文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

皇室と日本史の一体性…憲法の次に、マッカーサーにいじくり回されて、まだ直せないでいる問題に、皇室典範があります。 

2019年05月21日 20時44分51秒 | 日記

以下の章は、昨日、門田隆将が産経新聞で教えてくれた朝日新聞の天声人語の浅はかな愚昧の正反対にある。
日本国民全員が読まなければならない章である。
皇室と日本史の一体性
高山 
憲法の次に、マッカーサーにいじくり回されて、まだ直せないでいる問題に、皇室典範があります。 
戦後、新しい皇室典範と憲法の下で、宮家を一斉に皇籍から離脱させ、14家あった宮家は今は3家のみです。
華族制度も廃止して、五摂家(藤原北家の流れを汲む、摂政・関山に任じられる近衛・九条・鷹司・一条・二条の五家)も殿上人(昇殿して天皇の側に仕えることが許される貴族の位)もすべて廃してしまいました。 
少なくとも旧宮家を今すぐ元に戻して、早急にマッカーサーの痛手から立ち直らないと、由々しきことになる。 
宮家を減らすべく皇室典範を変えたのは、皇室の根を切るためでした。
いまや衰亡に任せるような事態になっています。
渡部 
そう、宮家がどんどん減って、皇室が裸になってしまいました。
高山 
いまだにマッカーサーが決めたことに振り回されて、もうこうなったらしょうがない、女帝だなどと言い出す、あの神経が分からない。
なぜ大本に立ち帰って、マッカーサーの悪意を見ないのか。 
皇室典範も憲法と同じく、改正ではなく破棄しないといけません。
GHQがやったのは違法行為ですから、早く決断すべきじゃないですか。
渡部 
そうだと思いますね。
明治22年、もとの皇室典範を作るきっかけは、それまで皇室に法律などありませんでしたので、皇室の家法も明文化しようということで、伊藤博文や井上毅、さらに有職故実を知っている公家などが一堂に会して、どうしたら皇位が安定するか研究したものです。
調べてみますと、伊藤博文は幕末に密出国してロンドンに渡った時、頼山陽の『日本政記』を持って行っています。
神武天皇から後陽成天皇にいたる編年体の歴史書ですが、これを精読していた勉強家でした。 
また井上毅は「天才」といわれた人で、元来はフランス語から入った学者ですが、法律にかかわるようになってからは、岩倉具視の指示もあり、すぐれた国学者について、日本の歴史を徹底的に勉強しました。 
そういう人が素案を作り、明治天皇のご臨席で、一つひとつの条項が決まっていった皇室典範に、歴史を知らない人々が軽々しく手を加えようとするのは、許されないでしょう。
高山 
それが欧米植民地主義の発想でしょうね。
白人側に寝返った蒋介石のアドバイザーを務め、

以下の章は、昨日、門田隆将が産経新聞で教えてくれた朝日新聞の天声人語の浅はかな愚昧の正反対にある。
日本国民全員が読まなければならない章である。
皇室と日本史の一体性
高山 
憲法の次に、マッカーサーにいじくり回されて、まだ直せないでいる問題に、皇室典範があります。 
戦後、新しい皇室典範と憲法の下で、宮家を一斉に皇籍から離脱させ、14家あった宮家は今は3家のみです。
華族制度も廃止して、五摂家(藤原北家の流れを汲む、摂政・関山に任じられる近衛・九条・鷹司・一条・二条の五家)も殿上人(昇殿して天皇の側に仕えることが許される貴族の位)もすべて廃してしまいました。 
少なくとも旧宮家を今すぐ元に戻して、早急にマッカーサーの痛手から立ち直らないと、由々しきことになる。 
宮家を減らすべく皇室典範を変えたのは、皇室の根を切るためでした。
いまや衰亡に任せるような事態になっています。
渡部 
そう、宮家がどんどん減って、皇室が裸になってしまいました。
高山 
いまだにマッカーサーが決めたことに振り回されて、もうこうなったらしょうがない、女帝だなどと言い出す、あの神経が分からない。
なぜ大本に立ち帰って、マッカーサーの悪意を見ないのか。 
皇室典範も憲法と同じく、改正ではなく破棄しないといけません。
GHQがやったのは違法行為ですから、早く決断すべきじゃないですか。
渡部 
そうだと思いますね。
明治22年、もとの皇室典範を作るきっかけは、それまで皇室に法律などありませんでしたので、皇室の家法も明文化しようということで、伊藤博文や井上毅、さらに有職故実を知っている公家などが一堂に会して、どうしたら皇位が安定するか研究したものです。
調べてみますと、伊藤博文は幕末に密出国してロンドンに渡った時、頼山陽の『日本政記』を持って行っています。
神武天皇から後陽成天皇にいたる編年体の歴史書ですが、これを精読していた勉強家でした。 
また井上毅は「天才」といわれた人で、元来はフランス語から入った学者ですが、法律にかかわるようになってからは、岩倉具視の指示もあり、すぐれた国学者について、日本の歴史を徹底的に勉強しました。 
そういう人が素案を作り、明治天皇のご臨席で、一つひとつの条項が決まっていった皇室典範に、歴史を知らない人々が軽々しく手を加えようとするのは、許されないでしょう。
高山 
それが欧米植民地主義の発想でしょうね。
白人側に寝返った蒋介石のアドバイザーを務め、

以下の章は、昨日、門田隆将が産経新聞で教えてくれた朝日新聞の天声人語の浅はかな愚昧の正反対にある。
日本国民全員が読まなければならない章である。
皇室と日本史の一体性
高山 
憲法の次に、マッカーサーにいじくり回されて、まだ直せないでいる問題に、皇室典範があります。 
戦後、新しい皇室典範と憲法の下で、宮家を一斉に皇籍から離脱させ、14家あった宮家は今は3家のみです。
華族制度も廃止して、五摂家(藤原北家の流れを汲む、摂政・関山に任じられる近衛・九条・鷹司・一条・二条の五家)も殿上人(昇殿して天皇の側に仕えることが許される貴族の位)もすべて廃してしまいました。 
少なくとも旧宮家を今すぐ元に戻して、早急にマッカーサーの痛手から立ち直らないと、由々しきことになる。 
宮家を減らすべく皇室典範を変えたのは、皇室の根を切るためでした。
いまや衰亡に任せるような事態になっています。
渡部 
そう、宮家がどんどん減って、皇室が裸になってしまいました。
高山 
いまだにマッカーサーが決めたことに振り回されて、もうこうなったらしょうがない、女帝だなどと言い出す、あの神経が分からない。
なぜ大本に立ち帰って、マッカーサーの悪意を見ないのか。 
皇室典範も憲法と同じく、改正ではなく破棄しないといけません。
GHQがやったのは違法行為ですから、早く決断すべきじゃないですか。
渡部 
そうだと思いますね。
明治22年、もとの皇室典範を作るきっかけは、それまで皇室に法律などありませんでしたので、皇室の家法も明文化しようということで、伊藤博文や井上毅、さらに有職故実を知っている公家などが一堂に会して、どうしたら皇位が安定するか研究したものです。
調べてみますと、伊藤博文は幕末に密出国してロンドンに渡った時、頼山陽の『日本政記』を持って行っています。
神武天皇から後陽成天皇にいたる編年体の歴史書ですが、これを精読していた勉強家でした。 
また井上毅は「天才」といわれた人で、元来はフランス語から入った学者ですが、法律にかかわるようになってからは、岩倉具視の指示もあり、すぐれた国学者について、日本の歴史を徹底的に勉強しました。 
そういう人が素案を作り、明治天皇のご臨席で、一つひとつの条項が決まっていった皇室典範に、歴史を知らない人々が軽々しく手を加えようとするのは、許されないでしょう。
高山 
それが欧米植民地主義の発想でしょうね。
白人側に寝返った蒋介石のアドバイザーを務め、国民党軍を使って日本軍の足を引っ張らせた先述のオーウェン・ラティモアは、天皇を廃さねばならないと強く主張し、陛下と男子皇族をシナに流すと語っていました。 
歴史を見れば、英国がインドを征服した時、ムガール朝の老皇帝バハードゥル・シャー2世をビルマに流しています。 
それからビルマを英緬戦争で滅ぼした時には、コンバウン朝最後のティーボー王夫妻をボンベイ、今のムンバイに流して幽閉しました。 
フランスが仏印を植民地にした時は、最後まで抵抗した阮朝第8代皇帝の咸宜帝(ハムギ帝)をアルジェリアに流しています。 
国の心棒を抜いて、一つの国であろうとするシンボルの国王を流刑にするのは、民の結束を弱める有効な方法というわけです。 
ただし、いくら馬鹿なマッカーサーでも、それを日本でやったら大変なことになる、というくらいの分別はありました。
渡部 
そう、戦後に天皇陛下が日本中を回られた時の、あの歓呼の声を目の当たりにしたら、いくら占領軍でも、これに手を出したら大変なことになると分かったでしょう(笑)。 
流されたアジアの王様たちは、ひょっとしたら民草からの人気がなかったかもしれないけれども、日本人は違いました。
高山 
GHQが度肝を抜かれたのは、天皇陛下が敗戦翌年から、時をおかず全国行幸された際の、日本人の姿だったようです。 
昭和21(1946)年2月に川崎と横須賀、新宿へ行かれたのを皮切りに、全国を旅されると、もうどこに行っても、陛下バンザイで大歓迎。
広島では7万人もの市民が原爆の焼け跡につめかけて、バンザイとどよめいたので、怖れをなしたお付きのMPがパンパンとピストルを撃って、集まった民衆を蹴散らしたほどです。 
それまでGHQは、天皇陛下が各地を訪れると、日本の戦争犯罪を宣伝するウォーギルト・インフォメーションに影響を受けた民衆が怒って、「チビで眼鏡の男に罵声と投石が浴びせられるだろう」と考えていた。 
だから警護のためにMPを付けたのに、まったく逆の現象が起きたので、行幸が約半年間、中断したくらいです(21年11月の茨城から、22年6月の大阪までの期間)。
渡部 
私は昭和22(1947年)8月、陛下が山形県鶴岡市に来られた時のことを今でもよく覚えているんです(15~17日に山形行幸)。 
ちょうど夏でしたから、私どもは最上川の支流の川で泳いでいた。
すると向こう側の土手に、山形方面から来て鶴岡市内に入る、見たことのない車が3~4台現れました。
「あっ、天皇陛下がいらっしやる日だ」と思い出して、泳いでいた連中が、あわてて上着だけひっかけて、次に渡る橋へと駆け寄り、裸同然でお迎えして、私は天皇陛下が乗った車に手を伸ばして触った覚えがありますよ。 
後から思い返して驚くのは、車列に護衛がなかったことですね。
その必要がなかったんです。
高山 
そうですか。
MPが付いたのは最初だけで、再開してからは付かなかったわけですね。
渡部 
その昭和天皇が亡くなった時、大喪の礼に警護が必要になり、警視庁をあげてお守りしなければならなくなった。
実際に御葬列を狙った小規模な爆発事件が起こりました。 
これを見て、ああ何という変化だと思いました。
私は護衛の付かない天皇陛下を数人のいたずら小僧とお迎えして、お車に触っても誰も止めない、本当に何もお守りする必要のないほど国民に愛されていたのです。 
しかし戦後、その昭和天皇が亡くなるまでの間に、日本人に対してどういう洗脳が行われたか。
やはり朝日新聞と日教組が徹底的に日本の戦争責任を宣伝したことが大きかったですな。
高山 
新聞記者時代に強く印象に残った、東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件のエピソードがあります。 
昭和49(1974)年、丸の内の三菱重エビル前に「狼」を名乗る黒ヘルの連中が爆弾を置いて爆発させた事件は、産経新聞が犯人逮捕を特ダネで抜きました。 
私は取材班の指揮を執った人から聞かされた話を鮮明に記憶しています。
爆弾を仕掛けた大道寺将司が最初に狙ったのは、実は那須の御用邸からお帰りになる、陛下のお召し列車だったというんです。
前々日から現地に入って準備していた。
ところが真夜中に一度仕掛けに行って途中でやめ、翌日夜も行って断念したといいます。そのたびに、どうも人に見られているような気がして、どうしても爆弾を仕掛けられなかったと供述しています([虹作戦]8月14日未遂)。 
最終的に丸の内の三菱重エビルに標的を変えて、8人の死者が出ました(「ダイヤモンド作戦」8月30日、負傷者376名)
渡部 
もとは天皇陛下を狙ったものだった。
高山 
そうです。
その話を聞いた時、何か、よく分かるような気がしました。 
大道寺将司が二度試みて、二度とも「人が見ている」と断念したのは、彼のどこかに残っていた日本人の意識がそうさせたんでしょう。 
やはり日本というのはどこか違うと思いましたね。 
よその王室ではこういうことはない。
本当に稀有の存在です。
あのマッカーサーが君臨していた時ですら、天皇陛下は国民意識においても国の中心でした。 
マッカーサーはくだらない悪だくみで、それを潰そうとしたけれども、国民の陛下と皇室に対する敬愛の念は、今なお健在です。
*天声人語=朝日新聞=を書いた日本国民とも思えない大馬鹿者よ。恥を知れ!*

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。