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気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

明け方の夢(3)

2017年05月13日 | 明け方の夢

実家の裏は1キロくらい先まで田んぼで、行き着く先には利根川の堤防が横たわっている。
その田んぼの中になぜかナラが繋がれていた。そしてわたしが何日か留守にしていた間に、家人の誰も御飯をあげに行っていなかった。
どうして?それじゃナラが死んっじゃう!もう死んでるかもしれない・・・と涙をいっぱいにして叫んでいるところで目が覚めた。
顔は涙でいっぱいだった。・・・もうナラは居ない。
相次いで伯父、伯母が亡くなったのもそうなのだけれど、先日10年以上もの間毎日会社に行くバスの中で一緒だった、いわゆるバス友が退職して、バスに乗らなくなった。(71歳まで働いたのだからもうこの後は就活ならぬ終活よ)なんて言っていた。なんだがこの頃、いろいろな別れが多いせいか、少々ナーバスになっている。

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明け方の夢(2)

2014年05月01日 | 明け方の夢

愛犬(ほんとうに愛犬)ナラが自分で歩けなくなって、4か月余りたった。この頃夜が暑くなってきたので夫のベットの脇にふとんをおいて、そこに寝せた。スースーと寝息をたてていたので、この方がナラにとっても私にとっても良いのかなと思ったのだが。明け方3時ごろ目覚めるとナラが私のベットの脇まできて上半身をたてて私を眺めていた。(たぶん這いずってきたのだろう)思わず30キロほどの体をだきあげ、自分の傍らにまた寝せてしまった。もうじき別れがくるのは避けられない現実なので、少しずつ離れてみようと思ってみたのだけれど、やはりダメらしい。

ナラは安心したのかすやすや寝てしまったが、私はなかなか寝付かれない。明け方になってやっとうとうととして眠りについたけれど、今度は次男の夢を見始めた。次男は28日にミャンマーに単身赴任したのだけれど。なぜか幼稚園生で、お金の数え方の勉強をしていて、後ろのほうの席で私を呼んでいる。行こうと思うのだけれと机が邪魔をしてどうしても行けない。夢なんてそんなものだろうけれど。そうこうしているうちに目覚めると、涙が頬をつたわっていた。泣いていた。もう立派な大人になっていて、しかも行ったきりになるわけではないので平気だったのにやはり心の奥では心配しているのだろう。

別れって仕方ないのだろうけれどやはり嫌だ。

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明け方の夢(1)

2010年05月30日 | 明け方の夢

昨日に引き続き肌寒い日曜日。洗面台が壊れ(なにしろ20年前のもので)もう部品がないらしく新しいものを購入することになった。足踏みのもので洗髪などにはとても便利だった。当時は画期的なものだったけれど、今はセンサーに変わっているらしい。
次々と便利になるのはいいけれど、以前のものでもじゅうぶんなのに、もう使えなくなるのはなんとも今はやりのECOではない。ビデオがCDに、テレビもアナログからデジタルに、そして、以前のものが使用不可能に・・・・。携帯電話ももう少したつと、使用できない機種が、買い替えなければならなくなるらしい。なんでも周波数の関係らしいが?
前へ前と進まなくてはならないのは、仕方ないことなのだろうか?
もう少しまったりとした、時の流れでいて欲しいのは年齢のせいだけなのだろうか?
明け方、二人の息子が小さかった頃の後ろ姿を追いかけている夢をみていた。

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