霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

お久しぶりです 

2017年07月27日 | 心霊現象
私、今、パソコンの打ち方を忘れて、練習中です。
3年間のブランクは、筆舌に尽くし難く、その機会がもしあればお話しをばいたしましょう。

結論から申し上げれば、我が弟は自ら命を絶つことを選びました。
今から3年前です。その時をもって、このブログを書く事を止めました。
いえ、書けなくなったと言った方がよいでしょう。

そして、つい先日、霊能者k氏もこの世を去りました。

私の周りには、「死の気配」が漂い、その足音さえ聞こえてくるようでした。
「いよいよですか?・・・私」
何の答えも聞こえないが、ただ分かることは「人」にとって「死」は確かにいつか必ず訪れるという事でした。


今は私、どこも悪くは無い(と、そう思っている)高齢者の一人です。
ただ、そう思っているだけ。

さて、何をすれば?・・・。
ただ空を見つめて、そればかりを繰り返し聞くわたし。

ある日、そうある時ね。
私の目が釘付けになる。
本を何気なく読んでいた。その時ある言葉を見たまま凍りついた。

「死について語る場を提供する」(現代にはそれがあまりにもなさすぎる、という)

今の世に欠けているもの。それを今すぐ急いで提供しなさい、とまあこういうことなのでしょう。

来る日も来る日も考えて、否定と肯定と迷いと反発と納得が、ある日ようやく定まった。

このブログを書いた3年間、いろんな人に出会わせていただきました。
その中で、最後の最後に奇跡という現象まで起こして出会った「禰津家」の方。
この世で最後に霊能者k氏と出会えた方でもありました。
あり得ないことを幾つも重ねて、ようやく発射のベルが鳴り終わる寸時に滑りこむがごとく、霊界の在り様を知る彼女達(母と娘)をみて、滋野一族の救いにおける執念をまざまざと見た思いがしました。


その後彼女たちの今までの修行やその内容、そして選ばれた経緯を知るにつけ、納得がいくとともに、
この私もまた、最後の力を振り絞り、「あの世の語り部」としてその一員として「死について語る場」に同席出来れば幸せです。



いつ、どこで、何をするか。
智恵もない、お金もない、若くもない、人脈もない・・・の、ないないずくしの者の集まりですが
「神の思し召し」と思うことにし、準備と行動を同時に行うという無謀なる「離れ業」をもって実行に移したく存じます。

お借りする場は「練馬区役所の会議室」。
時は第一条件は日曜日。時間は10時から12時まで(いずれは平日も)を押さえられればいいかと。
下話はすでにできている。
あとは、区の広報に載せるだけ。

とまあ、こんなあんばいで今を生きています。

今後は皆様方とお会いできる事を、なによりもの楽しみにして人生の幕を引きたいと思っています。

いずれ事務局の電話番号や住所などお知らせいたします。
「死について語る場の提供」ですから、いたるところに「ある」ことが理想ですね。

宗教でもなく、霊能者の育成でもなく、人が人として生まれ生きるとき、「死」がどんな位置ずけとなるのかをより良く正しく知って、明るい正しい未来を築こうではありませんか。
一番近しい者の死の意味がわからない。
これはあってはならないことです。知る事が出来るならば、是非知りたい!
こんなところから話しだして、みませんか・・・。




1 コメント

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Unknown (琥珀)
2017-11-03 17:14:40
お元気だったのですね!
また。読ませていただきます!

テレビを見ていたら、
全日本剣道選手権→大場俊賢先生→このブログ。
開けてみたら、更新されていましたので
びっくりです。ゆっくり読ませていただきます!
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