逝きし世の面影

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20年目の潜水艦なだしお事件

2008年07月24日 | 社会・歴史
二十年前の昨日、一九八八年七月二三日、東京湾横須賀沖合(横須賀港北防波堤灯台東約3km)で、潜水艦なだしお2250トンと遊漁船第一富士丸154トンが衝突し、第一富士丸がなだしお艦首に乗り上げ横転して海中に没し、第一富士丸の乗客ら30名もの尊い命が失われるという痛ましい事故が発生した。
なだしおは伊豆大島北東沖での自衛艦隊デモ訓練を終えて横須賀へ帰投中。第一富士丸は横浜から大島に向かっていた。

乗客39、乗員9のうち30名が死亡、17名が重軽傷を負った。
死者のうち、28名は沈没した船体の中から、1名は現場付近の海中から遺体で発見された。残りの1名は救助後病院で死亡。

さらになだしおの艦長らが衝突時の航海日誌を後に改竄していた事や、なだしおの軍事機密とされる旋回性能の検証開示を行わせたことでも話題となった。
この事件によって瓦力防衛庁長官が引責辞任をした。
総排水量2250トンのこの巨大潜水艦は、日本初の対艦ミサイル搭載艦として知られていた。

『海難審判』

1990年8月10日、高等海難審判庁は、海上衝突予防法で回避義務のある潜水艦なだしおが回避行動を全く取らず漫然の航行し衝突直前に右転した事が事故の主な原因で潜水艦なだしお側に非があったと認定された。

この事件が多くの被害を出したのは、轟沈とよばれる短時間での沈没であったことと、
そのため船内にいた人が脱出の機会を失ったこと、
また救命胴衣の着用がなく脱出した者も力つきて溺れたことなどが挙げられている。
なお。潜水艦の乗員たちは沈没していく第一富士丸の乗客の救助を全く行わなかった事が判明している。

『なだしお艦長の抗弁』

現在の潜水艦にはゴムボートしかなく、その搬出に手間取った。
そもそも衝突時などの救助訓練が訓練メニューにない。
商船は各自の判断でやってよいが潜水艦乗員は艦長の許可なく救助活動にあたれない。
などと反論している。
1992年12月10日、裁判は真相解明とは程遠い、なんとも不可解な灰色決着で終わる。
横浜地方裁判所がなだしお元艦長に禁錮2年6ヶ月執行猶予4年の判決を下した。

『信号機のない交差点』

事故のあった浦賀水道は、世界でも屈指の過密航路。
当時、1日当たり700 隻以上の船が往来していた。
しかも南北に航行する船と、横須賀港に出入りする東西方向の船が交差するため、衝突の危険性は常にあった。

『自衛隊の船舶は特別』

自衛艦は海上衝突予防法で定められた避航船(他船の進路を避けねばならない船舶)の時でも、民間船が避けるのが当然と思っている。
「おまえらは遊んでいるんだから、自分たちに航路を譲るべきだ」という意識でもあるのか小さなレジャー船なんか蹴散らされている。
第一富士山丸近藤船長は、海外の航路が長いから、自衛艦と民間船の関係が良く分かっていなかった。
逆になだしおは衝突寸前まで『第一富士丸が避けるはず』と思い込んでいた。

第一富士山丸の近藤船長は、
『それまでは大型船で外洋に出ていたので、洋上の潜水艦は1、2 度見た程度です。
船仲間からは、ギリシャ船というのが“あまりルールは関係ない、気をつけなさいよ”と言われていたんですけどね。
ただ、ルールがある以上、ちゃんと守るべきだし、それは自衛隊だろうと同じでしょう。
ですから、民間船たるもの、自衛隊の船が来たら無条件に進路を譲るべき、という考え方はとても納得できません』と語る。

『海上自衛隊側の数々の疑問』

海上保安庁へ通報したのは事故21分後、という事実も明らかになっており、おかげで巡視艇の現場到着が大幅に遅れた。

『横須賀海上保安部の事晴聴取を拒否』

第一富士丸の近藤船長がその夜の7時過ぎ、横須賀海上保安部の庁舎内で事情聴取に応じたのに対し、なだしおの山下啓介艦長は出頭しなかった。
自衛隊側が“いまは聴取に応じられない”と拒否した。
結局、聴取が実現したのは午後11時過ぎ。
それも、海上保安部の係官が、事故現場に留まっていたなだしおに出向いて行う、という異例の形での『事情聴取』しか行われなかった。
事故後、7時間もの空白があった。
この間、自衛隊幹部もなだしおの中に入っていなんらかの口裏合わせがあったと疑われても仕方がない状態である。

『航泊日誌の書き換え疑惑』

衝突時間を3 時38 分から40 分に書き換えた跡があった。
審理の中で、山下艦長の命令で部下がやったと確認された。
しかし、艦長は“鉛筆の字をペンで清書しただけ”とよく分からない弁明に終始した。


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