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吉備国分寺

2005-04-30 18:00:00 | Weblog
4月30日 国分寺の前のレンゲが満開というニュースに誘われて行ってみることにする。

途中、普段の道と違う道に入り込んだのが災いし、どこを走っているのかあやふやになり、
西の方向に行きたいのに、細い道はいつの間にか東の方に向かうという状況が続いたが、そこは昼間のこと、時間・距離はかかったものの、いつもの国道180号に戻り、板倉の交差点の次の信号を左折して県道73号を西へ。山陽自動車道の下をくぐると国内第4位の大きさを誇る造山古墳(つくりやま)を右手に見ると、国分寺はもうすぐそこ。
なお、国分寺の先(西)には全国9位の規模の作山古墳(つくりやま)があり、この2つを区別するために、ぞうざん、さくやまと呼んでいる。邪馬台国に匹敵する吉備王国の名残である。


正式には「備中国分寺」であるが、吉備の国分寺として語られることも多い。

国分寺の前の空き地にはレンゲが満開となっていた。
この五重塔は江戸時代のものとか。国分寺が作られた奈良時代には七重塔だったのではないかとボランティアガイドの方が言っていた。国分寺の五重塔で現存するものは非常に少なく、その中でここの五重塔は塔の高さでは何番目(正確な順番は聞いたが忘れてしまった)とか。

20数年前に岡山に来たときには気楽に中にも入れたが、その後整備され、普段は第一層の扉も閉められており中の如来様も拝めなくなった。今日はガイドも出て扉は開かれていた。
四面の頭貫の上には十二支が彫刻されており、「丑寅(うしとら)の方向」を説明していた。

そういえば「午前」「午後」は午(うま)の刻(午前11時から午後1時まで)の真ん中である正午の前か、後かに由来していることを認識している人は少ない。
方角を十二支で言ってもピンとこない人が多くなっているが、時刻には十二支の午(うま、馬)だけが生きている。