オリオンズのミサイル打線の中軸にしてシュート打ちの名人にして「かっぱえびせん」の異名を取った元プロ野球選手・山内一弘氏が6日に亡くなりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
とはいえ、ワタクシは現役時代の山内さんを知らない。
というか、ワタクシにとっての山内さんといえば、伝説の「満塁振り逃げ」の立役者(?)として記憶に残る。
ウィキペディアから引用する。
1960年7月19日に開かれた東映フライヤーズ対大毎オリオンズ(駒澤野球場)の試合で、3-1で東映のリードで迎えた8回表二死満塁の場面。東映の投手土橋正幸は大毎の山内和弘(※)をカウント2-3から見逃しの三振にしとめた。しかし東映の捕手安藤順三はこのとき第3ストライクの投球を後逸した。東映の保井浩一コーチ(この日は代理監督として指揮した)は三振でチェンジと思い込みナインにベンチに戻るよう指示していたが、大毎の選手は山内に、グラウンドを走るよう指示した。山内はダイヤモンドを一周し、満塁走者を一掃して自分も生還した。
これに唖然とした東映のベンチは球審に猛抗議を行った。まず、「振っていない」「一塁に走者がいる」「振り逃げにならないのではないか」。しかし、一塁に走者がいても二死の時は振り逃げを試みることが出来る。また「山内のバットに触れた。チップではないか」と難癖もつけたが、もちろん認められない。最後には「山内は走塁放棄になるのではないか」と抗議をしたが、一旦アウトになったと勘違いした山内もまだベンチには入っていない(当時の規則では、打者走者が進塁を放棄したと見做されアウトになるのはベンチの階段に足がかかったときであった)ので、山内はまだ走塁を放棄しておらず、この進塁は認められる。
結局、58分の中断の後に試合は再開された。公式記録は三振と捕逸であるが、この一件は「振り逃げ満塁ホームラン」などと呼ばれている。振り逃げで4得点を挙げるという珍記録により、この試合は大毎の逆転勝ちとなった。
(※)1961年に「和弘」から「一弘」に変えました。
ホントかよ!? と言いたくなるような珍記録の持ち主だが、この年に山内さんが所属する大毎オリオンズは優勝したのだから、面白い。
ちなみに、似たようなことが、2007年の高校野球・夏の大会の地区予選(神奈川県大会、しかも横浜対東海大相模!)でもあったという。
こちらも振り逃げされたほうが負けたのだから、よっぽど精神的なショックが大きかったのだろう。