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逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

九電やらせメールより悪質、東電少年の「やらせ」疑惑

2011年07月08日 | 社会

『通常の業務慣習だった仕込み(やらせ)』

大相撲では長年の公然の秘密であったが、お馬鹿なふんどし担ぎの仲介者が手間を惜しんで記録が残る携帯メールで行った為に、二場所開催中止の大騒動になってしまった御粗末な八百長騒動。
放駒相撲協会理事長は、これだけ事実が明らかに成っても、未だに『昔は八百長相撲は無かった』との見解を変えていない。
ただし、この言い訳は日本語特有の不思議な特徴で有る(主語など一番大事な言葉を省く)『短縮形』なのですね。
正しくは、『昔は携帯メールでの八百長相撲は無かった』だった。
半年以上もマスコミで大騒動になっていた大相撲八百長メール問題のニュースをまったく無視しているのか。
今回、本来口頭で行っていた恒例のやらせメールを、大相撲の真似をして矢張り携帯メールで八百長の『やらせ』を指示した九州電力には心底脱力してしまう。
この世間を舐めた阿呆だらが。
最低限、新聞くらいは読め。情けない。
今までの公聴会の開催では、慣習として(世間にばれてはいけないので)必ず口頭での『やらせ』の仕込みを行っていた事を忘れたのか。
よりによって、東電による福島第一原発事故の収束の目途さえ立たず、世間のみんなが注目しているこの時期に、大相撲の真似をして必ず通信記録が残るメールで行うとは絶句。
携帯電話の電磁波が脳腫瘍の危険があるとの話も有るが、九電の連中は全員携帯電話中毒で脳みそがメルトダウンしているのだろうか。

『東電少年の話の不思議不思議』

東電社員の子どもによる投書が波紋を呼んでいるとする、現代ビジネスによる
『悪いのは東電ですか、政府ですか、それとも国民ですか悪いのは東電ですか、
   東電少年の「投書」で大激論』
なる記事がある。
是非とも一読を御願いしたいが、内容は福島第一原発事故の責任は、東電にも東電社員には無い、有るとすれば原発を許した日本人全部であるとする、66年前の日本の無条件降服の責任は日本人全員だとする総懺悔論の二番煎じ。
イソップの寓話『裸の王様』の話のように、稀には子供の無垢な視線が事の本質を鋭くえぐり出すこともあるが、今回の『東電少年』は無知な子供の稚拙な意見に過ぎない。
同一の主張を東電社員が発言すれば間違いなく世論一般から袋叩きにあう代物だが、無垢な少年との立場から行っているのですからたちが悪い。
世間には『子どもは無垢』という憑依がある。ゆえに、子どもの発言には真剣に耳を傾けてみるという習慣がある。
これは好ましい習慣だと思うが、しかし本当に子どもが無垢であるかどうかは別問題。

『自分が子供だった時を忘れている大人たち』

これは、原発村(原発マフィア)の巧妙なやらせの宣伝記事ですね。 本当に情けないし腹立たしい。
これは東電社員の子供ではなくて、『東電社員の子供』を名乗る東電社員からの投稿の可能性が一番高いでしょう。
『子供の無垢な視線』どころが『大人の邪悪な悪企み』である。
あるいは大人の言葉を鸚鵡返しで喋る『小憎らしい悪餓鬼』かも知れないが、これは大人が子供を装っていると見るべきでしょう。
世間慣れした年長の大人でも有るまいし、普通の小学生の子供なら『突然ですが、』などと自分の投稿で、文章(言葉)の最初に言い出さないのですよ。
皆さんは御自分が子供だった時のことを完全には覚えていず、『過去の事実』ではなくて『こうであって欲しい』との願望を優先しているから『子供は嘘をつかない』とか『悪いことはしない』『無垢である』などと勘違いしているのです。
事実は正反対ですよ。
羞恥心や責任感などを明確に自覚している子供を連想してください。
そんなものは大人に比べれば極小数。
他人を思いやる心が有る子供。自分を相対化して見れる子供などは、大人とは大違いで極少数の例外でしか無い事実に気がつくべきです。
自分のことしか考えず、恥じも外聞もない。
判断は周りの大人(親や教師)など権威有る存在に丸投げしているのが子供の真の姿であり、大人から比べれば決定的に劣った存在で有るにも拘らず、苛め問題の続発と深刻化から判るように、自分よりもっと弱い存在の子供に対しては実に残酷であるのです。
無垢な子供は神話であり事実ではない。
長い時間と努力でやっと社会性の有る大人が出来上がるのである。
その逆(無垢な存在が段々と劣化して大人になって仕舞う)では絶対にない。
疎開先では都会者は例外なく苛められるのだが家財全部が米軍の機銃掃射で失い、着たきり雀で誰よりも貧乏、隣の家では餓死者まで出るような有様。
飢えと寒さで弱っている幼い子供を、何も知らないくせに親の受け売りで『アカ』であるとして平気でイジメを行うのが子供である。
『子供達を責めないで』の‏伊武雅刀ではないが、 私は自分がまだ小さかった時から無知で卑劣で鈍感で残酷な、子供が大嫌いだったのです。
それにしても不思議な話ですね。
昔は、大人は子供よりもすべての面で優れていていと考えるのが普通の常識であったのです。
この大事な原理原則が、如何も此の頃は揺らいでいる様なのですね。
今の多くの大人は、『「子どもの声」を大切にしなければならない』と無条件で信じているが、これは絶対に間違いですよ。
本当に子供の声を大切にしたら如何なるか想像してみて下さい。
とんでもないことになりますよ。
昔の常識であった『子どもを大切にしなければならない』と、するのが正しい。
大切なのは『子供の声』ではない。
『子ども自身』や『大人の声(判断)』こそ大切であり、人々は正しく自分の『大人としての責任』を自覚しないと駄目でしょう。

『日本中に蔓延る新興宗教、こども教』

この東電少年の話で一番最初に連想したのはパキスタンの部族地域や北西辺境州で今も行われているアメリカCIAによる現地武装勢力への無人機からのミサイル攻撃ですね。
攻撃される側はパキスタンの土着の原理主義者かも知れないが、実際に其処で生活している。
ところが攻撃している側は遥か10000キロ以上遠くのアメリカのオペレーションルームでコンピューターの画面を見ながらキーボードを操作しているのですよ。
絶対に自分が攻撃されない地点からテレビゲームと同じ感覚で行っている。
ところが一方は実際に頭の上に爆弾が落ちてくるわけですから、これ以上に腹立たしい話はない。
この『東電少年』の置かれている立ち位置とは、これとまったく同じで絶対安全の地点にいるのですね。
そうです。
誰も彼もが『子供は無垢』との神話を信じており、私のように本気になって『子供が悪い』などと叱る者がないと知っているのですよ。

『神話が「真実」でないと成り立たない議論』

多くの人々は、『神話』である事実を知りながら、それでも神話を根拠(正しい)として話を進めようとしている。
大間違いですよ。
何故、『神話は間違っている』との正しい原理・原則から出発しないのか。?
神話とは客観的事実とは何の関係も無いから『神話』な訳で、事実であるなら普通は『神話』とは呼ばない。
原発安全神話とは、冷却水の供給と電源の確保と作業員はミスが無く完璧、炉心だけでなく様々な配管が健全である等の色々な良い条件が重なった場合に、限定的にようやく成り立つ。
ところが一度暴走した時には誰もコントロールが無理で、如何しようも無い破滅的な代物であり、『安全』の対極になるのが原子力発電であったのです。
強固に安定している構造である原子を、人為的に破壊して強力な核エネルギーを得ているのですから、本来『恐ろしいことをしているのだ』との根本的な発想が必要であるが、これに真っ向から反するのが破壊的カルト宗教である『原発安全神話』である。
『神話』を信じて疑わない段階で、それはもう福島第一原発のような破滅的な未来は有る程度の確率で確実に約束されています。
原発安全神話だけでなく、子供は無垢との『神話』でも有る程度は同じ原理が働くでしょう。

『現代ビジネスの記事を読んでみる』

この現代ビジネスの記事ですが、可也悪質ですよ。
先ず最初の写真が決定的に、この記事の意味を象徴しているとは皆さん思いませんか。?
土下座して謝る東電社長と、偉そうにしている被災者の構図ですよ。
これが何を読者に期待しているかは自ずから明白です。
この記事の中で、
『原子力安全・保安院の広報担当者が語る。』として、
『よく勉強しているなと感心しました。・・・電力会社はそれを実施したに過ぎません。』
と有るから監督官庁である自分の責任を言うかと思ったら正反対。
何と、
『原発に反対する人は昔から、ずっと感情的に反対で、冷静に考えることがない。』と、驚愕、事実と違いすぎる、とんでもないことを口に出している。
未だに原発安全神話から一歩も出ていない。
ドサクサに紛れて悪質極まるデマを垂れ流すにもほどが有る。
この薄汚い悪党めが!!
『それに比べても、この小学生はよく考えています』と原発安全信者を褒め称える始末です。
これは悪質な印象操作、情報操作の典型的な例ですよ。
そもそもこの記事のそのまた元になった問題記事である3月27日付『NEWSの窓』の元毎日新聞論説委員で経済ジャーナリストの北村龍行氏が書いた『東電は人々のことを考えているか』というコラムが今では閲覧出来ない。
前後の他の日付記事は今でも読めるが、この記事だけは題名さえも完璧に削除されて記事の存在自体が何故か消えているのですよ。
『東電少年』の伝説は矢張り伝説であり、非実在(東電の宣伝広報活動のやらせ)の可能性が濃厚である。

『願望が実体化したのが神話』

『原発安全神話』とは原発が安全であって欲しいとの全ての人々の『願望』では有るが、現実世界の『客観的事実』とは何の関係も無い。
事実は正反対で原発とは基本的に『危険なもの』だった。
神話は真っ赤な大嘘だったことを福島第一の悲惨極まる事実を目の前にして、今では誰もが気がついている。
ただ3・11が起きる前には今とは正反対で一部の例外を除けば、ほとんど全ての人が『原発は安全』と思っていた。(あるいは『思いたい』と思っていた)
『原発が安全である』とか『子供が無垢である』とは、目の前の本当の事実とは違ってはいるが(否、違っているからこそ)すべての人々の理想や願望であるので、誰であれ決して『否定』は出来ない仕組みのものなのです。
これは小説世界では良く有る、処女の聖なる娼婦を思い描くのと同じで、『素晴らしい話である』とは私も思うが現実世界の客観的事実とは違いすぎるのですよ。
残念ながら売春婦は処女でもないし聖女でもないのが現実です。
悲しいかな現実の原発は危険であるし、子供は無垢ではないが無責任な(責任能力が無い)存在であるのです。


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18 コメント

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反原発はオタク? (伯爵)
2011-07-08 15:43:29
香山リカ というテレビに出たりしている精神科医が「小出裕章氏が反原発のヒーローとなった理由」という文章の中で、
『ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます』
『特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占めているように見えます』
と書いています。 私は、これを読んで考え込んでしまいました。

まともな大人である人が(本当はそうではないのかもしれないが)、原発の危険性を正面から見据えるのではなく、『きちんとお勤めしている人達は、原発の仕方がない部分を容認しているはずだ』と言わんばかりの表現です。 これは、東電は電力供給という大事な役目を担ってきたので、事故に関して一義的な罪はないという風にも解釈できます。(意図的に、彼女がスポンサーの東電に有利な文言を書いた可能性もある。) 彼女の態度は、九電やらせメール、東電少年の「やらせ」疑惑、と同様の『無責任な(責任能力が無い)』ものです。 共通しているのは、「物事は社会的な力関係や流行などよりも、第一に物理的・科学的根拠に基づく」という基本認識が欠如している点です。
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子供は半人前としたものだ。 (ニケ)
2011-07-08 20:36:48
「釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれたとされるが、七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)と言った」という伝説はさておき、私も子供と大人の区別がなされていること“そのもの”を考えれば、子供は大人になる前の未熟な存在であると考えています。稀に3歳~8歳ぐらいで驚くような才能を持った子供も現れますが、それは特殊例であり、ほとんどの子供は大人になる前の過渡的な存在です。つまり大人になるための教育と保護が必要な段階です。

欧米(アメリカかな)ではCM(コマーシャル)に子供を使用することへの制限があるそうです。子供が「おいしい!」というと大人より信用性が高いというのでしょうか?規制の根拠を詳しくは知らないけれど、日本では子供にウソも代弁させています。

今回の「東電少年」には興味が無かったのですが、ご紹介の『・・・大激論』を読んでみました。「〈突然ですが」の書き出しは宗純さんのおっしゃるように私も胡散臭く感じます。
実在する「東電少年」がいるかもしれませんが、少年らしい未熟さを出していますし(原文を読んでいないのが致命的かw)、もし少年を騙っている大人がいるとしたら「大人に成りきれていない大人」ということになるのでしょう。

「セヴァン・スズキの12歳当時のブラジル、リオ・デ・ジャネイロでの「環境と開発に関する国連会議(環境サミット)」演説、」
こうした12歳の実在は認めます。
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美談という神話 ()
2011-07-08 21:13:43
いつも拝見させております。

原発事故が公に大きく問題視された時期に、検索サイトのニュース欄で定年を一ヶ月後に控えた東電社員の父が国の為にと自分の事など顧みず自ら立候補して現場へ向かったという娘の話という記事を思い出しました。因に普段はだらしない父が、という美談のおまけ付き。もちろん何処の誰かは一切謎。

震災から 4ヶ月近くたった今、東電の企業体質や、今回の九電の話が明るみに出れば出る程、これもまた信じれなくなる話ですね。

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加害者が言ってはいけない (湧泉堂)
2011-07-08 21:25:45
『有機水銀を垂れ流し続けたチッソも悪いけれど、そんな工場の操業を許してきた水俣病被害者も悪い』

『カドミウムを垂れ流し続けてきた三井金属鉱業神岡事業所も悪いけれど、そんな事業所の操業を許してきたイタイイタイ病被害者も悪い』

東電少年の主張は、以上のような理屈でしょうか?

その理屈にも一理あるような気もしないではありませんが、刑務所に入れられるのは、間違いなく加害者の方です。

被害者が言うのは許されるけれど、第三者や、ましてや犯人が言うことは許されない言葉というものがあります。

『犯人も悪いけれど、騙された自分(被害者)も悪かった』これを、加害者が言うのはあまりに悪質だと思います。
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なぁ ボク (紫煙)
2011-07-08 23:38:19
日本は世界に放射性物質大量にばら撒いたんだ。地球環境をめちゃくちゃにしてしまったんだ。これまで原発に反対してきた人達も含めて日本は世界に誤らなきゃならないだろう?

しかし世界に誤る前にしなきゃならない事があるんだ。先ず全ての原発を停止することだと思わないか?この汚染は何万年にも及ぶのだが何故こんなことになったのかちゃんとした原因さえもわからないし今もどんどん放射性物質を出し続けているのに原発を再開して世界に誤りようなど無いのじゃないかな。

じゃ日本国内だけ見て誰の責任か?皆「自分の責任じゃない」って言うだろう醜いことだ。しかしな震災後フクシマの避難民に会社の保養所を開放しなかった東電の責任は重いぞ、そして東電社員や君たち家族だけが秘密にフクシマから避難していた事をどう思う?もう東電に原発なんて危ないものは任せておけないよね。

で、おとうさんはお家でいつもそんな風に言っているのか?
______________________

以上のような事でいかがなものでしょうか?
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こども以下の思考力しかない、『東電社員の子供』を名乗る東電社員 (JUNSKY)
2011-07-09 12:11:35
九電の「ヤラセメール」のお馬鹿さ加減も相当なものですが、この「子どもの意見」も御推察のように、いわゆる成り済ましメールというか、オレオレ詐欺みたいに子どもや孫を名乗って大人をだまくらかすやり方に違いないでしょう。
まぁ、書かれているように知らずのうちに大人に吹き込まれた“意見”を『堂々と』マスコミの前で語る子どもも小学生高学年位になると幾らでもいます。
なんたって、昔は「金八先生」今は「ハガネの女」みたいな学園モノドラマに出て流暢に台詞を自然にしゃべれる「お子様タレント」があれだけ大勢居るのですから。
「お子様タレント」を使えば、加藤清史郎ではないが、小学校入学前から「俺はこんなところに来たくはなかった」と同情を買うことができるのです。

ともかく、その「お子様の声」が子ども本来の思いとは考えられません。
米軍が中東でやらせていた「ヤラセ」と同じようなものです。

ところで、今日の西日本新聞によれば、九電のヤラセメールが発覚したのは、九電からのメールを転送された協力企業の一社員が義憤を感じて、日本共産党・福岡県委員会所属の事務所に持ち込んだ「内部告発」(公益通報)であったことが解った。と出ていました。
それによると、あの「安全広報」のヤラセテレビ番組放映の前日に共産党に持ち込み、7月2日に赤旗に掲載され、6日の国会で共産党(笠井亮)議員が追求したという流れが紹介されています。
返信する
メルトアウト (愚樵)
2011-07-09 14:18:52
・宗純さん、こんにちは。

またもや「東電少年」かと思い、イチャモンをつけてやろうかと思って勇んで読んでみましたが、この話の流れならば文句のつけようはありません。いささか残念ですが(笑)

ところでくだらない話でもうしわけないのですが、フクシマはもはや「メルトダウン」「メルトスルー」を通り越して「メルトアウト」と言われているようです。

>九電の連中は全員携帯電話中毒で脳みそがメルトダウンしているのだろうか。

どこぞのバカの脳味噌がメルトダウンしていようが知ったことではありませんが、害悪を撒き散らされてははた迷惑も甚だしい。核燃料も炉内のメルトダウンで留まるならまだしも、「アウト」は甚だ困ります。

使用済み核燃料の最終処分場を作ることも重要ですが、脳味噌メルトアウトたちの処分場も早急に必要でしょう。
返信する
全員に批判されたらしい香山リカ (宗純)
2011-07-09 15:49:49
伯爵さん、コメント有難う御座います。

それにしてもマスコミでちやほやされる、これ等の電波芸人の水準は予想以上に低いですね。
ネット芸人の阪大物理学教授の菊池誠も今回、副島第一の原発1号機の水素爆発事故では、
誰の眼にも今までの原発安全神話が吹き飛んだ現実が見えないないのです。
菊池誠教祖は、今までどうりの相変わらずの卑劣なやり方で、長年原発安全神話を告発している広瀬隆氏を『とんでもである』と早速いい出す。
ニセ科学を批判したつもりが、自分の薄汚いニセ科学ぶりがばればれで、告発したつもりが薮蛇。
今では誤用学者の正体が全員にばれてしまう。
今までの自分の信者からもあきれ返られ、世間一般全員から御用学者として批判されるが、天に唾した当然過ぎる報いですね。
香山リカのこの記事ですが、読んでみましたが卑劣な薄汚いな印象操作程度ですね。中身がなにも無い。
およそ科学者の端くれなら恥ずかしくて書けない種類のゴミですね。
当然みなさんに批判され、当然の謝罪におい込まれたのですが、
その謝罪の文書の支離滅裂の情けなさ過ぎる、意味不明の駄文中の駄文で、
読んでから『時間が勿体無かった』と全員に思わせるような悲惨極まる無内容。
まあ、最初の文章の中身が悪質な印象捜査以外の内容が無かったのです。
ですから、謝罪文はもっと劣化していて当たり前。本文以上の中身を期待した私の方が間違っていたのかもしれません。
返信する
思わず叫んだ『お前はアナウンサーか』 (宗純)
2011-07-09 16:14:37
ニケさん、コメント有難う御座います。

可也の年配で、しかも会話に慣れていないと『突然ですが』との前置きはしない。
子供とか、あるいは可也高齢の人とか社会性の無い専業主婦とかは、自分自身を相対化できないのです。
ですから今自分が関心が有るものが自動的に相手も関心があると勘違いしている場合が多いのですよ。
ですから突然主語を抜かして会話するので、話しかけられた相手は面食らう訳ですが、
その正反対の態度がこの『突然ですが』の呼びかけなのです。
大人でも滅多には使わない種類の言葉ですね。
ところが文章の方はえらく子供で、幼い未熟な幼稚な理論と言葉遣いでちぐはぐの統一性がまったく無い不思議な代物。
言葉使いの一貫性が無いので、誰か(東電)の意識的な創作の可能性が高いと思えるのです。

ついでに、伊武雅刀 の『子供達を責めないで‏』の歌詞を紹介しておきます。

私は子供が嫌いです。
子供は幼稚で 礼儀知らずで 気分屋で
前向きな姿勢と 無いものねだり 
心変わりと 出来心で生きている
甘やかすとつけあがり 放ったらかすと悪のりする
オジンだ 入れ歯だ カツラだと 
はっきり口に出して人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって絶壁です
努力のそぶりも見せない 忍耐のかけらもない
人生の深みも 渋みも 
何にも持っていない
そのくせ 下から見上げるようなあの態度
火事の時は足でまとい 離婚の時は悩みの種
いつも一家の問題児 
そんな御荷物みたいな そんな宅急便みたいな 
そんな子供達が嫌いだ
私は思うのです この世の中から子供がひとりも
いなくなってくれたらと
大人だけの世の中ならどんなによいことでしょう
私は子供に生まれないでよかったと 
胸をなで下ろしています。
私は子供が嫌いだ 
ウン!
子供が世の中のために何かしてくれたことが
あるでしょうか
いいえ 子供は常に私達 おとなの足を引っぱる
だけです
身勝ってで 足が臭い 
ハンバーグ エビフライ カニしゅうまい
コーラ 赤いウインナー カレーライス 
スパゲティナポリタン 好きなものしか食べたがらない 
嫌いな物にはフタをする 
泣けばすむと思っている所がズルイ 
何でも食う子供も嫌いだ。
スクスクと背ばかり高くなり 
定職もなくブラブラしやがって
逃げ足が達く いつも強いものにつく 
あの世間体を気にする目がいやだ
あの計算高い 物欲しそうな目がいやだ 目が不愉快だ
何が天真爛漫だ 何が無邪気だ 
何が星目がちな つぶらな瞳だ
そんな子供のために 私達おとなは
何もする必要はありませんよ
第一私達おとながそうやったところで 
ひとりでもお礼を言う子供がいますか
これだけ子供がいながら ひとりとして
感謝する子供なんていないでしょう
だったらいいじゃないですか 
それならそれで けっこうだ ありがとう ネ 
私達おとなだけで せつな的に生きましょう ネ
子供はきらいだ 子供は大嫌いだ
離せ 俺はおとなだぞ 
誰が何といおうと私は子供が嫌いだ
私は本当に子供が嫌いだ

返信する
役所以上に官僚的な東電 (宗純)
2011-07-09 16:52:48
筒さん、はじめまして。これからも宜しくお願い致します。

原発ですが特殊で扱えるのは原発村の住民だけ。一般の東電職員でも無理なようですよ。
原発ですが火力など他の発電所での発電経費よりも安いという計算は大嘘であり、事故がまったく無くて安全であったと仮定しても実は発電経費が3~4倍のかかる。
ですから純粋に民間ベースで考えるなら絶対にありえないのが原子力発電で、『国策』としてしか成り立たない。
ですから原発村の住民以外の東電関係者からも、自分達の仲間ではなくて迷惑な余所者として胡散臭く見られているのが現実で有るらしい。
しかも原発村とはとんでもないところで、原発作業員の9割の人々は東電の職員ではないのですね。
事故直後から長い間、作業員が構内の床にごろ寝でしかも1日2食それも加熱していないレトルト食品と言う、大震災で体育館などにいる被災民以下の厳しい環境で働いていたのです。
これを聞いたときは『東電職員は頑張っているな~あ』と感激したのですが、実は大概は東電職員ではない下請け作業員。
真実を知った時には怒りの余り、頭の血管が切れそうになりましたよ。
この現代ビジネスの冒頭に体育館の床に土下座する東電社長と周りを取り囲む怒った被災民のです。

東電社長は数分間固い床の上に座っていたのですが、
周りの被災民は東電の放射能の汚染で何ヶ月も家に帰れず、仕方なくその床の上にごろ寝しているのです。
東電に対して、怒って当然であるのです。今までの日本人はこの当然お怒りが余りにも貧弱であったが為に、今の悲惨な放射能汚染を引き起こしたのです。
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