武本比登志ポルトガルスケッチ&油彩

ポルトガル在住絵描きのポルトガル淡彩スケッチ日記と油彩

1626.マルヴァオンの町角

2018-11-16 14:45:30 | ポルトガル淡彩スケッチ

2018年11月16日(金曜日)晴れのち快晴。22℃~9℃。降水確率0%。湿度98%(7:48)61%(14:40)。南東の微風。紫外線量3。夜中には暑くて毛布を剥がす。早朝には朝靄が立ち込め、トロイアが見えない程であったが、午後には晴れたものの全体に靄っぽい。そして温かい日。

スケッチに淡彩を施す。

『きょうのニュース』ブルーノ・カルバーリョ事件がトップ、アルコシェッテのアカデミア攻撃事件など99件にも及ぶ事件。セトゥーバル港湾労働者のストライキで8000台もの自動車が港出荷場に足止め。リスボンのリベルダーデ大通りで合同による大規模デモ。闘牛による税減。BEの副党首マリアナ・モルトアグアさんが住宅問題に言及。グアルダの河川汚染。カリフォルニア大火災で60人死亡更に600人?が行方不明?中米難民のアメリカへの道問題。イギリスのEU離脱問題。環境大臣がガリ―ニャとコンポスタで食料循環を提示。サッカー、ヨーロッパ、クロアチアはスペインに3対2で勝利。

『昨夜の映画』は

ミス・シェパードをお手本に』(The Lady in the Van)2015年。イギリスコメディ映画。 104分。監督:ニコラス・ハイトナー。イギリスの劇作家アラン・ベネットが、自身が体験した出来事を元に作成した舞台劇を、ベネット本人が脚本を務めて映画化。ロンドンのカムデン・タウンはグロスター・クレセント通り23番地に居を構える劇作家のベネットは、壊れかけのバンで寝泊まりするホームレスの老婆ミス・シェパード(マギー・スミス)を気にかけ、周囲の心配をよそに自宅の一角を提供した。 その結果、ミス・シェパードは15年もそこに居ついてしまい、ベネット(アレックス・ジェニングス)は彼女の偏屈さに振り回されつつも、その人生に興味を抱くようになった。他のキャスト:アンダーウッド警官(ジム・ブロードベントヴォーン・ウィリアムズ夫人フランシス・デ・ラ・トゥーア)(Wikipediaより)

ミス・シェパードをお手本に>のあらすじ

1970年、ロンドンのカムデン・タウン。ウェストエンドの劇作家をしているアラン・ベネットは、カムデン・タウンに手頃な物件を見つけ、その家を購入する。引越しの日、アランは“ミス・シェパード”と呼ばれているホームレスの老女に声をかけられる。彼女が寝泊まりしているボロボロのバンが、故障して動かなくなったらしい。彼女は“病気なんだ”とアランに泣きつき、車を押すよう命令する。この町の人々はミス・シェパードを寛容に受け入れており、自宅前の路上に彼女がバンを駐車しても、無理やり追い払うようなことはしない。町の人々は彼女に声をかけ、食べ物を差し入れしたりもする。しかし、ミス・シェパードは非常にプライドが高く気難しい女性で、嫌いなものは受け取らないし、低姿勢で感謝したりもしない。それどころか、気にくわないことがあると、遠慮なく文句を言って、自分の主張を通す。アランは、そんな彼女と町の人々の関係を、興味深く眺める。近所の女性の話によると、ミス・シェパードは元修道女で、戦争中には救急車の運転手をしていたらしい。しかし、彼女は本名や過去を語りたがらないので、誰も彼女について詳しいことは知らなかった。ある日、トイレを我慢できなくなったミス・シェパードが、アランの自宅に駆け込んでくる。彼女は勝手にトイレを使い、さっさと帰っていく。アランは文句も言えず、念入りにトイレ掃除をするのだった。それがきっかけとなり、ミス・シェパードは頻繁にトイレを借りにくるようになる。いつのまにか、アランは彼女の友達ということにされ、彼女の連絡先もアランの自宅になってしまう。アランは非常に迷惑だったが、作家として彼女に惹かれる部分もあり、なんとなく交流を続けていた。そんなある日、アランはミス・シェパードがフランス語を話せることを知る。彼女は、“35年前にフランスへ留学し、音楽を学んだ”と言葉少なに語る。しかし詳しい話は聞かせてくれなかった。ずっと路上駐車してきたミス・シェパードの車に、ついに行政から移動命令が出る。彼女は腹を立てていたが、行政の命令には従うしかない。彼女の存在を受け入れてきた町の人々も、自宅の敷地内に彼女の車を置くことはさすがに嫌がる。ある晩、ミス・シェパードの車に近づく不審な男性を目撃したアランは、自宅の2階から声をかけ、その男を追い払う。その男は、彼女を脅して金を巻き上げているようだった。他にも彼女の車にイタズラをする若者が現れたりし、アランは彼女を放っておけなくなる。そして、数ヶ月のつもりで、彼女の車を自宅前の駐車スペースに置くことを許可する。ミス・シェパードは、“他にもツテはある”と憎まれ口を叩きつつ、古いバンを処分して、寄付された新しいバンをアランの駐車場に停車させる。そして、機嫌よくそこに居座ってしまう。ロンドンへやってきたアランの母親は、ミス・シェパードがこのまま息子の家に転がり込むのではないかと心配し、施設に入れるべきだと文句を言う。母親は、彼女の放つ悪臭も嫌がっていた。安住の地を手に入れたミス・シェパードは、バンを黄色のペンキで塗りつぶし、お気に入りの装飾を施す。アランは呆れつつも、彼女の嬉しそうな笑顔を見ると、“出ていけ”とは言えない。同じ敷地内で暮らすようになり、アランは少しずつミス・シェパードのことがわかってくる。あの晩彼女を脅していた男は、彼女の過去の弱みを握っているらしく、ずっと嫌がらせを続けていた。そして彼女は、レコードをかけると決まって怒り出すのだった。その理由を尋ねると、彼女は修道女の見習いだった頃の話をする。彼女は指導係のシスターにピアノを禁止されたらしい。その話をするとき、彼女はとても悲しそうだった。月日は流れ、高齢になった母親は施設に入る。しかしミス・シェパードは、まだアランの駐車場に居座っており、どこからか三輪自動車まで手に入れてくる。アランは事故が心配で、彼女が三輪自動車を運転することに反対する。彼女はそれに反発し、アランは珍しく感情的になる。アランの中で、彼女と母親の姿が重なっていた。ミス・シェパードは車を運転し、時々どこかへ行ってしまう。彼女は海辺の町へ行き、知り合いらしき男性の家を訪ねていた。しかし、その男性の家には入れてもらえない。ミス・シェパードは車椅子を利用するようになっても、今の生活をやめようとしない。彼女は施設に入ることを極端に嫌がっていた。アランは彼女の意思を尊重し、汚物の後始末までしているというのに、社会福祉士から彼女の扱いについて注意を受ける。アランは非常に腹立たしかったが、社会福祉士はアランを彼女の介護者と認識していた。ミス・シェパードが居着いて15年の歳月が流れ、ついに彼女が福祉施設に行くことを承諾する。彼女は救急車に乗る前、アランに近親者の名前が書かれたメモを渡す。そして、“戻ってくるからね”と告げ、施設へ運ばれていく。アランは、そのメモを頼りに彼女の近親者の家を訪ねてみる。そこはあの海辺の町の家で、ミス・シェパードの弟夫婦が暮らしていた。弟は姉に幾らかの援助はしていたが、妻が偏屈な義理の姉を嫌っているので、家には入れないようにしていた。アランは弟から、ミス・シェパードの過去を聞かせてもらう。ミス・シェパードは、音楽祭でも演奏したことのあるピアニストで、留学先のフランスでは、高名なピアニストに弟子入りして修行を積んでいた。しかし、修道院で“神への忠誠を誓うならピアノをやめろ”と言われ、それに反発したため、修道院を追い出されてしまう。周囲は彼女の頑固さや純粋さを理解できず、彼女を騙して精神病院に入れる。彼女はそこを逃げ出し、ホームレスになったのだった。施設に行ったミス・シェパードは、お風呂で清潔にしてもらい、ピアノの前に座る。彼女は上品な音楽家に戻り、幸せそうにピアノを奏でる。アランは施設へ面会に行くが、彼女は勝手に車へ戻っていた。精神病院で彼女を見たという女にしつこく声をかけられ、施設が嫌になったらしい。花束を買ってきてくれたアランに、彼女は、なぜ自分が音楽を避けるようになったのかを話す。信心深い彼女は、ピアノを弾くのが祈るよりも楽だということに不安を感じ、その気持ちを司祭様に話す。司祭様に、“その弱さから悪魔が入り込む”と言われ、彼女は音楽全般を自ら禁じたのだった。そのことで、彼女はずっと苦しみ続けていた。話し終えると、彼女は遠慮がちに“手を握って、きれいだから”とアランに頼む。アランはしばらく彼女の手を握ってやり、静かにバンの扉を閉める。そして翌朝、社会福祉士が冷たくなった彼女を発見する。アランは、自分が第一発見者でないことが残念だった。ミス・シェパードの葬儀には、彼女を脅していた男も姿を見せる。男は元警察官で、“彼女は逃亡者だ”と話す。彼女が救急車の運転手をしていた時、停止していた車にバイクが猛スピードで突っ込んできて、運転手の若者が死んだ。彼女は当然無実なのだが、自分が若者を死なせたと思い込み、警察を呼ばずに現場を離れてしまう。それで彼女はお尋ね者となり、男はその件で彼女を脅していたのだ。話を聞いたアランは、彼女の波乱万丈の人生に感服する。ミス・シェパードは、今頃自分の無実を知り、大笑いしながら天国へ召されているだろうと、アランは想像する。その後アランは、ミス・シェパードの本を書き上げる。彼女が暮らした場所には、“ミス・シェパード居住の地”という記念のプレートが掲げられていた。(MIHOシネマより)

グランド・ブダペスト・ホテル』(The Grand Budapest Hotel)2014年。ドイツ・アメリカ合作のドラメディ映画。100分。監督・脚本:ウェス・アンダーソン。とある高級ホテルのカリスマ的コンシェルジュである初老の男と若いベルボーイの交友を描いた作品。ヨーロッパ大陸の東端にあるという仮想の国ズブロフカ共和国が物語の舞台であり、歴史的なトピックスがパロディとして登場する。また、時間軸は1932年と1968年、1985年の3つであり(これに冒頭及び最後の「現在」を加えると4つ)、1.33:1、1.85:1、2.35:1の3種類のアスペクト比を使い分けることで入れ子構造を表現している。 本作品は、アンダーソンが脚本を書くに当たって影響を受けた「シュテファン・ツヴァイクの著作」に献辞が捧げられている。 一人の女性が、旧ルッツ墓地を訪れ、ズブロフカの偉大な作家の銅像の前で「グランド・ブダペスト・ホテル」を読み始める。 時は遡り1985年、書斎で作家は語る。「作家とは無から有を生み出すのではなく、作家と知られると自然と物語が集まる」と。彼にとって印象深いのは、1968年、ズブロフカ・アルプス麓の町ネベルスバートにある『グランド・ブダペスト・ホテル』で、とある老紳士から聞いた物語だった。 さらに時は遡り1968年8月、当時いわゆる「作家熱」を患い、静養のため、かつては美しかったのであろうが今は古びてくすんだグランド・ブダペスト・ホテルを訪れた作家(トム・ウィルキンソン)。そこで彼はホテルのオーナーで、移民からこの国一番の富豪になったゼロ・ムスタファ(トニー・レヴォロリと知り合う。ムスタファ氏はオーナーであるにもかかわらず、ホテル最上階の「グスタヴ・スイート」と名づけられた使用人用のシングルに泊まっており、一人客ばかりの滞在客の中で誰よりも深い孤独感を漂わせていた。彼の謎めいた素性に興味を持った作家は、ディナーで彼の昔語りを聞くのであった。 またさらに時は遡り、1932年のグランド・ブダペスト・ホテル。このホテルは所有者が謎とされていたが、名高いコンシェルジュ:グスタヴ・H(レイフ・ファインズのもとに富裕層が多く集まる、誰もが憧れる華やかなホテルとして営業していた。戦乱で故国を追われ、各地のホテルで下働きをしてきたゼロがホテルのベルボーイになったのはこの時期であり、またグスタヴから薫陶を受けていた。そして彼は菓子店メンドルの店員であるアガサ(シアーシャ・ローナンと出会う。彼女は勇気と大胆さを併せ持った女性で、また左頬にはメキシコ型の大きな痣があった。 グスタヴは、行き届いたサービスに加え「裕福だが年老いており、不安げで虚栄心が強く軽薄で(性的に)飢えている金髪の」女性客を満足させることで、顧客から熱烈に支持されていた。その一人であるマダムD(ティルダ・スウィントンはあるとき、「グスタヴと二度と会えない気がする」と不安を口にする。そのご不安は的中し、一ヶ月後の1932年10月19日の新聞にマダムの死亡記事が掲載される。グスタヴはゼロと共に、列車で急いでマダムの居宅のあるルッツへ向かう。その途上、軍の検問があり、移民としての旅券しか持たないゼロは拘束されそうになるが、担当した軍人がグスタヴの知り合いだったため、臨時通行証を発行してもらい事無きを得る。 マダムの邸宅ルッツ城で、グスタヴはマダムの死を悲しむ。邸宅には、マダムの遺産を目当てに大勢の親族が集まっていた。遺言執行人の弁護士コヴァックス(ジェフ・ゴールドブラムは、「基本的な遺言に加え、追加や補足が600通以上に及ぶため、基本的に長男のドミトリー(エイドリアン・ブロディや、その姉妹が相続することになるものの、その他形見分けなどもあり、遺言の執行には時間がかかる」と説明した。また、その中でも最新の遺言として『ホイトル作の名画「少年と林檎」をグスタヴに遺贈する』とあった。ドミトリーはグスタヴが母と肉体関係があったことを罵倒して殴る。ゼロはドミトリーを殴り反撃するが、ゼロもドミトリーの傍らにいた不気味な男、私立探偵を名乗るジョプリング(ウィレム・デフォーに殴られる。グスタヴは「この絵はマダムの所有する美術品の中で唯一価値があるもの」と狂喜し、「少年と林檎」をエゴン・シーレ風の絵画とすり替え、マダムの執事セルジュ(マチュー・アマルリックの協力を得て持ち出す。グスタヴは、「少年と林檎」を処分することにし、ゼロの協力への見返りとして、わずかな手数料と死後自分の財産をすべて遺贈するという契約書を作成する(もっとも彼の財産と言っても詩集の他大したものはないのだが)。 しかし、ホテルに戻ったグスタヴは、マダム「殺害」の容疑で逮捕され、第19犯罪者拘留所に収容されてしまう。全てはドミトリーの陰謀で、彼はジョプリングを使って、次々と関係者を殺害していく。さらに虚偽の重要証言をしたセルジュは失踪した。監視塔の中でも優雅にふるまうグスタヴは、収容所のルートヴィヒ(ハーヴェイ・カイテルらと共に脱獄を計画し、アガサの協力を得て工具を手に入れて脱走する。そして、ホテル・コンシェルジュのネットワーク「鍵の秘密結社」の協力を得てゼロと共に逃亡し、山上の修道院でセルジュと再会する。セルジュは、マダムが殺害された場合のみ有効となる、第2の遺言の存在を告白するが、細部を説明する前にジョプリングに殺害されてしまう。 グスタヴとゼロは、冬季五輪のコースを使ってジョプリングを追跡するが、断崖に追い詰められる。ゼロは隙をついてジョプリングを崖下に突き落とすが、今度は警察に包囲されてしまう。からくも包囲を脱出した二人はアガサと合流し、絵画を手にマルタ島へ逃亡することにした。アガサは、今は軍隊の兵舎として接収されてしまったホテルへ忍び込み、難なく絵画を手にする。しかしドミトリーと鉢合わせ、さらに彼女を心配したグスタブとゼロ、勘違いした軍人たちを交えた銃撃戦となる。窓から脱出しようとしたアガサは転落しかけ、助けに行ったゼロも同じ状況になってしまう。結果、二人とも一命をとりとめ、さらにその時破れた絵画の包装から、ドミトリーたちが廃棄した第2の遺言書の写しが発見された。遺言書を預けられていたセルジュが、「少年と林檎」の包装を頼まれた際に、隠していたのだった。 軍人たちの立ち合いの下開かれた第2の遺言により、不動産(彼女が所有していたグランドブダペストホテルそのものを含む)、証券、美術品など全てのマダムの財産がグスタヴに遺贈されることとなった。かくして遺産を巡る騒動はあっけなく解決し、ホテルは再び優雅さを取り戻し、そしてドミトリーは失踪した。グスタヴ立ち合いの下、ゼロとアガサは結婚式を挙げ、物語は大団円を迎えた。 しかし、平穏な日々も長くは続かなかった。戦争の結果、ファシスト達の電撃戦の前に独立国家としてのズブロフカは消滅した。占領開始から21日目の11月17日、グスタヴと共にルッツへ向かう列車の中、再びゼロは軍の検問で拘束されそうになる。今度は臨時通行証も通用せず、さらにゼロを庇おうとしたグスタヴは拘束され、銃殺刑となった。さらにその後アガサと、ゼロとアガサの息子は、「プロイセン風邪」であっけなく死去した。グスタヴの遺産を継承したゼロは、国一番の大富豪となったものの、1968年時点でズブロフカは共産化の中にあり、ゼロの資産は、この古びたホテルを残し国有化されていた。 かくしてゼロの物語は終わり、作家はその後長くヨーロッパに立ち寄ることなく、ゼロの話を小説として出版した後死去。ルッツ墓地の女性も本を読了した。作家の書いた魅力的なコンシェルジェと、「鍵の秘密結社」の話を讃えるかのように、作家の銅像の台座には、無数の鍵がぶら下げられているのであった。他のキャスト:ミスター・ムスタファ(F・マーリー・エイブラハム) 若き日の作家(ジュード・ロウ)ムッシュ・アイヴァン(ビル・マーレイ)ヘンケルス(エドワード・ノートン)ムッシュ・ジャン(ジェイソン・シュワルツマン)クロチルド(レア・セドゥ)ムッシュ・チャック(オーウェン・ウィルソン)(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」

https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/b408408b9cf00c0ed47003e1e5e84dc2

 

 


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