霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

帰宅願望

2014年03月17日 | 心霊現象
今日の題材は「帰宅願望」です。「きたくがんぼう」と読みます。
いわゆる「ホーム・シック」のことですが、特に「認知症」においては誰でも「その症状」に冒され?、実にやっかいなものでもあります。

昨日「寝ずの番」を終わり帰ってきましたが、いつもに比べ、今回はへとへと・・・。
実はこの「帰宅願望」なるものに、ノックアウトをくらってしまったということです。
一人二人と、夕方になると特に強く、また確実に出る「帰宅願望」の症状は、いたるところへと波及します。
忘れていた人さえも巻き込んで、「かえるコール」が始まるのです。
あっちこっちから、「わたし、どうなっちゃったの?」「家の者はいつ迎えに来るの?」「家へ電話しなくっちゃね」等々、お客さんの心の状態がこの時ばかりは一致するようです。
実に夕食時から寝る前10時半まで、その状態が続くのでした。
電話を探してうろうろと徘徊していると思えば、他の職員に玄関を開けろと迫まる。
夕食の後片付けの最中に、厨房へ押し入り?、「わたしどうなっているの?」と腕をつかむ。
包丁や、食材を「ミンチ」にする機械の刃物類だけを最初に隠し、片づけながら手をふきふき話を聞くありさま。夜8時になると職員は「私」一人になり、いよいよ一人対数人の「バトル」つまり「寝ずの番」が始まるのだ。


『家のものは、わたしを捨てたんでしょ?!。もう迎えになんかこないんでしよ!』
『お父さん、どうしちゃったのよ!、来ないじゃないの!』
『息子が来るって、ウソ言って、来ないじゃないの!』
『どうして公衆電話が置いてないの!、お金入れるからかけさせてよ』
中にはこんな絶叫?もある。
『ウソつき女!こんな女の言う事を聞いちゃだめよ!わたしたち、せっかく楽して休もうと来たのに、こんなに「こきつかわれて」・・・』(ウソつき女とは私のこと)

はいはい、みーんな聞いてあげますよ。
でもみなさんの言う事を一人づつ実行してあげていたら、事件(事故)になってしまいますからね~。
「この状態じゃ、こりゃ今日はダメだ」そう踏んだ私は、仕事の全部つまり台所の片づけや、書類の書き込みなどをその時点から放棄した。
空いている部屋の戸をゆすり、寝ている人の部屋へも入り、つまりやり場のない心を静めなければ、本人でさえどうしていいのか分からないのだろう。

もう昔のことなので「時効」になる。
帰宅願望が治まらず自室で泣き続け、皆が寝静まった夜更けにタオルで自分の首を絞め、自殺の行為に及んだ「婦人」がいた。
部屋の隅で泣きながら、食事もとらずに「家族への恨み言」を言い続けたあげくの行為だった。
幸い職員が30分おきに部屋の様子を見にいっていたこともあり、大事には至らなかった。
「認知症」だから、そのうち「ケロッ」と忘れるさ・・・、これは時には通用しない。
深く、実に深く心の傷となって「その人」には「耐えられないうずき」となって本人を襲う。
それは救いがたい「病気」でもある。
さっき、そうだ夕食前確かに「娘」に会ったのに。それさえも忘れての悶絶であり、恨みなのだ。
いったい人間の脳の機能は、どうなったというのか。
そして心の拠り所も、どうしたのか?。何もかも無くなったのだろうか・・・。
さらに、よしんば家に帰ったとしょう。
それさえも「瞬時」に忘れてしまうとしたら・・・。

人間の「記憶装置」が破壊された時、人は「こう」なるのだろうか?。
それが、「まだら」になって人(本人)を襲う。
常人となんら変わりが無い。その時だけを見たら、かえって不思議な気さえしてくる。
なぜ「あなた」がここにいるの?・・・、と。
今日がいつなのか、明日が何の日なのか分からない。
あなたが誰で、わたしがその「何」なのかが分からない。
しかし「その家族」らしい者から、自分は捨てられ(隔離され)ここに居るらしいことが分かるのだ。事情を知っているらしい人間に上手に聞く事さえもう出来ないほど、高ぶる気を押さえることもなく、絶叫し怒鳴りまくる。
何人の人に堪えられるのだろう・・・、この「私」。

年をとると「トイレ」が近くなる。
10分おきに必ず起きてトイレへいく人もいる。
この人は「転倒」の危険がある。必ず「手びき」が必要である。
部屋のセンサーが鳴る。動く気配で鳴るセンサーは、実に今様であり「優れもの」だ。
しかしこの「文明の利器」を味方につけながらも、最後は人の手であり瞬発性による感働きである。
この方は息子がいて、頻繁に来られる。帰り際、必ず「ハグ」をして帰る。
『おやじ、また来るからな。元気でいろな。たくさん食べて、よく寝てよく出して。職員のみなさんに可愛がられろな。俺を生んで育ててくれて、ありがとな』・・・。
こう言いながら、93歳になる「おやじ」をしっかり抱きしめて帰って行く。
「いい息子だねぇ。自慢の息子でしょ。明日も会えるからたくさん寝て、たくさん食べて、たくさん出そうね~」、とそう言う職員の言葉で顔が変わる。
目もうつろな表情だったのが、満願の笑みを浮かべて繋いだ手に力が入る。
表情が和らぐのはこの時のみだ。
さっきトイレに行くとき、私の手を叩きながら振り払って、「何すんだよ!」って言ったことはもう忘れている。

まさしく「この職業」は「根競べ」でもある。
バチカンの「コンクラーベ」などという高尚?なものではないだろうが、神の根競べとは「似たもの」がある。
いつになったら「その時」が訪れるのか・・・、という気の遠くなる時間との「根競べ」である。
神の相手は人であるが、いつかは「親の元」へ帰るという結論からくる期待、そして根競べだ。
もう一つの相手「サタン」との「根競べ」でもある。


しかし、この病気「認知症」は治らない。
薄れゆく、あるいは抜け落ちてゆく「記憶」が元に戻ることはない。
家族を巻き込み、国を巻き込み、世界を巻き込む「この病気」は、大袈裟に言えば今人類歴史に迫っている。有史以来「記憶が抜け落ちる病気」など、思ってみただろうか。
何かが狂い始め、何かを伝えようとしている。
悲しいながら「人が人でなくなる」この現象は、どこかで終わりにしなければならない。
「金」や「暴利」を貪る者は、今後の起業が「ここ」だとばかりに高齢者むけの「アイディア」をそこかしこにばら撒くだろう。
悪いとはいわない。が、こんな人間になぜなるのだ?。
早く「そこ」にメスを入れ、人類の頭脳ここにありとばかりの「救いの道すじ」を示してほしいものだ。



この「帰宅願望」は、本来堕落した人間がもつ「心の発露」であるはずなのです。
ここは「わたし」がいるところではない。
ここは「わたし」が住むところではない。
元居たところへ「わたし」は帰ろう。
永遠の「ふるさと」であり、魂の拠り所「ふところ」へ、早く帰ろう・・・、と。
その「ふるさと」も「ふところ」も、今はどこにもない。
体をよせる「地上のふるさと」、そして魂をあずける「霊界のふところ」。
この二つを手に入れる日が、神が親であり人が子であるという有史以来の悲願「エデンの園」を実体験する時の到来だと思召せ。

『早く家に帰して!!』・・・、この叫びを聞きながら、複雑な気持ちを癒すべく神に祈る私でもありました。

今日は舞う事さえ困難な出来事でしたが、静かに、いやこの私が泣きながら祈る「良き晩」でございました。(いや、心ではてんてこ舞を踊っている)
神様~。
一つご報告します。
人智の及ぶところを知らず、若いものが「塩」を盛るという行為を始めました。
ある難儀な(介護することが)方の部屋の出入り口に、「盛り塩」を始めたという事を知り、内心複雑であります。それって、何の意味で何をどうしたいのか?・・・。
最後は「苦しい時の神頼み」だとでも?・・・。
お怒りにならないでくださいませ。
詳しくはこれからご報告せねばと、思っておりますから。
今のところは、いろいろあります、というご報告のみで、お許しくださいませ。

今は5、6人というところなのに。
これが9人となったら、一人で寝ずの番をすることに「自信」がなくなっていく者が増えるのも、致し方のないことでしょう。
私?、最初っから自信なぞありません。
最後のステージにおいて、神が何をこの私にご所望なのかを割り出すのが「役目」であり「目的」であれば、自信でものごとをやるものでもなく、信じて祈って・・・、結果はその後に当然出てくるものと待っております。

そうそう、もう一つのことをご報告して締めといたします。
会社を途中で止め、介護に身を置くことになった中年の男性が、今悩んでいます。
「帰宅願望」の人に、「一つのウソ」をつく。例えば、「夕方身内が来る」と。
それが来ないと分かると、予定が「明日」になったとウソをつく。
二つ目のウソは「三つ目」を生む。
誰にどんな「その場限りの事」を言ったかを、一冊のノートに書くハメになる。
その連日で、自分の心が悲鳴を上げ限界を感じてくる。
みんな「心も体」も限界を感じだしている、丁度そんな時また「さらに難しいお客さん」が入居してくる。
人生にウソをつくなど、いやウソをウソで塗り固めなければならないなど、思ってもみなかった。
仕事とはいえ、僕はどうすればいいんでしょうか~。
この人は、親の介護を兄弟が見て自分は何もしなかった。
せめてその「つぐない」を、今他人を通してしたいと思って始めたが・・・。
介護につまずき、女性の多い職場につまずき・・・。(どうすればいいんでしょう)

そんな相談や愚痴を聞く日が多くなりました。


私も、本当にどうすればいいんでしょう・・・。


「宇宙からみた自分の位置」、といった伊能忠敬を一瞬思い出した次第です。