日本史事典.comより【兵農分離とは】簡単にわかりやすく解説!!政策が作られた背景や内容・その後などを紹介します。
目次です。
- 1 兵農分離とは?
- 2 兵農分離を目指したわけ
- ①常備軍の設置のため
- ②一揆の対応
- 3 兵農分離の主な政策
- ①刀狩令
- ②海賊禁止令
- ③人掃令
- 4 兵農分離の効果
- ①城下町の発展
- ②生産の効率化
- ③江戸時代の兵農分離
- 5 まとめ
兵農分離は、豊臣秀吉が1585年に初めて行った刀狩令、1588年に出した海賊禁止令、1592年(文禄1)3月ごろの関白豊臣秀次の人掃令でできあがり、それが近代まで続きます。
日本の流れを大きく変えたものです。
その意味は、ぜひ記事をご覧ください。
まとめを見てみましょう。
✔ 兵農分離とは戦国時代から江戸時代にかけておこなれた農民と武士の身分を分ける政策のこと。
✔ 兵農分離を行おうとした理由の一つに常備軍の設置や一揆の心配をなくすというものがあった。
✔ 兵農分離のために刀狩令や海賊禁止令や人掃令などが発布された。
✔ 兵農分離の結果城下町が発展し、さらには生産の効率化が図られていくようになった。
✔ 兵農分離は江戸時代に入ると士農工商へと変わっていった。
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