気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

母さんへ~電話ができないから手紙を書くね (^.^)/✉10

2020年10月14日 | 母への手紙

10月も半ばになり、いつのまにか秋です。

ついこの間までは暑い暑いと言っていたのに、この頃ちょっと寒いくらいの日もあります。

暑さのせいか、それとも虫のせいだったのか?葉が枯れ落ちて、もうダメかと思っていた薔薇が新しい葉をつけて、花も咲き始めました。

 見出し画像の薔薇の一花

 先日の台風時に咲いていた花。

一花しか咲いていなかったので雨で散ってしまうのではと写したもので、やはりもう散ってしまいました。

きれいな薔薇なので、また咲くように肥料をやったり虫よけをしたりしようと思っています。

 ちょっとオレンジがかっていてこれもきれいです。

このところ朝は庭にでて、少しずつ草取りや枯れ葉の片付けなどをしています。

なにしろ両脇のお宅が空き家なので、蔦で覆われ、木も伸び放題なので、これからは枯れ葉片付けに追われそうです。

でも母さん、それでもこんなのんびりとした日々は初めてかもしれません。

以前なら「まったくせっかくの土日なのになんで他人(ひと)のうちの葉っぱ片付けをしなくてはならないの 」なんて了見の狭い私だったのに、

少し心が広くなったような気がします。

私はあの有名なロシア民謡の「一週間」の歌に憧れていました。

日曜日に市場へ出かけ糸と麻を買ってきた。➔ えっ!買ってきただけ。

月曜日におふろをたいて火曜日におふろにはいり~。➔ えっ!どういうこと。

水曜日に友だちが来て。木曜日は送っていった。➔ そっか泊ったんだ、ゆっくり話ができただろうね。

金曜日は糸巻きもせず、土曜日はおしゃべりばかり➔ そうか日曜日に買ってきた糸は今…でも糸巻きやらなかったの

恋人これが私の一週間の仕事です。チュラチュラチュララ・・・。ていうか仕事していますか?

でもこの超スローな、時間に縛られないし、仕事(勉強)しないで済む生活って憧れますよね。

現実には無理ですけどね(大富豪だったら有りなのかなぁ…)。

直ぐ取り掛かる!直ぐ返事をする!できる限り早くする!常に頑張れ!  それが当たり前だった日々を過ごしていました。

でも、今までの忙しい人生があったから、おまけ的に今があるのかな~なんて思ったりしています。

母さんのおかげだとも思っています。

だからこんな日がいつまで続くのかちょっと不安です。おまけがどのくらいなのかが…。

母さんの三回忌は12月4日になったと、からいつもながらのショートメッセージ!で連絡がありました。

「ワクチンを打ってもらうまで我慢だな、家族だけでやるから気にしないで!近くになったら感染状況を見て連絡するよ。」

感染状況って、未だに収束してないコロナの事だと思います。

家族だけって、の家族だけ、つまり実家だけでやるからということだと思うけれど、何だか寂しいですね。

ワクチン打ってもらうまでって、それいつできるのよぉ。

インフルエンザ予防接種は、65歳以上無料なので通常の人より早く済ませということで、もう行ってきました。

三回忌って…母さんが亡くなってもうじき2年経つのですね。

秋のせいもあるのでしょうけれど、淋しいです。

コロナが収束したら、回忌に関係なくお墓参りに行くからね・・・・。

 

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木犀をお題にした母の句~ふり返る香り

2020年10月10日 | 伊代の俳句

※サトチさんの写真/写真ACから

木犀やふとふり返りふり返り

淡い香りにふと振り返るとやっぱり木犀の木だ…と、何故か嬉しくなった。

そして少し歩いてもその香りはまだ漂っていた。それでまた振り返るのだった。

季語は木犀:仲秋(歳時記では晩秋)

今、散歩をしているとあちこちで見かける木犀をお題にした句。

ふ…ふ…ふ…とふが並んだ、何だかニコっとするような句。

どちらかというと悲観的なものが多いような気のする母の句の中では珍しいほうかな。

でも、解読は感じたとおり…ということで、易しい。

水色の短冊に書いたものがあったのでそれを写真に載せてみた。

今日は台風14号の影響で朝からずっと雨が降っている。

上陸はしないようだけれど、咲いている木犀の花は落ちてしまうかもしれない。

※mimeiさんの写真/写真ACから

      

木犀を詠った有名な人の句が有りました。※木の情報発信基地/木と文化/季語の木より

木犀の 香にあけたての 障子かな (高浜虚子)

天気の良い日、日中ずっと障子を開けていると、木犀の良い香りがしていて、なんだか障子もほのかに香っているように思える。

(あけたては開けて閉めることで、日中の間ということ)

この少ない文字の中に、何だか匂いも感じるような気がします。

雨に打たれて落ちた花びらも風情があるので、私がもし俳句を嗜んでいたら、(ここで一句)となるのだろうけれど・・・。

詠えない私。

やはりコロナが収束したら、俳句サークルでも探してみようかな…母さん

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セピア色の写真~海を眺める生徒たち

2020年10月05日 | 日記

三保松原の海岸(中学三年時の修学旅行にて~S.40年)

      

断捨離の一連?で写真整理を始めた。

紙写真をデータ化し、その後シュレッダーで処理し捨てようと思っているけれど、この作業が遅々として進まない。

例えば見出しの写真は、海のない所に住んでいる当時中三の私たちが「えっ~海ってこんなに広いんだぁ」と、一列になって海を見ているセピア色の写真。

白黒だし、小さすぎてもう誰が誰だか分からない。データにしないで捨てる候補だ。

でも…何だか味がある…海を見たのってこの時2回目だった…なんて考えながらなので、さっさとは捗らないのだ。

確かこの旅で、お土産やさんで会った同い年くらいの地元男子に(埼玉の田舎ざる)って言われたことを今でも覚えている。

多分海を見てギャアギャア言っている私たちが可笑しかったのでしょう。

「海はないけど、東京から離れている距離としたら、そっちの方が田舎でしょう。」と言い返せなかったことが悔しかった。

どうでもいい事なのに、この執念深い埼玉愛 。でも私のような人が多い?から、映画(翔んで埼玉)は言い得て妙な作品だったのかな・・・。

でもあの時の子も、もう70歳くらいになっているはず。想像するとちょっと可笑しい。

 ※富士さんと三保の松原:PhotoBさん/写真ACからの写真を頂いた。

 55年前。この海岸に並んだ~などと思ったりしながら、

シュレッダーにかけるのも、ひと悩みしているところへ、

「それ僕がやる。」と孫

前のが壊れてAmazonで新しいのを買ったのを知っていて使ってみたくて仕方なかったらしい。

データ化した分の小箱一つあっという間に切ってしまった。

そして早く切れる写真をもっと出してくれと・・・。

写真はデーターがあたりまえの世代で、それに写っているのは全部シラナイ人だ!

思い入れが全く無い。早いわけだ。

今度はにシュレッダーかけを頼もうと思う。それがいい。

       

ちなみにこれは私、3歳時の写真。裏に母の字で満3歳と書いてあった。

白黒だし、破れているし、見ても誰だか判らないだろうし捨てる候補の1枚。

でも自分で言うのもなんだが、カワ(・∀・)イイ!! じゃないか。(今は見る影もないけれど。)

こんな調子の私では、この作業、2、3年ほどかかりそうだ。

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十三夜をお題にした母の句~後(のち)の月

2020年10月02日 | 伊代の俳句

強がりの胸に亡母(はは)棲む十三夜

季語は十三夜:秋

強がりの私の胸の中には、ずっと亡くなった母が棲んでいる

十三夜の月を見ていると、ちょうどこの頃亡くなった母のことを想う

はっきりとした日は覚えていないけれど、祖母は10月に亡くなった。

 

天寿果て逝きたる母よ捨子花

季語は捨子花:秋

捨て子花とは彼岸花の事。他に曼珠沙華、死人花とも言われている。

  私の郷里では田んぼの周りに彼岸花が咲いていた。

 

秋雨にずぶ濡れて母葬らむ

季語は秋雨:秋

お葬式は秋雨の降りしきる日だった。

私も喪服(母の作ってくれた着物)の裾がびしょびしょになったのを覚えている。

追い追い解読しようと思っているけれど、この他も祖母のことを詠った句が沢山あった。

2歳にして父を亡くした母は、祖母に対しては強い絆があったようだ。

祖父が亡くなったのは36歳で、その時祖母は32歳。

当時2、4、6歳だった子供3人を女で一つで育て上げた母親には、父親の部分も重なっていたのかもしれない。

優しい祖母だったけれど、その反面「片親なのだから泣くな、泣くと馬鹿にされる」と母にはよく言っていたという。

母はだから泣かなかった…と。

私も、母が泣いたところは、父方の祖母)が亡くなった時のほんの一瞬しか見ていない。

そんな強がりの母の胸の中にはいつも母親(祖母)が棲んでいたのかもしれない。

      

昨日は中秋の名月(十五夜)でした。

朝から小雨が降っていたので見ることは無理だろうと思っていたけれど、

午後から晴れてきたのでもしや見えるのではと、夜になって外へ出てみた。観えました。 

十三夜は後(のち)の月ともいい、十五夜から約一ヶ月後で毎年違う日になり、今年は10月29日になるそうです。

十五夜の月見は中国で行われていた行事で、十三夜の月見は日本独特の風習だそうで、十五夜に次いで美しいとされ、

十五夜だけを楽しむのを(片見月)といい、片見月は縁起が良くないとされるのでできれば両方見るのが良いとのこと。

この月は深まった秋に愛でる月(名残の月)などとも呼ばれ、中秋の名月より少し欠けているところが、哀愁を帯び、俳句のお題などに好まれるようです。

お月見は、豊作を祝う行事でもあり、ススキ・お団子・里芋・栗などをお供えするので、(豆名月、栗名月)などとも呼ばれたそうです。

なんだか美味しいお団子が食べたくなりました。

俳句って風流で奥が深いのですね。母さん…

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