「情治国家」などという、意味不明の語彙が広まっているようだが、「情治」というのは一体なにか、と題して2017-03-08にアメーバに発信した章も多くの検索数を得て第二位に入っていた。
以下は前章の続きである。
あらゆる学問はこちら側の無根拠に耐えながら向う側の根拠に近づく営為であると言える。
こちら側だけでは普遍などないし、究極の根拠などありはしない。
直観と超越の理力で一気に把握する方法もあるのだが、この場合には一応、歴史的な事例を集めて根拠ににじり寄ることにした。
すると李朝時代には、「濫囚」といって、逆らう者はその場でジャンジャン獄に投じ、「濫赦」といって、見せしめが終わるとゴソッと恩赦していたことが分かった。
説明が煩雑なので詳しく知りたい方は、拙稿「近代日本による刑政大改革と人権向上―韓国の歴史から見えるもの」(『別冊正論』23号、「総復習『日韓併合』」、2015年)を見ていただきたい。
ネットの「iRONNA」にもアップされている。
結論は至って単純だ。
「コリアンの刑罰は報復・見せしめだ」である。
「情治国家」などという、意味不明の語彙が広まっているようだが、「情治」というのは一体なにか、こんな揶揄混じりのアヤフヤな表現を使っているから、日本のマスコミはいつまでたっても成長しないのである。
韓国は報復・見せしめの刑罰しか知らないから、報復と見せしめのためには、法の過去遡及もするし、言論の自由や報道の自由も「筆禍」として処罰しようとする、それで為政者の独善がやまないのである。
こんなのは全部、朴槿恵が実践してみせてくれた。
そこで、このように経過説明をすることが可能だろう。
近代が終わろうとする二十世紀後半から、日本は近代の完遂へと向かい、韓国は完遂できずに退行し、二十一世紀に入ると、現代における国の明暗がはっきりと分かれた。
この稿続く。