(もりもと・ゆきまさ)1953年東京生まれ。作曲家、指揮者。有明教育芸術短大教授。主にウィーンと日本で活動。ポーランドの作曲コンクールの審査委員も務めた。
日本人の「誤解」実証的に
子供の頃から抱いていた日本のクラシック音楽に対する違和感を、音楽家として国際的に活動しながら考え続けてきた。その正体を「ようやく体系化できた」と満を持してまとめた。
要点は「クラシックはアフタービートでスイングするものだ」ということだ。気づいたのは20年ほど前。ロックバンドのピンク・フロイドとの仕事に誘われ、彼らの音楽の強弱の波形をコンピューターで見た。
すると「ワン・ツー」の「ツー」にアクセントがくるアフタービートだった。実はクラシックも同じ。何人かのバイオリニストの波形を同じバッハの曲で比較すると、欧米の演奏家はアフタービートだが、日本人演奏家は一拍目を強調していた。
「日本人は、西洋音楽をずっと誤解しているのではないか」という。例えばベートーベンの交響曲第5番「運命」の冒頭。多くの日本人が「夕夕タターン」だと思っているだろうが、正しくは最初に休符がある「『ン』夕タタターン」だ。
こうしたアフタービートの方が音楽のフリ」は良くなる。「クラシックは、本来は極めてスタイリッシュな音楽です」しかし日本人にはそこが難しい。「そもそも日本語がアフタービートではない」。
日本では西洋音楽をあえて誤解して受容したからこそ「広まったのだとも思う」。そして今や誤解は欧米にもある。フランス革命以後、楽譜の読解法が必ずしも正しく伝承されていない。本書ではこうしたクラシックにまつわる思い違いを実証的につづった。では、日本人は西洋音楽をどう聴いたら良いのか。
「有名な人の音楽だから、ではなく、それぞれが好きな作品や演奏家を見つけてほしい」。次なる「誤解」をめぐる執筆テーマも見つけた。ドイツ歌曲の王とされるシューベルトは「実は1度もドイツに行っていない」ことだ。(光文社新書・740円)
日本人の「誤解」実証的に
子供の頃から抱いていた日本のクラシック音楽に対する違和感を、音楽家として国際的に活動しながら考え続けてきた。その正体を「ようやく体系化できた」と満を持してまとめた。
要点は「クラシックはアフタービートでスイングするものだ」ということだ。気づいたのは20年ほど前。ロックバンドのピンク・フロイドとの仕事に誘われ、彼らの音楽の強弱の波形をコンピューターで見た。
すると「ワン・ツー」の「ツー」にアクセントがくるアフタービートだった。実はクラシックも同じ。何人かのバイオリニストの波形を同じバッハの曲で比較すると、欧米の演奏家はアフタービートだが、日本人演奏家は一拍目を強調していた。
「日本人は、西洋音楽をずっと誤解しているのではないか」という。例えばベートーベンの交響曲第5番「運命」の冒頭。多くの日本人が「夕夕タターン」だと思っているだろうが、正しくは最初に休符がある「『ン』夕タタターン」だ。
こうしたアフタービートの方が音楽のフリ」は良くなる。「クラシックは、本来は極めてスタイリッシュな音楽です」しかし日本人にはそこが難しい。「そもそも日本語がアフタービートではない」。
日本では西洋音楽をあえて誤解して受容したからこそ「広まったのだとも思う」。そして今や誤解は欧米にもある。フランス革命以後、楽譜の読解法が必ずしも正しく伝承されていない。本書ではこうしたクラシックにまつわる思い違いを実証的につづった。では、日本人は西洋音楽をどう聴いたら良いのか。
「有名な人の音楽だから、ではなく、それぞれが好きな作品や演奏家を見つけてほしい」。次なる「誤解」をめぐる執筆テーマも見つけた。ドイツ歌曲の王とされるシューベルトは「実は1度もドイツに行っていない」ことだ。(光文社新書・740円)
人気ブログランキング ←1日1回クリックお願いします。