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発送電分離論 ここがおかしい…澤 昭裕 「WEDGE」11月号より。

2011年11月07日 08時10分43秒 | 日記
昨日、京都に向かう車中で読んだ、「WEDGE」の記事の中に、芥川が、しばらく前から思っていた事について、我が意を得たり、全く、その通り、そうなのよ、と快哉した論説が在った。…澤 昭裕 〔さわ・あきひろ〕大阪府生まれ。1981年一橋大学経済学部卒業後、同年通商産業省(現在の経済産業省)入省。東京大学先端科学技術研究センター教授を経て、2007年5月より現職。NPO法人国際環境経済研究所所長も務める。

発送電分離論 ここがおかしい
    文中黒字化と*は芥川。

発送電分離は世界的に見れば周回遅れの議論である。
自由化や発送電分離を推し進めた欧米諸国は、思った効果が得られなかったばかりか、新規電源や送電網への投資インセンティブが働かず、頭を悩ませている。

欧米諸国より圧倒的にエネルギー自給率が低い日本が、発送電分離を進めて、電力供給をさらに不安定にし、資源調達力を弱める必要がいったいどこにあるのか。原発事故以降内向きになっている日本のエネルギー政策論議は、極めて危険である。

福島第一原子力発電所の事故以降、発送配電分離論が再燃している。その理由がよく分からない。発送配電分離とは、余剰発電設備の存在を前提に、発電分野における競争を促進することを目的とするもので、電力不足が懸念されている状況下で議論するような話ではないからである。
 
欧米においても、自由化によって、電気料金は逆に上昇して低所得者層へのしわ寄せが政治的に問題になったり、安定供給やエネルギー安全保障、温暖化対策とのバッティングが問題になったりしている。

日本が周回遅れで発送配電分離を進めようとするならば、これらの問題をどう解決していくのか、制度設計や政策于法を明確に示すことが必要だ。

余剰設備をどうするか
 
インフラ的な財・サービスにおいては、公的機関が何らかの形で最終的な供給責任について関与していることが多い。例えば金融は、最後の貸し手として日本銀行が存在する。石油については、政府が直接原油タンクを保有し原油を備蓄している。
 
電気は、常に需要と同量の供給がなされなければ安定的に供給することはできない。トラフィック錯綜時の繋がりにくさが許容される通信とは異なる。
*孫正義のやりかたは電気には通用しないのである。

電気は、需要に供給が追いつかないと電力系統全体の周波数が低下し、発電所が運転を続けられなくなり、最悪広域停電に至る。需要に比べて供給が多すぎても、送電網を物理的に破壊する危険性がある。
 
こうした生産と消費の同時性、そして備蓄の困難さという電気の特徴から、政府が最終的な供給責任を負うことはできず、電力会社に電気事業法で供給義務を課している。電力会社は、ピーク時に需要が満たせ、設備のトラブルや急な雷要の変動といった不測の事態にも対応できるだけの余剰設備を常に抱えておく必要があるが、それは収益を圧迫する。

独占-料金規制-総括原価方式(原価に適正利潤を乗せた形で法的に査定される方式)により利潤が保証されてきたのは、最終供給責任の実行を担保するためだ。独占が電力会社の体質を歪めてきたとしたら、是正のための規律付けを考えるのは当然だが、それが直ちに発送配電分離を意味するわけではない。

…中略。

現在の日本での発送配電分離論や自由化議論は、世界で言えば周回遅れの議論である。エネルギー安全保障や温暖化対策など、経済性だけで割り切れないエネルギー分野独特の政治的な問題が浮上しているなかで、自由化モデルは、むしろ現代的な政策目的に合わなくなっているというのが世界の現実であり常識だ。原発事故以降内向きな発想になっている日本のエネルギー政策論議は、極めて政治的であり、非常に危険な状態である。


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