全一冊 小説 直江兼続 北の王国
集英社文庫 1999年8月25日第1刷発行、2009年2月10日第28刷
この作品は、1996年1月、学陽書房人物文庫より刊行されたものに拠っている。
著者 童門 冬二(どうもん ふゆじ)
1927年10月東京生まれ。1944年海軍土浦航空隊に入隊するが翌年終戦。
戦後は東京都庁に勤務。知事秘書、政策室長などを歴任。
退庁後は歴史小説やエッセイを執筆。
2009年大河ドラマでもやったので、関心はあったがなかなか読み出せなかった。
大河の原作は、火坂雅志であったが、こちらの作者は、童門冬二さんであった。
幼名を与六といった直江兼続は、今でいうイケメンであったという。
若くして上杉謙信に仕え、謙信死後は後を継いだ上杉景勝のブレーンとなり、
豊臣の戦国時代から江戸初期まで活躍した。
今回童門氏の著作を読み、今まで知らなかったことをいろいろ教えられた。
幼名樋口与六は、上杉家の重臣・直江信綱が若くして亡くなると、直江家の
養子となって跡を継ぎ、直江兼続となったのである。
そしてその妻お船(おせん)は、直江景綱の妻女の娘であり、才気があり感性豊かな
女性であった。京都で人質同様な生活を送りながら、正しい情報を兼続に伝えた。
また時には優しく慰め、時には力強く兼続を励ましている。
兼続の主君・上杉景勝もよくできた人物であったようだ。上杉謙信には子供がいなかった
ので、北条家からの養子の景虎と謙信の姉の子供・景勝を養子としていた。
謙信が亡くなると、兼続は「御館(おたて)の乱」において景虎一族を消滅させ、
景勝を主君とした。
この上杉景勝と直江兼続が二人三脚で戦国時代を渡っていったのである。
時は豊臣秀吉の時代に入っており、兼続は石田三成と「越水の会」により
盟約を結び、後日の関ヶ原の戦いへのつながりとなるのである。
上杉氏の支配地は、上越の春日山城を中心として、おおよそ今の新潟県や
長野県の一部だったと思うが、景勝や兼続は「上田衆」といって新潟県の南魚沼郡で
あったという。また直江家は「与板衆」といって信濃川の下流域の地域だった
ということである。
その後、秀吉の天下統一の過程で、福島県の会津から中通りエリアや米沢、庄内に
変わり、その後、関ヶ原の戦いの結果、いまの米沢の30万石に押し込められてしまった
ということである。そこで上杉氏は江戸時代も紆余曲折がありながら、明治維新まで
生き残ってきたのである。そこから江戸時代の上杉鷹山公にもつながるのである。
米沢の歴史もかなり面白いものだとも思ってきた次第である。
集英社文庫 1999年8月25日第1刷発行、2009年2月10日第28刷
この作品は、1996年1月、学陽書房人物文庫より刊行されたものに拠っている。
著者 童門 冬二(どうもん ふゆじ)
1927年10月東京生まれ。1944年海軍土浦航空隊に入隊するが翌年終戦。
戦後は東京都庁に勤務。知事秘書、政策室長などを歴任。
退庁後は歴史小説やエッセイを執筆。
2009年大河ドラマでもやったので、関心はあったがなかなか読み出せなかった。
大河の原作は、火坂雅志であったが、こちらの作者は、童門冬二さんであった。
幼名を与六といった直江兼続は、今でいうイケメンであったという。
若くして上杉謙信に仕え、謙信死後は後を継いだ上杉景勝のブレーンとなり、
豊臣の戦国時代から江戸初期まで活躍した。
今回童門氏の著作を読み、今まで知らなかったことをいろいろ教えられた。
幼名樋口与六は、上杉家の重臣・直江信綱が若くして亡くなると、直江家の
養子となって跡を継ぎ、直江兼続となったのである。
そしてその妻お船(おせん)は、直江景綱の妻女の娘であり、才気があり感性豊かな
女性であった。京都で人質同様な生活を送りながら、正しい情報を兼続に伝えた。
また時には優しく慰め、時には力強く兼続を励ましている。
兼続の主君・上杉景勝もよくできた人物であったようだ。上杉謙信には子供がいなかった
ので、北条家からの養子の景虎と謙信の姉の子供・景勝を養子としていた。
謙信が亡くなると、兼続は「御館(おたて)の乱」において景虎一族を消滅させ、
景勝を主君とした。
この上杉景勝と直江兼続が二人三脚で戦国時代を渡っていったのである。
時は豊臣秀吉の時代に入っており、兼続は石田三成と「越水の会」により
盟約を結び、後日の関ヶ原の戦いへのつながりとなるのである。
上杉氏の支配地は、上越の春日山城を中心として、おおよそ今の新潟県や
長野県の一部だったと思うが、景勝や兼続は「上田衆」といって新潟県の南魚沼郡で
あったという。また直江家は「与板衆」といって信濃川の下流域の地域だった
ということである。
その後、秀吉の天下統一の過程で、福島県の会津から中通りエリアや米沢、庄内に
変わり、その後、関ヶ原の戦いの結果、いまの米沢の30万石に押し込められてしまった
ということである。そこで上杉氏は江戸時代も紆余曲折がありながら、明治維新まで
生き残ってきたのである。そこから江戸時代の上杉鷹山公にもつながるのである。
米沢の歴史もかなり面白いものだとも思ってきた次第である。
我が家の庭にある牡丹がきれいに咲きました。
ピンクと赤があるのですが、赤は少し先に咲き、一緒に撮ることができませんでした。
こちらは少し先に咲いた赤色の牡丹です。
いずれも島根県の大根島で買ってきました。
ピンクと赤があるのですが、赤は少し先に咲き、一緒に撮ることができませんでした。
こちらは少し先に咲いた赤色の牡丹です。
いずれも島根県の大根島で買ってきました。
昨日は、前日に連絡もらった友人の誘いで「壱銭屋善平」さんでランチしました。
友人がいつもその前を通って、気になっていたそうです。
実は私も知っていました。以前にブログに書いた「アパホテル 仙台駅北」に行く
途中にあったからです。
ランチメニューはたくさんあったのですが、「赤魚の揚げびたし、大根おろし添え」という
ヘルシーメニューを選びました。ハンバークやとんかつもありましたが、健康を考えているので
それにしました。
最初に出てきたのは、もなかのカップにポテトサラダが入り、その上にトマトやニンジン、
カボチャなどがのっていました。私は最初からアイスかと思い、店員さんに聞いてしまいました。
次が、左上が茶碗蒸し、これも味が普通じゃない、みそ味だったような。
その右はご飯、下左が赤魚の煮びたし、下右が小さな器に入ったいろんなおかず、詳しくは忘れました。
最後は、コーヒーとデザートです。
以上で、1,080円(税込み)でした。お得です。
個室の室内も凝った飾りがありました。
通路にも変わった飾りが、
入り口をあがったところにも、こんなものがありました。
お店は階段を上がった二階でした。
友人がいつもその前を通って、気になっていたそうです。
実は私も知っていました。以前にブログに書いた「アパホテル 仙台駅北」に行く
途中にあったからです。
ランチメニューはたくさんあったのですが、「赤魚の揚げびたし、大根おろし添え」という
ヘルシーメニューを選びました。ハンバークやとんかつもありましたが、健康を考えているので
それにしました。
最初に出てきたのは、もなかのカップにポテトサラダが入り、その上にトマトやニンジン、
カボチャなどがのっていました。私は最初からアイスかと思い、店員さんに聞いてしまいました。
次が、左上が茶碗蒸し、これも味が普通じゃない、みそ味だったような。
その右はご飯、下左が赤魚の煮びたし、下右が小さな器に入ったいろんなおかず、詳しくは忘れました。
最後は、コーヒーとデザートです。
以上で、1,080円(税込み)でした。お得です。
個室の室内も凝った飾りがありました。
通路にも変わった飾りが、
入り口をあがったところにも、こんなものがありました。
お店は階段を上がった二階でした。
今日は通院のため、仕事は休みです。
病院のあと、しばらくぶりに一番町近くを歩いてみました。
地下鉄青葉通一番町駅からアーケードを南のほうに入った右側に、
昔行ったことのあるアジアン料理のお店があります。
細い路地を入って、狭い階段を上った2階ですので、わかりにくいところです。
ベトナム料理を中心としたお店で、アジアリゾートの雰囲気の店です。
ランチメニューはたくさんありましたが、よくわからないので「本日のアジアごはん」を頼みました。
籐製の椅子が気持ちよく、お昼を食べて1時間以上読書をしてきました。
アジアンな音楽も流れ、ゆったり過ごせました。
病院のあと、しばらくぶりに一番町近くを歩いてみました。
地下鉄青葉通一番町駅からアーケードを南のほうに入った右側に、
昔行ったことのあるアジアン料理のお店があります。
細い路地を入って、狭い階段を上った2階ですので、わかりにくいところです。
ベトナム料理を中心としたお店で、アジアリゾートの雰囲気の店です。
ランチメニューはたくさんありましたが、よくわからないので「本日のアジアごはん」を頼みました。
籐製の椅子が気持ちよく、お昼を食べて1時間以上読書をしてきました。
アジアンな音楽も流れ、ゆったり過ごせました。