大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

あたらしい「新しい公共」 パブリック・リノベーション・クラブ  

2010-06-11 22:31:38 | 未分類
議員になって初めは、「お役所のやること」だけ目を向けていました。

それが、
最初の夏に、四日市大学(当時。現在は拓殖大学にいらっしゃる)で竹下譲教授の公開講座を受けて、地方政治と議会のあり方に大問題を抱えていることを知って「えらいこっちゃ」と思いながらもどうしていいやら手探りで、
事業仕分けを知って、「そもそも税金を使って役所がやることか」という考え方で薄目が開いて、
JTR日本税制改革協議会で、「ほっといてくれ!」と堂々と言えばいいのだ、「ありがとう、と言って税金を収める気になれるか」と言われ、一度にあれもこれも色々とリンクしました。
リンクはしたけれども、自分が思うことはあまりに非現実的なのかと思っていたら、
2年目に 福島浩彦氏のお話を聞き、実践があったことを知り、あちこちの「改革派首長」と呼ばれる方々が多く推進されていることを知りました。
自分も小さな市民団体を作ってみたり、PPPといったものをかじり、
さらに公共経営フォーラムに参加したことで、専門知識のある学識の方々や熱心な公務員の方々ともつながり、みんなが「よりよい社会」について真剣に考えていることを実感していきました。
(このあたりのことは、全て過去のブログに書いていたと思うのだけど、こういう事情で今はリンクが貼れない)

もちろん、ここに書いていない、さまざまな人との出会い、知との出会いが多くの考える機会を与えてくれました。
多くの人々の中には、もちろん、大府市民も大府市職員もいます。

そして、政権交代があって「新しい公共」という言葉が飛び交い始めた時に、

自分の考えにある社会の姿のひとつが「新しい公共」という言葉に表されていると観念的に感じました。

新しい公共円卓会議」が公開で開かれ、鳩山首相の辞任とともに、最後の円卓会議が行われました。
それをずっと見守ってきた、多くの多くの「これからの社会を考える人たち」「それに何かしら関わりたい」人たちが、
ツイッターで多くのメッセージを投げました。

国に何をしてもらうか、じゃない。自分が何をするかだ。
もはや国や政治に文句を言っている場合ではない。それよりも自分で考えやってみよう。

そんなような言葉が多く行き交いました。

私は政治に携わる者として、
自分たちでやってくれるなら有り難い、政治家がより無責任になれる
などと思うつもりは毛頭ないし、
みんなが自分でやってくれたら、政治の結果としてある行政が、税金を元手にあれこれ委託する仕事が安上がりにできる
などという考え方は言語道断だと思う。

これは政治で、役所で、しないといけないこと。
これは、個々であるいはみんなで、当事者が自分ですること。
役所とみんなが手をつないで、一緒にすること。
そんな社会全体像を考えることなしに、政治に行政にあれもこれも求めて続けて行くことはできない。

政治家は権力を持ってこそなのかもしれない。
政治や行政のテリトリーを再構築して狭めていくことは、政治家の出番が減ることなのかもしれない。
政治が権力を持つことだとしたら、テリトリーを狭める話は許されないことなのかもしれない。
だから、多くの政治家には、私の考え方は奇異に映るかもしれない。
(権力を持ち権力とバーターすることが市民との関わり方だというのは私には理解できない考え方なのだが)

それでも、社会という大きな枠組みの中で、
個々がある位置はどこで、自分でしないといけないことがこれだけあって、自分でできることはこれだけあって、
みんなでしないといけないことがどれだけあって、みんなでならできることがどれだけあって、
行政の位置はどこで、何をしないといけないのか
これを知らないと、政治に関わっていけないと、今の私は思いました。

ツイッター上で呼びかけがはじまり、
自分たちで身のまわりから、楽しく考えていこうよ、という緩やかな、前向きな「公共を考える空間」ができました。
100名を越えるメーリングリストができました。
早々にバーチャルからリアルのつながりに広がり始めています。

私もその中に加わって、いっしょに、楽しく、考えていこうと思います。
市民と議員の条例づくり交流会議IN名古屋のアクションも、何かにリンクしていきそうな気配。

メールボックスを開けるたびに、膨大なメールが飛び込んでくるのは少々悩みの種ですが(笑)







最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。