行田市商工センターには「足袋蔵」の屏風が飾られていました。
足袋の始まりについて・・・
江戸時代に足袋産業として始まり、300年にわたって作られ続
けられています。
昭和の全盛期には、700近くの工場があり、日本全国の足袋生
産の8割を占めていました。
行田足袋や足袋産業に関する建築や足袋製造用具及び製品が、国
の登録有形文化財や民俗文化財などになっています。
ランニング足袋やサムライ足袋、カラフルな足袋などが作られて
います。
お洒落な足袋です。。。(*^▽^*)
日本遺産に登録はされていますが、PRや活動は今一つのようです。
★☆★☆★☆ ★☆★☆★☆
「南河原スリッパ」の写真です。
スリッパの生産で、日本一(全国生産の70%)を誇っていた事
がある、南河原のスリッパ。
現在は、行田市南河原(旧南河原村)になっています。
スリッパは、日本が発祥の地になっていって、文明開化で外国人
が多く訪れるようになって制作されました。
世界各国の歴史と文化を象徴するカラフルで楽しい、スリッパを
生産しています。『六大陸シリーズ』
写真は、以前撮っていましたが、未掲載でした。
日本遺産 行田足袋蔵なのですね。
行田の足袋については,ブラタモリでも
とりあげていましたよね。
その内容はもう忘れてしまいました‥‥トホホ
全盛期には700の工場!全国の8割!
しかし,今は足袋の需要が激減しましたからね。
南河原のスリッパ!?
スリッパは日本が発祥の地!?
知りませんでした。
六大陸シリーズのスリッパ!
カラフルで,組合せが豊富で素晴らしいですね。
知りませんでした。
カラフルで可愛いスリッパですね。
玄関に並んでたらお客さんも喜ぶでしょう。
行田と言う街は仰るように足袋で栄えた町、蔵造り!!
戦後の洋装化から、靴下、ナイロン、ビニロンの発達で、足袋の需要が急激に少なくなったのでは・・・・。
スリッパと足袋は不釣り合い・・・・。
◎ スリッパの色とりどりの模様かな
原点たどどる 靴下からか (縄)
足袋だけじゃなく、スリッパも日本一の
生産を誇ってたんですね~。
以前、行田の足袋特集のTV番組を見た
事がありました。
行田って、凄い街ですね!
カラフルな足袋にスリッパ。
これからも、伝統を続けて欲しいです。
スリッパも様変わりで、安けりゃ履いてみたいです。
足袋は運動会の綱引きの時に履きましたが、踏ん張りが全然違いました。
見てるだけでも楽しくなりますね。
日本遺産には、行田足袋蔵などが登録されましたが、足袋の需要が少なくなって
いた時に、新しい産業へ移行が出来なかったのが残念ですね。
学生服をやっている所はありますが。。。
ブラタモリでも、行田の足袋やっていました。
スリッパは日本が発祥の地というのは、意外な感じがしますが、外国人は、
靴のまま、家に入りますので、日本のように靴を脱ぐという文化がないんで
すね。。。(*^▽^*)
南河原のスリッパ、カラフルで素敵ですね。
今は、取り残された街のようです。
日本遺産に、数年前に登録されたのですが、それを機に頑張って欲しいのですが。
カラフルで素敵なスリッパですね。
当時は凄かったようです。
足袋の工場や蔵がたくさん並んでいたようです。
スリッパは、お隣の南河原村で、たくさん作られていましたので、足袋産業とは
違いましたね。
今は合併して、行田市になりました。
新しいスリッパで活路を見いだしていますね。
スリッパ生産日本一は、お隣の南河原村の時ですね。
今は、合併して行田市ですが、以前の様な生産量はありません。
行田が凄い街というのは、昔の話です。
カラフルな足袋にスリッパは、頑張って欲しいですね。。。。(*^▽^*)