大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

時代とは残酷なもの

2009-09-09 02:36:33 | 未分類

朝(すでに昨日になっているが)、一通のメールが届いた。
親交のある現職地方議員からのもので、首長選挙に出馬の意思を固めたというものであった。
私の同業の友人知人というのは、出かけていった勉強会の席で出会った方がほとんどで、このメールの主も同じく。だいたい同じベクトルの同業者は、同じようなセンスで関わる場をセレクトするらしく、行く先々で「あれ?またお会いしましたね」ということも珍しくない。初対面がどの勉強会だったか思い出せなくなってしまったけれど、この方は複数期当選され、年齢も上、いわゆる「大先輩」なのに何かとメールをくださり、時に活動の心配もしてくださったりしていた。

時は衆院選で自民が歴史的な大敗を喫し、セイケンコウタイの嵐まっさかり。
地方政治は本来、政党とは一線をひいたもので、どなたさまが国政与党であろうとも、粛々と住民の福祉に邁進するものだと思う。「党の方針を実現するため」ではなく、「住民の福祉と利益(営利という意味ではない)」が当然に第一義で、その前には「党の方針」など二の次、いや、不要なのだから。今の日本の政党は、国政に対して何をする、というマニフェストは作っても、地方政治にまで応用・引用できる理念・方針というものを明確にしてはいないことだし。
しかし、その「粛々と」仕事をさせていただくために、選挙の洗礼を受けねばならない。そして現実問題としては、その後の議会対策や国・県との関係を想像し、選挙の時点で政党や議会勢力との「ひもつき」が構築されている首長候補がほとんどということになっている。
かような状況で、以前からの志であった市長選挙を迎えるこの先輩は、果たして幸運か不運か。
おそらく「セイケンコウタイ」の嵐に振り回されなければ、かなり状況が違ったであろうと思うと複雑。

有能な議員が、職を辞して首長選挙に挑むとき。志が達成できればその有能さがさらにトップの牽引力となってまちに大きくプラスに働く。しかし達成できねば、ただ「有能な議員が一人減った」という結果になり、まちにとって以前よりマイナスとなってしまう。
ここしばらく、比較的身近に耳に入ってくる地方首長選挙の動向を見ても、そのプラスマイナスの振れ幅は実に大きい。
この先輩のまちが、大きなプラスの結果を出されることを切に祈るばかり。
全国のあちこちに有能な首長による突出した自治体が増えれば、地方自治全体のレベルアップになり、それはひいては全国に波及していくものなのだ。大府もいずれその波及に乗せていただけるだろうと、勝手に思っている。




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