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ワシントンポスト紙も反日記事を書くことが多々であるのは、こういう男が在籍したりしていたからなのだろうと得心した

2019年04月19日 09時50分30秒 | 日記

「安倍の葬式はうちで出す」のが朝日の社是と、言ったとされる程度の記者で、朝日の斜陽に輪を掛けた、と題して2017-11-09に発信した章である。
以下は池原冨貴夫氏の名著、「昭和天皇は朝日が嫌いか」《巨大メディア―その捏造の歴史》(KKベストブック1,200円)からである。
記者の実力とは無縁、「閨閥」好きの朝日 
鈴木貫太郎総理と共に、終戦に向けてご苦労された東郷茂徳外相。
偉大だった元外相を祖父とし、共に日比谷高校に入学した双子の東郷兄弟。
弟・和彦は東大から外務省、兄・茂彦は早大から朝日新聞に入社した。1968(昭和43)年に朝日の記者となった茂彦は、その毛並みのよさから社内でも期待のホープだったが、76(昭和51)年の記者時代に、国会議事堂内に見学に来ていた少攵のお尻を触る痴漢行為が発覚して依願退職。 
その後、ワシントン・ポスト紙の記者に転じた茂彦は、一度だけスクープを抜いた。
*ワシントンポスト紙も反日記事を書くことが多々であるのは、こういう男が在籍したりしていたからなのだろうと得心した*
1993年の「小和田雅子・皇太子妃」決定の特ダネだった。
しかしこの特ダネには、弟の和彦と小和田恆の外務省ラインが情報源として介在していたとの噂が絶えなかった。
外国紙の東京特派員になっても茂彦のセクハラ癖は終わらず、累犯を重ね懲役8ヵ月(求刑懲役1年)の実刑判決を受け、ワシントン・ポスト紙も退社。 
若宮啓文の父は、朝日新聞政治部記者から鳩山一郎首相の秘書に転じた若宮小太郎。
親子二代の朝日記者である。
啓文は政治部記者から主筆へと朝日のエリートコースを歩んだが、記事でも政治観でも「語るべき」中身が殆どない。
「安倍の葬式はうちで出す」のが朝日の社是と、言ったとされる程度の記者で、朝日の斜陽に輪を掛けた。
朝日と「全共闘」、類似体質 
東大紛争当時、文化大革命に共鳴した全共闘が「造反有理」を盛んに唱えた。
東大全共闘は68(昭和43)年の夏頃から「全学スト」を決行して、全教室をバリケード封鎖した。
当時、所謂一般学生のリーダーの一人だった私は、同年、雑誌『自由』10月号誌の東大生有志による座談会で、「無期限ストの解除」と「機動隊の導入」を誌上で論じた。
雑誌『自由』発刊の翌日、東大正門前の立て看板に「池原冨貴夫・粉砕」の文字が躍っているのには驚いた。
まるで紅衛兵並みの壁新聞だった。
一番紛争が根深かった医学部では、座談会出席者を匿名扱いにするくらいの緊張感があった。
私は、高校・大学と柔道部で血気盛ん、全共闘とは度々対峙したが、当時まだ大きな傷害事件はなかった。
というより暴力事件があっても、「検挙」されることがなかった。
大学へは警察権の導入が出来ない「無法地帯」だった。
当時、全共闘の連中の持っているゲバ棒を見たら、中に大きな釘を結び付けている凶暴な連中もいた。
この状態を放置していた咎めか、その後、浅問山荘事件など陰湿な過激派「内ゲバ」事件につながって行った。
68(昭和43)年11月、林健太郎文学部長(当時)の1週間カンヅメ団交事件があった。
私は、恩師である林先生への差し入れを携えてカンヅメにされている教室に行ったことを思い出す。
教授連中を「軟禁」し壇上に立たせて、全共闘活動家が「大学の強権体質はお前らが悪い」とマイクで激しく追及する。
その場にいる全共闘シンパの学生が「そうだ、そうだ」と連呼する。まさに紅衛兵スタイルだ。
「自己批判」するまで、家にも帰さない。
「ごめんなさい、私が悪かった」と自己批判して退出する教師も出て来る。
しかし林健太郎は、頑として要求を撥ね退け信念を通した。
ドクター・ストップで1週間後に「救出」された。 
日頃、進歩的知識人とか言われる教授たちの、信念のあるなしが良く分かった。
全共闘に迎合したのもいたが、丸山眞男法学部教授は立派だった。
丸山教授の講義は人気があり、私も3年生の時に聴講した。
テキストを読むより直に聴く方が遥かに面白い講義だった。
講義の演題は「米国政治思想史」、法文系の大教室が数百人の聴講生で一杯になった。
「無期限スト」突入後、全共闘シンパに取り囲まれ、校内や歩道で激しく議論する丸山教授の姿を見かけた。
「君たちは間違っている」と一歩も引かなかった。
我慢に我慢を重ねてきた東大当局が、安田講堂に機動隊を導入して不法占拠学生を排除する決断を下した。
69(昭和44)年1月18日から19日にかけて、紛争が始まって以来はじめて機動隊が学内に導入された。
私も、「現場」にいた。
導入初日の18日、「安田城」をめぐる火炎瓶と催涙ガス弾の攻防は激しく、初日、機動隊は一旦引き揚げた。
夕刻、機動隊引き揚げ後も騒然としている銀杏並木。
明日は機動隊の本格的「安田城攻め」が予想され、逃げ出す東大生もいる。 
翌19日に約半年振りに安田講堂の封鎖が解除された。
立て龍もっていた学生は全員逮捕されたが、東大生は少なく他大学生が多かった。
最後は自分が一番大事だとする東大全共闘シンパの行動様式は、朝日新聞の体質と似ている。
朝日は日共民青は嫌いだが、全共闘系はウエルカムだ。
体質的に似ている全共闘に共鳴する朝日記者は多い。
椿事件の椿貞良(テレビ朝日報道局長)がそうだ。
椿は「東大安田講堂事件の時は学生たちに共感していた」と発言している。 
渡邊恒雄・読売新聞主筆は、椿を「偏向報道の確信犯」と指摘し、「椿は、日本のテレビ史に汚点を残した」と言った。 


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