以下は前章の続きである。
授業妨害もひどかった。
「青い芝の会」(脳性麻痺者による問題提起などを目的として組織された障碍者団体)の人間が、ハンディキャップの人たちが乗った車椅子を押して授業中の教室に入ってくるんです。
これは厚生省も震え上がる団体だったらしいですが、朝日新聞が指嗾しているのはわかりきっていた。
そんなことが夏休みをはさんで四ヵ月くらい続きました。
普通なら、これで私立大学の教師など葬られるところです。
ところが幸いなことに『文藝春秋』編集長だった安藤満氏が「“検閲機関”としての朝日新聞」というタイトルで、反論をたっぷり書かせてくれた。
そこでデタラメを書いた記者を実名で批判したんです。
その人は出世コースから外れたようですね。
その後は朝日から直接攻撃を受けることはなくなりました。
あのころは朝日新聞に叩かれて自殺した先生もいましたよ。
京都のほうの医学の先生だったと思いますが、患者に手を出したとか批判されて、そんなことは絶対ないといっても、どこに訴えたらいいのかわからないと、悩んだあげく自殺してしまった。
それが当時の朝日新聞の力です。
私大の教師くらいは簡単にひねり殺せるという傲慢さ。
半世紀前の昔話ですが、私に縁談がありましてね、相手の女性のお父さんがもう亡くなっていたので、後見人だという朝日の大幹部にあいさつに行ったら、開口一番、「大学の教師なんか安月給でつまらんものだから、この縁談はよせと俺は言っているんだ」と、本人を目の前にして言うんです、だからこちらから断った。
それほど朝日には驕りがあった。