大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

友人の訃報。

2012-04-18 23:48:14 | 日常あれこれ
 私より若い友人の訃報。驚いた。言葉が出ない、ってこういうことを言うんだ、とか、「亡くなったんだ」と知らせてくれた電話の声を聞いてから、次の言葉が耳に入ってくるまでの一瞬に本当にいろいろなことを考えた。思考が飛んだ。
 電話が終わってから、彼女の情報を探した。ここしばらく顔を見る機会がなかったのはそういうことだったのか。いつから足取りが消えていたのかさえ気付いていなかった。彼女のことを気にしていなかったのではなく、そんなふうに探し回らなくても彼女とは、あるときばったりと一緒して「久しぶりー」と飲み交わすんだろう、という妙な結びつきに自信があったのだ。
 もうそんなことは二度とない。そんな機会はもう巡ってこなくなってしまった。
 2年ほど前だろうか、あれは明治大学で行われたシンポジウムだったろうか、会場近くの居酒屋で10名足らずで飲んで語ったのが、彼女と同席した最後となった。そのとき同席したうちの2名とは、先日ご一緒しており「あのとき以来ですね~」と話したばかりだ。

 私がこの業界に入らなければ知ることも袖すりあうこともなかっただろう彼女。不思議な縁で、これまでまったくつながりのない人生を、距離的にも相当遠いところで互いに送ってきたのに、知り合ってみたらこんなに近い感覚の人っているんだ、と思った。駆け出しで時に足元の覚束なさが身につまされるときに、互いに支えあったような感覚のある仲間だった。
 そしてクレバーで繊細ででも大胆で、あんなふうには生きられないとその生き方に敬意と憧憬をも持っていた女性でした。
 混沌の現代だからこそ、これからいっそう、彼女のような政治家が必要だったのに。彼女一人ではなく、彼女の姿を見る地方政治業界の何人もにも、彼女の仕事は及ぶものだったのに。

 第一報を聞いた電話口では出なかった涙は、その後かかってきた共通の友人からの電話でこぼれてしまった。というか、ようやく実感がわいたというのか。
 フェイスブックの彼女のウォールに哀悼コメントがついてると聞いて、彼女のウォールを開けたら、彼女が普通にいつものように自転車の脇に凛としているプロフィール写真を見て、切れた。

 言葉でもなんでもなく、彼女がもういない、ということに流れる涙は、素直に彼女への哀悼だと、悲しい気持ちに任せておこうと思った昨夕。
 彼女の翼はあまりに大きすぎて、現世は狭かったのかも知れない。その大きすぎる翼を今はきっと、思うまま広げていることでしょう。
 北の大地で、今日はしのぶ会が開かれています。

熱田神社祭礼

2011-10-16 22:44:50 | 日常あれこれ
10月16日 地元の熱田神社の祭礼です。

転勤妻生活に終わりを告げて福岡市から戻ってからの数年間、
子どもたちの、地域の子ども獅子を連れてまわったこととか、
神前式の結婚式を挙げたのがこの熱田神社だったこととか、
家から歩いてすぐなので、除夜の鐘を聞きながら初詣に行くとか
そんなような御付き合いをさせていただいているお宮さんです。
結婚してこの地域の住民になった私は、当然「生まれ育った地元のお祭り」という感慨にはならないのですが、
議員になってから、議員は祭礼の来賓として御招きいだたく伝統のようで、
ご案内を頂戴し、式典に参列させていただいています。
ずっとこの土地で育ってきた多くの方々をさしおいて、
と若干気が引けるところもあります・・・

お正月と建国祭と今日と、年3回、本殿での式典に参列させていただいています。
式典では、宮司さんや神職の方々が直衣に袴、烏帽子のいでたちで、祝詞や拝礼などなさり、
同じく着物と袴と烏帽子の楽人の方々が、実際の演奏で神楽を奏で、
最高でも中学生までの巫女さんが、鈴をならし舞を奉納します。

この式典に参列すると毎回思うことは、
これを記録に留めたい、留めておかなくていいのか、ということです。
そして、伝統と格式に則り粛々と執り行われる神式の式典を
当地ではこうなのだと、多くの人に見ていただけたら、と思うのです。

しかし実際は参列者として列席していますから、当然携帯カメラひとつ撮影することはできず(当然ですね)粛々と拝礼しますし、
神殿を撮影するということが不謹慎ではないかという、特段きまりはないものの畏敬の念があり、
毎回、その厳かさと脈々とした伝統を前に、
列席させていただいていることへの恐縮の念を秘めつつ、
私にできる限り居ずまいを正し、しっかりその緊張感と光景を目に留めてきています。

今日はいつにも増して宮司さんや神職の方々の直衣の色がカラフルで、
特に宮司さんの、紅色の直衣が、
派手な色のはずなのに、鮮やかだけど落ち着いた色に見え、
それぞれの色にも格式があるのだろう、とか色々考えながら
その配色を覚えて帰ろうと思っていても覚えきれず・・・

後で聞いたところによると、今日は熱田神宮から神職の方々が来てくださっていたようで、
「いつにも増して」と感じたのは合っていたようです。


私が育った東浦町とこの熱田神社も含めた界隈の秋のお祭りは
「駆け馬神事」といって、囲いの中馬を走らせ飛びつく、という神事を行います。
それほど大きなものではないですが、朝夕に山車もまわります。
うちの町内は街なかで、いわゆるドーナツ化に近く子どもが少ないため、子ども獅子は何年か前にうちの末っ子と数人のこどもでまわったのを最後に中断したままになっています・・・


「村の鎮守のお祭りの、今日はめでたいお祭り日・・・」

地域の伝統の中の秋のひと日。
好天で何よりでした。


(写真を添えたいのですが、式典参列するのに携帯を家に置いて出たので、神社の参道ののぼりや駆け馬の写真すら撮ってきませんでした・・・残念)


参道近くの民間学童保育所「どろんこクラブ」がどろんこ祭りをやっていましたが、
祭礼のあと、少し家事をして、午後から勉強会のため外出してしまったので、
訪問できませんでした。
ご案内くださった学童保育所さん、ごめんなさい。
昨年の学童保育所どろんこ祭りの際の写真記録はこちら→2010年10月17日のつぶやき

シネマな休日

2011-10-02 21:28:02 | 日常あれこれ
昨日、午前は大府公民館の公民館まつりへ。
(公民館まつりの会場の様子は「10月1日のつぶやき」でご覧ください。)
30回目の開催で、大府小学校の金管バンドクラブ108名のみなさんの演奏でオープニング。
来春に大東小学校が開校し、大府小学校の児童が分かれるので、こんな大人数の演奏が聴けるのもあと少し、というのも少し感慨深く。
公民館まつり含め、コミュニティの行事とかは、地域に根ざしていない議員の私は少し異邦人を感じる場でもあり、溶け込みたいけどきっかけが掴めない不器用さを突きつけられるものでもあり。
ずっとワーキングマザーをしてきたから、家と職場で手一杯で、地域の役員や世話役にはご縁がないままに今に至っていますからね・・・(もちろん隣組で順番にまわってくる分担はやってましたが)



さて、午後は「第1回知多半島映画祭」へ。
知多半島映画祭のブログ→こちら

企画者で実行委員長の鈴木さんとは、同じ東浦町石浜育ちでご縁があったうえ、
「知多半島を盛り上げよう」との気持ちに大いに賛同したので、
映画が趣味というわけではないですが、何度かやりとりさせていただいて、昨日当日も少しですがボランティアスタッフとしてお手伝いさせていただきました。

世に「ショートフィルム」というカテゴリーがあるのは知っていましたが、実際に見たのは初めてで。
制作畑の方ともお手伝いの傍ら、ショートフィルムの作り手側のお話や、ショートならでは、の楽しみなどお聞きすることができました。

ロードショーの長尺の映画作品って、見始めてしばらくして「あれー?思っていた作品じゃないなー?」と思っても、とりあえず最後まで見よう、と結果疲れるだけになってしまうこともありますよね?
ショートフィルムは20分まで(多くのコンペがそういう規定で行われているのでそうなるそうです)なので、飽きずにめげずに最後まで見ることができるし、
長尺の映画でも、実は強く印象に残っているのは切り取ったカットだったり、ワンシーンの台詞だったり、時にはエンドロールが印象的だったとかタイトルバックが強く残っているとか・・・
長尺だから伝えられるものもあるのでしょうが、メッセージや持ち帰りは実は凝縮されたワンシーンだったりするわけで。
その1カット、1シーンは、20分の中にも込められる、伝えられる、伝わる、受け取れる、んじゃないかな、と。

飽きっぽく、長時間拘束されることが面倒なタイプの私には、初めて見たショートフィルムは「向いてるかも^^」と思いました。
もっといろいろなショートフィルムを見てみたいと思いました。
コンペ形式の映画祭のような大掛かりなものではなく、
時折気の会う仲間が集まって、ショートフィルムを見る集まりなんかできたら楽しいかも?とも思い・・・
なかなか見る機会がないですからね。

ボランティアで関わったみなさんと一緒に食事会をして解散になりましたが、
映画祭を見に来てくださった方や食事会の会場には、同じく「知多半島を盛り上げよう」と以前常滑で行われた「大ナゴヤ大学 Think チタ」で会った方々の姿もあり、
「知多半島」という地域の中につながりができていく感じがしました。

知多半島、盛り上げましょう。
大府は半島の付け根で海に面していないので「半島」の意識がどうしても薄れがち。
でも、せっかく「半島」というレアな地理的条件と、何かにつけ「5市5町」とひとくくりにされるのですから、
大府も半島の仲間なんだよ!いっしょに!
という気持ちを、引き続き持っていこうと思いました。
この視点はシティプロモーションにも活かされると思っています。

【雑感】ホームタウン

2011-05-28 23:20:52 | 日常あれこれ
中学の同級生が中心になって、TOTOとJourneyのコピーバンドをやっています。
TOTOとJourneyは、私たちが中学・高校の頃流行した米国のロックバンドで、
当時はレンタルレコードにカセットテープの時代、高校の帰り道によくレンタルレコード屋に寄ったものです。
大きなレンタルレコードの袋を持って登校しても、咎めるような学校・時代でなかったのも幸い。
(今は学業に不要なものを学校に持って来ないように、と厳しい向きもあるようで)

70年代後半から80年代前半のロックシーンをかじった私には
とてもなつかしく、今でも口ずさめる楽曲が多くあるバンドです。
(後に私は、明るすぎるUSロックよりもUKロックやグラムロックを好むようになっていくのですが)
縁あって、「TOTOとJourneyのコピーをするのに、ハモリ隊員が足りない」とのことで、
この同級生たちのバンドに1年ほど参加させていただいていました。
私は、学校の音楽で習ったリコーダーぐらいしか楽器ができないので、
バンドに関わったことのない私が、40代にして初めて、ライブハウスのステージに立つという経験をしました。

今日はその、コピーバンドのライヴがあるということで、新栄のライブハウスへ。
最初1曲聞き逃したところで入場し、TOTOのメドレー、99とRosanneで締め。
最初の1曲は JourneyのLightsだったそうです。

【以下歌詞】
Lights/Journey

When the lights go down in the city
And the sun shines on the bay
I want to be there in my city
Ooh, ooh

So you think you’re lonely
Well my friend I’m lonely too
I want to get back to my city by the bay
Ooh, ooh

【略】

このLights は、確かライブアルバム「Live Energy」で聴いたのだと思うのですが、
彼らの、故郷Californiaを想う気持ちが溢れていてとても印象的でした。
涙が出るくらいに。
楽曲を聴いているだけで、彼らの想いと、西海岸に沈む夕陽、夕陽に照らされ次第に暮れゆく摩天楼を画像としてリアルに想像できました。

「Hometown」という言葉を、自分なりのイメージとして持ったのは
Journeyに触れてからだったと思います。
(西海岸がルーツであることを、取材など至るところでメンバー自身が語っていたと記憶)
この曲と、この曲からイメージできるいろいろなことが、
「自分にとってのHometownとは」という問いにもなっています。

1年だけだけどバンドに参加させてもらった頃のこととか、
あれから2年しか経たないのに随分自分の状況が変わっていること、
TOTOやJourneyを聴いていた頃のこと、
そんな色々な思いが去来するひとときでした。


さて、現実に戻って、My Hometown のために
闘う日々に戻ろう。

お引越し作業?

2011-02-14 01:02:53 | 日常あれこれ
gooブログは初投稿。

ブログジプシーというか。

2007年の当選直後からブログを更新してきたのですが、
「議員たるもの、書きっぱなしじゃいけない、みなさまからご意見もいただかねば!」
とコメント受付OK設定にしていたら、
スパムメールの大量投稿攻撃をくらい、
500以上のエントリーの全てが更新も閲覧もできなくなり閉鎖の涙を呑んだのが昨年の話。
その後、とりあえずとyahooブログを更新するようにしたのですが、
ツイッターを始めたら、ツイッターの手軽さと、yahooの不便さで更新ストップ。

これはいかん!と、再開のきっかけをつかめずにいたのですが、

とりあえずこちらで始めてみようかな、ということに。
ツイッターの自動投稿も設定したし(できてるハズ)

明日から(いや、今日じゃん)は3月の予算議会に向けた説明など始まります。

間もなく4月は統一地方選、私も初めての改選を迎えます。

慌しいなー。

「ツイッター間際議連 幹事長」の名誉職を卒業できる日は来るのか?

とりあえず「素人議員の見聞録・gooブログの陣」
はじまりはじまり~