霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「看取り」から「おくりびと」へ

2014年07月10日 | 心霊現象
「看取る」とは最期を「みとる」ことを言う。
病に伏せる者を、最後にみとることから「看取る」となったのだろうが、「見取る」とも出ている。
介護の仕事はここまでが想定内、つまり仕事の範囲になる。


寝ずの番、つまり夜勤を終えて帰ってきました。
そしてさらに加えて言うならば「看取り」をしての夜勤でもありました。
「人の死に立ち会う」という経験も初めてのことであれば、それが職業の一環でもあるのはめったにないことだろうに・・・。
よりによって、そうこの私がそれに当たったのです。
介護施設の今後の方針として「看取り」もやりますからと、さっそくに入居した人の最期の時が今せまっていた。
ガンの末期。手術を止め、延命処置も止めて「自然のままに」最期を迎えられるようにという家族の要望もあって、「その時まで」を施設ですごしてもらうことになった。
いつか来る「その時」。つまり「死の時」に立ち会うのは誰か?・・・。
スタッフが不安に募(か)られながら日々が過ぎてゆく。
「きっとわたしではない!」そう思い込むことで月日が流れていく。
「もう、そう遠い日ではない」と医師が告げて帰る。
夜勤者が指折りながら、「自分には当たらないこと」を祈る。
そして「その日」が来た。
家族も帰り、医者も帰った「その日」。そしてその夜、「かの御仁」は一人ぼっちで息を引き取った。


私は父の死に目にも、母の死に目にも会っていない。
私を可愛がった祖母でさえ、その死に目には会えなかった。
だから「今わの際」に人がどうなるのかは、本当のところよく分かってはいない。
ただ一度だけ、4歳か5歳の頃母方の父が亡くなるのを死の寸前まで見守っていたことがある。
いや、見守っていた母と一緒にいた、と言ったほうが合っている。
鼻をふくらませ、ぜーぜーと荒い息に次第になっていく・・・、と。
家族が呼ばれ、周りを取り囲む。
そうして私は「人の死」を、子供ながらに認識したものだ。

息遣いが粗くなった。夜の8時すぎだ。
私は声をかけながら、もうそう永くはないことを察知する。
死んだわけではないが、今夜には亡くなるかもしれないと責任者(管理者)へ通報する。
最期の看取り人となった私は、覚悟を決めた。
部屋に塩をまいた。
そしてまだ聞こえるであろう「御仁」に、祈りを捧げる。
さらにこの場に居合わせた霊たちに、今後のことを託した。
が、出来る範囲の指示を出す事は忘れていない。
つまり「ここから」が、「おくりびと」となる。
『さあ、この方の魂をしかるべきところへとお送りせよ!。しかるべきところへと、あないせよ!』
・・・、と。
(この方の魂をしかるべきところへと、案内しなさい!、ということである)
これが何を意味しているのかは、皆さまであれば充分ご承知のことであろうが、最初のものには分かるまい。
塩をまいて、部屋におる霊達を「分別」した。
悪なる霊は立ち去れ、出てゆけ!・・・、と。
一族それも霊格の高い者たちを呼んだ。守護霊はもちろんいるだろうが、さらに高い霊の人達をこそ呼び込む必要がある。
87歳という長い肉体生活が、今終わる。身内は誰もいない。
他人の私が一人部屋にいるだけだ。
「寂しいか?、それに恨めしいか?・・・」。
しかし私は心のどこかで思っている。「よくぞこの私を選んだものよ~」と。
これから祈る「私の祈り」は、あの世への架け橋となって「あなた」の目の前に現れる。
さらにそこには「懐かしい人」あるいは「神々しい人」が幾人か現れるであろう。
あなたの魂が一番望む「その人」について行けばいい。
虹のように現れた「架け橋」は、あなたが渡りきるまではそこにあるが、渡ったあとから消えていく。
まさしく虹のようなもの。
その間決して振り向かず、ひたすら前のみをみて渡り切りなさいと、私は教える。
これが肉界と霊界を分ける、これからの「あなた」の魂が生きる場所になる、と教え諭す。
さらに道に迷うことがあれば「わたし」を呼びなさい、いえ私の名前を告げなさいと伝えた。
いかなる縁により、こうなったかは知らない。
が、無縁であるならば「こう」はならなかったことを告げながら、私は「御仁」の魂を送ったのでした。
その後は肉体あっての「この世」のこと。
家族や医者や葬儀屋が、入れ代わり立ち代わりでやってきた。
「旅立つもの」にとっては下世話な浮世のことなぞ、もう知らなくてもいい。
葬式がどのランクで執り行われようと、何人集まろうと、「あなた」の魂とは何の関係もない。
『しかるべきところへ、とっととお行きなさい!。それが今後のあなたの勤めである』と、私はその方の尻を押し続けた。(もう行ったか・・・)
ゆめゆめ「この世を覗きにくるんではありませんぞ!」と、ご忠告申し上げながら一連の作業を終えた次第です。

介護とは何か?・・・。
これからは(いままでも)「看取り」であり「おくりび」とであらねばならない。
介護とは必ずこの二つが「最期の砦」となることの用意と覚悟を、今からでも遅くはない「準備せよ」ということだ。


蛇足になる。
私がしたことが他にもある。それが法にふれるかどうかは分からない。
一つは死を確認した時、時間を見た。これは誰もがやる行為だろう。
次は「前にいた施設の友がやった同じ場面に出くわした時にとった行為」であった。
つまり、遺体を汚い糞尿のままではなく、きれいに清拭し、洗濯のすんだ衣類に着かえておく、という行為である。
さらに両手を組ませればまだいいのかもしれない・・・。
どんどん体の温度が下がって、冷たくなっていくのが分かる。
いずれ衣類の着脱さえ難しくなるだろう。今のうちにやっちゃえ・・・、と。
重ささえ感じる「遺体」と格闘しながら、きれいにした。(つもりである)

あとでこう言われた。
「ご遺体は、そのままですよね。動かしていませんね」・・・。
「えっ、そうなの?」・・・。
「おむつ捨ててませんよね、どんな便か、尿も見たら分かるように保存しておいて・・・」
「えっ、そうなの?(汚物入れにもうはいってますけど・・・)」

しかし、医者が来てからはおかまいなしとなり、ほっとしました。
きっと警察が来なかった分、穏便にことがすすんだのでは・・・、と思っています。
えっ、天の計らい?・・・、そうです!そうです!。
終わりよければ全てよし!。


こんな一日が過ぎていきました。
6月から気になっていたことが、このようにして急ぎ早やに過ぎていきます。

朝早めに出社した管理者は、栄養剤を私に「飲んでね」と渡しながら、こう言いました。
「○○さんは、きっとあなたの夜勤を選んだのねぇ~」・・・、と。
そして「こう」も。
「年齢が近いことって、とても大切なこと。寄り添うってそんなことよねぇ」ですと。
これって、年寄は年寄同士ってこと?・・・。
(栄養剤にむせる私でございました)




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