文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

「太平洋戦争」という連載をやらせて、GHQが宣伝に使う時だけは増ページ、つまり2枚4ページにする。そうやって新聞をコントロールした。 

2020年09月23日 09時08分08秒 | 全般

新聞社なら、これは大間違いで、おしぼりが分からないような日本人はいない、と書くのが常識的な反応だろう。そうまでして日本人を醜く書きたいか。これも朝日の病理だ。と題して2019-10-17 と、「毒ガスではなかった」と訂正せず、「作戦の場所が違っていた」というはぐらかし訂正で逃げた。と題して2019-05-17に発信した章を再々発信する。
以下の本については読み残しがあったはずと思い再読したのだが、この本は日本国民のみならず世界中の人たちが読まなければならない本である。
この本を読まなければ戦前、戦中、戦後の事実を、私たちは全く分からないと言っても過言ではない。
これは凄い本である。
戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之が、戦後の日本で最高の学者の一人であり知識人だった渡部昇一氏と氏の逝去1年前に対談した。
その内容と重さは、戦後最高の本であると言っても過言ではない。
以下は終章での高山正之の解説である。
例えば、私が外国特派員協会の記者クラブなる組織に対して非常な疑念を持って言及して来た事が全く正しかった事、と同時に、この組織の由来を、高山正之は、日本国民に初めて明瞭に完璧に教えてくれている。
或いはNHKに対しての私の批判の正しさと、NHKの態様の所以も完璧に明らかにして教えてくれている。
私は、つくづく思う。
高山正之こそ、ありとあらゆる意味においてノーベル賞の文学賞や平和賞に相応しい、と。
戦後の世界で唯一無二の…彼の仕事に応える、それが私たちの当然の礼儀であると私は確信する。
読者は、様々な箇所で、高山正之と私は、まるで双生児の様だと思うだろう。
終章 迷走して行き場を失う「敗戦利得者」―高山正之
「朝日に楯突く気か、潰してやる」 
対談を終えて、解説しておかねばならないことがある。 
朝日を筆頭とする主流派マスコミが、あたかも言論の検閲官のようにふるまい、目障りな論者を葬り去ろうとするのはなぜか。
その思い上がり、傲慢さの原点には戦後、米国の意を受けて、日本の侵略戦争と残虐行為の罪を追及する役割を与えられたことがある。
日本を無条件に悪とする限りにおいて、歴史を好き放題に書くことのできる、大きな権力を与えられたのと同じになった。
渡部昇一先生がいちはやく歴史観を主戦場に選び、半世紀近くも「敗戦利得者」と戦ってこられたのは、まさに慧眼だった。
敗戦直後は朝日もまともだった。
鳩山一郎に原爆の非人道性を指摘する論考を書かせたが、GHQは朝日を発行禁止にして脅しをかけ、この次はもう廃刊だと脅しつけたら、あっさりと転んだ。 
GHQは朝日を一番の子分にした。
その他の新聞など当時、眼中になかったからだ。
日本軍による虐殺やバターン死の行進のようなホラ話を書かせようとし、まず新聞社には紙の割り当てを制限した。
先例がある。
英国はビルマを支配するとまず紙を専売制とし、キリスト教会でしか売らせなかった。
すると仏教徒がほとんどのビルマ人には紙が手に入らなくなって抵抗活動も停滞した。
情報伝達手段を押さえるのは、植民地支配の基本だ。
戦後日本でも、新聞は一枚のペラしか許されなかったが、「太平洋戦争」という連載をやらせて、GHQが宣伝に使う時だけは増ページ、つまり2枚4ページにする。
そうやって新聞をコントロールした。 
GHQは朝日と同様、NHKも日本人騙しの道具にした。田村町(内幸町)のNHKビルにはGHQのスタッフが大勢入って指図した。
手狭なので、今は新国立美術館になっている麻布歩兵第三連隊跡に移転させ、星条旗新聞社が同居してGHQ直営日本語放送局にするはずだった。
しかし朝鮮動乱が起きて計画は中断し、NHKは代々木に移った。 
米国が朝日を重用した理由は、対談でも触れたように、後のCIAになるOSSの創立メンバー、アレン・ダレスとの密接な関係がある。
政界入りしていた緒方竹虎(元副社長・主筆)と、論説主幹の笠信太郎の両者とも、ダレスとのつながりが深い。
60年安保の例を出したように、朝日を使って、新聞と世論をコントロールする体制が出来上がっていたわけだ。 
GHQはもう一つ、日本の世論を操作するために外国人記者会を置いた。
気に喰わない政治家が出た場合、ここが「国際世論」を作り出し、朝日とNHKに粛清させる。 
マーク・ゲインの『ニッポン日記』に、GHQの意向で外国人記者会の午餐会に鳩山一郎を呼び出し、特派員たちが吊るし上げるくだりがある。
朝日はそれを受けて鳩山一郎を叩き、政治的に葬った。
GHQがいなくなっても、このシステムは生き残った。
田中角栄の金脈問題では、外国人記者会が田中を午餐会に招き、総攻撃するのを見て、それまで『文藝春秋』が報じても取り上げなかった日本の各紙は一斉に追随し、角栄は辞任に追い込まれた。
続くロッキード事件も全く同じ構図だった。 
こうした戦後体制があるから、朝日の権威は盤石に見えた。
そこで気に喰わない論者の主張を検閲し、朝日の力で潰そうとする圧力がかけられるようになった。
対談で触れたように、渡部先生も、大西巨人との架空の論争で紙面を作られたことが発端となり、朝日との長年の戦いが始まった。 
渡部先生がなぜ徂われたかと言えば、朝日新聞の望まないことを主張したからだ。
似たようなケースは、それ以前にもあった。
例えば『ビルマの竪琴』で知られる竹山道雄は1968年、米空母エンタープライズの佐世保寄港について、朝日社会面で5名の識者の意見を紹介した中、ただ一人だけ賛成した。
これに対して、朝日の煽りに乗せられた感情的非難の投書が殺到し、「声」欄に続々と掲載された。
東京本社だけで250通を越す批判の投書が寄せられる中、朝日は竹山の再反論をボツにして、対話を断った形で論争を終結させた。
朝日「声」欄の編集長は当時の『諸君!』に、担当者の判断で投書の採用を選択するのはどこでも行われていることと強弁した。 
竹山道雄をやっつけて、「朝日の言うことを聞かないとどうなるか、思い知らせてやる」という尊大さをにじませた。
朝日に逆らう者は許さないという思考が朝日新聞にはある。
その特性は、そのまま現在まで続いている。 
個人的なことを言えば、朝日との因縁の始まりは、昭和41(1966)年に起きた羽田沖の全日空機墜落について、昭和56(1981)年に異論を唱えたことだった。
あの事故はパイロットミス説でほぼ決まっていたが、朝日が機体欠陥説を支持して騒ぎ、事故調査委員会は結局、朝日に押し切られて原因不明にした。
しかし私が航空担当になっていろいろ話を聞いてみると、古手のパイロットたちのほとんどが、ボーイング727型機の性能を使いこなせなかったパイロットミスだという。
そういう趣旨の記事を全日空の関係の雑誌にまとめたら、朝日の記者が取材に来て、総合面のトップ記事で、朝日の主張する機体欠陥説を不遜にも否定する意見を出したと、私と取材対象者の全日空関係者を名指しで叩いた。*だから、6年前の8月まで朝日新聞を購読していた私は高山正之の名前を知らなかったわけである*
本当の話をして何がいけないのか、異論を許さない朝日の姿勢に呆れかえったが、全日空も朝日で叩かれたからたまらない。
関係した役職者何人かが減俸処分にされ、朝日に恭順の意を示した。朝日は「俺の書いたことに文句をつけるやつは許さない」という姿勢を示すために紙面を使うことにためらいがない。 
全日空ですら謝罪と戒告の減俸処分をしたのには驚いた。
いったいなぜ、朝日と違う説を唱えることさえ許されないのか。
これも、渡部昇一先生が因縁をつけられたのと同じ、言論封殺の構図だ。 
その少し後、社会部デスクになった。
すると対談でも触れた朝日一面の毒ガス記事が出た。
当時、社会部記者の石川水穂が「あれは毒ガスじゃなくて煙幕だ」という原稿を持ってきたから、社会面トップで大きく掲載した。
すると翌日、朝日の担当部長がどなり込んできたからまた驚いた。 
普通、記事の間違いを指摘されたら、ミスがあったかもしれないと徹底的に調べなおすのが記者、あるいは編集者の態度だろう。
常識で考えても、毒ガスが空に立ち上っているわけがない。 
最初に使われた毒ガスをイペリットという。
ベルギーのイーペルという村の近くで初めて使用されたマスタードガスの別名だ。
膠着していた西部戦線で、連合軍側のほうに風がなびいている時にボンベのふたを開けると、このイペリットは地面を這って相手陣の塹壕の中に流れ込む。
それで敵陣の塹壕の中にいる将兵が死ぬ。 
マスタードガスというのは臭いがマスタードに似ているのと、色がやや黄色いからだ。
対談でも触れたが、86年、テヘラン支局長の時、イランの野戦病院で実際にその負傷兵も見ており、凄惨なものだと思った。
新聞記者なら、毒ガスが地を這うことくらいは知っているべきで、空を舞いよってはいけない、カラスを殺しても意味がないと気づかないのかと、担当の佐竹部長に言った。
すると「産経風情が朝日に盾突く気か」[産経など潰してやる]ときだ。
いったい何様のつもりなのか。
朝日の報道内容に疑問を呈してはならない、「天下の朝日」の考えに逆らってはいけないというわけだ。
ひどく増長した態度に驚いた。 
その後、石川水穂が写真の出典も見つけて報じ、結局、数日後に朝日は訂正記事を書く羽目になったが、「毒ガスではなかった」と訂正せず、「作戦の場所が違っていた」というはぐらかし訂正で逃げた。
この逃げ方は、最近の森友学園報道で朝日が「開成小学校」を「安倍晋三小学校」と報じたことについての言い訳とそっくりだ。
「校名などが当初、黒塗りになっていたため、朝日新聞は籠池氏への取材に基づいて、籠池氏が『安倍晋三記念小学校』の校名を記した趣意書を財務省近畿財務局に出したと明らかにした、と5月9日付朝刊で報じた」(2017年11月25日付) 
間違っておきながら訂正もお詫びもしない。
いかなる誤報があっても、朝日が書いたことに間違いを指摘するのは許されず、逆ギレする。
通常なら考えられない思い上がりと特権意識だ。 
そういえば、入社同期の記者でいつの間にか朝日に移ったのがいた。支局から社会部に上がった頃、どこかの現場で会い、声をかけると、キッとこちらを見据えて「俺はもう朝日新聞の記者だ。『さん』付けで呼べ」と。
もうお前とは格が違うという言い方をする。
朝日人というのは選ばれたジャーナリストで、お前らとは違うと、新聞社同士でもそういう特権意識を丸出しにしていた。
日本がいかにダメか、書き連ねたい病理 
現実に朝日新聞がやってきたことは、日本人の醜悪さを強調し、この民族は根性からしてダメだと書くことだった。
サンゴ落書き事件に典型的に表れたように、自分で落書きしておいて「日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の……」と書く。
精神が貧しく恥知らずな日本人が、いかにダメかを嬉しそうに批判していた。 
1999年のカンヌ国際広告祭で金賞に選ばれた、ノルウェーのブローテン航空(Braathens Airlines 現スカンジナビア航空)が作成した「The Japanese」というコマーシャルがある。 
内容は日本人乗客がオドオドしながら飛行機に乗り込んできて、機内食の中からポリ袋に入っだものを取り上げて、おしぼりだと思って顔をふいたらピーナッッバターがべったり。
画面が変わり次に本物のおしぼりが出された際に、今度は菓子だと早合点し、「今はおなかいっぱいだから」と断る、というものだ。
乗りなれない飛行機で、日本人乗客が、周りの様子をうかがいつつ、結局失敗するというストーリーだ。 
機内サービスのおしぼりは日本のものだ。
ノルウェー人などは手を拭くことも知らなかった。
おしぼりを出されても、靴でも拭くのかと思っていたようなノルウェー人の航空会社が、最近になって、自分たちもおしぼりを提供し始めた。
それが嬉しくて日本人ならまだ知らないだろうと思って創った作品だ。

朝日は、日本人は外国からこのように恥ずかしく見られていると自虐趣味たっぷりに書く。
新聞社なら、これは大間違いで、おしぼりが分からないような日本人はいない、と書くのが常識的な反応だろう。
そうまでして日本人を醜く書きたいか。
これも朝日の病理だ。

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