文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

かつて朝敵といわれた会津松平家の娘さんが皇族と結婚するなど(秩父宮雍仁親王妃)、融和を進めたわけです。

2019年05月24日 10時20分09秒 | 日記

以下は下記の日本国民全員が必読の書からである。
歴史の重みが民衆レベルでの一体感を生む
高山 
1993年、私がロス特派員で米国にいた時、たまたまクリントン主催のAPECが開かれました。 
日本からは細川護煕が来て、マハティールが日本とASEANで東アジア経済協議体(EAEC)という経済機構をつくろうと呼びかけていた時代だから、APECでそれを潰そうとしていた。 
シアトルで各国の首脳が並ぶ中、クリントンが腰をかがめて、細川護煕を案内していた姿に驚きました。
まるで劇場の「お席はこちらです」の案内係(usher)のように、細川の前を、腰をかがめて行く。 
彼はその後おかしくなったけれども、アーカンソーのドン百姓と400年間続いてきた大名家では、おのずと品格の違いが出ます。
日本のことなど何も知らないクリントンでさえ、やはり歴史を背景とする風格のようなものを彼に感じていた。
細川自身が気付いていないだけで。
渡部 
そう、本人が気付いていない(笑)。おもしろいですね。
高山 
彼も不思議に思わなかったのでしょうか。
どうしてクリントンが腰をかがめて俺を先導するんだろうって。
テレビを兒ながら、頭を下げたりなんかしないで、胸を張って案内させればいい、と思っていました。
日本にはその場面は放映されなかったかもしれません。
向こうの番組では延々と流していました。
渡部 
なるほど。
長い歴史がつながりをもって感じられ、公家や大名家が今にいたるまで存続してきたのも、勝者が徹底して復讐することがなかったからです。 
だから日本では、国体が何度か変化しても、天皇を戴くという根本は断絶しませんでした。
例えば明治維新があっても、徳川家が二代にわたって貴族院議長を務め、幕藩時代の大名が華族として待遇されたのは、いわゆる革命とはいいがたい。 
かつて朝敵といわれた会津松平家の娘さんが皇族と結婚するなど(秩父宮雍仁親王妃)、融和を進めたわけです。
高山 
遡ってみれば関ケ原の後始末も、西軍に参加した大名を外様として存続させ、日本全体で和をもって尊しとした。
これも欧米の歴史にはなかなかないことですね。
渡部 
だからこそ日本人はどこかで、やはり日本人同士だという感覚を持てるわけです。
神話の時代から歴史が地続きであり、例えば『古事記』が成立した712年から続く歴史をもっている近代国家はありません。 
神話上で国を造った女神・男神の直系の子孫の系図が残っており、それが皇室につながっている。
神話から今の世代にいたるまで系図がつながっている国なんて、ギリシヤ神話でもゲルマン神話でも、ありえないですよ。 
そうすると、やはり一体感がほかの国とは違うのではないですか。 
外国人に説明して驚くか信じるか分かりませんけれども、2014年、高円宮家のお嬢様である典子女王と出雲神社の権宮司(父の宮司に次ぐ地位)の千家国麿さんが結婚しましたね。
それはどこまで遡るかというと、皇孫である瑣瑣杵尊の子孫が高円宮家で、瑣瑣杵尊の弟が千家家の先祖になるわけです。つまり、神代からのつながりです。 
そんないにしえの時代から、両家ともずっと系図がつながっていて、神社まで現存している。
神社も系図も、ともに実物が残っているわけです。 
この話を外国にあてはめてみますと、トロイ戦争で攻めていったアカイアのアガメムノンの子孫が、まだ現存して神殿を守っていて、攻められたトロイの子孫もまだ残っており、そのお嬢さんとアガメムノンの子孫が、系図も残っている上で結婚するような、まあ考えられない話になるんで(笑)。 それが考えられるどころか、実現しているじゃないですか。 
出雲大社は『古事記』のオオクニヌシの国譲り伝承に出てきますね。
国を譲る代わりに、壮大な出雲大社を建てるように要求した話です。
「底つ石根に宮柱太しり、高天原に千木高しりて治め賜はば、僕は百足らず八十隈手に隠りて侍ひなむ」(土の底の石根に届くまで宮柱を据え、高天原に届くほど高々と千木を立てた大社を建ててくれれば、私は国を譲り、鎮まって籠りましょう)と書いてあるその通りのものが、出雲大社に残っています。
神話の時代の建物の形が残されている。 
もっと簡単な話で、東西南北といいますね。
このうち西・南・北の読み方は2つだけです。
西はセイとにし、南はナンとみなみ、北はホクときだ、音と訓です。
ところが東だけは3つあるんです。
トウとひがしとあずま。
これがなぜかといえば、日本武尊の東征神話です。
房総半島に向けて海を渡るために、后の弟橘比売が入水して荒波を鎮めた犠牲を「吾妻はや」と嘆いたのが、東国を「あずま」と呼ぶ起源になりました。
この神話によって、あずまという読みが現代まで続いているわけです。 
独特な国であり、一種の奇跡といってもいいでしょう。
高山 
その神話を頭から否定して、歴史のつながりを断ち切ろうとしたのもマッカーサーでした。 
それでも、神話の時代から有史時代へ、歴史のつながりが感じられるのは、古いものが保存され、日本社会に生き続けているのを実感できるからです。 
例えば最近、縄文時代の研究が進んで、日本は世界のはずれの辺境だとずっといわれていたのが、まったく違っていたことが分かってきました。 
とても華やかな装飾品や交易品、平等で人間味のある社会を築いていた縄文時代が、その後の日本文化の基盤を作った。土器も世界に先駆けて作られていました。 
こういうことを日本人は知らないし、知らせようとしない新聞やメディアがある。 
日本人は、それこそ縄文の昔からずっと、クリやヒエを植えて、豊かな自然と調和しながら暮らし、世界に先んじて洗練された集団生活を営み、それが今日の社会や組織のあり方にまで連綿と受け継がれてきたのです。 
そうでなければ、これだけ成熟した民主国家はできません。
渡部 
そうですね。
高山 
先日、壱岐に行きました。『日本書紀』に出てくる月讀神社(京都の月読神社の元宮)、天照大神の弟で素戔鵈尊の兄神である月読命の神社がちゃんと残っていました。
元寇で荒らされても何ら影響を受けず、神社が大切にされていて、おもしろいことに壱岐にはお寺がなくて神社ばかりなんです。 
日本のあちこちを訪ねると、神話がそのまま神社として形を残していて、仏教伝来より前の歴史がしっかり保存されている。
古来からのものが受け継がれていることを実感します。
渡部 
占領軍は「天皇が神ではない」ことを示すために神道指令(禁止令)を出して日本の宗教に干渉してきました。 
例えば神宮皇學館という学校は一時廃止され、國學院大学でも「古事記」を教えることができなくなった。
しかし私のいた上智大学では、教養科目で古事記の講義があったのです。 
私はこの講義に出席して古事記そのものを読み、神話が日本人の歴史観の根底をなしていることを知りました。
戦後70年経ってもなお、その事実は変わりませんし、むしろ多くの日本人がそれに気づくようになっています。大した変化です。


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