あの日、空は一面雲に覆われていました。
薄日も射さず、風の冷たい日でした。
あれから1年。
地震が起きた時と同じ、金曜日。
関東は、あの時と同じく、一面雲に覆われていて、冷たい雨が降り続いていました。
そして11日も、あの時と似て、空には多くの雲が浮かんでいました。
薄日が僅かに射す、肌寒い1日でした。
あの時私は、職場の一室で研修中でした。
次第に強まる地震に、比較的私は冷静でした。
どうせ、直ぐに収まるだろう・・・と。
しかし、その後の混乱と現実は、今もなお、はっきりと記憶しています。
それこそ、昨日のことのようにはっきりと、、、。
これを記している時分のちょうど1年前は、帰路が断たれて職場に居残った人々と、断続的に続く余震と、刻々と入る信じ難い情報に、ただただ茫然としていました。
そして、、、
今年の3月11日14時46分頃、私は北隣の街のショッピングモールにいました。
館内には、アナウンスで黙とうの呼び掛けがありました。
ちょっと、段取りがイマイチだったのは残念でしたが、歩きを止めて、暫し黙とうを奉げました。
そこに様々な思いを込め、奉げました。
黙とうを捧げたのは、勿論、私のみならず。
周りでも、多くの人が黙とうを捧げていました。
職場は、震災後に様々な被災地域支援を行っています。
私も、僅かならそれに助力しています。
東北は、私的にも思入れの強い地域。
元の通りではなく、元以上の復活復興を遂げられることを、強く、強く願います。
しかし、その障害として立ちはだかっているのが、がれきだと聞きました。
その処分を巡って、他の地域で反対運動が起こっているようです。
特に今アツイのが神奈川の横須賀。
「県内の産廃以外は持ち込まない」条件で作られた産廃処分場に、宮城の震災がれきを持ち込むことに対して反対しているようです。
原則は尤もですが、ここは・・・・・・はと、私的には思います。
我が街にそれが来ることになれば、どうするか?!
私は勿論、賛成したいと思います。
ただ、前々から思っているのですが、あれを、土地の嵩上げや防潮築堤の資材として使えないのか・・・な?!ということ。
あのがれきの定義上、いろいろな法的な拘束がある・・・とも聞きましたが、少々安直かもしれませんが、そうすれば、有効活用になる・・・と思うのは、私だけなのでしょうか。。。
ところで。
職場には先日、所管官庁から弔旗と黙とうの協力要請(通達)がありました。
そこには、以下の様な文章が付けられていました。
---------------
弔旗掲揚については、「大喪中ノ国旗掲揚ノ件」(大正元年7月30日閣令第1号)に準拠し、竿球は黒布をもって覆い、旗竿の上部は黒布を付することとする、が、弔旗として半旗掲揚の慣行のあるところでは、それに従ってもよい。
---------------
これは、明治天皇の崩御を受けて発令されたものですが、半旗以外に、こうした作法があったことは、正直、知りませんでした。
ゆえに、その一文を記録してここに掲載しました。
しかも、ちょうど今から100年も前に発令された閣令(現在の内閣府令に相当)が、今もなお、政府通達に引用されていることに、驚きました。
薄日も射さず、風の冷たい日でした。
あれから1年。
地震が起きた時と同じ、金曜日。
関東は、あの時と同じく、一面雲に覆われていて、冷たい雨が降り続いていました。
そして11日も、あの時と似て、空には多くの雲が浮かんでいました。
薄日が僅かに射す、肌寒い1日でした。
あの時私は、職場の一室で研修中でした。
次第に強まる地震に、比較的私は冷静でした。
どうせ、直ぐに収まるだろう・・・と。
しかし、その後の混乱と現実は、今もなお、はっきりと記憶しています。
それこそ、昨日のことのようにはっきりと、、、。
これを記している時分のちょうど1年前は、帰路が断たれて職場に居残った人々と、断続的に続く余震と、刻々と入る信じ難い情報に、ただただ茫然としていました。
そして、、、
今年の3月11日14時46分頃、私は北隣の街のショッピングモールにいました。
館内には、アナウンスで黙とうの呼び掛けがありました。
ちょっと、段取りがイマイチだったのは残念でしたが、歩きを止めて、暫し黙とうを奉げました。
そこに様々な思いを込め、奉げました。
黙とうを捧げたのは、勿論、私のみならず。
周りでも、多くの人が黙とうを捧げていました。
職場は、震災後に様々な被災地域支援を行っています。
私も、僅かならそれに助力しています。
東北は、私的にも思入れの強い地域。
元の通りではなく、元以上の復活復興を遂げられることを、強く、強く願います。
しかし、その障害として立ちはだかっているのが、がれきだと聞きました。
その処分を巡って、他の地域で反対運動が起こっているようです。
特に今アツイのが神奈川の横須賀。
「県内の産廃以外は持ち込まない」条件で作られた産廃処分場に、宮城の震災がれきを持ち込むことに対して反対しているようです。
原則は尤もですが、ここは・・・・・・はと、私的には思います。
我が街にそれが来ることになれば、どうするか?!
私は勿論、賛成したいと思います。
ただ、前々から思っているのですが、あれを、土地の嵩上げや防潮築堤の資材として使えないのか・・・な?!ということ。
あのがれきの定義上、いろいろな法的な拘束がある・・・とも聞きましたが、少々安直かもしれませんが、そうすれば、有効活用になる・・・と思うのは、私だけなのでしょうか。。。
ところで。
職場には先日、所管官庁から弔旗と黙とうの協力要請(通達)がありました。
そこには、以下の様な文章が付けられていました。
---------------
弔旗掲揚については、「大喪中ノ国旗掲揚ノ件」(大正元年7月30日閣令第1号)に準拠し、竿球は黒布をもって覆い、旗竿の上部は黒布を付することとする、が、弔旗として半旗掲揚の慣行のあるところでは、それに従ってもよい。
---------------
これは、明治天皇の崩御を受けて発令されたものですが、半旗以外に、こうした作法があったことは、正直、知りませんでした。
ゆえに、その一文を記録してここに掲載しました。
しかも、ちょうど今から100年も前に発令された閣令(現在の内閣府令に相当)が、今もなお、政府通達に引用されていることに、驚きました。
かねてから防波堤などに使えないものかと考えておりました。
廃棄物受け入れにしても同意見です。
早いものであれから一年。
でもたった一年で絆という言葉の力はだいぶ薄まってしまった気がします。
コメント、ありがとうございます。
同意見、恐れ入ります。
絆も、ブームの様な一過性に終わってしまのではないか・・・と、少々危惧しています。
何かと憂慮されるのは尤もかとは思いますが、今少し冷静に判断して・・・と、切に願うばかりです。。。