霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

童話が私に教えること(「その期間」私のとった行動とは)

2014年07月05日 | 心霊現象
昨日の続きのようでもあり、「条件の立て方」と言ってもいい内容です。
また、「あなたなら、どうする?」という謎かけでもありましょうか?・・・。

「その期間」とは、「こと」が起こるまでの間をいい、願掛けであれば「満願の日」までの日数をいいます。
大抵は「21日」であったり「100日」であったり・・・。
霊界の数字(期間)をすでにご存じの皆様には、「21」「40」「12(120)」等が思い出されることでしょう。

今回の「地雷炸裂」の日に関していえば、私にも「その日」は分かりませんでしたから、一応の目安として目標にしたのが、『平成26年6月26日』という「6繋ぎの日」でした。
つまり『サタン数』の一番強力な日という意味をもっている「危険な日」を目標にした、ということです。
幸か不幸か「当たった」というわけで・・・。


「その日」まで、私がとった一つの行動が「沈黙」だったということは前回に書きましたね。
もし、もしもですよ。
「事が起こるその日」まで、逐一誰かまわず私が「つらい」だの「おかしい」だの「何とかして」だの「もうやってらんねぇよ~」だのと、他人に話をしていたらどうなったでしょうね。
「霊界の仕組み」なぞ無かったでしょう。
受ける傷を最小限にし、皆が無事でまーるく治まる方法。
これが、まず第一段階で仕組まれる「仕組み」であることを知らなければなりません。
聖書からは、「モーセ」の出エジプトの記録をみて、三段階の教訓を自分のものにせよ!と訓示しています。(神の最初の計画は、彼らは砂漠を越えて21日間で目標に辿りつけたのに・・・)
結果、失敗続きつまり不信仰の極みに至り、400年を費やしてしまった。
もしも「神の復帰摂理の最短距離」というものがあるとしたら、最も厳しい道を、無言で耐えるという「その道」しかない。

同じ?あるいは似たようなことが、「童話」にも書いてある。
「イソップ」か「アンデルセン」かは忘れたが・・・。
「白鳥になった王子」の話に出てくる。
兄たちにかけられた魔法を解くために「妹(姫)」がやったことは、茨から紡ぐ糸で編む「チョッキ」制作とそして「沈黙」だった。
11枚つくらねばならないその間の沈黙と、茨を紡ぐ血だらけの作業。
「与えられた期間」という時間もどんどん過ぎてゆく。眠る間もない。
「王座」を狙った魔女との闘いが書いてある。
これを単なる「童話」と読み過ごした「私達の誤算」が、ここにある。
童話作家は、時として「神がかり」になる。
魔女というサタンを通して、その手のうちを「明かして」くれている。
沈黙を守りながらも、「来る日」に間に合わせるように「作業」は怠ってはならない。
この鉄則(作戦)を守り、満たしさえすれば「サタン」あるいは「魔界」に勝てる。
最後の瞬間は「魔女狩り」の処刑の場だった。
火刑台に火がつけられる。燃え上がる火の中で、煙にむせながら最後の一枚を編み続ける・・・。

この童話が、私に教えようとする「隠れたヒント」を一つ残らず拾い出した。
そして「いつ」までに「何を」どうして「揃えれば」勝てるのかをはじき出すのだ。
その結果がこれだった。
一つはいっさい誰にも語らない。(魔女が言った言葉だ)
二つは「事が起こるその瞬間」まで、祈ること。(日々の祈りで霊界も神も聞いている)
さらに祈りは自分の「霊性」を研ぎ澄ます最善の策でもある。(見えない道が見えてくる)
さらに日々の「善と悪の玉入れ」を分別できる。(何をすれば神への捧げものになるのか・・・)
仕事は自分で分かった分だけは充分にやる。(言葉や会話は最小限でもいい)
「挨拶」は相手を待たない。反応はこなくていい。自分の心が納得すればいい。だから自分から進んでやる。
仏頂面(ぶっちょうずら)よりは笑顔がいい。それも出来れば「満願の笑み」がいい。
声も明るく大きいほうがいい。服装も明るいほうがいい。
まだまだある。考えられるだけの「私の外形」を考え実行した。
それが私を守る「肉的バリケード」として、次へと繋がっていくはずだ。
暗ければ、「暗い霊」が集まってくる事も知っている。
明るい笑顔で「おはよう!」。どこから見ても「明るい私」は、肉の重さ?と引き換えにして(体重を減らして)でも頑張ることを自分に強いた。
朝家を出るときは、顔が引きつっているのが分かる。が、会社の玄関の扉が開く「その間」で、満願の笑みを身に纏(まと)った。
『笑顔と感謝』と『祈り』。
霊界をいや「神」を知った者としての「私の最期の見せ場」をプロデュースするその責任。
その全てが、「奉納の舞」になればそれでいい。


下は谷底。そこに掛かる一本の細い縄。それを渡って向こうへ辿りつかなければならない。
あたりは霧で見えない。向こうには何があるのか・・・?。
目を閉じて初めて見える「景色」をたよりに渡り始める。
音がいや、楽曲が聞こえる。
歌詞も聞こえた。

♪ 人に勝つより自分に勝てと 言われた言葉が 胸にしむ~

「村田秀雄」が歌った「姿 三四郎」の唄だった。


いづれの道も究めるまでには、「闘い」それも「己に勝つ」という闘いがあるのですね。
つまり己の心に巣食う「魔」との闘いがあるという事を、胆に銘じた今日このごろでございました。
はい、終わりです。
皆々様の日々を心からお祈りし、陰ながら応援申し上げます。

久しぶりに「こんな事」を書いてみました。

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