人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

広町緑地の花 --藤の花--

2022-05-02 15:48:02 | 日記

4月30日、新緑を求めて広町緑地に出かけました。つい先だってまでは山桜が満開だった森は新芽が萌えてキラキラと輝いていました。桜も好きですが、私はこの新緑の時期が木々の生命力を感じ、季節のなかで一番好きです。我が身が枯れてきたせいかもしれませんが、何かエネルギーをもらった気がします。そんな中、木々の間に藤の花を見つけました。

『枕草子』三七に「藤の花は、しなひながく、色こく咲きたる、いとめでたし。」とあります。撓ひの意味は、しなやかに曲がっていることを言うようです。そして花の色は濃い方がよい。まさに写真の藤の姿でしょうか。『徒然草』第百三十九段には「草は、山吹・藤・杜若・撫子」がよいとあり、兼好法師も愛でた花の一つでした。さて歌では、『万葉集』巻第十四(三五〇四)に「春べ咲く藤のうら葉のうら安にさ寝(ぬ)る夜ぞなき子ろをし思(も)へば」、これは『花ことば辞典』の解説によれば、春に咲く藤のこずえの葉のように揺れて安らかに眠れる夜なんてない、あの娘のことを思うと、という意味の歌です。

そして『山家集』には、藤の花に寄せてその思いを詠んだ歌として「西を待つ心に藤をかけてこそそのむらさきの雲をおもはめ」という歌があります。紫いろの藤の花を紫雲にかけて、いつしか紫雲にのって西方浄土に行けることを望む気持ち・心を詠んだ歌でしょうか?解説がないので私なりの解釈ですが、そうだとすれば西行らしい歌だと思います。

また前述の『花ことば辞典』には、芭蕉の俳句「草臥(くたびれ)れて宿かる比(ころ)や藤の花」が紹介されていました。この句も意味深ですね。草に臥すで「くたびれて」と読ませていますが、「草に臥す」とは旅先で倒れること。「宿かる」も旅籠に泊るというより別の世界に旅立つとも読めます。そして最後は藤の花でしめています。この結句の藤の花の意味も分かりません。私なりの解釈では、『山家集』の西行の歌を受けて芭蕉が読んだ俳句ではないか?と妄想してしまいました。芭蕉は西行に憧れて諸国行脚、遊行の旅に出かけたと、ある本で読んだことがあります。西行も芭蕉も、藤の花の紫色から極楽浄土へ旅立つ乗り物である紫雲を連想したかもしれません。ここまでくると私の妄想癖のも病的ですね。読み流してください・・・。

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 帯状疱疹ワクチンを接種しました | トップ | ドライブ・マイカー --『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事