兵隊よりも士官になろう

私はリーダーは天性のものではなく、教育によって量産が可能であると考えています。

目先の利益で大きな財産を失った京都

2010-01-25 23:13:03 | 世の中の動き
昭和初期、東京をはじめ、日本各地の都市は、それぞれに特色のある街並みがあり、写真一枚あれば、ここはどこの都市だと解るほどでした。
昭和19年秋以降、北マリアナ諸島(グアム、サイパン、テニアン)から米軍が無差別攻撃を行い、文化財の保護のため空襲を自粛した京都・奈良以外の主要都市は焦土となりました。

その後、戦後復興の掛け声と共に、街並みの復活するのですが、ここで東京をモデルとした画一的な都市計画が広がり、日本各地の都市の特徴が次第になくなりました。
昭和のバブルが崩壊後は、ファーストフード、ファミレス、郊外型ショッピングモールが全国各地に展開したため、その傾向はさらに進みました。

白川郷みたいに、地域に根付いたものを特色としたところは少数派であり、湯布院みたいに新たに作り出して成功したところは、さらに少ない。
その中で、特にひどいのは、空襲の被害を逃れた京都である。

京都といえば、日本を代表する観光地であり、1000年もの歴史を持つ街ですから、当然、街並みや景観を保護されているだろうと思いきや、あまりなされていないのが現状です。京都に住んでいる人たちが決めることで、部外者(=田舎者)は黙っていろということで理解しています。
それならば、ちゃんとしているのかというと、新旧和洋混在というと聞こえはいいが、無秩序であると評価するしかありません。

私は、あるアメリカ軍に従事した老兵の嘆きを今でも鮮明に覚えている。
「京都はアメリカ軍が日本文化を残すために空襲するのを避けたが、京都人は自らの手で戦後50年間に京都のいいところをことごとく葬り去った。愚かなことだ。(昭和60年代)今の京都は、日本の他の都市と同じになってしまった。」

<コインパーキング>京の町並み虫食う 届け出“不要”で増加
1月25日20時6分配信 毎日新聞

 ◇中心部400ヘクタールに300カ所

 京町家が数多く残る京都市中心部でコイン式駐車場が増加し、京都御苑南側の約400ヘクタールの地域では300カ所近く乱立していることが市の調査で分かった。市などの調べで約5万軒のうち毎年約2%ずつ減少しているとされる京町家の衰退とも関連するとみられ、市は歴史的景観を損ねる恐れもあるとして、対策を検討している。

 市は一昨年、東西が鴨川と堀川通、南北が夷川(えびすがわ)通と五条通に囲まれた中心部407ヘクタールを調査。コイン式駐車場は275カ所(2160台分)に上った。特に目立ったのは、河原町通-烏丸通間の四条通周辺や堀川通東側の四条通-五条通間だった。

 京都市でも事業を展開する複数の駐車場管理運営会社によると、車1台分の土地があれば簡単に駐車場にすることができ、形状や期間も問わない。また、500平方メートル(約20台分)以下の時間貸し駐車場は届け出不要。細い街路に「うなぎの寝床」のような細長い京町家が建ち並ぶ京都でも、「(町家など)家屋を取り壊した跡地の有効利用法として地権者が注目している」という。

 一方、京町家の保全や町並み保存に取り組む市景観・まちづくりセンターは「町並みの連続性を考えると、空き地がむき出しの駐車場になると、景観としてはよくない」とし、コイン式駐車場が歴史的町並みを損なうことを懸念している。 (以下、略)


相続税の支払いや、旧い家を維持する費用負担を嫌い、更地にして、駐車場にしてしまえば、日銭は入るから、個人としてはいいだろう。だが、街並みはガタガタになるし、京都という観光資源が損なうという副作用を過小評価しているのではないだろうか。
まさに、目先の小さな利益を求めて、大きな財産を失うというよい事例である。

ちなみに、私のスタンスは、「京都のことは京都に住む人たちが決めること」の立場ですから、これ以上のことは書きません。
応仁の乱で、京都全体が焼け野原になり、京都の地位は下がり、地方の時代へとシフトしたのを、もう1度繰り返さなくても良いと考えるだけです。
もっとも、焼け野原になるのは東京(江戸)だろうと思いますが、東京が天災なり人災なりで自滅したとして、京都がそれに替わるとは限りません。
首都が移るには、それなりに準備しておいて、受け皿が必要だからです。

2009/01/25 橘みゆき 拝


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