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焦らず 慌てず 諦めず 行けるとこまでNO2

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頬の思いで

2011-09-09 15:36:54 | 日記
長い勤務を終えて半年、運動量が増えたことやカロリーの高い給食を食べなくなったこと(?)が幸いしてか体重が数キロ落ちました。
鏡を見ていて、頬骨が少し浮き上がってきたように感じる今日この頃です。(浮き上がりすぎたらまるで病人ですが・・)
中年太りからの脱却を目指す自分としては喜ばしい傾向かな、と思っています。

      自画像ではありません

その時ふっと思い出した。 中学生の頃にも頬骨に興味を持ったことがあったことを・・。
まだ童顔でふっくら系の顔立ちだった頃、友達だった万木君がいた。(これでゆるぎ、と読みます)

 彼は私より少し背が低かったががっしりした体格で運動能力も高く、800mの選手であった。今でいう市の中学生大会で優勝していた。勉強も良くでき、彼と友達になって付き合う中で、勉強するおもしろさを教えられたことも思い出す。私の人生の中の尊敬すべき師の一人である。
(彼自身は広島大学の英文科かなんかに現役で入って、夏休みに帰ってくると広島のやくざさんの話を良くしていた。ところがなんの事情か、卒業直前に退学して止めてしまった。理由は言わないし、問わない。私にとっては謎である)

 そんな彼との会話の中で、頬骨の話が出た。
ちょうど成長期で大人の顔に変わりつつあるときなので、顔がやせて頬骨の浮き上がってくるかっこよさ、見たいな事を彼が言い出し、どちらがかっこよく頬骨が見えているかなどと二人で話していた。
そう、彼の方が少し頬骨がでていたと思う(それは単に骨格の問題だったのかもしれない)。
     ちょっと羨ましかった。
 関係ないけど、彼のニックネームは「ガマ」。ガマガエルに似ているというのだろう?誰が呼んだか知らないが、友達になった頃にはすでにみんなから「銭形平次」と呼ばれていた。(違う、違う「ガマ」だった。)本人も何気なく返事をしていたから、気にとめてはいなかったのだろう。

 頬骨の話はほんの一瞬の会話だったかもしれない。しかし私の記憶では、その後長く鏡の中の頬骨と会話していたような気がする。  47年も昔の話だ。  何も考えていなかった中学生の頃、酒もたばこも知らず、女も知らず、自分の将来すら見ていないような真っ白の時代だった。 

 こんな話を聞かされても「ほぅ!」としか言いようがない。 でも、私にとっては青春の日常の1ページを飾る貴重な記憶なのだ。  そんな頬骨の思い出でした。(「こけた頬骨」と言っても頬骨が転倒したわけではありません。悪しからず!)


 話を変えます。
嬉しい出来事。  昨日、近隣のゴルフ場でタイトリスト杯という大会をかねて友達とラウンドしました。月に一度ダンロップ杯とかタイトリスト杯とかのスポンサーがついた大会が実施されたいます。上位ととび賞が用意され、年間の獲得ポイントでまた賞品がいただけるとか・・。前回は39位でしたか・・。40位なら何か頂けたのに・・。

 な、なんと、今回は、何がどう間違ったのか私が優勝! 昨日なでしこジャパンがオリンピック出場を決めました(ちょっと形は不満でしたが・・)それを数倍上回る嬉しさ。
 私は先に帰ったので全然知りませんでしたが、残ってハーフラウド回った友達が知らせてくれました。 なかなか信じられません。 だって、スコア93ですよ。OBも3発も打ったし・・。 ただ、持ちハンディ性ではなくてダブルペリア方式(?)ですか(決められたホールのミス分を削ってくれるやり方)、たまたま私がミスったホールがハンディホールにはまったみたいです。
 優勝ですよ、優勝。  賞品はこれです。 ジヤ-ン!!

       

     優勝賞品はタイトリストドライバー!!

インターネットで見ると7万円くらいの代物です。嬉しくないわけがない。 タイトリスト杯にご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。 夢のようです。 昼食の時、食堂に賞品が並んでいましたが、まさか自分が賞に入るとは、それも優勝なんて夢にも思わなかったので、チョロッとしか見ませんでした。それこそ一瞥をくれただけ、見たいな・・。無欲の勝利!!

 すごいことです。 これから私の人生はいい事ばかり起こるのではないかしら・・、と怖いくらいです。今日は朝から、夢が覚めたらアカンので、覚めないうちにクラブをいただきに行ってきました。 マチガイのない現実でした。 正義は必ず勝つ!!
長く「まじめ」に生きてるといい事もあるのですね。 ゴルフだけに「球に当てる」。(毎回当たれ!!) あとはこのクラブがうまく使いこなせるかどうか・・です。 



ご誕生!!

2011-09-07 16:18:37 | 日記
すごい晴天。 久々の良いお天気になりました。 稲刈りがズンズン進んできました。
今日は新人類を紹介します。
残念ながら、私の孫ではありません。 (我が孫なら、特集を組んで紹介します。)

  「僕 たこの赤ちゃん!」
違う!違う! 私や、私。 たこやない! 人や人! と言うことで彼女は「羽衣凪(はいな 今ちょっとハイなことありませんが・・。)」  8月17日生まれなので「羽衣凪」だそうです。
 すごいねぇ、まだ産まれて20日。 人間ってすごいねぇ。 久しぶりにこんな小さなお方を近くで見て、だっこさせてもらいました。 秀樹感激!のバーモントカレーです。
 手や指なんかちっこくて可愛いのなんの・・。 今日の初対面は眠ってばかりで、私のことを認識できていません(起きてても認識はせんやろ)。 寝る子は育つですから・・。
 母親曰わく、「目を覚ましておめめが大きいとこを見てもらお!」だって、イヤー十分可愛いぞよ。

 自分の子どもが産まれた頃のことを思い出しました。 息子は母親が途中でいきみを休んだために、頭が変にとんがってくり状態で産まれていました。思わず「プロゴルファー猿かな?」と思いました。
 
 彼女は干支が僕と同じです。彼女の年に60を足すと私の年齢が分かります(別に分かりたくないって・・そりゃそうだわな)家中大変ですね。今は私がこの家の中心! いわばセンタープレイヤー! またの名をスター! 女王様とお呼び!! です。
 産みの母は「一人で育てるのは不安です。お母さん(自分の)がいてくれないと・・」と弱音を吐いていましたが、子どもを育てることは自分が同時に育つこと。 羽衣凪と一緒に大きくなるつもりで頑張って欲しいです。 「親のしたいようには育たない、親のするように育つ」ということだから頑張らんとね・・。 女の子は生命力が強いっていうし、少々失敗しても誰にもわからへんやろ。 のんびり構えておおらかに、できたら優しい子に育って欲しいな。

 「羽衣凪!」 「ハーイ!」って返事ができる頃に、また会いたいぞ!

   イエーイ!のサイン

子ども成長って、楽しみだねぇ。 本当に幸せを運んできてくれるね。 不安や心配は一杯あるけど愛情一杯に育ててくれるお母さんだから、安心して眠れ・・。

と言うことで、今日はたこの赤ちゃんを消化胃しました。 また、違うでしょ。消化してどうする! ハイナ、ゴメンね!  

嵐のあと

2011-09-06 09:07:30 | 日記
台風12号は近畿地方のあちこちに大きな爪痕を残し去りました。
雨の影響で川が氾濫したり山が崩れたり・・。たくさんの犠牲者が出た様子です。ご冥福をお祈りします。
今年は災害が目につく年回りなのでしょうか? 一日も早い回復を祈ります。

 さて昨日、朝から歯医者に行っての帰り道、琵琶湖岸にでて静まった湖面を見てきました。

  日曜はかなりの波でした

  手前の湖面は藻が発生しています

  小さなえりにもたくさんのゴミが・・。

   向こうに見える乗り物は?

 藻を刈り取る船でした。あまりお目にかからないものですが・・・。
藻刈り機でしゃかりきに・・。 これはかなりいい仕事・・「いつやっても藻かりまっせ」?!
風向きで湖中の藻が入り江に流されてくるのでしょう。かき上げるのが大変です。このほかにも市職員さんらしき人が浜辺の点検に奔走していました。 ご苦労様です。

  竹生島から噴煙?

 まだ雲が多い一日でしたが、少し気温が下がって夏の峠を越したような気がします。少し風邪気味みたいで、のどが痛い。奥様は夕べ戻したとか(久しぶりに美味しい牛肉を焼いたのにもったいない!・・・そういう問題ではないか)、それでも今朝は仕事に行きましたが・・。 涼しくなるとき、注意が必要。

  稲も刈り取りの前に風に押されて・・。 「もう、刈りまっか?」と言っていた矢先に・・、間の悪い台風!

   風が収まって、蝶も夏の終わりの餌探し。 そういえば、聞こえてくる蝉の声も心なしか弱まってきたような・・。ドンドン秋に向かっていく時季ですね。

 こちらは幸いにして12号の被害は少なかったです。皆さんはいかがでしたか?

指切った!

2011-09-05 08:35:48 | 日記
夕飯を作るのは4月からたいてい私の仕事です。
これまで、おそいながらも包丁で切る作業では、一度も怪我はありませんでした。

ところが!!
やってしまいました。玉葱を切ろうとして横着したばかりに玉葱が、コロッと滑り力を込めていた包丁が・・・。

なんと、私の左人差し指を直撃! 人差し指の爪の少し下部、横腹にざっくり・・!

     アッチャァー、と思った瞬間包丁を投げ出して人差し指を掴み台所を飛び回っていました。(思い出しても笑える)
トレーニングを終えてシャワーを浴びていた息子に「ワーイ、どうしょう、指切れた(ホントは切ったんですが・・)」と言うと息子は驚いて(指が飛んだと思ったらしい、そのくらい騒いでいたらしい)風呂場から顔を出し「なんや・・。指押さえて、心臓より高く上げて、血が止まったら、いい絆創膏で巻けば・・」とサラリ。
  (息子は消防士なので、こういうときすごく頼りになります。)

で結局、救急車も呼ばずに縫うこともなく今に至っています。 順調に治っているはずですが、左手でも人差し指が使えないと不便この上ない。 朝、顔を洗うときでも、うまく水がすくえない。水の量も少ない。 頭も洗いにくい。 つい何かに触れるとビンと来る。 当分生活しにくい。
 でも今は高性能の絆創膏があって、湿潤療法とやらで治りを助けてくれるらしい。 当たると痛いので、その上に普通のカットバンを張ってディフェンスしています。

 調理中に指を切ったことが悔しい今日この頃。 まぁ、指がくっついていたことに感謝したいと思います。

分かったこと。 指は包丁に勝てない。 よく切れる包丁の方がいい。 集中力と注意力。

世の中、何が起こるか分かりません。ご注意あれ。  と今日も夕食のおかずを考えながら・・。

台風12号

2011-09-03 12:52:45 | 日記
台風12号襲来。始めの予定より西方向へ進路を変え、四国から近畿の西部へ上陸予定。少し進路を外れたので、進路上の方々には申し訳ないですが、ホッとしております。伊勢湾コースを辿ったりしたら子どもの頃の伊勢湾台風を思い出してしまいます。
  
   イメージ「台風」

台風が来ると、亡くなった父親はいつも家の周りをグルグル回って風対策をしていました。今と違って昔の家は土台石の上に組み木が置かれただけですから、風にたいそう弱い。親父は屋根から縄をかけて庭石や柿の木に結びつけていました。(今から考えると、どのくらい効果があるのか・・・)縁側のガラス戸も非常に無防備で、悪いことに雨戸がない。内側からつっかい棒を入れて被害を食い止めようと・・。幸い、うちの家は平屋で前にとなりの家の大きな小屋、右隣は小さな竹藪とお隣の土台(お隣さんは一階分くらい高いところにお家があった)左隣も家に囲まれ、後ろは堤防の堤(水害の不安はあまりない)。大きな風が来てもけっこう揺れの少ない家でした。

      
 おかげで台風が来ると、よく隣近所のおばあさんがうちの家に避難してこられました。乳牛も飼っていたので、親父の心配は今の我々には想像を超えていたのでしょう。(お父様ご苦労様でした。)

 親父が死んで20数年後、今のところへ新しい家を建てました。  田んぼの真ん中。 引っ越してすぐの9月に日本を縦断した台風19号(確か19だったと思いますが)が襲来。  これまで、いわば防波堤に守られたような状況から、いきなり外海に出た感じで とにかく一晩中、揺れる揺れる。 家が吹っ飛ぶんじゃないかと一睡もできなかったことを覚えています。 大工さん曰く、「今の家は基礎にアンカーで止めてあるので、滅多なことでは飛んだりしません」
 おい、それを早く教えてくれよ。

 というような思い出があります。 でも台風が来るとなぜかワクワクするのはなぜでしょうね。