言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

月影の話

2010年12月30日 | 歴史の話し
雨の京都、知恩院に足を運びました。
来る年は、法然上人が世を去ってから800年を迎え、大遠忌(おんき)が行われるのだそうで、看板が境内のあちらこちらに立てられていました。
法然は浄土宗の「元祖」と呼ばれ、元祖という言葉は仏教界では法然上人のことを指します。
その教えを伝える歌があります。

月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ

月の光は、人里に分け隔てなく降り注ぐが、その月の美しさは眺める人の心次第だということです。
ひいては、仏の慈悲は万人に分け隔てなく届いているが、それを信じる心がなければ慈悲を受けることができない、というわけです。

これは「月影の歌」とも呼ばれる歌です。
ふと思ったのですが、「影」という言葉は面白いものです。
通常、「かげ」といえば暗いものを想像します。
「陰」と書けば、モノの後ろにあって光の当たらない部分や見えない部分のことを指し、「影」と書けば人やモノが光をさえぎった結果、光と反対側にできる黒い形、シルエットのことを指します。
「光と影」と対に使われることからも分かる通り、かげ=「陰、影」は、通常「光」の逆の意味を指す言葉です。

ところがこの法然の歌で使われている「月影」は「月の光」という意味で、影は光そのものを表しています。
そういえば「星影のワルツ」という曲もありますが、これも星の光を指しています。
広辞苑を引くと、「影」には「日、月、星や、ともし火、電灯などの光」という意味があります。

ちなみに英語にすると、影=shadow、陰=shadeと訳され、日本語とよく似た使い分けをしていますが、光はあくまでlightであり、shadeやshadowに光という意味はありません。
日本語では、「かげ」という言葉がより広く意味に使われているようです。

ちょっとうがった見方かもしれませんが、陰陽思想を生み出した中国やモノの根源を突き詰めて考える哲学を持つ西洋に比べ、日本ではモノの表裏を同一視するようなファジーな思想がよく見られます。
光も、光が生み出す影も、おなじ「影」という言葉で表すところに、日本人らしいモノの見方を感じるのですが、いかがでしょうか。
コメント
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