花ニラ
2009年04月02日 | 花
画家の上田南嶺が居(JR伊丹駅前近くの民家の横に、ひっそりとあります。)
を構えた古城庵跡に花ニラが白い花を咲かせています。清楚で可愛いお花です。
(上田南嶺のお話)
上田南嶺(安政5年(1838)-昭和18年(1943))は、安政5年京都伏見に
上田征輔の子として生まれる。
明治8年四条派画家渡辺祥益に入門。同23年、昭憲皇大后の法隆寺行啓や、
同25年、ロシア皇太子来日の際に、法隆寺より依頼され、
幼図として同寺冥景を描く。
大正7年、伊丹の醸造元小西新右衛門(11代業茂)の招きにより、
伊丹古城下に、「古城庵」と名づけた居を永住の地と定め、
多くの作品を当地に残す。昭和18年3月3日、
「このたびは、汽車も電車もいらぬ旅、ただ六文で弥陀の浄土へ」の
辞世を残し、86才の生涯を終えた。
を構えた古城庵跡に花ニラが白い花を咲かせています。清楚で可愛いお花です。
(上田南嶺のお話)
上田南嶺(安政5年(1838)-昭和18年(1943))は、安政5年京都伏見に
上田征輔の子として生まれる。
明治8年四条派画家渡辺祥益に入門。同23年、昭憲皇大后の法隆寺行啓や、
同25年、ロシア皇太子来日の際に、法隆寺より依頼され、
幼図として同寺冥景を描く。
大正7年、伊丹の醸造元小西新右衛門(11代業茂)の招きにより、
伊丹古城下に、「古城庵」と名づけた居を永住の地と定め、
多くの作品を当地に残す。昭和18年3月3日、
「このたびは、汽車も電車もいらぬ旅、ただ六文で弥陀の浄土へ」の
辞世を残し、86才の生涯を終えた。