プロ野球の阪神で「ミスタータイガース」と呼ばれた強打者・掛布さんの往年のライバルを一人挙げるなら、
巨人の快速球右腕・江川卓さんをおいてほかにいないでつ。
昭和末期、両チームがぶつかる「伝統の一戦」を彩ったエースと主砲の一騎打ち。
同い年の2人は今も、解説者やコメンテーターとして、野球に携わっているでつ。
ともに1955年5月生まれの同い年で、「昭和の怪物」と「ミスタータイガース」。
意外と高校時代は対決がなくて、初対決がプロにはいってからになったでつ。
掛布さんは高校時代に怪物と言われた江川さんの凄さを、江川さんは、プロでの掛布さんのすごさを…
意識した対決だったでつ。
この対決について、江川さんはが先輩捕手のサインに従った理由は…
「1979年、僕はプロデビューしました。
掛布とは、その年の後楽園球場で初めて対決しています。
あの時の1球には、プロ野球人生で一番悔いが残っているんです」と
語っているでつ。
栃木・作新学院高時代に甲子園で「怪物」と騒がれた江川さんは、法政大学でプレーし、さらにアメリカへ
約1年間野球留学するなどの曲折も経て、巨人入団にこぎ着けたでつ。
一方の掛布さんは千葉・習志野高から阪神に入り、79年にはもうプロ6年目の中軸打者になっていたでつが、
江川さんのプロ初登板だった6月2日の阪神戦は欠場していたでつ。
2人の初対決が実現したのは約1か月後、7月7日のことでつ。
初回、二死ランナーなし。
3番掛布を左打席に迎えたでつ。
投打の勝負に、お互いが集中できる状況だったでつ。
江川さんは、「初球です。
キャッチャーの吉田孝司さんから「カーブ」のサインが出ました。
それに従って、僕はカーブを投げてしまったんですよね……。
サインに首を振れなかった。
吉田さんが大先輩だということもあります。
けれども、僕の性格からいって、あの場面は首を振って真っすぐです。
僕も結構、球は速かった。
2年目以降だったら、初対決の初球にカーブは投げません」
さらに、「前の年、僕は1年間アメリカに行っていて、実戦から遠ざかっていました。
その影響で、自分が本調子に戻っていないと感じたまま、掛布との初対決を迎えてしまった。
あの時は自分のストレートを100%信用できなかったんですね」と語ったでつ。
そんな初球だが、痛打されたわけではないでつ。
掛布さんは見送り、ボールと判定されているでつ。
ボールが先行したこの勝負は、さらに江川さんがカウントを悪くしてから決着がつくでつ。
掛布さんのバットが火を噴いたでつ。
これについて、江川さんは…
「ホームランを浴びました。打たれたのもカーブです。
でも、これはインコース低めいっぱいを突く、
すごくいい球でした。
僕は縦に落ちるカーブのキレも悪くなかったピッチャーですけど、
あれはすごくうまく打たれましたね」
江川さんは、ライトスタンドへ運ばれたカーブについては相手のバッティングを称賛するばかり。
同じカーブでも、悔やみ続けている1球とは、あくまでも初球のボール球のほう。
これから何度も顔を合わせることになりそうな、手ごわい打者との初対決で、最初に投げるべき球種は何か。
事前に相当、強く意識していたことがうかがえるでつ。
だからこそ、弱気な選択に流された自分を、今でも許せないでつ。
江川さんは、「自信がなかったんですね。
タイムスリップができるなら、アイツとの初対決の前に戻って、やり直したい。
首を振ってストレートを投げたい。
僕は一生、あの1球が悔しいだろうと思います」
とのこと。
ちなみに江川さんはこの日、同点の七回途中に2失点でマウンドを降りるでつ。
試合は巨人が王さんの決勝アーチで、4-3の勝利を収めたでつ。
この年の江川さんの成績は9勝10敗にとどまったがでつ、翌年から引退まで8シーズン続けて
2桁勝利を積み重ねたでつ。
掛布さんは79年、48本塁打でホームラン王に輝き、81年から阪神の4番に定着したでつ。
掛布さんと江川さんのかかわりは、高校時代にさかのぼるでつ。
江川さんは「習志野が作新学院に遠征してきた練習試合がありました。
僕たち作新はダブルヘッダーで、2試合目が習志野戦でした。
その試合、僕はリリーフで投げています。
でも掛布は、先発したピッチャーからデッドボールを受けて、引っ込んでいました。
だから、彼は僕の投球をベンチで見ていただけで、打席には入っていません。
ただ、その時に『習志野に掛布というやつがいるな』というのは、僕の頭に入っていました」と。
そして江川さんを驚愕させて脅威の掛布さんのオールスター戦3連発。
「その後、僕はビックリさせられます。
プロ入りする前の年1978年、テレビで見たオールスター戦で、同い年のバッターが
3打席連続ホームランをやってのけました。
オールスターといったら、プロ中のプロが集まる試合です。
『あの時の掛布が、こんなにすごくなっているのか』。
対戦がすごく楽しみになりました」と思ったでつ。
プロ入り後、2人はプロ野球の醍醐味を感じさせる勝負を重ねたでつ。
江川さんの代名詞は、ホップするような独特の球筋を描く快速球。
その球を、掛布は全体重をバットに乗せたフルスイングで迎え撃つ。
三振やポップフライでねじ伏せるか、豪快なホームランで打ち砕くか。
走者の有無や試合展開、優勝争いの行方などといった背景を抜きにして、
当時のファンは力と力のぶつかり合いに酔いしれたでつ。
そして掟みたいなのが…
インハイの直球勝負あるのみ!
ただし初球は…
江川さんは「掛布とは、一番得意なインコース高めのストレートで勝負です。
彼もそれを分かっていて、インハイのストレートだけを待ってフルスイングしてくる。
僕は三振を、彼はホームランを狙う。
いつもそういう勝負でした。楽しかったですね。
阪神戦の掛布との勝負を、僕は一番楽しみにしていました」
とはいえ…
江川さんが初対決以降、掛布さんにはカーブを封印し、直球一本勝負を貫いたのかというと、
そんなことは全然ないでつ。
江川さんは「掛布への初球は、いつもカーブを投げていました。
ど真ん中に7割くらいの力で、あんまり曲がらないカーブ。
どうぞ打ってください、っていう球なんですけど、アイツはそれを絶対に打ってこない。
2球目以降にくるストレートしか頭にない」
「じゃんけんで『最初はグー』とやるのに近い感覚でしょうかね。
話し合って決めたわけではないのに、お互いに相手の性格がわかっているから、
初球はカーブという暗黙の了解が、いつの間にかできていたんです」
真剣勝負に、ちょっとした遊び心の色あいが加わるでつ。
その辺りが、当時の一流スポーツ選手たちらしい味わい深さと言うべきこと。
1983年の夏ごろに江川さんが肩を痛め、球速やスタミナが少しずつ落ち始めてからは、
初球のストレートが痛打を浴びるといったケースもあったでつ。
だけど、全盛期には2人にしか踏み込めない領域で通じ合い、お約束も楽しみながら戦っていたらしいでつ。
掛布さんと江川さんの9年間の対戦成績は、打率2割8分7厘(167打数48安打)。
本塁打14、打点33。四死球18、三振21となっているでつ。
江川さんの胸に深く刻まれているアーチは、後楽園球場で1982年頃に打たれた1本のソロ本塁打でつ。
「アウトコース高めのストレートを、レフトスタンドに運ばれたんです。
左バッターがレフト方向に打つと、ボールには普通、(地面と垂直に近い回転軸で)時計と逆回りの
スピンがかかって、切れていきます。
ところが、彼はあの打球に、時計回りのスピンをかけた。
だからファウルにならず、ホームランになりました」。
「あれは、ファウルを打たせてストライクを稼ぐ『カウント球』でした。
球速で相手打者のバットを押し込んでファウルを打たせるには、あのアウトハイが一番いい。
コースも球の走りも、狙い通りに投げられました。
そんな球を、掛布はホームランにしたんです。
打球に逆方向のスピンをかけるなんて、『すごい技術だな』と感心しましたね。
いろんな強打者にホームランを浴びましたけど、僕のあの球をあんなふうに打ったのは、
後にも先にも掛布だけです」と絶賛。
掛布さんは、レフト方向に打球を飛ばす際の自身のバッティングについて
「ボールの内側にバットを入れて、外側をたたく」と、インタビューで語っているでつ。
矛盾するとも思える二つの要素を一振りに込めた不思議な表現だが、「逆方向スピンのホームラン」という
江川さんの話とは通じるものがあるでつ。
「そんな話をしていましたか。なるほど、そういう掛布ならではの技術があるのかもしれませんね……」と…
伝統あるチームを互いに背負った現役時代は、どんな交流を持っていたか。
江川さんは、「初めて掛布と会話をしたのは、僕が2年目のオールスター戦でした。
2人とも車好きなので、車の話をしたのを覚えています。
でも、それぐらいですね。
現役時代は、野球の話なんて、全くしたことがありませんでした。
他球団の選手と会話をすると、僕の性格が相手に分かっちゃうのが嫌だったんですよ。
野球のプレーには性格が表れますから『アイツなら、次の球はこうくるな』なんて読まれてしまいます。
だから、僕は現役時代、ぶっきらぼうに黙っていることが多かったんですよね。
ただ、野球選手はプレーで対話しているんです。
言葉を交わさなくても、当時対戦した選手の性格はかなり分かっているつもりでしたし、考えも読めていました。
それが今、解説者の仕事にも生かせている気がします」
「掛布とは引退後、よくテレビ解説でコンビを組みます。対談もたびたびやってきました。話してみたら
『ああ、やっぱりこういう性格だったんだな』と思いましたし、今は仲良く話をしますよ」とのこと。
江川さんは掛布さんより1年早く、1987年限りでユニホームを脱いだ。
88年3月、東京ドームのこけら落としイベントだった江川のさん引退式で、相手打者を務めて最後の1投を見届けたのは、掛布さん。
やはり江川さんが「ライバル」と呼ぶ打者といえば、「掛布ですね。同い年で、巨人のエースと阪神の4番でしたから」。
掛布さんは、「1979年7月の後楽園、最初の対戦はすごく怖かった。
同い年だけど、江川はルーキー。
打って当たり前、と周りに期待されていたから。
絶対打たないといけない――。
ロッカーで何度もバットを握り直し、手の感覚を確かめた。
あの時はライトスタンドへホームランを打てたけど、江川との勝負はいつも怖かった。
アイコンタクトで『真っすぐ投げるからな』とマウンドから感じるんだよ。
そこから逃げ出すわけにはいかない。
怖さの裏側に、それを打った時の快感もある。怖さと背中合わせの喜びというか。
紙一重の勝負の緊張感があった。今のプロ野球では、本当の4番とエースの顔が見えなくなった気がする。
チームが勝つためにいろいろやる『組織の野球』だから。まあ、勝敗を度外視した勝負というのが、
なかなかできないのは分かる。
だけど、やっぱりファンが求めている勝負っていうのもまた、あるよねぇ……」
江川さんは、「私はインコースのストレートを得意としていたので、掛布に対してそこに投げて、
抑えるか打たれるかがバロメーターだった。
そういう打者はほかにいなかった。対戦していて楽しかった。
だから、いつも最高の状態で打席に立ってほしかった」
掛布さんは「裏表、ウソのない対決。シンプルな考えで打席に立てるので、江川がマウンドにいると最高のスイングができた。
ライバルと思ったことはない。
村山さんと長嶋さんや、江夏さんと王さんの対決とも違う空気感があった。
ギスギスしたものは一切なく、戦友、同志…。
表現するのが難しい不思議な関係」
掛布さんは初対決のことを「前日からマスコミが騒がしかった。
3年連続で打率3割を打っていたし、阪神ファンの『必ず打ってくれる』という期待をビンビン感じていた。
自分を見失わないよう普段通りに臨みたかった。
試合前練習を終えると、後楽園ではお決まりのハンバーグサンドを食べた。
ロッカールームでバットを握りながら、静かにプレーボールを待った」
「高校時代に対戦できなかったけど、そのすさまじい球威は生で見ていた。
あのときに打席に立っていたらトラウマになっていたかもしれない。
実際に打席に立つと、どう見えるのか。
できれば『先発・江川』のアナウンスは聞きたくなかった。
どんな球を投げるのか。
怖さ、緊張感があった」
「ストレートを体感するために1球目は振るつもりがなかった。
それも、できればボールになってほしかった。
ところが『あの江川が初球にカーブを投げたんだ』とスッと気持ちが落ち着いた。
向こうも怖がっているのが分かった」
そして二人の対決には、江川さんは「初球はど真ん中のカーブと決めていた。
掛布には配球というものをしたくなかった。
初球、外角のストレートとか内角のカーブとか、はぐらかすような球は投げたくなかった」
掛布さんは、「いきなり初球を打つのは楽しみにしているファンに失礼だろうという気持ちがあった」と
暗黙の了解があったでつ。
真っ向勝負を貫いた2人だからこそ、忘れられない打席があるでつ。
82年9月4日の甲子園。
1点リードの8回2死二塁で、江川さんは藤田元司監督から敬遠の指示を受けたでつ。
掛布さんは「捕手の山倉が立ったので驚いた。江川との対決で初めての打つ気がない打席。
その怒りのストレートを見て驚いたでつ。
こんなすごい投手だったのかと改めて感じさせられた」
江川さんはこの時のことを「怒っていたわけではない。
2人の対決を見に来てくれたファンに対しての申し訳なさ。
自分自身に対して情けなかった。
同じ敬遠四球でも最高の球を投げようと。
三振を狙うような一番速いボールを4つ投げた。
プライドを込めたストレートだった」
こりも後世までに語られるでつ。
掛布さんは「野球観は似ていると感じていたでつ。
でも、巨人のエースと阪神の4番が仲良くご飯を食べにいくのを見ると、ファンはどう思うか。
ご飯を食べにいくのは引退してからと約束していた。
それまではバットとボールを使っての会話だった」
江川さんは「ホームランと三振の数は覚えているけど、打率は覚えていない。
なぜかというとヒットは関係なかったから。
インハイのストレートを投げて空振りかホームランか。
もちろん状況次第で、全てがそうではないが、必ず1球はインハイのストレートを投げた」
掛布さんは「ホームランの数しかはっきり覚えてはいない。
江川からヒットを打ちたいなど思ったことがない」
江川さんは「掛布にホームランを打たれても不思議と悔しさはなかった。
うまく打たれたことに『は~、すごいな』と。
悔しさを超えた感情があった。
自分の最高のボールを打たれると『へ~っ、こういうふうに打つんだ』と納得してしまう。
だから極端に言うと打ちミスしてほしくなかった。
投げ損じた球はしっかりホームランにしてほしかった」
掛布さんは「『打たれる美学』のある投手だった。
一方的に抑えるだけでは名勝負は生まれないから。
江川からホームランを打ってガッツポーズしたことは一度もないし、逆もそう。
互いに敬意を持って戦っていた」
「自分でもうまく表現できないけど、勝負を超越した不思議な感覚があった。
1試合4度の対決が楽しかった。
これは経験した者しか分からない」
掛布さんは「一番すごいのは、終盤の4打席目に初回に投げた以上のストレートを投げられること。
手抜きだとか言われたこともあったけど、そういうペース配分ができた。
私に対してのストレートと下位打線に対してのストレートはホップの度合いが違った」
江川さんは87年に13勝5敗の成績を残しながら右肩痛を理由に同年限りで引退。
掛布さんも後を追うように翌年の88年に左膝痛を理由に33歳の若さで引退。
二人とも若くして現役を引退したでつ。
「マウンドに上がっている以上は試合に勝たないといけない。
でも、ゲームの駆け引きだけでない1対1の対決があった。
自分たちも楽しかったし、ファンにもそれが伝わったのかも。
勝敗とは別のおまけというか、プラスアルファというか。
うまくは言えないが」
掛布さんは「最高の勝負をしてくれて、ありがとうという感謝しかない」
江川さんは「同い年でそういう打者がいてくれて良かった。本当に最高の勝負ができた」
巨人のエースと阪神の4番が真正面からぶつかり合った物語。
平成、令和と元号が変わっても輝きは色あせないでつ。
こういう勝負を抜きにして、力と力の勝負が昭和にはあったでつ。
野球の楽しみ方として、チームの優勝もあるけど、プロでは物足りない。
掛布さんと江川さんの対決は、この対決だけでお金が取れるプロ中のプロの対決。
ショータイムっていうのは失礼な言い方かもだけど、プロである以上お客さんをシビレさせる勝負が必須。
掛布さんと江川さんの対決は本当、この対決だけで阪神巨人戦を見る価値があったでつ。
こういうプロ中プロの勝負を令和でしかも阪神巨人戦で実現してほしいでつ。
阪神巨人戦はチーム同士の対決より、エースと4番の対決こそ醍醐味だなぁ~
「全力投球とフルスイング」、力と力の勝負こそだなぁ~
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