片や鉄道は、従来走っていたJR気仙沼線は、津波で跡形もなく消失。
市街地に在った志津川駅も、辛うじて、盛り土とホームの跡が残っているくらいで、それと言われなければ判らないほど、被災前の原形を止めていません。
市街地の復興が手付かずな事に加えて、沿岸部を通る鉄路の復旧は見通し未定。
そこで、暫定的に・・・と取り入れられたのが、BRT方式。
鉄路をバス専用道にして走らす方式で、志津川の駅は、さんさん商店街に設けられていました。
移動中などに何本か見ましたが、鉄路の時よりも本数が3倍近く増えているそうです。
しかし、、、
地元は、あくまでもBRTは暫定的で、鉄路での復旧の望んでいます。が、JR東日本にその気は無さそう。。。
元々不採算だった路線に、巨額投資をして復旧させる意義があるのか・・・というところだとか。
同じく不通の山田線は、三陸鉄道に譲渡する案を提示したとか。

道路と鉄道。
重要な交通体系でありながら、この差って、いったい何なんでしょう。
高齢化社会の中で、高規格の道路なんか要るのか?!
むしろ、一般道と鉄道の整備を促進した方がよいのでは?!と、考えてしまいます。
相変わらずの、チグハグな交通政策に若干怒りと嘆きを覚えた、一泊二日の南三陸でした。。。
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潜入!地元警察30分。

2013年06月27日 | くない卿見聞記
この間、いまのところに5年仕えて初めて、有給休暇をとりました。
いままでは年休調整を駆使して休んでいたんですが、今年はそれを順調に消化しているので、ついに、ついに!有給休暇に手を出しました。
いままで使わず、貯まりに貯まった有給休暇は30日。
申請の時にそれを見てビックリ!・・・といのは置いといて、有給とって休んだのは、おざなりにしていた申請事を処理するためで、そのうちのひとつが、ここ、地元の警察署です。

20年くらい前、城下町に相応しい成りに(移転)新築されました。

・・・まず、最初に言っておきます。
決して悪いことをして来たわけではありません。
・・・ええ、とても大切なことなのでもう1度言います
決して!悪いことをして来たわけではありません!!(゜Д゜)ハァハァ

目当ての窓口は入って正面にあり、意外と無防備?!と感じつつ、指示されたとおりに書類を整え、30分も掛からずにそれは終了しました。
いや、しかし、、、
何でしょう、あの緊張感は(^^ゞ
やましいことは何一つ、、、
ええ、ですからもう一度、やましいことは何一つ、、、
いや、だから、何度でも言います!
やましいことは何一つないので(゜Д゜;)
何も緊張することはないんですが、ちょっとドキドキしました(笑)
中にはこういう人がいることも、、、

知ってるんですけどね(^^ゞ
しかも、ご覧のとおり職務中。パトカーが回り込んで停車して、お巡りさんが降りてきた時には「職質か?!(゜Д゜;)」と思ったんですが、、、

一緒に写真までとって(娘さんに自慢する!って言ってました)し、質問まで受けてました。


来署はお昼で、節電消灯があったくらいで、さしたることは何もありませんでした。
(節電消灯の放送元が会計課だったのが不思議でしたが、、、。)

ちなみに、その日の夜に“警察密着24時”をやってました。
思わず見ちゃいました(笑)

あっ、そういえば、この間、警察官になった高校からの友達と久しぶりに会ったんですが、そこで言った一言、、、
刑事(警察)ドラマはファンタジー
、、は、かなり印象的で、忘れられません。
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陸奥の佐幕を行く

2012年11月18日 | くない卿見聞記
通勤途中の車内中吊りで見つけた“戊辰戦争”の企画展。
佐幕の私には看過出来ないタイトルと内容だったので、10月最後の土曜日、これらを観に福島へ行って来ました。
・・・がその前に、mixiなどで繋がりのある方にお会いするため、那須に立ち寄りました。
ここにトレーラーハウスを置いて週末を過ごされているそうで、(前々から興味があったので)この機会にお邪魔しました。
着いて見て、中に入るまではどんなところなのか漠然とした想像しかしていなかったんですが、、、
来て見て、中に入って驚きの連続!
私からすれば、そこは夢の国です!
居室空間は、およそトレーラーハウスの中とは思えない造り。
この他にもいろいろと、ただただ羨ましい限りで、1時間半近くゆっくりとさせていただきましたm(_ _)m
ちなみに、ここにお邪魔する前、近くで開かれていた朝市にも立ち寄りました。
地産のフランクソーセージと突き立てのお餅をいただきました。
とっても美味かったですヾ(≧∇≦)
また、この時にしか売らない?!牛乳プリンをご馳走になったんですが、ババロアみたいでとっても美味かったです!

さて、目当ての企画展は福島の白河二本松会津若松の3か所で開かれていました。
そのどれもが興味の惹く内容だったので、せっかくの機会、3か所を巡ることにしました。
その最初に訪れたのが、奥羽の喉元に当たる白河です。
那須から、山を越えて走る県道と国道4号線を通って30分程。
会場は、白河小峰城址内に在る【白河集古苑】。

こじんまりとした平屋の資料館では、“八重の生涯と戊辰白河口の戦い-ゆずれない心、それぞれの矜持-”と題して開かれていた白河会場の企画展は、激戦だった白河口の戦いを知ることのできる、とても有意義で(知的に)満足できる内容。
展示量も多くて、(相変わらず)タイトなスケジュールだったらじっくりと丁寧に観ていきたかった内容です。
市内に点在する激戦の痕跡も紹介されていたので、もし今度、機会があれば是非に巡ってみたい・・・と思いました。

※古来より奥羽の喉元に当たる白河は、戦略上の要衝でした。しかし、戊辰の前年、8代44年に渡ってこの地を治めていた阿部豊後守家が、幕府閣老(豊後守正外)として関与した兵庫開港勅許問題で懲罰的所替で隣地の棚倉へ移ったことで城主不在(二本松藩丹羽家預地)となる。この状況で戦乱を迎えたので、白河領内は混乱を深め、東西双方に大きな損害と犠牲者が出したが、同盟軍はこの要衝を抑えることが出来ずに撤退。
東山道軍の橋頭保が確保されることになり、同盟軍が不利な状況となる。

小峰城と集古苑は白河駅のすぐ近く。
この日は、駅の反対側で産業物産展が開かれていたようなんですが・・・行きたい気持ちをぐっとこらえて、次の二本松に向かいました。

二本松までは、国道4号線をひたすら進むこと1時間程。
(白河と同じく)から程近い、図書館と隣合う歴史資料館で開かれていました。
ここ二本松会場の題目は“新島八重の生涯と二本松藩の戊辰戦争”です。
戊辰戦争の“悲劇”として筆頭に挙げられるのは、きっと会津藩の白虎隊でしょうが、ここ二本松の戊辰は、それ以上に悲劇的だったのでは・・・と、この企画展を通じて改めて認識しました。
残念ながら、時間の都合上ここの展示も足早でしたが(^^ゞ
それでも、特に二本松藩士の激闘を紹介する部分では足を止め、その苦闘を知って落涙せずにはいられまでした、、、。

東山道軍は、白河口の他にも浜通りから軍勢を押し出して磐城平や三春などを降して中通りに侵攻。
二本松は、主力を(預領となっていた)白河口に派兵していたために手薄となっていたので、残っていた隠居(老人)や少年達で急遽軍を編成してこれに対抗しようとしたが、衆寡敵せず、二本松城は陥落して多くの死傷者を出し、藩主家一族は親類の羽州米沢に落ち延びました。
会津の少年兵団は“白虎隊”として名が知られていますが、二本松にも白虎隊と同じ頃の少年で構成された軍勢がありましたが、東山道軍の思わぬ侵攻に急遽編成された出陣し、結果、多くの死傷者を出してしまいます。
この状況の展開から、二本松の周章狼狽ぶりが垣間見てとれます、、、。
なお、彼らはいまでこそ“二本松少年隊”という名で知られていますが、この隊名、後世の人々が往時の偲んで名付けたそうで、彼らは“隊名”も決まらぬ内に出陣していったでそうです。
この他にも、多くの犠牲を払い、結果、東山道軍に膝を屈さざるを得なかった二本松。
この思いを忖度するに、落涙せずにはいられません、、、。

この後、最後に向かったのが戊辰戦争のシンボリック的な存在である会津若松です。
けど、この時すでに14時半。
この時期無料開放されている福島県管轄の有料道路を通って向かいつもりだったんですが、、、
遅れを取っては一大事なので、東北道磐越道を通って行きました。
お蔭で、二本松から1時間ほどで着きました(^^ゞ

会津若松には今年の5月、米沢の上杉まつり参陣後に入りましたので、凡そ5か月ぶり。
その時は、往時の赤瓦に葺き替えられた会津若松鶴ヶ城には登れず、カメラのエネルギーも切れて記録にも満足に収められなかったので、是非とも行きたかった地。
今回は、その無念を存分に晴らせました。

城址内、本丸御殿址の前に在る茶室麟閣

戊辰後城外に移されていたのを、平成になってここに戻して復元しました。

ここで一服いただきました。

天守の対、鉄門を跨ぐ走長屋を出た先。

築地の向こうに在る月見櫓址から望む鶴ヶ城。


なお、勿論ここでも大河関連の企画展を開催していました。
ただ、前2館ほどではなく、“京都守護職拝命150年と『新島八重』”というタイトル(特に前者)にとっても期待していったんですが、ちょっと肩透かしを食らった感じ。
また、外観は往時を偲ばせる立派な雄姿なんですが、中は・・・コンクリ。
よくある博物館に仕立てられています。
近年は、(文化庁による)文化財行政に関する観点(許認可過程)から史実に基づく“復元”が行われているので、できれば・・・できれば・・・内装も、往時を偲ぶ装いが・・・よかったです。
(天守に繋がる干飯櫓と走長屋や塩蔵(天守下層)、近年復元されたので往時を感じる造りでした。)

鉄門から望む天守閣。

復元された走長屋。

天守から入って走長屋までが鶴ヶ城。
ここから、跨いだ鉄門と鶴ヶ城を望む。



戊辰後の惨劇を映す古写真に近いアングルから。
その向こう、走長屋の下にどっしり構える鉄門。

立派です。

今回会津若松入りしたのは夕方近くだったので、城内に絞って巡り、日暮れを迎えた17時過ぎに帰路に着きました。

東北入りは5月以来5か月ぶり。
その時は急いでいたりして気が付かなかったんですが、、、
例えば、白河小峰城は石垣等が崩落していて立ち入れませんでした。

また、二本松へ行く途中に、仮設住宅やその案内看板が何カ所もありました。
中には、浪江や楢葉の町名も。
そして、二本松市歴史資料館の敷地の中には放射線量を計測するモニタリングポストがありました。
先の大震災の爪痕と、原発事故の影響を改めて感じました、、、。

しかし、佐幕派の私にとって東北は親近感がある地域です。
他にもご縁有る地域なので、これからも機会が有ったら絶対行きます!
まずは、、、
17日(土)のアド街ック天国で紹介されていた湯野上温泉大内宿
いずれも通過していましたが、会津公の他佐幕派諸藩が参勤交代で通った()会津西街道(下野街道)の宿場町の一つなので、是非是非行ってみたいですね。。。
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地天の君

2012年10月23日 | くない卿見聞記
木曜日の朝。
いつも見ているめざましテレビ占いで、うお座はトップでした。
当たるも八卦当たらぬも八卦とはいいますが、やはり、いい方でトップだといい気分です。
ラッキーアイテムはカレーパンか・・・と考えながら家を出て、最寄駅まで自転車で向かいました。

そして、それは突然起こりました。

家から1キロほどのところで、自転車が突然バランスを崩してハンドリングができなくなり、嵩上げされている歩道の壁に激突。
その拍子に、私は街路樹の垣根に突っ込み、そのまま歩道にスライディングしてしまいました。
反対側には小学校があり、歩道には登校する生徒さんがいっぱいいましたが、私がスライディングした方はマンションなので、児童はおろか、人っ子一人歩いていませんでした。
推測するに、事故は多分、右手に持っていた傘が右足に当たった所為だと思うんですが、、、
時は通勤途中。
怪我自体は大したことなく、手足に掠り傷を負った程度でしたが、スーツの、特にズボンはスライディングした時にひざ部分が摺れて穴が開き、他にも、土や草(をすったあと)の汚れやシミが有ったので、急いで帰って着替え、取りあえず、何事もなかったように出勤しました。
幸い、家から1キロも満たないところだったのと、いつもより一本早い電車に乗ろうと思って早めに出ていたので、いつもの時間に出勤しました。

自転車の事故だけでも十分不運ですが、この後立て続けに。
これは、不運というよりは不注意の色合いが濃いですが(^^ゞ
自分の担当プレゼンの資料を仕上げて、さぁ、次の仕事に・・・と思ったら、メール添付のデータをそのまま作りこんでしたようで、保存できておらずに一からやり直しする羽目になったり、、、
外線を転送する先の内線番号を、ずっと同じところに間違えていたり、、、と。

朝の占い結果とは全く正反対のことばかり。
この時ほど、占いにバカヤローッ!って言ってやりたい・・・と思ったことはありませんでした(苦笑)

この次の金曜日と土曜日は、まぁ・・・平々凡々の、可もなく不可もなく過ごしましたが、やはり、木曜日のことが鮮烈で、調子がいいとは思いませんでした。

そして昨日の日曜日。
私が愛して止まない(マテ)
いきものがかりライブを観に新潟へ行って来ました。
往復は、えきねっとで安く(最大35%引き)買えた新幹線を利用し、宿も早割で安く手配できました。
ただ、最初決めていた8時や9時代の新幹線が抑えられず、止む無く7時08分発[とき305号|新潟]で向かいました。
これ、乗るまで気が付かなかったんですが、新潟までの各駅停車でした(^^ゞ
最も、ほとんど寝ていたので、各停感はあまりなかったですが、、、
問題は天候で、それまでいい天気だったのが、長岡を過ぎて少ししてから雨で、燕三条の辺りは豪雨。。。
雨予報だったので折り畳みの傘は持ってきていたんですが、あまりの強さに先が思いやられる・・・と心配していましたが、新潟は既に上がった後のようでした。

すると、ここから雲の合間から光がさすかのような事態が(笑)
新幹線ホームから在来線ホーム(跨線橋)を通って改札口へ向かっている途中で、黒煙を吹く停車中のSLを発見!

最も、鉄分ある人にしか反応しないことですが(^^ゞ
動態保存されているSLは何度も見たことありますが、動いているのはこれが初めて。
これも後々知ったんですが、このSL、新潟と会津若松を往復する[快速|SLばんえつ物語号]は、私が乗った[とき305号]と接続して発車するダイヤだったようです。

お蔭で、身震いするほど感動的な場面に出合いました。

気品と重厚感のあるSLは、定刻に、大きな汽笛を鳴らしてゆっくりと、力強く動いて会津若松へ旅立って行きました。
今度は、これに乗ることを一つの目標にします(笑)

それと、羽越線のジョイフルトレイン[快速|きらきらうえつ]にも遭遇できました!

憧れの2列車に遭遇出来て、とっても幸先の良いスタートが切れました!!

しかし、、、
この後、宿に荷物を預けて昼食を食べに、目当ての店に向かったんですが、残念無念にも貸切で入れずorz
次に!と向かったお店に行くのに、道間違えました(^^ゞ

けど、何とか着いていただきました!

のどぐろの炙り丼
表面を炙っているだけで、本身は生で、も~~~う、美味いことこの上なし!
合わせていただいた村上の「鶴齢」も、きりっとした辛口で美味かったです。


この後、折よくやっていた駅伝を横目に宿へ戻り、チェックインを済ませて部屋で少し休んでから、この日のメイン!
いきものがたりのこんつあーに乗り込むべく、朱鷺メッセに行きました。

ここで「じょいふる」するのに必要なマフラータオルを買って、ホールに入りました。

席は前から47列目で、会場のほぼ真ん中。
前のブロックとの間にある広い通路から2列目でした。
ここで、ここでこのあと奇跡が起きるのです!が、その前に。

開演は17時から。
ほど定刻通りに始まり最後まで、10曲程度とアンコール3曲を熱唱して終わりました。
バラードの時には静まり返って聞き入り、アップテンポの時にはガンガン乗って!
直近のアルバム「NEWTRAL」に入っている曲を中心に盛り上がって行きました!!!
この中にはもちろん、♪じょいふる♪だってありましたよ(o^-')b
この時ばかりは新潟県民になりきって、「新潟県民ありがとーっ!」っていうメンバーのコールにありったけの声で返しました(笑)
縁も所縁もないワケではありませんから(^^ゞ

さて、先にあった奇跡なんですが、序盤、♪いつだって僕らは♪など数曲を歌い終えて中休みのMCに入った時、突然、、、
「中央の特設ステージに移動します!」ということになったんですが、それ、すぐ近くに在ったんです
しかも、これも先に行った前のブロックとの間の広い通路を!
大切なことなのでもう一度、すぐそこの広い通路を通ってメンバー特設ステージに移動したんです

そう!そうなんです!!

メンバー、即ち!聖恵ちゃんにリーダーにほっちが、目の前を目の前を!
それこそ距離1メートルもないところを移動して行ったんです!
これにはもう、感動感動また感動
あまりに感動し過ぎて、2曲歌ったのは覚えているんですが、それがなんだったかは・・・ちょっと(^^ゞ
けど、メンバーだけの演奏はバラードで、とてもしっとりと落ち着く、夢心地のような気持ちの良い一時でした。
また、LEDを使った照明演出も巧みで、歌に演出に、すっぽりと魅せられました。。。

デビュー当時からいきものがかりのファンをやってますが、ライブに来たのはこれが初めて。
単身でライブに乗り込むのも、これが初めて。
初ライブの人は結構いましたが、また今度、絶対に行きます。
大都市よりも、また地方を狙って行こうかな?!とも思いました(笑)
[日曜日だからか?!家族連れがとても多かったのと、メンバー、特に聖恵ちゃんが深々と御礼(おじぎ)をしていたのが印象的でした。]

翌日の月曜日が休暇を取っていましたが、確保できた割引新幹線は10時13分発の[とき320号]。
実は往路の折り返し新幹線なんですが、越後湯沢から満席で、東京には昼過ぎに着き、自宅には14時頃に着きました。
その前は、、、
朝早くに起きて新潟の総鎮守・白山神社に参詣。

その帰り、何気なく通ったマンガストリートで水島新司の世界に遭遇。

↑↑↑山田太郎とあぶさん↓↓↓です。

朝だけで7キロ近く歩いてました(^^ゞ

新幹線に乗る前に、自宅用にへぎそば秋限定の菊水を買って帰ってきました。

木曜のアクシデントも、ひょっとするとひょっとしたかもしれない・・・と思うとゾッとしましたが、それも日曜日に一気に吹き飛びました
地から天に(笑)
明日から、活力満点で乗り切れそうです(*^0゜)v
あとは、それが続けばいいんですが(^^ゞ

あっ、ちなみに傷物になってしまったスーツのズボンは、今日、修理に出しました。
お気に入りなので、直してでも着たいので。
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水戸の偕楽園

2012年02月27日 | くない卿見聞記
茨城県立歴史館で開かれている肖像画の特別展惹かれて、初めてやって来た水戸
特別展と合わせて10時から行われるミニ講座を聴くため、9時半の開館と同時に入館。
1時間の講座と、特別展に展示されている貴重な資料の数々を大満足のうちに観終えたのは12時頃。
これで帰る・・・には、あまりに勿体ない!ので、歴史館の近くに在る、かの有名な偕楽園に足を延ばしてみました。

歴史館から偕楽園までは、歩いて5分ほど。

住宅街の中に何気なく表れる「表門通り」を真っ直ぐ、途中在る豪邸に目を奪われつつ進むと、茅葺を冠した立派な「表門」に辿り着きます。

ここをくぐると、そこはもう、偕楽園。

更に先に在る小さな一の木戸を通り、竹林の中の径を周って向かったのは、園内の休憩所として建てられた「好文亭」です。

間もなく、あの未曾有の大震災から1年が経ちます。
東北3県の沿岸部の被害は甚大を極めていますが、ここ茨城も、それに類するほどの被害を受けています。
しかも、それは沿岸部のみならず内陸部でも、地割れや液状化などの爪痕を残しました。
その影響を、ここ偕楽園も受けていて、園内のあちらこちらで地割れや陥没、崩落が発生し、好文亭も損壊してしまいました。
そこで実施された修繕普請が1月末に漸く成り、今月7日から全面開園!
好文亭もこの日(12日)まで、普請完了のお披露目が無料でされていました。

被災して、剥落したりひびの入った土壁。
歪んで外れたりした障子や襖。
それらが全てきれいに修繕され、好文亭が、さながら息を吹き返したかのようで、晴れがましく立派に見えました。

この日は無料最終日で、しかも日曜日。
修繕普請完了のお披露目には、私を含めて多くの人が、祝福するかのように訪れていましたが、お蔭でもう、押すな押すなの混雑ぶり(^^ゞ
亭内では渋滞までして、ゆっくりと見られなかったのが残念だったので、今度、落ち着いた頃にまた来たいと思います。


好文亭と奥御殿とを結ぶ太鼓廊下。

東塗縁広間前辺りの廊下

西塗縁広間。
広く、外の眺望も楽しめます。

亭内を出てから偕楽園内を散策してから、更に先へ。
偕楽橋を千波湖側へと渡りました。

途中には、修繕普請の痕跡が。

何だか、山城の備えみたいです(笑)

曇って寒々とした昼下がりの日曜日でしたが、湖畔の公園はとても賑わっていました。
この奥には、映画「桜田門外ノ変」のオープンセットがひっそりとあります。

ちょっと覗いてみようかな・・・と思ったら、入場料が結構高かったので、回れ右をして偕楽園に戻りました。

偕楽橋の下に在る偕楽園駅

この1週間後に始まる梅まつりの期間だけ停車。
しかも、下り線だけです。

途中、『大日本史』の編纂事業に纏わる石碑が。

佐幕な私にとっては、心中複雑です(苦笑)

千波湖から、偕楽園を通って歴史館へと戻ったのは、13時半頃。
(歴史館で)クイズに答えてオリジナルのクリアファイルをもらってから、ここを後にしました。

クイズの“答え”が展示されている旧水海道の校舎。
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言いが狩り

2012年01月24日 | くない卿見聞記
この間、近所の本屋で立ち読みをしていたら、突然、、、

「あなた、さっきから何で私を睨んでるの!?」

・・・という怒声が。
何だ何だ?!と思って、その声がする方を見てみたら、独りの婆さんが、レジにいた女性店員さんに向かって言ってました、これを。
婆さんは引き続き、、、
「私が移動する度に横目で睨んで、怖い。」

・・・だの・・・

「そんな目で見て、お客さんに失礼よ。あなた、笑顔が出来ないの!?」

・・・とまぁ、随分な言い様。
方や店員さんは、、、

「そんなことはありません。」
「申し訳ありません」

、、、と言うのが精一杯。
お客さんは神様ですから、抗弁などは以っての外。
さながら、南都に遣わされた瀬尾兼康の如く(笑)
無念なれどもただただ堪えるのみ。
第三者として見聞きするだけでも腹立たしく、主張が何一つ理解できないんですが、加えて、この憐れな店員さん、目、大きいんです。
すると、睨んだ時には相当眼光鋭く恐ろしい形相になるはずですが、この婆さんから指摘を受ける直前まで、普通にレジ打ち接客してました。
ゆえに、言い掛かり以外ナニモノでもない!
理解も同情も出来ない婆さんの不快極まりない口撃に対して、横槍入れて鉄槌を食らわせてやろうか!・・・と思ったんですが、話がややこしくなること必定だったので、グッと堪えてこの場を後にしました(ぇ)

その後、どう収まったのかは知る由もありませんが、如何にこの婆さんが気違いであったとしても・・・被害を受けた店員は憐れです。

私はその場に居合わせた単なる第三者ですが、思い出しただけでも気分が悪くなります。

そんな時は、とってもいい♪
いきものがかりのNewSingleの「いつだって僕らは」を飽きるまで聴き続けます♪♪(笑)

いや、しかし...
今度行ったとき、口撃された店員が辞めてる・・・はたまた、整形をしていたら・・・それはそれで、面白いかも(笑)
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迷者の着眼点

2011年10月25日 | くない卿見聞記
あれは、もう半年以上前の・・・そう、確か如月の頃。
左目の瞼を動かす度に、何かが眼球にあたる違和感が?!
最初はゴミでも入った程度だろうから、直ぐに治まるだろう・・・と、思っていました。
・・・が、予想に反して治まる気配が一向になく、時が経つにつれて、ますます気になりだしました。

けど、この日は土曜日。

掛かり付けの眼科で診てもらう程なのかどうか・・・と迷っている内に陽は暮れ、眼科の診療時間は終っていました。
このまま放置・・・には、余りにはっきりとした違和感があったんですが、掛かり付けの眼科は日曜休診。
平日に行こうにも休めない(汗)
さて、どうしたものか・・・と、日曜診療をしている眼科を探していたら、西隣りの市に在るのを発見!
そこで、日曜日の朝、受診して来ました。

私の掛かり付け眼科もそうですが、(眼科は)やたらと混みます。
その上、日曜診療をしているならば更に・・・と思い、受付開始の30分くらい前に行ったんですが、寒い中、既に先約が(汗)
是非もなく、、、
その列に付いたら、後から後から続々と。
受付が始まる頃には、30人近くが列を成していました。

今回初めて受診する眼科でしたが、掛かり付けのとこと比べたら、随分とシステマティックに、言い方を変えればサバサバと機会的に、受診者を捌いているようでした。
受診者の大半はコンタクトに関することの様で、私の様な受診者は、極小数という感じでした。

受付を済ませ、問診票を書き、待つこと30分程。
漸く呼ばれて診察を受けました。
先生は、どこと無くせっかちで神経質そうな、年の頃が40代くらいの男性。
簡単な補足的問診後、掛かり付けにはない、見るからに最新の医療機器を使って診られ、結果、対したことはない!と言うことで、さしたる治療はせされず、点眼薬を処方されて終了しました。

最新の医療設備で診てもらったので、これで一安心。
処方された薬を目の前のスーパーの調剤所で受け取り、帰宅後から、基本的、定められた用法通り点眼しました。

しかし、、、
処方薬を点けども点けども状況は改善されず。
致し方なく、後日、掛かり付けの眼科で受診したら、簡単に言うとものもらいみたいなヤツが出来ているとのこと。
ここでも、さしたる治療はせず、点眼薬を処方されたので点けたら、今度はたちどころに治りました。

全く...
いま、掛かり付けの眼科からは、疲れ目用とドライアイ用の点眼薬を処方されて、一応用法通り点けています。
しかし、日曜日の眼科でこれを見せたら、疲れ目用をさして「古いね」なんて言ってやがったんです。
例え最新機器を備えていても、使い熟せなければ意味がありませ(苦笑)
ようは、人たる医師の技能・技量の問題・・・ですかね。

このことで、近所に在る掛かり付けの眼科医をますます信頼するようになりました。

そういえば...
私は所謂ガチャ目でして、気付けばずっとそうでした。
その原因を、深く追求することもしませんでしたが、掛かり付けの眼科の先生が診てくれました。
、机の引き出しから、(見た目)年季の入った本を取り出し、開かれたページをじっと見ていると、模様が段々と浮きがって見える・・・などを用いて診た結果、小さい頃に、何らかの理由で右目を使わなかったので、調整機能が働かなくなっているとかで、もう、治ることはない!と、きっぱり言われました(笑)

まぁ、もう十分慣れてますから。
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仲秋の筑波山

2011年08月09日 | くない卿見聞記
日本一広大な関東平野の中で、場違いの様に突出している孤高の山、筑波山
その姿は、空気の清んだ特に冬の日、遮るモノのない(開けた)ところならば都内からも拝することが出来ます。
日々、通勤に地下鉄東西線を利用していますが、上の条件に合致した日は、西船橋南砂町の地上高架区間を走行中の車内からよく見えます(たぶん/笑)。
見えた時は、何だか得した気分がします。

この筑波山に、“チバラキ”の多くの小学生は、一度登るようです。
それほど低くは無い山だとおもうんですが、平野部に突出していて目立つと言うのと、子供の脚力に適した山は、筑波山か鋸山くらいしかありませんから(笑)
私は、残念ながら(適性年次に)岡山東京に居ましたので登る機会がありませんでしたが、(法的に)オトナになって車の免許を持ち、遠距離の移動がし易くなったので、最近自力で行ってます。
チバラキの小学生が遠足気分で行けるほど、家からさほど遠くないので、気分転換をしに行きます。

直近は、タイトルのとおり仲秋。
暦の上では立秋を迎え、夜になると家の周りでは秋の虫の音が聞こえていますが、これは昨年神無月の頃。
大学時代からの友達と行って来ました。

家から筑波山は、ほぼ真北。
途中、常磐線ので合流し、筑波山がよく見える麓の蕎麦屋で一息入れて...

中腹の筑波山神社で往復の無事+αを祈願。

そして、いよいよ筑波山の頂目指して向かいました!

山頂まで、一番楽して行くのはケーブルカーを利用する・・・ことでしょうが、それではつまらない!ので、一先ずロープウェー口まで歩いて向かいました。
歩いて・・・と言っても、道は登山道

整備されている・・・とは言っても、きれいに舗装されているわけではなく、道標や登山路の看板があったり、坂道が階段状になっている・・・と言った類。
筑波山社の脇手から民家の間を抜け、脅しの様な急峻な、舗装されている坂道を登っていくと、その入口に至ります。

最初の頃は比較的多くの人がいましたが、途中、山頂へと続く登山道と別れた後からは、めっきり少なくなりました。

季節は仲秋。
夏の酷暑も漸く収まり、受ける風が冷たくも感じる頃。
寒さに備えてパーカーを羽織って筑波山に挑みましたが、歩を進める度に体が温まり、10分もしたら、羽織ってきたことを後悔するほど熱くなりました(^^ゞ

筑波山神社から登ること40分ほど。
ロープウェー(女体山側下)のつつじヶ丘駅に到着。
ここから、尾根伝いに山頂目指して歩くのは・・・陽が傾いてきたので断念。
秋の日は釣瓶落とし、、、2年前の勢州霧山城攻めで十分思い知りましたから(^^ゞ
ロープウェーで山頂を目指すこととしました。

歩いて行けば40分ほど掛かるコースも、ロープウェーを使えば僅か6分...。
何だかあっけない感じすらしますが、宙に浮いているかのようなロープウェーからの眺望は、格別です。

ロープウェーの女体山山頂駅から天辺までは登って数分。

突き出した岩の上に立って眺める景色は、とても素晴らしいかったです。

南側、遮るものが一切ないので、遠くまで見渡せます。

眼下にはロープウェーも。距離、意外とありました。

西は男体山。夕陽がきれいです。

ここから、西側の男体山までは歩いて15分程。
陽が随分と傾いていましたが、まだ、まだ行ける・・・と向かい、更にその天辺目指して登って行きました。

女体山の賑わいに比べて、こちらは随分ひっそりと、物悲しいほど薄暗く閑でした。。。

男体山から降りた頃には陽も暮れ、点き始めた明かりが眩く目立ち、とてもきれいな景色でした。

ただ、山頂ゆえか随分と冷えだして、脱いでいたパーカーを着こみ、ケーブルカー山頂駅前のコマ展望台で暫しの休息と暖を取りました。

ここから麓まで、出来ることなら歩いて行きたかったんですが・・・陽もすっかり暮れてしまったので、ケーブルカーを使って下山。
この時、筑波山では紅葉のライトアップがされていて、ケーブルカーも眺望ポイントで車内の明かりを消して減速、停止してくれました。
ライトアップの写真はあまり撮れませんでしたが(^^ゞ

車両の後部に陣取ったので、ある意味、いいショットが撮れました(笑)

麓に降り着いた頃には、夜も本格的に始まっていました。

しかし、紅葉のライトアップがされていたので、賑わいは結構ありました。


関東平野の中で突出している筑波山。
その眺望は、陽のある内もいいですが、夜は夜で、またきれいでした。

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20年経っても大丈夫!

2011年07月13日 | くない卿見聞記
気が付けば、もう葉月7月。
前の日記を上げてから、1ヶ月以上も経ってました(汗)

最近は、「いけない!」と承知はしつつも、何かと不精でおざなりがちになってまして、、、。
要因はイロイロとありますが、一番は“体力の減退!”ですかね(苦笑)
今はそんなに忙しくないですが、仕事から帰ると、もう、ぐったりです。
考えなきゃならないことも山ほどあるし、、、。

全く、困ったことです。。。

ただ、これを座視していても解決しません。
体力が落ちても、気力がそれを補えばいいんです!
そんなんで、この間の土曜日の夜。
大切な気力を充たすべく、中学の同窓会的な飲み会に行ってきました。
顔触れは、昨年末にも開かれた同集の忘年会とほぼ同じですが、この集まりとしては新しい人も1人居ました。
あともう1人。
是非とも会いたかった人が来る予定だったらしいんですが、仕事で来られず。。。
とても残念でした...。

しかし、集まった面々の“顔”はほとんど変わらず。
その筆頭は私らしいんですが(笑)
みんなも、一目で誰だか解ります。
また、記憶力もすごいもんで!
少しのキーワードで、同級生の名前や出来事から近況まで、出てくる出てくる!!
他にも、住んでた場所とかあだ名とか、ヤツの妹とはかわいい!…と言ったのは私ですが(笑)
海馬の奥底で封印されていた中学時代の記憶が、釣られて次々と甦り、その当時に返ったかのような錯覚すらありました。
ついでに、中学の同級生とは小学1年から2年の2学期までリンクするんですが、そんな、古くホコリの被った記憶までも、封印が解けて甦りました(笑)

そして、気が付けば23時半。
時が経つのを忘れるほど楽しい宴が、1次会で終わるワケなく、最終的には8→4に減ったとはいえ、朝まで、Allをしてしまいました。
まぁ、みんな等しくよいお年頃なので、断片的に記憶が無いのはやむを得ません(^^ゞ

店を出たのは朝5時。
外はすっかり夜が明けていて、この後の、昼の暑゛さが想像出来ないほど涼しく、ラジオ体操をやりたくなるほどの爽やかがありました(笑)


この集まりで、同じクラスになったことがある人は…皆無に近いです。
中には、当時一度も話したことの無い人だって居ます。
ただ、3年間、ほぼ同じ空間で、ほぼ同じ時を歩んだ者同士ですから。
フラットな次元で、何気兼ねすることなく話せるので、居心地がよく、とてもリラックスが出来ました。

月曜日からの業務で、気力のストックはすっかり使い果たしてしまいましたが(汗)
反芻して、失った気力を微かに補っています(笑)

ちなみに...
この少し前には、小学校卒業時の友達とサシノミする機会がありました。
最後にあってから2,3年の間に、みんなが次々と結婚しているのを聞いて、ただただ驚くばかりでした。

それと、今度は高校からの友達と遊ぶ予定ですが、こちらとはしょっちゅう会ってるので、懐かしさから来る楽しさよりは、安心出来る楽しさがあります。

旧知の友とは、ありがたい存在です。
正に「温故」ですね。
何年経っても、かくありたいです。
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ただただ、ただただ茫然とした週末

2011年03月14日 | くない卿見聞記
太平洋沖を震源とする巨大地震のあと。
首都圏の交通網は完全に麻痺。
徒歩圏内の人々は、三々五々帰路に着きましたが、自力で帰ることができない私を含めて多くの人と、総務は職場で一夜を明かすことに。

その間、多くの人が、家族親類縁者の安否を確認するのに電話を掛けるも不通。。。
携帯や固定よりも、公衆電話が優先される!との情報が流れ、唯一のそれに人が集まり、列を成していました。
私も、千葉と我が街が震度6辺りだったので気掛かりでしたが、電話が繋がったのは、発生から5,6時間ほどしてから、万事無事が確認されました。

ただ、この時埼玉方面は停電が続いていたようで、安否の確認できない人も中にはおられ、発生から8時間ほどしてから漸く安否が確認できた・・・というこもありました。

同じ方面に住む方々とは、暫時運転を再開する情報に接して行けるところまで!とか、割り勘でタクろう!という案も出ましたが、前者はどこで足止めを食らうかが不安で。
しかも、自宅最寄駅までは電車で行けないので途中から歩く必要があるんですが、外の寒さと疲労などを考慮して却下。
後者も、幹線道路が軒並み大渋滞をしている最中で最中で移動留守のは金額が掛かるか不透明だったので却下・・・で、結局職場に一泊することに。

いつもなら、夜中0時ともなれば睡魔が襲ってくるはずなんですが・・・この日は一向に。
興奮しているのか(^^ゞ
残った人と話したり、mixiやツイッターなどで安否確認を行ったり、コンビニへ行って食べ物を買いに行ったりしました。

時は夜中の3時。
道路も、もう空いているだろう・・・と思ったらとんでもない。
特に埼玉方面へ行く道はピタッと、全く動く気配すらないほど大渋滞していました。

戻って空腹を満たしたら、睡魔がやってきたので、机に突っ伏して仮眠。
気が付いたのは、朝の6時。

ここで、JR各線が7時から運転を再開するとの情報が得て、同じ方面の方3人、その時に合わせて帰路に着きました。

最寄りの都営地下鉄は、多少遅れていましたが、ほぼ正常運転。
北方面から神保町経由で本八幡まで行きましたが、驚くほどスムーズに来られました。
尤も、電車は平日朝のラッシュ並み。
並行して通る京葉道路(一般道部)西行きは大渋滞でした。。。

本八幡では、JR総武緩行線と京成(八幡)に乗り換えられるんですが、車内放送で、(7時に運転を再開しているはずの)JRの運転が再開していない?!との言っていたので、多くの人が京成(八幡)に。
お蔭で、入場規制されていたので、歩いて東隣の鬼越に行きました。

外は穏やかな天気。
とても大地震が遭った後とは思えぬ落ち着きと静けさでしたが・・・やってきた京成は八千代台どまりで超満員。
なので、一本乗り過ごし、次の電車・・・も同じでしたが、何とか乗車。

途中、JR駅と近い京成西船(旧葛飾)も入場規制が敷かれていて、西船橋駅方面に、長い行列ができていました。
けど、やってくる京成は6両編成。

ええ、到底カバーしきれません。
一駅ずらして正解でした。。。

途中、船橋で一人、京成津田沼で一人と別れ、終点の八千代台までは一人で移動。
ここから代行バスによる振り替え輸送が待っていました。
しかし、道路の激しい混み具合を見ると、とてもとても帰り着ける予感がなかったので、歩いて帰る覚悟を決めていたら・・・なんと!幸運にも、待機中の電車が成田空港方面に急遽行くことに。
車内で待機していた乗務員も、駅長からその報を聞いて慌てて準備してました。

出発は、八千代台到着から20分ほどしてから。
最初は(京成)佐倉までだったんですが、出発前に成田空港まで行くことになり、大きなバックを持った外国人も、多く乗って着ました。

そして、職場を出て3時間ほど掛けて、自宅に帰り着きました。

帰ってから、テレビやネットで被災地域の状況を見ましたが、もう、言語を絶する光景ばかりです。。。
宮城には、多くの友人知人が住んでいますが、未だ詳しい状況が判りません。
まずはライフラインと救難物資の到着が待たれます。

ちなみに。
この日の夕刻、祖母が病没しました。
2年近く前から(老衰のためか)ただ意識のある状況だったんですが、とうとう。
日曜日は、葬儀の手配などを行いましたが、一式が、目の飛び出るような金額に、ただただ戸惑っています。

たまに、「葬儀費用がなかった」とかで捕まるケースを(報道で)見知っていますが、何だか、ちょっとその気持ちが窺い知れました。
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ただただ動揺する金曜日

2011年03月12日 | くない卿見聞記
地震発生時。
私は、同期と共に職場の一室(2階)で研修(筆記試験)中でした。

始めに揺れを感じた時。
いつものこと、直ぐに収まる・・・と、楽観視していました。
けど、その気配は全くなく、揺れは収まるどころからますます強くなる一方。
それも、今までに経験したことのないような強い揺れ。
それは、まるで遊園地のコーヒーカップに乗っているかのようにグルグルと、強く回るように揺れていました。
あまりの強さと、一向に収まらない揺れに、筆記は当然中断し、退室して屋外へと出ました。

そして同じく、各室、各棟に居た人が構内の一か所に集まってきました。

揺れはその後も暫く、2,3分は揺れていたのでは?!と思うほど、長く揺れていました。
また、実質的な揺れが収まったあとも、その感覚は脳裏から離れず、まるで船に乗っているかの様なそれは、暫く続きました。
ゆえに、その後も断続的に余震がありましたが、それが実際なのか感覚がもたらすものなのか、よく把握出来ない状況が暫く続きました。

実質的な揺れが収まるのが確認できると、順次、総務の指示で男性職員が一斉に構内の点検と状況確認に。
私も一棟の確認に向かいましたが、構内各棟同様、エレベータは停止。
中には誰も乗っていなかったのでよかったですが、各棟内とも、特に上の階へ行けば行くほど被害は大きく、書棚の本は散乱し、書棚や机の棚などが落ちてたり傾いていたり。。。
昨春成った新棟は、地震の揺れを揺れで逃す免震構造になっているんですが、そのお蔭で、上階では立っていられないほどだったそうです。
また、職場柄書籍庫もあるんですが、ほぼ全ての書棚から本が落下。
足の踏み場がないほどになっているとかで、封鎖になりました。
つい先日、蔵書点検をしたばかりなのに・・・と、担当者たちはみな苦笑気味でした。。。

その最中、トップがどこで聞いたか「6mの津波が来る」と発言。
そんな馬鹿な・・・と思っていたら、ワンセグでテレビ中継を見た人から「仙台駅が大変なことになっている」とも発言。
その人に下に寄って見てみると、深刻そうな状況がそこには映し出されていました。

あの大きな揺れで、「ついに関東大震災の再来か?!」と思っていたんですが、予想外に、震源は三陸沖とか。
しかも、つい先日強震があったばかり。
そのお見舞いのメールを、彼の地に住む人々に送ったばかりなのに・・・。
守衛所のテレビでも状況を確認しましたが、もう、ただただ驚くばかりでした。

地震時、職場構内には職員以外にも、100名以上のお客さんがいらしたんですが、皆さん、一様に動揺。
構内の状況確認と合わせて、周囲の状況確認に。
私は最寄の地下鉄駅へ行ってみたら・・・止まってました。
駅員さん曰く「区間を端から端まで点検するので、運転再開までには相当時間が掛かる見込み」とのこと。
その旨を、帰って総務次長へ報告。
それを受けて、総務から職員は順次持ち場に、お客さんも順次食堂へ移動。

私たちも、研修を中断して持ち場へ帰って通常業務に戻りましたが、刻々と知る被害状況にただただ驚くばかり。
そして、首都圏の交通網も軒並みアウト!ととなり、私は帰宅困難者に。。。

定時を過ぎ、総務から「帰れる人は帰るように」と指示が出されて、各々帰路に。
中には埼玉の浦和まで、歩いて帰るツワモノ(女性)も。
また、小さい子がいる課内の新人女性さんには、自転車で通勤した(課内の)人から自転車の提供が。
最初は遠慮していましたが、電車の運転再開がいつか判らない状況ではいつ帰れるかも判らないので、確かに危ないけど、本人の心中も察して帰ることを勧めて自転車で。
23区北部から、渋谷や代官山を抜けて大田の雪谷辺りまで、自転車で帰路に着きました。

それから、帰宅困難となったお客さんへの非常食と毛布の提供を行ったり、自分の帰宅を含めた種々情報収集に。

その間、構外は...
全ての公共交通機関がアウトなので、歩いて帰る人で歩道はいっぱい。
道路も大渋滞していました。

避難訓練の一環で見る“帰宅難民”の光景を、まさか目の当たりにするとは、予想だにもしていませんでした。

時は刻々と進むのに、交通機関の復旧の目途は一向に立たず。
唯一動いてバスも、人が殺到してギュウギュウなのと、道が大渋滞をしているので期待薄。

その後、都営地下鉄が22時前に運転を再開しましたが、もう、その時間までになると諦めが。。。
途中で足止めを受ける心配をするよりは、返って、多くの人といる方が楽しくて安心感もあるので、結局、職場で一夜を明かしました。

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ヒーリングヴィラ印西、最低。

2011年02月12日 | くない卿見聞記
あと10日もすると、また一つ歳を重ねます。
その前に、(少し前から)日課ならぬ歳課としていることがあります。
それは...
デトックス
...です(笑)
えっ?!何か。
尤も、初めは一歳の労苦を労い、さっぱりしたカラダで新歳を迎えよう!という意味合いから始めたんですが、ここ最近、徐々に徐々に体重が増えてきたので、それに対する策として・・・という意味合いの方が強くなってきました。
そこで行ったのが、件の施設
私は、地元駅近くのスーパー銭湯の会員になっていて、以前はここにちょくちょく通っていたんですが...
いま話題の麦飯石のサウナの他にもいろいろとあるここに、今歳の禊をしに行きました(笑)

ただ一つ、ここの施設には大きな問題があります。
それは...
行くと、必ず設備の何かが壊れています。
昨夜行く以前に2回、ここに行ってますが、一度もフル設備で利用したことがありません。
そして、昨夜もやっぱり、トータルで・・・7設備程に不具合がありました。

入館順に、箇条書きにして挙げると以下の通り...
▽麦飯石蒸気サウナ内のシャワー
▽個室シャワー
▽洗い場のシャワー
・・・蛇口とシャワーの出水時間が逆
・・・シャワーの繋ぎ目から水漏れ、それも勢いよく(苦笑)
▽ヒーリング風呂の看板がない
・・・循環なのかかけ流しなのか、判りません。
▽ガゼボ風呂なる壺風呂
・・・3個中2個は完全故障。
   1個は立湯から取水して運用。
   機械、露骨に出てます(苦笑)
   ガボガボうるさいです。気分害します。触って怪我したらどうなるんでしょう。注意喚起?!そんなもんありません
▽アロマ風呂
・・・以前から運用が中途半端でしたが、今回、遂に運用停止に(苦笑)
▼歩行湯
(▽は男湯内、各▽の画像はコチラから。)

よくもまぁ、これだけ不具合があって営業できるな・・・と、ある意味その根性に天晴!を上げたいですよ、全く(苦笑)

歩行湯の不具合については、店の入口に“看板”が出てましたから承知はしていましたが、他の、特に風呂系の2つの不具合は、中に入ってから知りました。
それってどうなんでしょう?!
ここ、営業を始めてからまだ5年しか経ってないんですけど...
温泉の管理、運用はそんなに難しいものなんでしょうか。
HPには、渋谷松濤の温泉施設爆発事故を想定させる「安全宣言」は載ってますが、その他には何も。
つい最近、職場で種々研修を受けたばかりなので、余計に、この店(企業)の体質が気になります。

麦飯石や岩塩やマグマやサンゴのサウナで汗ダッラダラ掻きながら、この点がとっても気になって...
即ち、店が100%の提供をしていないのに客が100%で返す=利用料全額必要あるのか?!と。
そう考えていたら、どんどんと、何だか腹立たしくなってきて(オイ)
帰りの会計時にガツン!と言ってやろうと、意気盛んに行ったら...
とってもきれいで可愛らしい女性に応対されました♪
・・・え?!あっ、もう、そんなことどうでもよくなりました(マテ)

そう、結局、一番最低なのは私なのかもしれません...

いや、だってとってもきれいで静かで可愛らしい方だったもんで...
えっ、応対したのが男だったら言ってたかって?!
それはもちろん、時と場合によります...。

まぁ、サウナ各種を満喫したからよしとしますか...(マテ)。

※ヒーリングヴィラ印西は、調布の深大寺温泉と同じ会社が運営しています。
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私は「お客様」

2011年01月06日 | くない卿見聞記
年末年始の休み。
昨日か一昨日までって人が多いと思いますが、私は(今年)今日まで。
この貴重な平日休みを利用して、車と税金関係の手続きをすべく、管轄の警察署陸運局(関東運輸局千葉支局)へ行きました。
しかし、申請やら手続きってのは時間が掛かるもの。
そこで、時間は有効的に,なるべく午前中に終わらせたい!と思ったので、朝一から行動開始。

まずは、陸運局の申請で必要なを受取に所轄の警察署へ。
着いたのは10時前だったんですが、狭いとはいえ、駐車場は満杯。
仕方がないので、枠外の空いているスペースに駐車して署内へ(^^ゞ
・・・止めた付近を何人もの警察官が通りましたが、何にも言われませんでした。
私は、なーんにもやましいことも、スネに傷もないので堂々と入り(笑)
トイレまで借りて帰ってきましたが、結果的に言えば、ここが一番素っ気ない対応でした(苦笑)
窓口の警察官は20代か、眉毛をシュッと整えていて、今風のヤンチャ系な雰囲気。
制服着てなければ職質されるじゃないか・・・っ感じです(笑)
尤も、これはあくまでも見た目ですが...。
年末に行った発行手続きの時は、なんだメンドイ気を感じて、若干感じが悪かったんですが、今日の受取はあっさり。
30秒も掛からずに終了しました。

まぁ、それはそれでよかったんですが...
この後、ここから20キロ程離れた県都美浜区の陸運局へ。
国道のボトルネックもスイスイと、ナビの到着予想時間通りに到着し、とりあえず目の前の建物へ。
一応、行おうとした手続きの“窓口手順”の案内はありましたが、「聞くは一時の恥」なので、どうしたらいいのかを受付的なカウンターで尋ねると...
「行う手続きは、お客様のケース毎にいろいろと手順が違いますので、ご案内します。」
...と言うと、書類の記入方法から行く窓口や手順まで、とっても懇切丁寧に教えていただきました

おかげで、とてもスムーズに手続きを完了させることが出来ました
まぁ、出納部が別棟にあり、手数料以外にも申請用のマークシートに20円掛かったのには、ちょい苦笑ですが。

この後(最後)、県税事務所でも手続きが必要だったので、(出納部と同じ)向かいの建物(の窓口)へ行きましたが、ここもまた対応が丁寧
まぁ、陸運局に比べれば、多少愛想がなかったですが(^^ゞ
記入すべき項目を明確にしていただき、ここでの手続きも順調に済みました。
(最終的な)目当ての手続きは、地元の県民センター(旧支庁)へ行かなければならないと思っていたので、思いがけずもここで出来て、いやぁ、よかったです。
このあと、ここに印鑑を忘れてしまったんですが、すぐに連絡が着て取りに行ったんですが、ここでの受渡しもスムーズで、何のストレスも感じずに終わりました。

行く前は、先にも書きましたがメンドく感じ、時間が掛かるだのと心配していたんですが、結果はあっけなく、警察以外はとても順調に、かつストレスなく終わりました。

陸運局で申請書類を書いているとき、私のサインをすべき欄を案内くださる時に...
「お客様」
...って表現を使っていたのが、ちょい印象に残りました。
あと、所内のテレビが東京消防庁の出初式の中継放送だったのも、加えてちょい印象に。

私も、同じように窓口に立つことのある事務仕事なので、ちょい、勉強になりました(笑)

ただ...
同じ陸運局の敷地内に国の出先機関(関東運輸局千葉運輸支局)と県の出先機関(県税事務所)が目と鼻の先の建物に別々に入っているのには・・・うん、まぁ・・・なるほど!って、思いました。
ちなみに、国と県では窓口業務時間が異なっており、国は昼に窓口を休むんですが、県は常時開いてました。
だからか、お昼は交代で行くようで、私が県税事務所で申請中も、お昼の話題で持ち切りでした(笑)

なお、帰り。
行先案内板を参考に、ナビはもとより、Googleマップにも載ってないへ。
最近開通した、美浜新港と国道16号線の穴川十字路を結ぶ道なんですが、大渋滞にド嵌まり。
原因は故障車が止まっていた為だったんですが、30分で1キロ程度しか進まない状態に辟易しました。。。
何せ、印鑑を取りに県税事務所へ戻るべく、Uターンして元来た道(反対車線)を走ったら、通過にわずか3分(苦笑)
だから勿論、仕切り直しの帰路は、迂回して帰ったら、同じ時間で家の近くまで行けました(爆)

あっ、そうだ。
陸運局で働く人の中に、「非常勤職員」の名札を下げている人が。
・・・いや、名前もなく、ただそれだけしか書いていないので、何もそんなに強調しなくても・・・って、思ったまでで(^^ゞ
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文化に奔る一週間

2010年11月03日 | くない卿見聞記
文化の日は当番で出勤ですが、それ以外はお休みの今週(^^ゞ
業務上、毎年この時季は休みになるので、これ幸いにと(ほぼ毎秋)上洛していました。
折り良く同じ頃に京都御所の一般参観と(財)京都古文化保存協会主催の非公開文化財特別公開が行われるので、普段以上に有意義で見所満載の充実した洛中巡覧が出来ます。
ただ、今年は京都御所の一般公開が例年より10日以上も遅くなり、特別公開も、あまり・・・な感じなので、上洛計画は取りやめました。
尤も、弥生と水無月に、幾分消化不良なところもありますが、上洛して巡覧したので(^^ゞ
ただ、休みを無為に過ごすのは勿体無い!ので、今年は(業務上の勉強も兼ねて)博物館・美術館を巡ることとしました。

ウチで取っている読売夕刊の火曜日に載っている主な博物館や美術館での企画展開催情報や、先日訪れた庭園美術館等で情報を収集し、一番「おっ!♪」と思ったのが...

◇南青山-根津美術館南宋の青磁
日本史に纏わる企画展でも見られる青磁には、何とも言えぬ美しさがあります。
あの柔らかな色合いと輝きは、観る者を魅了しますが、それが一同に会している!と聞けば、行かずばなりません!!
最近装いも新たになったと聞いていますので、是非ともこの機に行って見たいと思います。
ちょい入館料がお高いですが、それも授業料として考えて(^^ゞ

これは、先日話題に上がったんですが...
博物館の認知度を調べたところ、20~30代で僅か2割程度だったそうです。
10人居たら、7,8人は近隣から世間一般に至るまで、博物館の存在を知らない・・・と言うんです。
俄かには信じ難い情報でしたが、現に入館数が余り増えずに存立の危機に立たされている博物館も少なからずあります。
ですから皆さん!
博物館や美術館へ行きましょう。

博物館や美術館は、あなたを含めた世間一般の関心に飢えています。
堕落していた元政権与党の連中の無為無策のお蔭で行政の財政状況が火の車状態で、そのしわ寄せはこうした博物館等の予算削減などに反映しています。
事業仕上げなど行えは、槍玉に上がるのは必死なんです。

ですから皆さん!
大事なことなので2度言いますが、博物館や美術館などへ足を運んでください。

なお、私はこの他にも...
両国-江戸東京博物館隅田川」「徳川御三卿
地元-国立歴史民俗博物館武士とはなにか

...などなどです。
この他にも、暇を見つけたら(別のところへ)言ってみたいと思います。
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渋谷→代官山経由→目黒(庭園美術館)

2010年11月01日 | くない卿見聞記
歩きました。
およそ3.5キロの道程です。
動機は極めて単純に・・・交通費の節約です(笑)
けど、それだけではなく、真直ぐ目的地へ行くのはつまらないし勿体無いし、あまり最近運動らしい運動もしていないので(^^ゞ
ちょっといい機会かな?!と思って、歩いてみました。

スタートの渋谷を発ったのは13時15分頃。
その30分前には着いていて、マークシティー脇にケータイショップにケータイを預けて充電をし、ハンズLOFTを巡ってから、満充電の頃を見計らってケータイを取り、向かいました。

経由地1の代官山まではおよそ1キロ。
渋谷駅西口に在る歩道橋を使って玉川通り(R246)を越え、3本在る路地の1つに入ると早々に傾斜のきつい坂を迎えます。
渋“谷”と言う地名が表す様に、東西の丘陵の谷地の様なところに渋谷駅は在ります。
南北(恵比寿方面/代々木方面)は、比較的平地が続いていますが、東西は(表参道方面/池尻方面)は坂になっていて、特に象徴的なのが井の頭線渋谷駅脇で、足腰を鍛えるには最適なくらいの坂があります。
どうやら、西側には街が拓かれる以前は急峻な谷か崖だったのかも・・・しれません。

そんなことをちょっと考えながら、鈍った体を叱咤激励し(^^ゞ
カントのきつい坂を越えるとはあとは比較的平坦な道のり。
多少の高低差はありますが、大したことはありません。
玉川通りの北側の喧騒とは全く違い、静かで落ち着きのある住宅街を歩くこと20分ほどで、代官山に着きます。

渋谷から目黒へ向かう途中、ここを経由したのは...
今月一杯で(移転の為に)閉店する【天正記】に立寄りたかったためです。

閉店間際、何かよいモノがお手頃価格で手に入らないかな・・・と思って(^^ゞ

ここに来るのは久しぶり。
華々しく行われた開店後も、1,2度訪れてはいるんですが...
思い起こせばおよそ1年前。
開店セレモニーは、それはそれは賑々しかったです。
関東の武者衆のみならず、関西からも武者が駆け付け、店内に入りきれないお客さんが廊下にも溢れていました。

・・・が、この日この時は如何せん、お客さんが(--ゞ
店に入るだけで入らざる緊張をしてしまっては意味が無いので、ここは一旦仕切り直しで、天正記を訪れた人々が異口同音「美味い美味い!」というレストランで食事を取ろうと見てみました。

けど...
念頭にあったスペアリブは2,000円・・・?!
確か、ディスプレイには4本くらい乗っていて、味も4種類くらいありましたが・・・?!

はしがない中の下のサラリーマンです。
こんなブルジョア的な食事は取れませんので、恵比寿のうまーいラーメン屋にでも行こう!・・・と思ったら、「水炊き専門店がラーメン作っちゃいました」的なポスターを発見。
頭と口の中がラーメンを欲していたので、これ幸いにと、入りました。
そこは、ビルの端っこ。

外装の黒壁が落ち着きすぎて、あえて探さないと見付からない・・・と思うほど地味で目立たない博多水炊き専門店【蟻月】です。
この手の系統で有名なのが木場にあるお店
一度はこのタイプのが食べたい!と思い、入りました。

暖簾を潜り、独りと告げて通されたのは半個室のテーブル席。
この店は水炊き=鍋料理専門店なので、このタイプの席しかないようです。
広々とした席に座り、すぐさま「ラーメン」を頼んで待つこと5分ほど。

運ばれてきたそれは、鶏から取れダシたっぷりの白湯です。
まずは一口目、スープから。

見た目は濃い印象だったんですが、サッパリしていてとてもまろやかで、旨みも十分で体に優しい感じがします。
続いて麺ですが...

細麺のストレートで、茹で加減は・・・少し固めでした。
それが麺の性質上のモノかはちょい分かりませんでしたが、美味しかったことは間違いないです。
具は、水炊き専門店らしく蒸した鶏肉です。
付け合せの白髪ねぎやゆで卵と共に頂きましたが、とても美味しかったです。
ただ、惜しむらくは席に爪楊枝しかなかったこと。
美味しいんですが、もう一つ、アクセントが欲しかったです。
オーソドックスなのがコショウですが、変化球として、唐辛子かゆず、もしくはゆずコショウがあると、格段に美味さが増す!と思うんですが...。
ちなみに、ご飯も一緒に頼んで、時折それを浸してお茶漬け風もしくは雑炊もどきにして食べましたが、私的には目論見通り、成功でした!

さて、満足いく食事が取れたので、いざ!目黒へ・・・向かう前に、折り良くお客さんの入った【天正記】に(便乗して)入り、ちらっと見てからここを発ちました。
ちなみに、この向かいは相変わらず工事中だったんですが...。

目黒まで、代官山からだと2.0キロ。
およそ30分ほどの道程です。
代官山駅を越えて南側へ出ると、閑静な住宅街に入ります。
ここからは、しっかりと充電をしたケータイで地図サイトを検索し、それを頼りに進みます。
ただ、地図サイト(平面上)だと随分遠くに感じた場所も意外と近くにあり、入るポイントや曲がるポイントを危うく間違えそうになりましたが(^^ゞ
ビル名や番地などを頼りに、何とか向かうことが出来ました。

代官山の閑静な住宅街を抜け、一時駒沢通りに出て恵比寿方面に向かって歩くも、再び小道にそれて再び住宅街に。
山手線の一応外側。
後で経路を確認してみましたが、位置的には目黒と中目黒の間を進んでいたようです。

駒沢通りを離れて、バスも通る閑静な住宅街の道を進むと、江戸時代の道祖神と道標がありました。
史跡案内板には読み下しもありましたが、200年以上前もここを歩いていた人が居たのか・・・と思うと、ちょい、ワクワクします(笑)
そして、ここから少し進むと・・・防衛省の施設群が行き着きました。
技術研究本部です。
この日は日曜だったから、衛士も居らず、厳つい感じは全く無く、住宅地の中に何気なくある施設(工場)ぐらいにしか感じませんでしたが、ここにはこのほかにも、艦艇装備研究所、官舎に陸自と空自の駐屯地まで在りました。
恵比寿駅から歩いてすぐのところに、これだけの施設が在ったのは、意外でした。
途中には、江戸期の道祖神と道標や、防衛省技術研究本部、艦艇装備研究所に官舎から陸自と空自の駐屯地まで在ったのは意外でした。

ここから先、路地を抜け出て通り出ると、江戸開府の遥か昔から鎮座まします小さな御社(三田春日神社)に、山手線から見える赤丸が目印の日の丸自動車(教習所)のビルの前には、江戸時代に「三田上水」なる水路があったことを示す史跡板もありました。
東京の街の拡大と高度経済成長の中、私が生まれる頃には役目を終えてしまったそうです...。
こういうのを見るたびに、いまの東京は史跡的にはホントにつまらない街だな・・・と思います。

さて、そんなこんなと寄り道をしていたら、この時の私的なリミットが迫っていて、日の丸自動車の前辺りから幾分早足で、経由地2の目黒駅まで向かいました。。。
時間があったら、江戸三大大火の一つ、目黒行人坂の大火(明和9年)の火元であった大円寺や雅叙園に立寄りたかったんですが・・・目黒駅に着いたら進路を東に、目黒通りを進んで庭園美術館へと向かいました。

目黒駅からここまでは、およそ500mほど。
目黒通りと外苑西通りが交差するところに、それは在ります。

ここは、埼玉県朝霞市の名の由来にもなった朝香宮鳩彦王(佐幕派として廟堂で活躍した中川宮朝彦親王の第8王子/香淳皇后の叔父)の邸宅跡で、その御邸の中でこの時絶賛開催中の企画展「香水瓶の世界」展を観るために来ました。

しかし、中に入る前からして、立派な御邸です。

きちんと車寄せもあります。

メイドやバトラーが一列に並んで...
「行ってらっしゃいませ、ご主人様(殿下)」
「お帰りなさいませ、ご主人様(殿下)」
...と言っている光景が、目に浮かびます。

あ~ぁ...

そんな妄想は一応置いておいて、いざ!中へ「ご主人様」(笑)

外観以上に、内観は更に立派。
写真撮影できないのが残念ですが、とても落ち着いた雰囲気で実にいいです。
各室には、覚えている中では500年くらい前の香水瓶から、今上陛下の御即位を祝して献納されたドデカイ香水瓶まで展示されていました。
年代を追う毎に精巧さが増してくるのは当たり前で、近年のはさすが・・・と嘆息してしまうほど立派でしたが、それよりも、私的には19世紀の瓶がとても秀逸に感じました。
技巧は勿論、一番印象的だったのは「青」い色付けがされた瓶です。
それは、一瞬でも印象に残り、思わず引き返してマジマジと見てしまうほど、綺麗で魅力的な瓶でした。。。

展示されている香水瓶の中には、まだ残っているものが多数あり、「瓶」の展示ですが、できれば香りも楽しみたかったです。

一通り展示と御邸を巡ったあと、お庭へ出てみました。
この日は生憎の曇天で、時折冷たい風が吹いて寒かったですが...
この沈鬱な雰囲気、私は結構好きです。

ただ、ここの場合は・・・幹線道路に面しているため騒音が気になったのは、残念でした。。。

庭園内をぐるっと散策したあと、幾分冷えた体と癒し暖めるべく、園の入口に在るカフェでちょっと一休み。
お庭も眺められる淡い乳白色の明かりがいいここで、私が頼んだ「焼きくだもの」です(笑)
文字通り、固形燃料でキウイやバナナにリンゴを焼いていただきます。

聞けば一瞬「えっ?!」と思うかもしれませんが、これ、結構美味しかったです。
上に乗っていたカスタードクリームが溶けて混ざり合い、まろやかさが増して美味しかったです。
セットにして頼むと、飲み物が選べるので、私はお茶(落雁付き)にしました。

ただ、ちょっと量が少ないので、ここは紅茶がベターかな?!と、注文した後に気が着きました。

渋谷から代官山、恵比寿までは何度か歩いたことがありますが、目黒までは初めてでした。
けど、結構面白かったです。
天気も曇天で、程よい気温が余計に歩きやすかったです。

また今度、歩くの結構好きなんで、どこかを歩いてみようと思います(笑)
コメント
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