goo blog サービス終了のお知らせ 

記録日記~ステージ4からのがん治療~

父の癌発覚から治療に至る経過を綴っています。
2013年3月よりアービタックスによる治療を行っています。

父とのふたり旅~京都Ⅰ~

2009年07月06日 00時26分28秒 | 家族

7 月4日(土)

父の希望、父との約束だった、念願の京都旅行。
今回は出始めに1泊2日の強行日程で発つ。

①父の迎え
↓車
②空港
↓飛行機
③関空
↓JR
④京都駅
↓地下鉄M
⑤ホテル&近場でランチ
↓M
⑥二条城
↓バス
⑦金閣寺
↓徒歩&バス
⑧北野天満宮
↓バス&徒歩
⑨銀閣寺
↓バス&バス&徒歩
⑩清水寺
↓徒歩
⑪高台寺
↓徒歩
⑫八坂神社
↓バス
⑬ホテル・夕食

詳細を記録してみる。

①父の迎え
前日、お風呂の湯をはりながら寝てしまう。そのまま朝まで。
目覚ましのセットもせず、携帯の電源も切れていた。
6時に目覚める。
父のお迎え予定は6:15。
程なく父コール。
父を待たせてあわてて準備。
6:30すぎ、出発。

②空港
父の運転で空港へ向かう。
近場の格安パーキングへ。
タッチ&ゴーのwebチェックインを済ませてゲートをくぐる。
ふたり分、webチェックインを済ませたつもりが、
ICカードでの通過は一人ずつとのことで、父は通過できず、
検査ゲートで足止めを食らう。
父の分を係の人に発券しに行ってもらい、ギリギリで搭乗。

~飛行機内~
空の旅。
父は久々とのこと。
京都での行動計画を考えながら過ごす。
私は父の好きな時代を中心に見学の候補を挙げてきたが、
父は、人生初の京都。
以外と、通常の観光名所をまわりたいようで候補に挙げていた。
それを踏まえて、計画を変更&固める。
あいまいな計画のままで、かえってよかった。

③関空
そういえば、関空利用は久しぶり。
こんなにきれいだったっけ?
みどりの窓口で往復自由席を購入。
京都までは1時間20分ほど。
空の旅も2時間10分だった。
以外とかかるのね。
特急はるかは土曜なのにガラガラ。
父はドームなどを見つけて、
車中の景色を楽しむ。

④京都駅
地下鉄方面へ向かい、京都観光2日乗車券を購入。
昼を食べようとレストラン街をまわるが混雑。
地下鉄に乗ることにする。

⑤ホテル&近場でランチ
地下鉄+徒歩でホテルへ。
荷物だけ預けて出発。
途中にあった蕎麦屋でランチ。
放射線治療のため、味覚障害と食べにくさ(飲み込みにくさ)が残っていると父。
だから食事時もそれ以外も水分が必須とのこと。
「寿司より麺が食べやすい。」
と話していた。
父ランチはそばと親子丼のセット。
親子丼は、タマゴのとろり感で、ごはんも食べやすそうだった。
食についていろいろ尋ねる。
すでに13時をすぎる。
今日でどこまで回れるかな。

⑥二条城
飛行機内では、先に金閣と考えていたが、
乗り換え案内を見て、先に二条城へ行くことにする。
徳川家に縁の深い二条城。
関わって、いろいろ会話をしながらまわる。
最初の見学先にして結構歩く。
バスで金閣へ移動。

⑦金閣寺
父セレクトの金閣寺。
柱までもが金なわけでしょ。
やはり、義満さん、ハデだなぁ~。
写真撮影などしつつ。

⑧北野天満宮
はじめ間違えて反対方向のバス停に。
気付いて移動。
次のバスまで時間があったので、
バス路線に沿って2駅くらい徒歩で移動。
道真さん。
受験期なら間違いなく合格祈願をしたでしょう。
お参りし、七夕飾りがあったので、短冊に願い事を書く(私だけ)。
『また、家族で京都にくるぞぉ~』
なんとすでに16時台。

⑨銀閣寺
バス停を降りたのは、16時半をさらにすぎてたかな。
銀閣への道を登る。拝観は17時まで。
少し早足。
5分前くらいについたはず。
でも17:20位までは中にいるのがOKとのことでセーフ。
銀閣が修復工事中だったため、
駆け足で巡る。
竹藪、竹の手すりが印象的と父。
少し高台で景色も○。
拝観後、界隈でちょっと休憩。
私はグリーンティ。
父は抹茶アイス。

清水寺へは、近場のバス1本で行けるはずが、
時間も時間で、終電が行ってしまっていた。
さすが?京都。観光地に合わせてか、終電も早い。
少し歩いてもとのバス停へ。
要乗り換えだ。
バスが車庫に入るからと、よく分からない理由で途中下車となる。
でも、この頃には京都のバス路線にもなれてきて、
スムーズに次の違う系統のバスに乗り換える。

⑩清水寺
バス停に降りたのはこれまた、18時すぎ。
拝観は18時半までというのに。
ダメもとで清水坂を登る。再び早足で。
父はちょっぴり疲れ気味。
またもやギリギリ間に合う。
閉館前の清水寺は、空いていて素敵でした。
遠方の景色がきれい。

⑪高台寺
拝観時間は過ぎてるけれど、
八坂神社へ向かうため、徒歩で高台寺方面へ歩く。
三年坂、二年坂を通過。
京らしい小道。
これも時間のせいで、店がほとんど閉まっていたのが残念。
でも、風情あるなぁ。
高台寺の境内は、まだ人も多く、茶屋もやっていたのでしばし休憩。
ねねの道を通って八坂神社へ。
高級そうな料亭?らしき店構えを多数通過。

⑫八坂神社
祇園祭の期間のため、19時台にして、まだ人も多い。
記念撮影。
祇園祭が今後のニュースで流されるといい。
ここを見たことを思い出す。
ここを歩いたことを思い出す。

⑬ホテル・夕食
バスでホテルへ戻る。19時半ころ。
時間いっぱい巡った。
ビールを買って宿へ向かう。
父とビール(第3の~)で乾杯。
ノンアルコールを買おうとしてたみたいだけど、なかったようで。
父が癌になって以降、初めてのビール、アルコール。
(アルコールという意味では一度サワーを飲んでるかな。多分。)
気にしながらも、よしとしよう。
特別な日。

部屋食で、今日の疲れを癒す。


続く…

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


久々の帰省

2009年06月09日 00時02分32秒 | 家族

日曜に久々に帰省。
YOSAKOIソーラン祭りの観覧チケットを父と母に届けに行きました。

練習の後だったので、実家についたのは22時。
ですが、いつもは22時くらいには布団に入っているらしい父も、
この日は起きて待っていてくれました。

放射線でやられた声は、まだ元には戻らず。
でも、食欲は回復しているようです。
でも、体重はあまり増えてなさそう。

チケットを渡したり、他チーム含めた演舞スケジュールを
ネットで調べたり。

私がセレクトしたサプリメント。
最近は飲んでいないようで、余っている。
「せっかくここまで治療してきたのだから、
サプリはずっと続けてね。」
とお願いする。

治療も終わった今、
できることは再発防止の食生活。
私ができることはそんなもん。
だから、お願い、ね。

次の通院は7月3日。
ちょうど父と京都へ行く前日。

京都の宿を予約した。
その話をする。
そして、現地での行動計画。
父の希望を聞く。

位置関係が分からないから、
観光バスでいいのではと言う。

ではそちらの情報収集をしよう。
私は平安時代から興味あるけど、
きっと父の趣向は戦国時代以降。

その辺を踏まえて計画していこう。

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


夢の第一弾

2009年05月14日 23時44分24秒 | 家族

2007年、年末。
父の癌が発覚する前に父と母に提案した計画が京都旅行でした。

「1年後の冬に京都に行こう。」

その1年後の冬が今年の1月。
父は抗がん剤治療中でした。

でも、入院中から話していた。
「治療が終わったら、今年の秋か冬に京都に行こうね。」と。

先日、ネットでバーゲン運賃の情報を見る。
発作的に?思い立ち?
7月の航空券を予約。

「千歳-京都間、1泊往復。」

ホントの京都旅行は秋か冬に取っておいて、
まずは下見旅行をしようと。

癌の治療がひととおり終わった今、
ライフスタイルのベースにあった仕事を退職した今、
近い将来の予定、生活の楽しみを大切にしたいと思う。

私も、とても楽しみ。
父はどんな計画を立ててくるだろうか。

 

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


退院前日。家族集合。

2009年02月01日 23時26分36秒 | 家族

1月31日(土)

水曜、木曜と白血球が再び2000を切り、
隔離になる。
退院は日曜に延期になった。

夕方病院へ行く。
食堂をちらっと見やると、父の顔。
通り過ぎかけて足をもどす。

4人で談笑。
職場の人??
などと思いながらよく見ると、
弟と彼女と母だった。

びっくりな偶然。

引っ越すといった話をすると父はニヤニヤ。
マンション買うと、弟と彼女。

びっくりな偶然。

5人も集まり、そんな話に花が咲く。
久々、にぎやかなひととき。

人が集まると、父の口数は減る。
減るというか、他の人たちが話すから
必然、聞き役になる。

にぎやかさの中で。
それはそれでたわいもなく、
いい時間。

明日、4クールの抗がん剤治療を終えて
父、退院。

抗がん剤治療はこれでおしまい。

本当に、精神強く、父は闘った。
本当に、強かった。

 

退院を明日に控えたそんな中、
母は明日、温泉に行くという話を
弟から聞く。

弟も怒ったらしいが、
その場では「あっそう」と言った私も、
あきれるし、腹立たしい。

母を送る車中、
「信じられない、キャンセルすればいいじゃん。」と、
再び文句を言うが、そうする気はない母。

母を知っているからこそ、
「やっぱり」と思うが、
本当に、「やっぱり」で済ませていいもの?

強い疑問を感じる。

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


父とよこさいといろいろ。

2009年01月12日 23時24分41秒 | 家族

1月12日(月)

お酒とたばこをやめ、
口の寂しさからか、
ちょこちょこと間食が増えた父。

それが急に体重に出てきた。

2日前66kg台
1日前67kg台
今日 68kg台

で、今回の抗がん剤の治療の基本体重が
一気に増え68kgになったそうだ。
前3回はずっと、64.5kgだったのですが、
なんと3.5kgも増えているということだ。

でもまぁ、その辺はDr.からは一切のお咎めもないので
何ら問題はないのでしょう。

明日から抗がん剤が入るので、
昨日までは1つだった点滴が
3つに増えている。

休日にしては今日の病院滞在時間は短め。
そのあと、某よさこいチームのメンバー募集説明会が控えてたから。

私がまだ札幌ではない街に暮らしていたとき、
父に「よさこいやれば?」
と言われたことがある。

日ハムも札幌に来ていなかったあの頃、
よさこいを見に行くのが、趣味少なき父の
数少ない趣味だったから。

2年半前から私は札幌に住むことになる。

毎年6月。札幌でよさこいソーラン祭りが開催される。
(年が明けたので)
一昨年前までは、私の仕事、就職のため、
札幌にいたけどよさこいに参加できるような状況ではなかった。
その他にも、個人的に「今はできない」といういろいろな事情があった。

昨年4月。市外の勤務地に異動になるだろうとの予測を裏切り、
同じ市内での職場異動となる。

こうして今、札幌にいるということ。
そして、父のがんの発覚。
そんなこんながすべてタイミングなわけで。

父のため自分のために、
よさこいをやることにした。

今だから、できること。


病院で父に、
「今日はこれからよさこいの説明会に行ってくる。」
と話した。
大きな表情の変化はなかったけれど、
喜んでくれているように、
私は、感じた。

説明会へ行く。

そして、参加の申し込みをしてきた。

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


年越し

2009年01月07日 22時35分06秒 | 家族

12月26日に退院。

いつもは1週間の一時退院が、年末年始をはさんで2週間。

きっといつもどおりの年越し。
少し違うのは、私が実家で年越しをしたこと。
父がお酒を飲まないこと。たばこを吸わないこと。

ノン(低)アルコールビールを少したしなむ。
缶のカクテル飲料をこの2週間で1,2本飲んでいるのを知っているけど、
かくして飲んでいたわけでもなく。
ノーコメントにしよう。

今年は少ない雪だけど、父は雪かきをしたり、
買い物に出かけたり、
ちょこちょこと動いていた。
運動不足を解消できたかな。

毎朝、自分用と私用にコーヒーをおとしてくれる。
ありがとう。

1月7日。
最後の抗がん剤治療のため、病院へ向かう。

 

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


父と私。

2008年11月20日 22時38分10秒 | 家族

11月20日(木)

今日は採血がなかったそうだ。
ということは、白血球の数値を調べていないということ。

ということは、白血球低下のピークは過ぎたということ、かと思います。

 

病院へ父の面会に行く。
その帰りにふと、満たされた、幸せな気持ちになる。
父が癌という大きな病気と闘っている、そんなさなかなのに。

病院で過ごす、父との時間、大切だと思うんだ。

父をひと言で形容すると、「無口な父」
私が子どもの頃から、家ではあまり話さない。
父自身のこと、仕事のこと、
思うこと。
愚痴ることもなければ、楽しいということもない。
自分を語らない父。

私は大学から実家を離れ、
実家から車で4時間離れた街で一人暮らしをしていた。
私が勤め始めてから、
父が出張で、私が暮らす街にくるようになり、
年に1,2回は、私の家に泊まるようになる。

大抵は、近くの居酒屋で酒を飲み交わす。
「父」を知ることが楽しくて、いろいろなことを尋ね、
父の思い、考え、取り巻く環境について話をした。

2年前から、実家のある街に暮らすようになり、
そんな出張訪問もなくなった。

そして今、癌という病を通じて、父と近くなる。

病院で過ごす父との時間。
父は以前よりもっと、話してくれるようになった。

一日一日を、時の流れをかみしめて、
過ごす今の時間を
いとおしく、大切に思うのです。

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


誕生日~今年2つの家族写真~

2008年11月19日 00時07分07秒 | 家族

11月18日(火)

今日は父の誕生日。

お祝いを何にしようと、1週間くらい前から考えていた。
で、結局「家族写真」にする。

ネットプリントでオーダー。店舗で受け取り。

その他差し入れリクエストは
・コンビニの温そうめん2個(一つは温うどんに変わる)
・柿、なし
・サランラップ
・うどんのどんぶり

私セレクトで
・カロリーメイト
・アロエのシロップ漬け

プレゼントで
・写真
・花(アレンジメント)

家族写真は、①先月10月。父の癌が判明してからの初の一時退院で、家族水入らずで集ったとき、実家で撮った写真。②今年の2月。父の癌が分かる前。7,8年ぶりで企画した家族で温泉お泊まりツアーのときの写真。
という、2つのシーンの写真。

父は、それぞれの写真をよく見てくれた。
いいとかわるいとか、そんな特別なコメントはないけれど、
写真のきれいさや、我が家の6人目の家族わんこの話、弟たちのどちらが年上に見えるかや、小樽雪あかりの話、いろいろ話をした。話してくれた。

何も言わないけれど、一番違うと感じたのは自分自身でしょう。
置かれている状況、頭髪なんかは全然違うわけで。

でも思う。
大切なものを大切と思うのは、今こうして、病と闘っているからで。

そう思うのは私だけなのだろうか?否か?

66歳になりました。
明日を信じて闘っています。

66歳。
治療を終えて、回復して、
来年は、京都旅行、行こうね。

 

~記録~

・白血球2300(昨日は3300)
・体重62.7㎏
・体温午前36.7、午後36.4
・発熱なし
・下痢なし
・倦怠感そんなに気にならず
・そうめん食べる。でも、汁はあまり飲めない。
・軽い吐き気と食欲不振
・栄養と抗生剤の点滴

 

白血球、明日は上がるか、下がるか。

 

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます


癌発覚前の約束~家族旅行~

2008年10月27日 23時02分57秒 | 家族

「来年の冬に京都旅行に行こう。」 

そう約束したのは確か、今年の2月。
私の就職が確定し、
ようやく見通しのきく生活が見込めたから。

さらに運良く、最初の勤務先は、実家と同じ市内でした。

春には、京都旅行へ向けた旅の本を実家へ買っていき、

夏には、旅行予定日を決めた。

そんな矢先の癌発覚でした。

父が入院し、「京都は1年先まで持ち越しだね。」と、話す。

最初は、父、母と私をメインに、
運がよければ市内に住む弟くらいに考えていた。

今回、埼玉の弟の帰省。お見舞い。

京都の話をすると、
埼玉の弟も、タイミングあえば見地合流でという話が出てくる。

それ、叶ったら素敵。
生活の楽しみが、こうして広がっていく。

父の励み、母の期待、私の楽しみ、弟の目標。

こんな風に家族の絆が繋がっていくといい。

実は私はまだ、来年の冬に行くという計画をまだ諦めていない。
治療のタイミングで可能性なくもないので。

もちろん無理もしていない。
旅を楽しめるいいタイミングで行きたいから。

どの時代の京都を歩こう。

 

にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ ←仲間がいます