GACKTが2019年でソロデビュー20周年を迎えたことで、人生哲学を記したGACKTの勝ち方を出したでつ。
GACKTとしての日常、つまり日々の生活の中で見直した、もっとも具体的な行動はたった一つ。
そりは、【怠らないこと】
何を怠らないか?
つまり、【常にツラい方を選択し、怠らない】
それが日常生活の基盤になるでつ。
例えば、体を鍛えると決めるでつ。
やるからには、毎日やると決めるでつ。
バキバキになると決めるでつ。
なぜなら、中途半端な筋トレを志すより、その方がよりツラい選択だからでつ。
そもそも「筋肉はつけたいが、バキバキにはなりたくない」
なんてのは、「カッコ良くなりたいけど、モテたいわけじゃない」と言ってるのと同じ矛盾した言葉。
肉体を変えるということがしんどいのは、初めからわかっているはず。
ラクしたいのであれば、そもそも筋トレなどしなければいい。
何かを選択する時に、甘えはいらないでつ。
週に一度のトレーニングでも鍛えることはできるが、ポイントはそこじゃないということ。
毎日継続するということが、精神の軸になるでつ。
「これだけやってんだから誰にも負けない」という自信になるでつ。
そして、全身がバキバキに仕上がった自分の姿を鏡で見て、自信が確信に変わるでつ。
「ヤレばできるんだ…」と。
その確信は、明日も怠らない、という正のエネルギーになるでつ。
日々の鍛錬や毎日やっていることは嘘をつかないでつ。
サボれば、体が明確に反応。
嘘つきは信用できないということでつなぁ~
だから、自分に嘘をつかないためにも、一度決めたトレーニングは必ず毎日続ける…
よく、この 【ヤレばできる】という言葉を誤解して使っている者を見かけるでつ。
これは行動をとる前に言う(できなかった時の保険)言葉でもなければ過去を
振り返って言う(現在やってないことに対する言い訳)言葉でもないでつ。
この言葉は今、この瞬間にやっている者だけが発言することを許される言葉。
【毎日サボらずにやっている】という行動が、【自分はできる】という自信になるでつ。
精神的な軸はそこで生まれるでつ。
そこまでして、やっと、自分を信じることができる思考を生み出すことができるでつ。
行動が思考を築くという実例だ。社会人になってブクブク太る人が世の中には溢れかえっているでつ。
ビジネスは、頭だけでやるものだと勘違いしている人が多いがそんなことはないでつ。
動くということは体を使うでつ。
すぐに疲れてしまう体であれば、必然的にメンタルも消費し、「今日はもういい」というマインドになるでつ。
外見にも同じことが言えるでつ。
外見、という響きだけでは、事業を伸ばすためには必要のないことと思われがちでつが、ビジネスの場においても、
魅せなければならない瞬間がたくさんあるでつ。
初対面の印象、プレゼンや交渉の場など、スマートで清潔にしていた方が魅せやすい上、説得力があるでつ。
服装も体型も全く気にしていないことが外見からすぐ相手に見透かされてしまうのは、
私は自分に弱く、自堕落な生活を過ごしているでつ。
打ち合わせの場には遅刻するかも…
でも、やると決めたことをやれないかもしれないと、ネガティブなメッセージを発信しながら
生きているようなものになるでつ。
当然、仕事の場には異性だっているでつ。
モテるに越したことはないでつ。
少なくともビジネスにおいて、デブであることにメリットなどないでつ。
「歳をとる」という言葉を使う人は多いでつ。
GACKTは 『歳を重ねる』と言うでつ。
言葉のアヤだと言うヤツもいるでつが、そんなヤツは大いに歳をとって勝手に老ければいいということ。
この2つの言葉には別の意味合いがあるでつ。
歳を重ねるというのは、経験を積み上げ、責任を増やしていくという生き方。
歳をとるの 「とる」は、【責任を取り除き、ラクをしようとする】の 「とる」になっている人が多いでつ。
それはただの老朽化、劣化でしかないでつ。
老朽化しないために継続してやるべきことをやるでつ。
だから、トレーニングは必ずやる。
でつ
「20代では太ってなかったのに30代で急に太った」と言う人も多いでつ。
そんな人は、それ以前に何をやってきたかが、結果として出ているだけ。
10代でどう過ごしたかが20代に、20代でどう過ごしたかが30代に、色濃く影響を及ぼすでつ。
10代の、部活で体を使って動き回っていた貯金で、20代は太らなかったかも知れない…
代謝も良かったのだろう。
だけど、30代になれば話は別になるでつ。
社会に出て20代で何をやったか。
その結果がしっかりその腹に出るでつ。
その腹を見て、「ああ、この人は◯◯な20代を過ごしたんだな」そう思われても仕方が無い…
皆、痩せたいと口癖のようにボヤくが、その大半が3食つねに食べているでつ。
無駄に口にモノを放り込んでいる…
それだけ好きなもの食べてて、それで太ったということ…
あたりまえでつなぁ~
でも、いいんだよ、好きで食べているから。
ただその結果が出てるだけ…
だが、ちょっと立ち止まって考えてみると…
人間って本当に3食も必要?
昼食をとった後、仕事をしている時のあの眠くて効率の悪い時間、それが必要?
お腹がどうしても空いたから必要な分だけ食べる、というのは悪いことじゃないでつ。
だけど、朝食の時間だから、昼食の時間だからと、自分の体と語り合うこともせず、家畜のように
食べなきゃとやたらと口にモノを詰め込んでいるヤツが世の中に多すぎるでつ。
それで太ったからとて、誰のせいにもできないでつ。
それもまた自分の選択。
「仕事以外のプライベートな部分まで突っ込まれたくない」と言う人もいるでつ。
仕事とプライベートは別と言う者…
じゃあその者たちは本当にその2つの状況において別人になれる?
そんなこと誰もできないでつ。
このご時世、メールやSNSなどを通して、仕事の話はいつでも送られてくるでつ。
プライベートな食事の場に、急遽、ビジネスにつながる誰かを紹介されることだって多々あるでつ。
プライベートで自堕落な生活をしてブクブク膨れ上がった腹が、仕事モードになった瞬間に引っ込むことはないでつ。
人生そのものをマネタイズしようとするならば、人間の体を作っている食事に気を使うことを無下にする方が不思議。
「そこまで自分に厳しくなんて生きられない」
「なんでそんなにストイックに生きられるのか?」
そんな声が聞こえてくるでつ。
ただツライだけだとすれば、そんな厳しい日常は過ごせないでつ。
だから、怠らず、やり抜く。
なぜなら、やるべきことをやってると公私共に褒美をたっぷりと享受できることを知っているから。
できない、は無い
周りの人もそう言うでつ。
『できないは無い』が基本。
言ったことを必ずやる、有言実行。
だから、 「できません」と言われれば、『できないんじゃない。どうすればできるのかを実践できる思考になれ』そう伝え、
やり抜くことを癖づけるでつ。
だが彼らに対し常に言い続けていると、「これはできない」と思い込んでいたことが、
「どうすればできるのか」という思考に徐々に変わっていくでつ。
そして、【できるまでやる】という行動が、【ヤレばできる】という結果を生むでつ。
だから、GACKT はすこぶる厳しいと言われるでつ。
「もういいよその辺で」など絶対に言わない…
代わりに『ヌルい!』と一言で終わるでつ。
己ができないことを何か・誰かのせいにして、【許しあう】など傷の舐め合いでしかないでつ。
そんなものは求めてもいないでつ。
馴れ合いもいらないでつ。
シンプルに考える。
そりと、【できない】には理由があるでつ。
だったらやれるところまでやるでつ。
徹底的にGACKTはそれを言い続けてるでつ。
「できない。無理」が口癖になっている人は、その口癖を封印することでつ。
言わないと決めるだけでいいでつ。
「やるしかないからやった。結果やれた」に変わっていくでつ。
それが実感できるはずでつ。
もう一度【できない、など無い】
誰よりも自分に厳しく、ハードワークかつストイックで気の抜けない日々を過ごしてきたからこそ、
GACKTは今の生き方に至っているでつ。
その覚悟に触れることで、自分自身を高く保とうと気づかされる一冊でつなぁ~
人には出来ないことがない…
それは昭和から平成、令和での進歩を見ればわかるでつ。
テレビで見たことが現実化する。
思考は現実化されるでつなぁ~
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