大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

ダウンサイズする行政、深まり広がる社会

2010-05-24 00:32:24 | 未分類
金曜の晩は行政経営フォーラムteitterプチ例会でした。
行政経営フォーラムとは http://www.pm-forum.org/
プチ例会のまとめ http://togetter.com/li/22954
1時間半の予定のところ、私は30分ほど経ってから参加したので実質1時間ほどですが、13回かな?コメントしています。

今回のtwitterプチ例会のテーマは、7月の行政経営フォーラム例会(年2回リアルに集まって行っています)のテーマについてブレインストーミングするというもの。
つまり、自分がこういうことについてみんなの情報を得たい、考え方を知りたい、と思っているなら、この場で投げかけをしておくと、実際の例会テーマに何かしら反映される可能性アリ、ともいえるわけで。

私のこのところの懸案事項を投げかけてみました。
「行政はダウンサイジングを考えないといけなくなってきていて、いかに美しくみんなが納得いく形でしぼませていくか、が課題になっていると思うのだけど、それで開けた未来が描けるか?しぼむ=物寂しい ではなく、明るく開けて且つダウンサイジングするには?」
この悩ましいところについては、5月9日の日記に書いておりますhttp://blogs.yahoo.co.jp/obu_musyozoku_019/14412583.html
「美しくしぼむ」というのは、1月に加西市に視察に行った際にお聞きしたフレーズなのですが、人口減少・規模縮小の時代にあって、行政は当然に縮小していかねばならないということをとても明解に綺麗に表現していると思って印象に残っているもの。受け売りです。

この問題提起について、いろいろコメントいただいて、やりとりするうちにはっきりしてきたことは、
しぼむのは「行政」であって、社会全体がしぼむ・沈滞するという意味とははっきりと異なる ということ。
新しい公共とか、自助・共助しかり、そうしたものによって、社会全体はしぼむどころか、厚みが増して体積的に現状と同じどころが増えるくらいではないかと。
社会全体が持つさまざまなものごとのうち、「行政・政府」はしぼみそれらが担う部分が比率として減る。
「行政がしぼむ」ことのみ捉えて儚く寂しく感じること自体、政治を生業としている私の職業病だったのだ。

行政がダウンサイズせねばならないことは合理的に合点がいくのであるけれど、それでは社会が成り立たないのではないか、という不安をみんなが軽減できなければ、行政のダウンサイジングに理解が得られない。
政治的に「新しい公共セクター」が育つよう促すことも必要だけれど、なにより構成員たる国民・市民も自ら考えねばならないということを、さまざまなツールを使ってアプローチしていかないといけない。
もちろん、とうに気づいて動き始めている方々も多くいらっしゃるから、そうした方々に牽引していただき、ついてゆかねばとも思っておりますが。

市民の行政依存を脱し、市民が自立することによって、行政の規模縮小は理解を持って受け入れられる
では、市民の自立には?

金曜のフォーラムの議論に上っていたほかの観点のコメントとして、
「市民参加の「市民討議会」」
「人材育成」
「職場を飛び出して活動する 組織内個人のCSR活動」「スピンアウトした公務員」
「市民協働と言われる中での自治会・NPOと行政の関係」
などが交わされていました。
これらひとつひとつが、民主主義の成熟のきっかけ作りであったり、行政・公共の担い手の現状&これから の議論=自立した社会につながるもの であるようにも見えてきました。

ちょっとそこの市長さん、「対話と協働」なんて言ってる場合じゃないのかもしれませんよ。
協働は行政のツールではない。
これからの自立した社会のために、行政が自ら縮小するために、必要な社会の機能を増やし深めていくさまざまなアプローチのうち、せめて行政が働きかけできる部分はやっていかないと。
そのアクションが協働ではないか?

なんだかまたもまとまりがないですが、自分なりに将来への処方箋が見えてきたような気がします。






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