文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

したがって、教育勅語に書いてある道徳や愛国心について、わざわざ教育基本法のなかで言う必要がなかった。 

2019年05月29日 20時38分55秒 | 日記

以下は前章の続きである。
教育勅語は廃止できない 
*この章も私と同様に日本国民の大半が初めて知る事実に満ちている*
もっと悲劇的なことが教育勅語に起こっている。 
明治23年(1890)に発布された教育勅語に関して、明治政府は非常に慎重だった。
教育勅語の原案は井上毅(いのうえこわし)(注1)が作り、天皇側近の儒者、元田永孚(もとだながざね)と相談しながら最終案をまとめた。
井上毅は、特定の宗派宗教を連想させるような言葉は使わないという信念に基づいて原案を作っている。 
また、新しい宗教のようなものを日本が発布したと先進諸国に思われるのではないかとの配慮から、明治政府は当時の代表的な学者に命じて教育勅語を翻訳させた。
英訳、仏訳、独訳、漢訳など何カ国語にも訳させている。 
しかし、どの国からも反対はなかった。
進駐軍も最初は、教育勅語によくないことが書いてあるなどとは言わなかった。
ところが、東大系の学者などが、教育勅語は軍国主義に繋がるなどと言ったために、何もわからない進駐軍は「そうなのか」と思ったのである。 
公職追放令の項でも触れたが、議員たちは皆、追放されるのが怖くて仕方がなかった。
だから進駐軍が教育勅語を「軍国主義的と考えている」と知らされると、追放が怖くてそれに賛成するほかなかったのである。 
教育基本法ができたのは昭和22年(1947)のことだが、その頃はまだ教育勅語は廃止されていなかった。
したがって、教育勅語に書いてある道徳や愛国心について、わざわざ教育基本法のなかで言う必要がなかった。 
その後、教育勅語が廃止されてしまうと、「教育勅語」と「教育基本法」の両輪で完成されるはずだったものから、道徳的なことや愛国心がすっぽりと抜け落ちてしまうことになった。
二輪車が一輪車になって、精神的なものに関する教育がなくなってしまったのである。 
それがずっと仇をなしてきて、安倍晋三内閣の時の教育基本法の改正でようやく取り戻すところまできた。 
教育勅語の廃止は大きな影響があったと思う。
私が大学時代に、夏休みに田舎に帰って子供の頃から通っている床屋に行った時、店主の矢口さんという方が「困ったことになった。教育勅語がなくなったから子供を叱れない」とこぼしていた。 
親孝行しろと言っても、教育勅語に書かれていることを議会が廃止したので言えないわけだ。
「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ」も全部廃止されてしまったので、夫婦喧嘩も絶えない。
道徳項目を廃止したというのは馬鹿げた話である。 
教育勅語はいわゆる法律ではない。
天皇陛下のお言葉という意味合いから、天皇ご自身の御名御璽だけが記され、国務大臣の名前は副署されていない。
つまり、明治天皇が道徳に関する希望を述べられて、皆さん、私と同じように道徳を重んじましょうということなのだ。 教育勅語の性格は、親鸞上人や日蓮上人のお言葉と似たような種類のものであって、天皇陛下の個人的な信念だから、法令でもないのに議会で廃止するということ、がそもそもおかしいのである。 
戦前にも、教育勅語が問題になったことがあった。
憲法学者の美濃部達吉氏が、「天皇機関説」で揉めた時に「教育勅語も機関としての天皇のお言葉だ」と言ったため、道徳、が法律なのかという大きな反発を招いた。
しかし、美濃部氏はさすがに法律家だけあって、すぐに法律でないことに気づいて前言撤回した。
だから、教育勅語が法律でないことは美濃部氏も認めたことなのだ。 
その教育勅語を廃正したということは、国会が徳目を公式に廃正したということになる。 
戦前のように、教育勅語を全ての公立の学校で教える、または校長先生が朗読するということは難しいかもしれない。
しかし、廃止してはいけないものを、また廃止できないものを廃止したのだから、国会は教育勅語廃止令を廃止する決議を行うべきである。  
(注1)井上毅(1843~1895)政治家。旧熊本藩士。伊藤博文の下で大日本帝国憲法・皇宗典範の起草にあたり、教育勅語のほか軍人勅諭など多くの勅令・法令の起草に関与した。
この稿続く。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。