以下は前章の続きである。
公正な報道とはなにか
―取材に対して、安倍さんは先述の通り、一貫して「公正な報道をしてください」と言ったと発言しています。これは、朝日の検証記事などを読んでも明らかですが、朝日の手にかかると、これが「圧力」になってしまうようです。
安倍 「公正な報道をしてもらいたい」と意見するのは、国会議員として当然です。
ちょっと考えてみてください。
もし、NHKや民放テレビが、逆に極めて保守的な政権寄りの報道をしようとしていて、野党議員が「公正な報道を」と求めたら非難するでしょうか。
恐らく批判するどころか、「よくやった」と言うのではないでしょうか。
実際に社民党は、テレビ朝日の報道局長に宛てた「テレビCMに関する質問状」(13年6月26日)の中で、同党のCMが一部カットされて放映されたことに対して、「(それまで同党は)公平・公正なる報道をお願いしたつもりです」と指摘しています(笑)。
これは「圧力」なのでしょうか。
極端な例でいえば、NHKが殺人を肯定する番組を制作しようとしているという情報が耳に入ったら、当然「報道機関として公正な報道をしてくださいね」と言うでしょう。
ですから、私が番組に「圧力をかけた」と言う方々は、「女性国際戦犯法廷」を支持したいという左翼的な視点に立っている方々で、とても中立的な立場からの批判とは思えません。
―朝日新聞の発想からすると、与党の権力者がマスコミになにか言うことは「戦前のような言論弾圧だ」と短絡的に結びつけ、一方で野党なら少数派だから少々の圧力をかけても問題はないということなのかもしれません。
安倍 もちろん、権力を持っている側は、報道の自由に対して常に尊重する立場をとり、自分の発言が圧力になるのかどうか、抑制的かつ謙虚な態度を取らなくてはいけません。
しかし、今回の「公正・公平」という発言については、これは圧力になるわけがない。
―7月25日の再取材後の報告記事で、横井正彦・前社会部長は「今回の再取材で、記事の描いた『政治家の圧力による番組改変』という構図がより明確になったと考えます」と総括しています。
ところが9月30日の委員会の見解では、「『政治的圧力が番組編集に少なからぬ影響を及ぼした』などの表現の方が適切だったのではないか」と疑問を呈しているのです。
安倍 「記者の側に『呼ばれたに違いない』という思いこみがあり、詳細に事実を確認していくという詰めが甘くなった」(「本林徹委員の意見」10月1日付)という意見も委員から出されています。
お手盛り委員会でも、こ程度の「公正・公平」な視点を指摘しているのに、朝日は「訂正しなくてもよい」という都合のいい結論部分にだけ飛びついている。
やはり「はじめに結論ありき」なのです。
体裁を繕う意味で、委員会や委員によるこのあたりまでの批判は一応甘受しようという戦術なのかもしれませんが……。