文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

そんなぎりぎりの瀬戸際に、令和の新時代にあたって我々は立たされていることを銘記しなければならないのである。

2019年06月06日 13時27分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。
天安門事件後の30年にわたる中国経済の大成長という事実によって、21世紀における成長理念としての「中国モデル」の有効性が「実証」されてしまったというのである。 
ハルパー氏の著作の邦訳出版から3年後の2014年に習近平指導部が提唱し始めた「一帯一路」構想も、まさにこのモデルの実践にほかならない。
であるなら、西側、特にヨーロッパ諸国が一帯一路にかくも安易に便乗していることが、いかに深刻な問題をはらんでいるのか改めて考えておく必要がある。
貴重な「30年」を失った日本 
最後に、人安門訂件で学生らの武力鎮圧を決断した中国側の論理についても考えておきたい。
そこでは、中国という国が、西側諸国という「外の世界」から歴史的に受けてきた衝撃-「ウェスタン・インパクト(西欧からの衝撃)」を常に「中国流」で乗り越えようとしてきたことをふまえることが必要である。 
中国が受けた「ウェスタン・インパクト」の第1は、西側世界の物質的脅威、産業技術や軍事力である。
これに対抗する国内体制変革の手段が、辛亥革命(1912年)であり、共産革命(1949年)であり、「改革開放」(1978年)だったのである。
習近平が唱える「中華民族の偉大なる復興」にも、その核心には「ウェスタン・インパクトを乗り越える」という強烈な動機が働いている。
それゆえ、おそらく中国は、この夢を実現させるためにはどんな手段でも取るだろう。
その一里塚が「天安門」だったといえるだろう。
「西欧直輸入の民主化は絶対受け入れない」という意思を世界に示したのである。
そして、その「二里塚」は一帯一路、あるいは南シナ海の軍事拠点化なのかもしれない。
そこでは、アメリカとの経済摩擦や技術覇権争いで、日本のように簡単にアメリカの主導権を認めて「べ夕降り」することはあり得ない。
つまり「米国の覇権に屈し世界史の敗者となった日本の轍は絶対に踏まない」ということである。 
「ウェスタン・インパクト」の第2は、民主主義や人権の重視といった西側諸国が信奉する価値観だが、それへの対抗理念の必要から、中国は儒教を「普遍的価値観」として対置する。
たとえば、ポスト・マルクス主義時代に習近平独裁を合理化するために進められているのが、権力の絶対的・強権的支配を正統化する「天命思想」の復興である。
あるいはそもそもそれがいままで中国社会に根付き続けてきたからこそ、天安門事件に蓋をして、経済成長だけであの体制を支えられたのである。
これはネガティブな意味ではあるが「世界史の奇跡」には違いない。
実に、「ウェスタン・インパクト」をなんとしても押し返そうとする「中国文明の反発力」の成果といってもよい。 
「ウェスタン・インパクト」の3つ目は、近代国際法や国際秩序である。
これに対して中国の歴史は、自らと対等な相手の存在を認めないチャイニーズ・ワールド・オーダー「中華的国際秩序」が文明伝統であることを示している。
南シナ海全体を我が海とする九段線の設定や人工島・軍事拠点建設でも、パークの常設仲裁裁判所から明確に「ノー」を突きつけられながら、判決を「紙くずだ」と一蹴し、既成事実化を着々と進めていることは、まさにその発露といえる。 かくして、天安門事件とは、まさに中国が「外の論理」を受け入れない、西側諸国とは異質な国家として生きることを行動でもって、30年も前に明確に示した出来事だったのである。 
日本はこの天安門事件の教訓を、もっと早く汲み取っておくべきであった。
30年遅れてようやく、アメリカのトランプ政権の対中戦略の転換を踏まえ、それに追随する形で遅まきながら、いろいろな議論がなされ始めた。
筆者は個人的には「もう遅すぎる」との感をぬぐい得ない。実際筆者はこの20年以上、このことの必要性を一貫して唱え続けてきた。
この「失われた20年」あるいは天安門事件以来の30年の遅れ、平成の30年間というこの貴重な時間を失ってしまった日本の対中認識の遅れの代償とその責任の大きさを、「何が日本をそうさせたのか」という点から、いま改めて問い糾すべきである。 
米中の覇権争いは今後、20年から30年、場合によってはそれ以上、続くかもしれない。
日本の当面の選択はともかく明らかである。
日米同盟の一層の緊密化によって対中抑止を効果あらしめ、日本の主権と独立を守ることである。
日本は今、そのスタンスを明確にしなければならない。 
しかし、問題はこの対中抑止の安保政策が成功した後のことである。
そのとき大なり小なり、なお強大化した中国はやはり、日本の隣に存在し続ける。
そして、アメリカが世界の警察官から完全にリタイアし、アジアでも「半身の姿勢」に転じている可能性もある。
そのとき中国が天安門事件を完全に克服している国になってなければ、その時こそ、単なる「安保上の脅威」という言葉ではもはや言い表せないほどのパワーの存在に日本は直面することになる。
この状況も考え併せた「当面の安保政策」でもなければならない。 
可能な限り長期にわたって日米同盟を堅持しつつ、他方で自らの力と手腕でこの国を守ることのできる、外交を含めた自立した国家の総合的生存力をいかにして備えるか、真剣に議論し、直ちに着手せねばならない。
そのような日本でなければ、先に挙げた米中の「深淵な絆」の台頭を防ぐことはできまい。
そんなぎりぎりの瀬戸際に、令和の新時代にあたって我々は立たされていることを銘記しなければならないのである。


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