人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

ポルトガルワインを試す ーー(34)ゼブロ・ビオワイン・ブラン・ド・ノワールーー

2021-11-04 19:11:49 | グルメ

今回はポルトガル南部アレンテージョ地方のワイナリーであるアモレイラ・ダ・トーレのワインです。ビオワインはオーガニックワインのことでこのワインは黒ブドウから出来た白ワインです。ブドウはアラゴネス100%。カタログには、特有の果実の凝縮感、ピュアでクリーミーと書いてありました。試飲結果は◎。家人も美味しいと言って飲んでいました。

このワインのボトルのラベルには馬の絵が画いてあり特徴的です。この馬はゼブロと言ってゼブラと同じシマウマのことのようです。しかしながらアフリカ大陸にいるシマウマとは別物です。解説を見ると、ゼブロはイベリア半島で16世紀に絶滅したグレーと白の縞模様の野生の馬のようです。絶滅した縞のある馬をブランドにするくらいですから、ワイナリーのアモレイラ・ダ・トーレでは自然や環境をも最大限に配慮したワイン造りに励んでいると思われます。

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鎌倉を知る ーー宇都宮稲荷神社ーー

2021-11-01 10:12:06 | 日記

さて琴弾橋では滑川で遊ぶ鴨の親子をご覧いただけましたでしょうか。それでは琴弾橋をあとにして少し行くと小町大路に突き当たります。左折してセブンイレブン先の横断歩道を右に若宮大路の方に向いましょう。若宮大路手前で小路に入りしばらく進みますと宇都宮稲荷神社があります。境内に同稲荷神社の由緒がありましたので写してきました。

 宇都宮の名称は、下野の宇都宮朝綱に由来します。朝綱は宇都宮二荒山神社の神職で在地の武士でもありました。源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時、朝綱も当地に屋敷を構え、宇都宮より御霊を分霊して祀ったのが当稲荷です。 朝綱の孫頼綱は、元久二年(1205)謀反の嫌疑を受け出家、京の小倉山麓に隠棲して藤原定家と親交を深め、和歌の道で活躍しました。 当地は今も二月初午の日を例祭日として、講中地元の有志らに守り継がれています。 令和三年一月吉日 宇都宮稲荷講

北条義時ゆかりの地の案内しているにどうして宇都宮稲荷神社なのかとの疑問を持たれる方もおられると思いますが、この場所に北条泰時が嘉禄元年(1225)に整備した宇都宮辻子幕府があったと言われています。これはたぶん宇都宮朝綱の孫の頼綱が謀反嫌疑で失脚したためその屋敷を北条氏に召し上げられたからだと思います。

元久二年(1205)8月に宇都宮頼綱の謀反が発覚し、同月中に頼綱は冤罪を弁明するために遁世しましたが、それでも十分でなく鎌倉に向い北条義時に面会しますが叶わず、陳謝のため髻を義時に献ずるという行為に及びました。最後は京に上り和歌の道を歩んだようですが、実際に謀反の事実があったかは不明で北条義時の権謀だったかもしれません。

北条泰時は嘉禎二年(1236)年にはこの宇都宮辻子幕府をより自分の屋敷に近い場所に若宮大路幕府として移し替えました。若宮大路幕府は鎌倉幕府が滅亡するまで100年近く続くことになります。

 

 

 

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