武本比登志ポルトガルスケッチ&油彩

ポルトガル在住絵描きのポルトガル淡彩スケッチ日記と油彩

1781.礼拝堂とポルト・デ・モスの城

2019-07-18 15:08:49 | ポルトガル淡彩スケッチ

2019年7月18日(木曜日)快晴。30℃~15℃。降水確率0%。湿度81%(7:50)37%(15:05)。紫外線量10-9。北西の微風のち強風。久しぶりに朝から快晴。ベランダで風呂の湯沸かし。

『きょうのニュース』CGDのコミッション問題の報告書による査問委員会。ヴィゼウ近郊タブアソで昨夜山火事。ポルトガルの出産率は増加傾向。G7経済サミットにマリオ・センテノ経済相が出席。学校カバンの重さは11年生で7キロ。トラクターの横転事故などで29人が死亡。京都のアニメーションスタジオで火災29人が死亡、40人が火傷などの怪我。コンゴでエボラ出血熱勃発。トランプ大統領の人種差別問題を受けニューヨークでトランプ支持者集会。俳優ケビン・スペイシーのセックススキャンダル事件。イギリスの首相候補はボリス・ジョンソンが有力。ブラジルでランボルギーニなどスーパーカーの偽ブランド。70年の老朽化のポボア・デ・ヴァルジンの闘牛場再建論争。ガイアとポルトの間のドウロ川河口に白いイルカ。ファーロに2万7千人のバイク集結。アヴェイロで運河祭。映画「ライオンキング」の紹介。今後60地域で火災のリスク高まる。

『昨夜の映画』は

オリバー・ツイスト』(Oliver Twist)2005年。イギリス、チェコ、フランス、イタリア共同製作映画。128分。監督:ロマン・ポランスキーチャールズ・ディケンズの同名の小説をストーリーは原作と同じだが、原作の内容と比べて、オリバーを育てた泥棒のフェイギンと紳士のブラウンロー氏の、対照的な2人の愛情の狭間に揺れるオリバーの悲しい運命が描かれている。イギリスのある地方都市で、生き倒れになっていた若い女が救貧院に運ばれ、男の子を出産して間もなく死亡する。オリバー・ツイスト(バーニー・クラーク)と名付けられた孤児は、ここを管理する教区吏のバンブルからほかの孤児たちと同じように非人間的な扱いを受ける。ある日オリバーは、クジ引きでおかゆの「お代わりを下さい」と言ったために役人から危険視され、町のサワベリー氏の葬儀屋に売られる。ここでも徒弟のノア達からのいじめに耐え兼ね、夜逃げしてロンドンへ向かう。 ロンドンを放浪するうちにユダヤ人フェイギン(ベン・キングズレー)を頭とする窃盗団に無理矢理取り込まれたオリバーは、盗みをするよう仕込まれていく。ある日、仲間の少年たちと一緒に街中に出ているときに、仲間が書店で本を読む紳士の持ち物をすり、ただちに逃げた。見ているだけだったが逃げ遅れ、犯人と間違われて捕らえられたオリバーは、書店主の証言によって釈放され、スリの被害にあった紳士のブラウンロー氏(エドワード・ハードウィック)に引き取られる。この温かい一家でオリバーは幸福感に浸るが、フェイギンはオリバーから一味に危険が及ぶことを懸念し、お使いに出た彼を再び捕らえる。その後、フェイギンの仲間ビル・サイクス(ジェイミー・フォアマン)とともに盗みへ出かけることになったオリバーは、盗みに入る家に侵入する際に家人に気付かれて負傷し置き去りにされる。彼はその家の女主人メイリー夫人と養女のローズに介抱される。 一方、そのころモンクスという男が、オリバーに不利な情報をもってフェイギンに接近し、オリバーを悪に染めることを条件に多額の謝礼を約束する。オリバーに同情していたサイクスの情婦ナンシー(リアン・ロウ)は、オリバーをこの状況から助けようとローズに一味の巣窟を教えるが、それがためにサイクスに惨殺される。これが元で一味には警察が入り、フェイギンは捕らえられ絞首刑となり、サイクスは逃走の末事故死する。そして、モンクスはオリバーの異母兄で、私生児である弟を悪の道へ追いやって父の遺産を独り占めしようと画策していたこと、ローズはオリバーの母の妹で、オリバーとモンクスの父はブラウンロー氏の親友だったことが発覚する。かくしてオリバーは紳士ブラウンロー氏とともに幸せに暮らすことになった。 (Wikipediaより)

黄金のアデーレ 名画の帰還』(Woman in Gold)2015年。イギリス・アメリカの映画。 109分。グスタフ・クリムトが描いた「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」(通称:「黄金のアデーレ」)を巡る裁判の顛末をマリア・アルトマンの実体験を基に描いた映画である。1998年のロサンゼルスで、ルイーゼと言う老女の葬儀が行われていた。彼女の棺にはユダヤ教徒であることを示すダビデの星が飾られていた。葬儀の帰り、ルイーゼの妹マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)は、オーストリアから亡命して以来、家族ぐるみの付き合いがあるバーバラ・シェーンベルク(フランシス・フィッシャー)に弁護士の相談をする。彼女の息子ランディ(ライアン・レイノルズ)は若手の弁護士で大手弁護士事務所に就職が決まったばかりだったが、とりあえずマリアの説明を聞く。 オーストリアのフェルディナント・ブロッホ=バウアー(ヘンリー・グッドマン)は非常に裕福なユダヤ人の実業家で、妻アデーレ(アンチュ・トラウェ)をモデルにした肖像画「黄金のアデーレ」を所有していた。夫妻には子どもがなく、姪であるルイーゼとマリア姉妹は実の子のように可愛がられていた。ルイーゼの遺品である半世紀前の手紙から、オーストリアで始まった美術品の返還請求をできないかという相談だった。請求期限まで間が無く、ランディは一度は断るが、絵画の不可解な謎と1億ドルの価値を知ると、上司に掛け合い、渡欧を決める。祖国に戻ることを頑なに拒むマリアも翻意し、二人はウィーンへ向かう。 マリアは、美しい叔母アデーレ、芸術を愛する両親、歌手であるフリッツとの結婚、ナチスからの逃避行等、半世紀以上ぶりに見るウィーンの街に、思い出を重ねる。二人は、雑誌記者のフベルトゥスの協力を得て、遺言書を入手する。アデーレは「夫の死後、美術品をベルヴェデーレ美術館へ寄贈する」という遺言を残して1925年に病死。フェルディナントが死去したのも1945年だった。しかし「黄金のアデーレ」は1941年にナチスに収奪されて美術館に収蔵されていた。さらに、絵画の領収書から、その法的な所有者はフェルディナントであるとして、アデーレの遺言に効力はなく、フェルディナントの遺書に基づきマリアは絵画の返還を求めることが出来ることが判明する。 しかし、「黄金のアデーレ」はオーストリア共和国の宝として高い人気を誇り、オーストリア政府は美術品返還の大義名分とは裏腹に、マリアの請求を却下する。帰国の途上、マリアの思い出話から、自分の祖先がナチスの虐殺の犠牲になったことを改めて感じたランディは、金目当てで案件に取り組んだことを恥じ入る。 9か月後、ランディは書店でクリムトの絵画集を見つけて購入し、マリアを訪問する。オーストリア政府が米国内で商業活動を行ったことで、米国内からオーストリアに訴えを起こす条件が揃ったのだった。ランディは弁護士事務所を退職し、マリアを説得して訴訟を起こす。 さらに半年後、マリアは古い知人エスティ・ローダーの息子で元駐墺大使のロナルド・ローダーに呼び出され、「黄金のアデーレ」を彼のギャラリーに展示するため、裁判への協力の申し出を受ける。しかしマリアはそれを断り、ランディに訴訟を任せるのだった。そして米国の連邦最高裁は、マリアの請求を支持する判断する。そして4か月後、最高裁での裁判が決まり闘争はさらに続くのだった。 マリアが高齢であることから、ランディはオーストリア政府との和解を進めようとする。しかし不当な収奪を認めることを譲れないマリアは、ランディが進めようとしたウィーンでの和解調停に激しく抵抗し、ランディを解雇しようとする。結局、ウィーンにはランディのみが赴き、調停に取り組むはずが、調停の席にはマリアも現れる。ランディは、かつてオーストリアがナチスを支持し、不当な迫害を行った過去と向かい合うよう訴えかける。調停の合間に、フベルトゥスが二人に協力する理由を説明する。彼の父は熱烈なナチス党員であり、父の罪を贖うとともに、何故父がナチスに肩入れしたのか歴史に向かい合おうとしていたのだった。 最終的に、「黄金のアデーレ」を含む美術品がマリアに返還されることが発表され、歴史的な発表に拍手が巻き起こる。しかし、マリアは勝利しても心は晴れることなく、両親を残して亡命したことを悔い、涙を流す。しかし、両親との別れ際の会話を思い出すと、ローダーのギャラリーに絵画を預けることにし、未来へ歩みだす。 エンディングで、絵画、ランディ、そしてマリアのその後が紹介されるとともに、ナチスの収奪した10万点にも及ぶ美術品の多数が返還されていないことも示される。 若き日のマリア・アルトマン(タチアナ・マスラニー)。フレデリック“フリッツ”・アルトマン(マックス・アイアンズ)。 グスタフ・クリムトモーリッツ・ブライプトロイ)。(Wikipediaより)

黄金のアデーレ

 

 

「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1731-

https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/36acf48c9a63a21fc3b69a9ec13a11e8

 「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」1601-1730

https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/b408408b9cf00c0ed47003e1e5e84dc2

 

 

 


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