これまで、日本史の転換点として語られてきた「幕末」。今、海外で幕末に関する発見が相次いでいます。日本が世界の覇権争いと深く関わっていたことが明らかになってきたのです。地球規模で歴史の大変動が起きていたこの時代。重要な航路が集まる日本には、アメリカ・ロシア・イギリスなど欧米列強が押し寄せました。入り乱れる大国の思惑。グローバルな視点から見えてきた新たな幕末の歴史。日本と世界が織りなす激動の時代を、ドラマを交え描きます。

今から150年以上前の幕末。大河ドラマや歴史小説で親しまれてきたのは、坂本龍馬や西郷隆盛、新選組など、日本史に名を残す英雄たちでした。しかしこの幕末を、世界史の視点でとらえなおすと、新たな姿が見えてきます。

 

当時、ヨーロッパは産業革命の時代。蒸気船が世界中の海を行き交い、グローバル化が急激に進みます。日本にも、1853年、ペリー提督率いる黒船が来航。幕府は、横浜・長崎などの港を開き、イギリス・フランス・ロシア・オランダなどと通商条約を結びました。そのことが、国内の争いを激化させていくのです。日本は、世界の渦に巻き込まれることになりました。当時、こうした列強の中でも、壮大な世界戦略を描いていたのがイギリスでした。その果てしない野望が、幕末日本の歴史を大きく動かしていくことになるのです。

19世紀、産業革命をリードした大英帝国・イギリス。高性能な蒸気船を武器に、海外に進出。植民地を広げ、世界の4分の1の地域を影響下に置いていました。

今回発掘した外務省の機密文書。イギリスの知られざる世界戦略を解き明かす貴重な資料です。見えてきたのは、イギリスが覇権を確立するために、植民地と同じように日本を重視していたことでした。

きっかけは、1840年のアヘン戦争。勝利したイギリスは、巨大市場だった中国の権益を獲得しました。中国市場を他の列強から守るため必要だったのが「制海権」です。その確保のため、横浜に艦隊を駐留させ、にらみをきかせようとしたのです。

「日本は中国市場を保護する盾になる」(1860年 イギリス外務省の機密文書)

しかし1861年、イギリスの戦略は、ある国によって狂わされました。外務省の機密文書を基に、緊迫の舞台裏を再現します。

秘書官「ロシアの脅威が極東に迫っています。大英帝国の権益が脅かされる恐れがあります」

大臣「ロシアが極東に?やつらの狙いは何だ」

外務大臣 ジョン・ラッセル「日本に拠点を築くつもりかもしれん。中国進出のための布石だろう」

イギリスは、ヨーロッパの大国・ロシアの動きを、注視していました。世界有数の陸軍を持つロシアは、ユーラシア大陸の覇権を巡って、イギリスと対立。現在のウクライナ南部・クリミア半島で、両国は激突しました(クリミア戦争/1853年)。戦いに敗れたロシアは、新たな戦略を打ち出します。

極東への進出です。日本を足がかりに、中国市場に食い込もうとしていました。

ウィリアムズ大学 日露関係史 ビクター・シュマギンさん「イギリスとロシアの覇権争いは、クリミア半島からアジアへとシフトしました。その戦いの舞台が幕末日本です。両国は日本の国境付近で、激烈な攻防を繰り広げたのです」

ロシアの皇帝はアレクサンドル2世。極秘の軍事作戦が進んでいました。

ロシア皇帝「我が国に勝利をもたらす作戦は?」

海軍大臣 コンスタンチン・ニコラエヴィチ「ある島を押さえれば、イギリスとの争いで優位に立てます。それは、日本の対馬です」(1860年 ロシア海軍の機密文書)日本海に浮かぶ対馬は、ロシアが中国に向かうルート上にあり、地政学上の重要拠点でした。

1861年2月。ロシア海軍の大型軍艦が対馬に現れました。「船を修理するための一時避難だ」と主張。しかし、停泊は半年に及び今回見つかった幅20mにわたるの石積みの跡には、ロシア海軍の司令部がありました。

あらわになったロシアの野望。機密文書には、この危機に立ち向かった日本人の名が記されていました。小栗忠順(おぐり ただまさ)。幕府の使節団としてアメリカへ渡るなど、経験豊富な外交官でした。

ビクター・シュマギンさん「ロシアは、小栗が海外情勢を熟知した非常に優秀な人物だとみなしていました。外交交渉にたけた小栗は、敵に回したくない相手だったのです」

当時、対馬は外国船の滞在が認められていませんでした。小栗は、即時退去を求めます。

小栗「日本とロシアは条約を結んだ。だが、対馬は開港しておらぬ。ロシアの軍艦が対馬に居座ることは、条約に反する。直ちに退去願いたい」

ロシア海軍 艦長 ニコライ・ビリリョフ「それはできない。対馬は危険にさらされている。あのイギリスが狙っているのだ。この島を、ロシアの保護下に置くことが必要だ」

対馬に、強硬に基地を建設しようとするロシア。小栗は、イギリスが反発することを警戒していました。

その懸念どおり、イギリス政府内では強硬論に火がつきます。

シカゴ大学教授 グローバル経済史 ケネス・ポメランツさん「幕末日本は、悪夢に襲われたような状況でした。覇権争いを続けるイギリスとロシア、どちらの陣営につくのか。日本は望むと望むまいと、重大な決断を下さざるをえなくなったのです」

突如持ち上がった外交問題。小栗には秘策がありました。

老中 安藤信正「小栗殿には事態を打開する妙案があるのか」

小栗「対馬を、幕府の直轄領とする。そのうえで、対馬を開港する」

安藤「対馬は、海上交通の要。開港などすれば、各国の船が押し寄せるぞ」

小栗「さすれば、ロシア一国が占拠することは不可能になります」

安藤「実は、イギリスの公使から提案が来ておる。イギリスの軍艦を差し向け、その圧力で、ロシア勢を退去させるというのだ」

小栗「それは目の前の虎を追い払うために、おおかみを迎え入れるようなもの。今度は対馬が、イギリスの手に落ちてしまいますぞ」

安藤「寝言を申すな。おぬしの策は却下する」

世界屈指の軍事大国だったイギリスは幕府の同意を得て、軍艦を対馬に急行させました。イギリスとロシアの争いに巻き込まれた日本は、戦場となる危機に直面します。一触即発の事態。ロシアにとっても、イギリスの介入は想定外でした。

ロシア皇帝「イギリスから抗議があったそうだな」

海軍元帥「日本の領土を侵すなと申しております」

クリミア戦争で敗北したロシアに、イギリスと戦う余力はありませんでした。ロシア軍は撤退し、幕府は危機を脱します。しかし、小栗が危惧したとおり、この先イギリスは日本への干渉を強めていくのです。

7つの海を支配したという大英帝国。そこに君臨したのが、ヴィクトリア女王です。これは女王の王冠(上写真)。1200個のダイヤモンドがちりばめられています。植民地からもたらされる富の象徴でした。世界の覇権を手に入れようとしていたイギリス。その切り札となったのが、高性能の兵器です。幕末日本は、大英帝国の野望と対じしていくことになるのです。

ヴィクトリア女王のもとで、世界の海を制した大英帝国。軍艦に搭載された主力兵器が「アームストロング砲」です。当時の大砲を、専門家が分析。軍事史を塗り替える画期的な技術が取り入れられていました。「ライフリング」。砲身に刻まれた、らせん状の溝です。

イギリス王立武器庫 軍事史 ニコラス・ホールさん「砲弾の飛距離を劇的に伸ばし、正確に目標を撃破するために、ライフリングが重要だったのです」

その威力を確かめるため、大砲に実弾を込め発射実験を行いました。1秒間を175万コマで記録する特殊なカメラで撮影。弾丸が激しく回転していることが分りました。回転が加わると、重心や軌道が格段に安定します。回るコマが倒れないのと同じ原理です。ライフリングがない大砲と比べて、弾丸の速度は最大で2倍に達していました。回転がブレないことで、空気抵抗が減少。アームストロング砲の飛距離は3kmを超えました。

国を挙げて強力な兵器を量産していたイギリス。秘密の軍事計画を進めていたことが明らかになりました。1864年に立案された「対日戦争計画」です。実はイギリスは、日本との全面戦争を想定していたのです。

戦争計画を練り上げたのは、戦闘経験が豊富な陸海軍の指揮官でした。想定された第一の目標は、海上封鎖。下関から大坂まで、海上交通の大動脈だった瀬戸内海を封鎖します。第二の目標が、天皇の御所がある京都の制圧。侵攻ルート上の大坂城を、砲撃で無力化。陸軍の部隊を送り込み、京都を掌握します。第三の目標が、江戸城への攻撃。江戸湾に幕府が築いた砲台を撃破した後、1万2000人の兵士が江戸城を目指し進撃します。注目したのは、建物が木造であること。城郭を焼き、サムライを一掃します。将軍がいる江戸城は、大砲の長距離射撃によって、落城させるシナリオでした。この計画の背景には、ほかの列強の先手を取り、日本を自らの陣営に組み込みたいという思惑がありました。

イギリス国立公文書館 学芸員 ウィル・バトラーさん「あらゆる事態を想定して、戦争計画を準備するのがイギリスのやり方でした。自国の利益を守るため、ライバルが日本で影響を拡大することを、阻止したかったのです」

対日戦のシミュレーションを重ねるイギリス。戦争の口実を与えたのが、開国に反対する攘夷派が起こした事件でした。1863年、長州藩の攘夷派が、外国商船を砲撃。国際問題に発展します。この機会を、イギリスは見逃しませんでした。(★注、長州藩とは米軍傭兵組織の過激派ISISイスラム国のような、日本侵攻を目指しているイギリスのパシリ「傭兵組織」だった)

1864年、17隻からなる大艦隊を率いたイギリスは、長州に攻め込みます。下関戦争です。イギリスの軍艦は、長州軍の砲撃が届かない沖合2.3kmに布陣。主力兵器・アームストロング砲で一斉攻撃を仕掛けます。イギリス軍は、わずか2時間で長州軍の砲台を占拠。戦火の拡大を恐れた幕府は、長州藩に代わって巨額の賠償金を支払う約束をします。しかし、イギリスの対日強硬論は消えず、戦争の火種は、依然としてくすぶっていました。

さらなる戦線の拡大を求めていました。

国の存亡の危機。幕府はどう動くのか。実は小栗たち幕臣は、この事態を早くから予期していました。幕府の情勢判断を支えたのは、友好国・オランダです。諜報活動によって、列強の動向を調べていました。イギリス軍の戦力を分析する中で、幕府は、日本に対する野心を知るようになったのです。

ライデン大学 日蘭関係史 ヘルマン・ムースハルトさん「幕府は、オランダを介して列強の機密情報を収集していました。国際情勢を分析する研究機関を立ち上げ、不測の事態に備えていたのです」

幕府はオランダの協力を得て、海軍力の増強に乗り出します。切り札となったのは、軍艦「開陽丸」。最新鋭の大砲「クルップ砲」を搭載していました。射程距離は4km。イギリスの大砲をしのぐ性能でした。オランダから指導者を招き、軍事訓練も強化します。富国強兵を推し進め、近代的な海軍を作り上げたのです。

 

幕府の軍備増強。その情報を、イギリスがつかみます。

秘書官「報告します。幕府がオランダから最新鋭の軍艦を買い取る契約を結びました」

ラッセル「日本は海軍力を急速に強化している」

ラッセル「日本との戦争は、我が国の財政にとって負担が大きすぎる」

ロンドン大学教授 国際関係史アントニー・ベストさん「もし全面戦争となっても、イギリスは日本に勝ったことでしょう。問題は、コストに見合うかどうか。予算を承認するのは国会です。しかし政治家たちは、外国との戦争にお金を使うことを好みません。税金が増えるからです。これがイギリスの判断基準なのです」

結局、イギリスは戦争計画を放棄します。富国強兵に努めた幕府は、危機を免れたのです。

武力衝突を回避した日本。しかしイギリスが、日本を自らの陣営に組み込むことを、諦めたわけではありません。次なる一手は「マネー・ウォーズ」。経済や金融を巡るしれつな攻防です。19世紀、イギリスの植民地の鉱山で続々と「金」が見つかり、ゴールドラッシュが発生します。こちらは、オーストラリアで採掘された史上最大の金塊です(上写真)。当時、世界の金の産出量の3分の1を占めていたというイギリス。ばく大なマネーの力で、日本を屈服させようとするのです。

世界経済の支配を狙っていたイギリス。その野望をうかがわせる貴重な証拠が、王立造幣局に保管されていました。イギリスの植民地などで流通していた1ポンド金貨です。同じデザインで統一されています。自国の通貨を、国際的な取り引きで使わせることを目指していました。

イギリス王立造幣局 学芸員 クリス・バーカーさん「イギリスが作り上げた国際通貨を、全世界の人々に使わせる。お金を通じた支配です。そうすることで、イギリスの覇権を盤石にしようとしたのです」

大英帝国の繁栄に貢献した偉人をたたえるセント・ポール大聖堂。幕末日本を巡る経済戦争で、主役となった外交官の姿がありました。ハリー・パークス公使。ヴィクトリア女王から、対日外交のかじ取りをゆだねられていました。

イギリスが中国で起こしたアヘン戦争。風刺画でパークスは、「他国の富を吸いとる蚊」として描かれていました。

日本は、大量の金を保有し、自立した経済圏を築いていました。これを切り崩し、イギリスが掲げる自由貿易圏に組み込むことが、パークスの使命でもあったのです。

パークスがまず取りかかったのは、関税(輸入品にかける税金)の引き下げでした。

駐日特命全権公使 ハリー・パークス「小栗殿、関税の改定について話し合いたい」

小栗「条約を結んだ際、関税は2割で合意したはず」

パークス「日本は下関戦争に負け、ばく大な賠償金を抱えている。それを関税の引き下げで、割り引いてやろうというのだ。これは譲歩だ」

パークスの強引な要求に押され、幕府は関税引き下げに同意します。

しかし、そこには重大なリスクがありました。関税が引き下げられ低価格の外国製品が押し寄せると、国内の産業や市場が破壊される可能性が高まるのです。このとき、勘定奉行として列強に対じしていた小栗は、独自の経済政策を推し進めていました。カギを握るのは、幕府が発行する通貨です。その供給量を操作し、国内の市場を守ろうとします。

江戸時代の最後に発行された万延二分金。この金貨を電子顕微鏡で分析すると、意外なことが分りました。

国立歴史民俗博物館 教授 齋藤 努さん「金(Au)の割合が計算上28%、銀(Ag)が71%くらい」

幕府は、意図的に金の含有量を減らしていました。限られた金で、より多くの通貨を発行するためです。

齋藤さん「お金が大量に出回ることになるので、インフレーションみたいなものが起きたんです」

通貨が大量に出回ると、その価値は下落します。今でいう円安状態になり、輸入品の価格が上がります。関税を引き下げても外国製品の輸入は進まず、国内産業の保護が期待されるのです。幕府とイギリスのしれつな駆け引き。歴史の歯車は、激しく回り始めます。

幕末、日本国内のパワーバランスを変えることになったのが薩長同盟です。薩摩と長州の軍事的な結びつきは、反幕府のうねりを生み出していきます。このころ世界でも、大きな情勢の変化が起きていました。アメリカ史上最大の内戦だった南北戦争(1861~1865)が終結。戦場で使われなくなった大量の武器が、行き場を失います。このとき、イギリスの武器商人たちが新たな市場として目をつけたのが、日本でした。そのことが、幕府と反幕府勢力の争いを、さらに激化させていくのです。

1866年に始まった幕長戦争。幕府軍と反幕府勢力を率いる長州軍が、現在の山口県で激突しました。これまで、国内の勢力争いと思われてきたこの戦い。水面下でイギリスが深く関与していたことが分かってきました。

明倫学舎 幕末史料専門員 小川忠文さん「イギリスが長州側に譲った鉄砲になります」

刻印された文字は「タワー社」(上写真)。イギリスの武器メーカーです。長州藩は、かつて下関戦争で戦ったイギリスと手を結び、武器を輸入。そこには、革新的な鉄砲が含まれていました。

何が革新的なのか。旧式の銃と比較して、その威力を検証します。旧式の銃は、丸い弾丸を銃身の前から込める仕組みです。

一方、新式の銃は、円すい型の弾丸を後ろから装填(そうてん)します。銃身には、ライフリングが刻まれていました。この違いによって、発射までの時間が4分の1に短縮。さらにライフリングの効果で、弾丸の威力も格段に向上していました。

イギリス王立武器庫 軍事史 ニコラス・ホールさん「このライフルが、素早い攻撃態勢と精密な射撃を可能にしました。敵の先手を取ることで、キルレート(殺傷率)が統計的に高くなるのです」

新式の武器を日本に輸出していたのはイギリス系の巨大商社、ジャーディン・マセソン商会。イギリス外務省とも深いかかわりを持っていました。

外務大臣の対日戦略案です(下写真)。

ロンドン大学教授 国際関係史 アントニー・ベストさん「武器を日本に輸出した結果、幕府と反幕府勢力の戦いをあおることになりますが、それはイギリスが関知しないことでした。日本をどの勢力が統治するかは重要ではありません。最優先すべきは、イギリスの利益だったのです」

幕長戦争で、長州軍は坂本龍馬などの協力を得て、イギリス製の武器をかき集めます。一方の幕府軍は、10万を超える大兵力を投入します。

 

数に勝る幕府軍は、長州を四方向から包囲。長州軍の重要拠点がある下関には主力艦隊を送り込み、攻め落とす計画でした。近代的な海軍を擁し、圧倒的優位のはずの幕府軍。ところが、想定外の事態が起こります。イギリスが戦局に介入してきたのです。

パークス「幕府は、下関周辺の海峡で、長州軍との戦闘を見合わせてもらいたい」

老中 小笠原長行「下関は作戦の要。何故そのようなことを申すか」

パークス「あの一帯は、我が国の貿易船の通り道。万が一、流れ弾が当たったら、幕府は責任をとれるのか」

アントニー・ベストさん「幕府は重大な問題に直面しました。幕府軍と長州軍の戦闘に、外国船が巻き込まれる危険性は大いにありました。その報復を名目に、イギリス軍が全面的に戦争に介入してくる恐れがあったのです」

下関は外国の貿易船が頻繁に行き交う海上交通の要所でした。パークスの要求を受けた幕府の軍艦は、攻撃位置につけません。この隙をついたのが長州軍でした。防御が手薄になった幕府本陣に忍び寄ります。長州軍の主力の奇兵隊が上陸に成功。イギリスの商社からもたらされた武器が猛威をふるい、幕府軍の指揮官や兵士を、次々に狙撃します。指揮命令系統は混乱し、幕府の威信をかけた闘いは敗北に終わったのです。

窮地に立たされた幕府。このあと、起死回生の策として、ヨーロッパの大国・フランスに接近します。幕府は、パリで開かれた万国博覧会に参加。フランスの優れた造船技術や軍事技術を学び、イギリスに対抗しようとします。

富国強兵を急ぐ幕府は、フランスとの外交交渉が進んでいました。1867年、フランスの軍事顧問団の指導のもとで、幕府の精鋭部隊が結成。同時に、武器の輸入計画も進んでいました。

フランスの存在を苦々しく思うパークス。そんな中、イギリスの覇権を脅かすもう一つの事件が起きていました。舞台は、幕府とロシアが国境線を巡り争っていた樺太です。ロシアは大量の兵士を送り込み、樺太を実効支配しようとします。列強の覇権争いが、再び巻き起ころうとしていました。

 

ロシア皇帝「サハリン全島を我がものとするのだ」

元帥「今度こそイギリスが干渉する口実を与えません」

一方のイギリス。ロシアの攻勢は、対日政策に思わぬ影響を与えます。

アントニー・ベストさん「パークスは日本の統治方法を変える必要があると痛感していました。強固な統一政権が誕生すれば、ロシアに狙われることもなくなります。日本の政治体制の刷新を期待していたのです」

パークス「薩摩藩は危機を克服するため、『天皇中心の政治に変えるべき』と主張している」

小栗「天下の諸侯を従え、国のかじ取りをする。その重責が果たせるのは、慶喜公だけだ。将軍が政権を担うことは、ミカドもお認めになっている」

パークス「将軍の政治力は低下している。それで世界の信用を得られるのか」

小栗「われら幕臣が、将軍を支える。最後まで、国を守り通してみせる」

意のままにならない幕府や列強のライバルに、どう対処するのか。近年見つかったパークスの書簡から、ある極秘工作を行っていたことが明らかになりました。パークスが目をつけたのは、幕府がフランスから武器を買いつけるための資金でした。

パークス「銀行に圧力をかけろ。資金を止めれば、幕府は武器を手にできない」

幕府がフランスとまとめた計画は、実はロンドンの銀行から融資を受けることが条件でした。パークスは、そこに狙いを定めます。

アントニー・ベストさん「パークスはロンドンの銀行に働きかけ、融資を止めました。幕府とフランスの武器購入計画は、反幕府勢力との争いを長引かせるだけで近視眼的だと考えていたからです」

フランスとの武器購入計画が、頓挫した幕府。やがて、反幕府勢力を抑えきれなくなり、将軍・徳川慶喜は、大政奉還を決断します。しかしその後も、慶喜は政治の実権を手放そうとせず、新たな戦乱が巻き起ころうとしていました。

1868年1月、慶喜とパークスは会談します。その様子を、イギリス側が記録していました。

パークス「あなたは天皇に政治の実権を返上したはず」

パークス「国内の政治情勢はますます混乱を極めている。あなたはこの事態を収拾できるのか」

徳川慶喜「とにかく私の望みは、この混乱を平和的に解決することにある。そのためなら、この身はどうなっても構わぬ」

パークス「賢明なご判断だ」

この会談の後、慶喜は新政府軍との戦いに敗れ、政治の舞台から身を引きます。幕臣・小栗忠順の戦いは、幕をおろしました。

シカゴ大学教授 グローバル経済史 ケネス・ポメランツさん「幕末の日本がこのような運命をたどったのは、国内の政変に加え、世界の覇権を左右するホットスポットだったからです。究極的に言えば、このとき日本は、イギリスが支配する世界秩序に組み込まれたのです」

軍事・経済・外交、あらゆる手段を駆使して覇権を握ろうとしたイギリス。その世界戦略は、植民地をはじめ数多くの国や地域へ、大きな影響を与えました。日本では、260年以上続いた幕府が滅亡。天皇を中心とした政治体制が始動します。しかし、物語はこれで終わりません。列強の覇権争いは激化の一途をたどり、それが日本に、新たな危機をもたらすのです。

「新・幕末史」。第2集は戊辰戦争。明治新政府と旧幕府勢力が激突します。江戸を離れ、農村で塾を開いていた小栗は捕縛され、非業の死を遂げました。史上最大規模の内戦。その水面下で、欧米列強のパワーゲームが始まります。列強の思惑が入り乱れ、激化していく戊辰戦争。その知られざる真実に迫ります。

(NHKの放送内容が正しと、)自民党政府文部科学省検定の歴史教科書の全面書き換えの危機???

数々の歴史資料から導き出された幕末の歴史の真実は恐ろしい。150年前の帝国主義全盛の日本を取り巻く危機的状況が生々しく描かれているのですが、今年7月8日の「消えた弾丸」の安倍殺しの不気味な謎の事件が起きていなければ決してNHKでは放送出来ない驚愕の内容だったのである。文科省検定の歴史教科書とは180度内容が逆になっていたのですから驚くやら呆れるやら。(★注、ワッハーブ派サウジアラビアが世界中に造ったマドラサのようなテロリスト養成学校だった松下村塾を日本近代化のユネスコ「世界遺産」に無理やりねじ込んだ安部晋三首相とは正反対の動き)

しかし、濃密な内容から判断してNHKスペシャル番組自体は7月8日の「消えた弾丸」の安倍殺しの事件発生以前から計画され撮影されていたと思われる。

NHK番組改変問題

NHKが2001年1月30日に放送したETV特集 シリーズ「戦争をどう裁くか」、とくにその第2回「問われる 戦時性暴力」について、中川昭一経済産業相と安倍晋三官房副長官の自民党政府幹部2人が放送前日NHK幹部を呼びつけ「偏った内容だ」などと恫喝、圧力を受けて腰砕けになったNHKは番組内容を変えて放送していたことが、4年後の2005年に発覚するが、第二次世界大戦の日本軍従軍慰安婦問題どころの話ではない。(★注、薩長クーデター政権の正統性が根本から問われているのですから歴史的にも政治的にも大問題である)

宮廷クーデター発生「安倍殺し」を事前に予測していたNHK?

逆に考えれば、7月8日の「消えた弾丸」の安倍殺しの謎の暗殺自体が周到に準備されていた一大謀略事件「宮廷クーデター」の一環「鏑矢のような最後の合戦の合図?引き金?」だったことになる。(★注、挙国一致のマスコミ有識者の全員が大騒ぎする、今の統一協会と自民党議員とのズブズブの関係の暴露合戦は、わざと間違った結論に誘導する猫だましの赤いニシン)