ちょっと前まで「敬老の日」だった9月15日。
愛知の豊橋で今年初めて挙行される時代祭(とよはし時代まつり)にお呼ばれされたので、参陣してきました。
当日の集合は午前10時なので、都内を朝5時半に出立。
祭友の方の車にご好意で同乗させていただき、東名道を突っ走って9時過ぎに豊橋に着きました。
都内や横浜までは多少混んでいて、心中(実はお互いに)3連休初日の大渋滞に巻き込まれるのでは・・・とヒヤヒヤしていましたが、次第にそれも無くなり、概ね順調に着きました。
方や、新東名は結構混んでいたそうで、新旧東名の流れが解って面白く、また参考になりました。
メイン会場の豊橋公園の端に車を止め、向こう端に在る市民館(今回の陣所)で着甲の手伝いと自分の身支度を整えてここを出立。
一歩外に出ると、暦の上では秋なのに、それには程遠い暑さが待ち構えていました、、、。
身支度を整え終えたのは10時半過ぎ。
行列は14時からなので、それまでは、、、
此度一緒に参陣された武者2人が、南奥の城下町の武将隊と関係があり、午前中は復興支援御礼を兼ねてステージに登壇。
そこに私も手伝いで登壇しました(^^ゞ
私に課せられたのは、縦長の大きな幟持ち。
先に参陣した仙台青葉まつりで間近に見て、こりゃすげー・・・と思ったものを、まさか自分が持つことになるとは思いもよらず(^^ゞ
10分程度でしょうか、時折強い風が吹く中何とか堪えて、任務を遂行しました。
前日のつぶやきで告知されたにも関わらず、会場には(私でも見覚えのある)ご贔屓さんが何人か来ていました。すごいですね、、、。
この後、参陣者一同に呼集が掛かり、その中から、私も含めて幾人かが呼ばれて移動しました。
任務は、ズバリ宣伝。
フリマやテントブース、城下へ出向いてチラシを配り、愛想を振りまいて宣伝してきました(笑)v
そして、その序に昼餉となりました。
場所は・・・弁当と聞いていたんですが、なぜか、連れてこられたのは調理師専門学校。
誘導のスタッフさんに誘われて中に入り、指示通り着席すると、豊橋及び東三河の特産を使った御膳3品が供されました。
全く以って、初めての経験です。
味は・・・決して悪くはありません。けど、そこは・・・調理師の卵たち。不器用で荒削りなところがあったのは否めません(^^ゞ
実習の一環なのでしょうが・・・自分の仕事柄、ふと自分の業務のことを思い出し、ちょい、他人事とは思えませんでした。
昼餉を兼ねて調理師専門学校で40分ほど休憩し、行列の出発地・松葉公園に移動しました。
出発地の松葉公園で、武者さん達と再開。
ここで昼餉の事情を交換してみると・・・他の皆さんは、同じ調理師専門学校生が作った弁当だったとか。
道理で続いて来なかったワケで、ここで昼餉を取ったのは、私含めて10名程度でしたから。。。
なぜ我々がその昼餉に与れたのかが不明なうちに、行列は、神輿2基を先頭に旧東海道を豊橋公園に向けて出発しました。
私は、当初の予定だと銅鑼持ち・・・だったそうなんですが、着甲の手伝いをして振り返ってみると、残っていた装束は鉄砲武者のだけ・・・だったので、それを着て参陣。
神輿のすぐ後ろ、行列の先方として、銅鑼持ち武者さんの前に配されて進軍。
前後に配された銅鑼の調子に「(私が)銅鑼だったらフルボッコだ(笑)」というのを聞いて心中命拾いした・・・と思いながら、鉄砲持ちに徹し、途中、他の鉄砲持ちさん2人と一緒に、沿道でカメラを構えている人を撃つなどに興じて進みました。
中には、取材に来ていた地元テレビや中日新聞の(女性)記者さんも狙いましたが、中日さんは特に、こちらの期待する(驚きの)リアクションして、やった甲斐がありました(笑)
旧東海道吉田宿本陣近くの松葉公園を出発した行列は、途中、休憩と大小交わる道の信号に阻まれながら、2時間ほど掛けてか、豊橋公園に入り、ここで一旦休憩後、今行列の主人公・池田輝政公が馬上の人となって、僅かな距離ですが、吉田城鉄櫓下まで進み、ここで終了となりました。
この後、ここで記念撮影をして、多少遊んでから(笑)
武将隊と共に登壇したステージに移動して正式な解散となりました。
解散宣言後、三々五々陣所に。
方や武将隊(関係)のお2人は、贔屓の人々に取り囲まれていました。
時代祭で一番至福の、武装解除した後、暫し余韻に浸り・・・打ち上げの場へと移動しました。
打ち上げは、この日泊まる宿(【大黒屋旅館】)の大広間。
15人程の方々が集まって宴をしましたが、私(達)は、どっかと座った場所からほぼ一歩も動かず、仲間内で大盛り上がりしていました。
内容?!えーっと・・・思い出せません(^^ゞ
宴は2時間ほどで終了。
この後、祭と宴の余韻に暫し浸りつつ、、、
宿のご主人のご好意でいただいた蟹の沖漬けに武者振り付きながら、お話を聞いたりしていましたが、、、
実は、(気が付けば)起床後24時間以上も経過して、ちょい限界が近づいていて...(^^ゞ
同宿の祭友さんの助け舟もあって散会し、床に就きました。。。
けど、話の中身は興味深く、若干体がゆらゆらしていましたがしっかりと聞いていました。
今回が初めてだった「とよはし時代まつり」。
初めてにしては滞りなくいったのでは・・・と思いますが、ただ一つ、地元警察がこうした警備(計画)に慣れていないのか、チグハグな面が目目立ちました。
例えば、警官通しの連携が巧くいっておらず、あーだこーだと若干もめているところが。。。
他にも、脇道から車が入ってきて、それを見付けた警官が必死で追っかけている・・・とか。
2回以降の開催となれば、ここは改善されている・・・と、期待している。
「復路」に進む|◆◆◆
※デジカメを持って行ったんですが、、、今回、画像は一切ありません。何分、ブログは想定していなかったので・・・いま思うと、痛恨事でした。
愛知の豊橋で今年初めて挙行される時代祭(とよはし時代まつり)にお呼ばれされたので、参陣してきました。
当日の集合は午前10時なので、都内を朝5時半に出立。
祭友の方の車にご好意で同乗させていただき、東名道を突っ走って9時過ぎに豊橋に着きました。
都内や横浜までは多少混んでいて、心中(実はお互いに)3連休初日の大渋滞に巻き込まれるのでは・・・とヒヤヒヤしていましたが、次第にそれも無くなり、概ね順調に着きました。
方や、新東名は結構混んでいたそうで、新旧東名の流れが解って面白く、また参考になりました。
メイン会場の豊橋公園の端に車を止め、向こう端に在る市民館(今回の陣所)で着甲の手伝いと自分の身支度を整えてここを出立。
一歩外に出ると、暦の上では秋なのに、それには程遠い暑さが待ち構えていました、、、。
身支度を整え終えたのは10時半過ぎ。
行列は14時からなので、それまでは、、、
此度一緒に参陣された武者2人が、南奥の城下町の武将隊と関係があり、午前中は復興支援御礼を兼ねてステージに登壇。
そこに私も手伝いで登壇しました(^^ゞ
私に課せられたのは、縦長の大きな幟持ち。
先に参陣した仙台青葉まつりで間近に見て、こりゃすげー・・・と思ったものを、まさか自分が持つことになるとは思いもよらず(^^ゞ
10分程度でしょうか、時折強い風が吹く中何とか堪えて、任務を遂行しました。
前日のつぶやきで告知されたにも関わらず、会場には(私でも見覚えのある)ご贔屓さんが何人か来ていました。すごいですね、、、。
この後、参陣者一同に呼集が掛かり、その中から、私も含めて幾人かが呼ばれて移動しました。
任務は、ズバリ宣伝。
フリマやテントブース、城下へ出向いてチラシを配り、愛想を振りまいて宣伝してきました(笑)v
そして、その序に昼餉となりました。
場所は・・・弁当と聞いていたんですが、なぜか、連れてこられたのは調理師専門学校。
誘導のスタッフさんに誘われて中に入り、指示通り着席すると、豊橋及び東三河の特産を使った御膳3品が供されました。
全く以って、初めての経験です。
味は・・・決して悪くはありません。けど、そこは・・・調理師の卵たち。不器用で荒削りなところがあったのは否めません(^^ゞ
実習の一環なのでしょうが・・・自分の仕事柄、ふと自分の業務のことを思い出し、ちょい、他人事とは思えませんでした。
昼餉を兼ねて調理師専門学校で40分ほど休憩し、行列の出発地・松葉公園に移動しました。
出発地の松葉公園で、武者さん達と再開。
ここで昼餉の事情を交換してみると・・・他の皆さんは、同じ調理師専門学校生が作った弁当だったとか。
道理で続いて来なかったワケで、ここで昼餉を取ったのは、私含めて10名程度でしたから。。。
なぜ我々がその昼餉に与れたのかが不明なうちに、行列は、神輿2基を先頭に旧東海道を豊橋公園に向けて出発しました。
私は、当初の予定だと銅鑼持ち・・・だったそうなんですが、着甲の手伝いをして振り返ってみると、残っていた装束は鉄砲武者のだけ・・・だったので、それを着て参陣。
神輿のすぐ後ろ、行列の先方として、銅鑼持ち武者さんの前に配されて進軍。
前後に配された銅鑼の調子に「(私が)銅鑼だったらフルボッコだ(笑)」というのを聞いて心中命拾いした・・・と思いながら、鉄砲持ちに徹し、途中、他の鉄砲持ちさん2人と一緒に、沿道でカメラを構えている人を撃つなどに興じて進みました。
中には、取材に来ていた地元テレビや中日新聞の(女性)記者さんも狙いましたが、中日さんは特に、こちらの期待する(驚きの)リアクションして、やった甲斐がありました(笑)
旧東海道吉田宿本陣近くの松葉公園を出発した行列は、途中、休憩と大小交わる道の信号に阻まれながら、2時間ほど掛けてか、豊橋公園に入り、ここで一旦休憩後、今行列の主人公・池田輝政公が馬上の人となって、僅かな距離ですが、吉田城鉄櫓下まで進み、ここで終了となりました。
この後、ここで記念撮影をして、多少遊んでから(笑)
武将隊と共に登壇したステージに移動して正式な解散となりました。
解散宣言後、三々五々陣所に。
方や武将隊(関係)のお2人は、贔屓の人々に取り囲まれていました。
時代祭で一番至福の、武装解除した後、暫し余韻に浸り・・・打ち上げの場へと移動しました。
打ち上げは、この日泊まる宿(【大黒屋旅館】)の大広間。
15人程の方々が集まって宴をしましたが、私(達)は、どっかと座った場所からほぼ一歩も動かず、仲間内で大盛り上がりしていました。
内容?!えーっと・・・思い出せません(^^ゞ
宴は2時間ほどで終了。
この後、祭と宴の余韻に暫し浸りつつ、、、
宿のご主人のご好意でいただいた蟹の沖漬けに武者振り付きながら、お話を聞いたりしていましたが、、、
実は、(気が付けば)起床後24時間以上も経過して、ちょい限界が近づいていて...(^^ゞ
同宿の祭友さんの助け舟もあって散会し、床に就きました。。。
けど、話の中身は興味深く、若干体がゆらゆらしていましたがしっかりと聞いていました。
今回が初めてだった「とよはし時代まつり」。
初めてにしては滞りなくいったのでは・・・と思いますが、ただ一つ、地元警察がこうした警備(計画)に慣れていないのか、チグハグな面が目目立ちました。
例えば、警官通しの連携が巧くいっておらず、あーだこーだと若干もめているところが。。。
他にも、脇道から車が入ってきて、それを見付けた警官が必死で追っかけている・・・とか。
2回以降の開催となれば、ここは改善されている・・・と、期待している。
「復路」に進む|◆◆◆
※デジカメを持って行ったんですが、、、今回、画像は一切ありません。何分、ブログは想定していなかったので・・・いま思うと、痛恨事でした。
ホントはもっとゆっくり吉田城を案内したかったんですが残念です。
宿ではお疲れの所、話好きな御亭主にお付き合いいただきありがとうございました〓
くないさんが鉄砲持ちになったのは運命だったに違いありません(笑)なんだか似合ってましたよ~
ありがとうございました!
コメント、ありがとございます。
スタッフさん達がキビキビと動いておられて、暑さ以外は(笑)
全く問題なかったと思いますよ。
宿の亭主の話、もう少し聞きたかったですね、、、。